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知恵、勇気そして節制 ギリシア狂騒曲

受験や学歴社会とは何なのか。私なりに考えてみようと思います。

・事実の確認
 受験や学歴は必要か。そもそも学校という制度自体は近代以降のものです。均一的な労働者を生み出すことに、その目的が当初はありました。その中でそこからさらに、勉強する人が「大学」にいったわけです。そのため、実は戦前からずっと学歴社会であるといえます。
 そして、太平洋戦争といったものを通じて、今に至るわけですが、面白いことに、今の国民皆保険制度といったものは、実は戦時中の制度を元にしているという話があります。というのも、ゼロから一を作るのは大変ですが、一から二を作るのは簡単です。
 何が言いたいのかというと、結局過去からの連続性の上でしか、我々は制度を作れないということです。たまに、天才が現れて一気につくることもありますが、普通は一つ一つ積み上げる感じになると思います。
 また、偏差値で見るところについては、「どこを基準に能力を測るのか」と考えたとき、おそらく偏差値が「考える限りで公平」と思われているということはあると思います。新卒一括採用が慣習としてきています。新卒一括採用の特徴は、「可能性に投資する」ことです。つまり、「うちの会社で働いて活躍してくれるかな」が基準となります。その「可能性」を測る上で、偏差値を用いる。これは、おそらく良くも悪くも「妥当な」こととみなされてしまっているのかなと思います。

・その上で感じること
 いろいろと思うところはあると思います。しかし、私としては、「悪くはないかな」と思います。私自身、地方の小さな私大の院にいます。有名な大学ではありません。ですが、今の大学にきて後悔はしていません。
 結論から述べると、「運」のような気はします。ですが、条件がそろえば、今の学歴社会や受験環境の中でも、やりようによっては「上手く」いくこともあると思います。
 もちろん、いい大学にいって、ホワイト企業に就職することはよいことという価値観を悪くいうことはできないと思います。その人の価値観、人生にとやかくいうことはできないと思うからです。
 いかなるレベルの大学にいこうとも、そこで誰と出会い何をするかなのだと私は思います。どのレベルの大学であっても、大方教員はしっかりしています。たまに、学会ではトップの学者でも、分野がニッチ過ぎて、大きな大学が雇ってくれず、地方の私大にいることもあります。もし、その方の下にいけたら、結構良いことあります。また、そもそも、家庭の事情で近くの大学に行かざるを得ない学生もいます。確かに、学歴フィルターはありますが、見てくれる企業はいます。探すのは大変かもしれませんが。

・割とみんな適当に生きている
 さて、ここまで読むと、なんか「一生懸命にやれ!」と思われるかもしれません。ですが、そんなことはないです。実は、適当になんかやっていたらたどり着く。だから「運」なんだと私は思います。身も蓋もない話です。
 意外と世の中適当でもいいんだなと思います。院にいると、「この教員、よく教員になれたな・・・」とびっくりするような人もいます。一方で、「なんでこんなに優秀なのに、この大学にいるんだ?」という人もいます。さらには、どんなに優秀な教員や研究者でも、学会の主流派になれないだけで、50代まで非正規雇用の人もいます。まさに、「運」なんです。ですが、その評価は表面的です。なんやかんや、少しでも「情けは人の為ならず」の精神で、自他の境界はハッキリと区別し、常に「できること、できないこと」を把握し、己の役割を静かに受け入れている教員の背中は、みていて輝かしいものがあります。これは、人間としての生き様で、大学のレベルでは測れないものです。
 人間は誰一人として、輝けるものをもっています。その輝かしさに敬意を表し、時に共に喜び、時に戒める、そんな立派な「大人」が現れるとよいと思います。
 近代に入り、神は死にました。ですが、先人たちの人類に対する憎悪と将来世代への希望は、まさに感情のうねり、人間としての本性を感じるところです。少しでもよい世の中を、次の世代に残すという意思を見られたら、もしかしたら神にすがることなく、超越したものを感じることができるかもしれません。「神は作用である」といった、遠藤周作の言葉が、重みをます現代であります。
 悲劇か喜劇か、最後の最後に必要なのは「どう生きるのかという生き様」だと思う次第です。

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この記事へのコメント
n-salon

大学入試も、実力だけで決まるというより、運の要素が大きいように感じています。
もちろん、どのような入試方式でも突破できるほどの圧倒的な実力があれば別ですが、推薦入試にも運は絡みますし、筆記試験でも自分の得意な問題が出るかどうかという運の要素があるように思います。
とくに私は私立大学に通っているのですが、私立大学は入試方式もさまざまであるため、学生の能力(という表現が妥当なのかは分かりませんが)も、大きく差があるように感じます。
つまり、学歴には実力主義的な側面もある一方で、運の要素も少なからず含まれているのではないかと思います。
(注:投稿者はn-salonとなっていますがコメントは研究員からのものです。コメントは研究員限定で受け付けています)

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