梅雨も過ぎつつ、夏の陽気になってきて、だいぶ暑く感じるようになってきた。クーラーも欠かせない時期である。そして夏祭りの時期でもある。
昔、友人と夏祭りに行った記憶が懐かしい。「美しい思い出」「楽しい思い出」というやつである。今は遠くなってしまった。今日も近所で夏祭りのお囃子の練習が聞こえる。なんとなく癒される。地方は既に少子高齢化で、お囃子の跡継ぎも少なくなりつつある中で、若い子を見ると微笑ましい光景と感じる。
「政(まつりごと)」と「祭りごと」が同じ読みであるのは、確かに納得がいく。「祭り」の時しか皆集まることはないからだ。決め事をするのに、「祭り」は集まるきっかけになるだろう。「儀式」とも色々あるが、細かい話は置いといて。
他方、祭りというどこか遠い世界の出来事のようでもある。そもそも、世界が遠くにある。ただ一人、違う世界にいる気分の私としては、「祭り」というのは参加するよりも眺めるに限る。精神的に疲労しているのもあるのだろう。
これから一人で、どうやって暮らしていくのだろうか。結婚とかも、結局なんか自分のことに巻き込んでしまうだけだろうし、友人たちも、普通の暮らしを送っていくんだろうなと、そう思うと、お囃子の音が遠くに聞こえる。羨ましいなぁ、と思いながら、歩んでいくのだろうか。それはそれで、なんか嫌なものである。人生に意味を求めることはできないのはしょうがないけども、そういったものにもまれながら生きていくのは嫌である。せめて、普通の人生であったらなぁ、としみじみ思う。
お囃子の音、日常なるもの、諦観の果て。
お囃子の音
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