Q.自分はアイスが好きです。棒アイスやカップなど、、、。やみーぺんさんは何のアイスが好きですか
A.アイス好き仲間嬉しい!やみーペンはスプーン使わないで食べれるのを選びがち…。スプーン洗うのめんどくさいから。でもカップのアイスの方が美味しそうなの多いんだよねぇ〜
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Q.自分はアイスが好きです。棒アイスやカップなど、、、。やみーぺんさんは何のアイスが好きですか
A.アイス好き仲間嬉しい!やみーペンはスプーン使わないで食べれるのを選びがち…。スプーン洗うのめんどくさいから。でもカップのアイスの方が美味しそうなの多いんだよねぇ〜
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Q.家にカエルが葉っぱの上に乗っている箸置きがあります。そのカエルは仰向けでごろ寝しているポーズで、親はだらしないポーズだと言いますが、私はこんなふうに気楽に昼寝してみたいと思います。生きかたカエルさんどう思いますか?
A.もちろん、リラックスを表現したのびのびとしたポーズだろうと想像しています。
ただ、だらしないと思うのも人の感じ方なので、それはそれでもいいように思います。推測するに、質問者の親はあまのじゃくなのか、素直に自分の気持ちを表現することができない何らかの事情をお持ちなのでは?と感じました。それはそれで、生きづらそうです。
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Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い
A.家庭の中で、おばあちゃんからお父さんへの関わりだけ、見ていてわかるくらいに態度が強いのですね。補足に書いていた「これって差別?」には、辞書の定義でいくなら差別とは違うのですが(差別というのは、例えば性別や人種や病気などの、何か特定の”属性”があるからという理由で攻撃するものを言います)、おばあちゃんの態度に質問者さんとしては不当なものを感じているのだろうとウ・サギは想像しています。
なんでお父さんにだけ態度が違うのか?そうしてしまうような理由もわからないし、やめてほしい・・・そういった気持ちがあるのかなと思いました。そもそもどんな理由があろうと、子どもの前で、不当な扱いや攻撃的な言動を見せないでほしいとウ・サギは思います。
家庭内で大人間の喧嘩を見ているだけで、自分が攻撃されていなくても心に傷を受けるという話はされていますし、喧嘩までいかなくても同じように傷つくことがあると感じます。直接やめてほしいとは言えないかもしれないですが、辛いという話を言えそうな人がいたらなるべく相談してほしいとウ・サギは思いました。
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Q.「本来のその人」って一体何でしょうか?
よくない性質だけ個性とは切り離すなんて、都合のいいことが本当にできるのでしょうか。
所長たちが普段言っている、「よくない行動でも無理にやめさせず背景を分析すべき」という考えとも矛盾する気がします。
A.(補足)所長たちの質問回答配信第22回の質問1「精神疾患や発達障害の治療では、主に『考え方や行動の矯正』を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。」を見ての質問とのことです
質問と補足を読んでウ・サギが気づいたのは、質問者さんの言っている「認知行動療法」と、ウ・サギ(たち)のイメージしている「認知行動療法」には、何かしらの違いやズレが生じていそうだな、ということです。
これはウ・サギの印象なので間違っていたら申し訳ないですが、質問者さんの言っているもの(実際に経験したものでもあるのかなと想像しています)は医学モデルでの話で、ウ・サギは社会モデル・対話モデルでの運用をされるのは勝手に大前提とした上で話している気がします。
何がよくないものなのかを医療を提供する側が定義し、患者が努力や工夫をしてそれを変えていきましょう、というスタンスで行われるなら、どんな療法だろうとウ・サギは大反対です(残念なことに、実態としてはそういった場合があるのでしょうね……)。ただ、それは認知行動療法という技法の問題ではなく、医療というもの自体や支援者のあり方の問題だと捉えているので、認知行動療法を対象にしたネガティブな気持ちはあまりないです。何がよくないもの・変えたいものかを(そもそもそこに正解もないですが)対話の中で本人が決めて、本人と周囲と双方で歩み寄りや折り合いを探っていくために使う枠組みとして、認知行動を意識して考えてみるのは悪くないよね、と思っています。
ただ、合う人合わない人はいるかと思いますし、ウ・サギ自身が認知行動療法を受けるということだけで考えると、きっと合わないだろうと感じます。社会の常識といわれるものからの圧や合わなさでの傷つきが大きい場合や、もともと思考が発達している場合は、あまり合わず、腹立たしい思いさえする。社会の風潮というよりは特定の誰かとの関係での傷つきが大きい場合や、感覚や感情が優位で思考を伸ばした方が生きやすい場合は、わりと有効・・・?という印象はあります。これはあくまで主観バリバリの仮説ですが。
補足にあった「いつか生きづLABOでこのような問題を話しあえたら、社会の課題を一つ明らかにできそうだと思うのですが」という意見には賛成です!どうしたら安全な話し合いの場になるか、参加したい人たちが参加しやすいツールや運営方法は何か、ああ先に研究員制度を始めるための利用規約を整備しなくては(研究員にならなくても話し合う場はあっていいのですが、まずは前から言ってることをやらなくてはという筋)、そんなうちにやろうやろうと口だけのウ・サギになってしまう・・・と頭も心も忙しくなってきました。
当事者の違和感を出発点に対話を深めていくことは、社会の課題を明らかにしていくための超有効なアプローチだと思っています。
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Q.社会なんて変えられないから、邪魔者の自分が死ぬべきだって思います。社会の仕組みを変えようと思えないです。ごめんなさい。
A.そ、そんな、全然謝ることじゃないですよ…!と恐縮のウ・サギです。
ウ・サギの中にも「自分が死んだら自分の中では解決じゃん」と思う自分がいるので、感覚的にも全然わかると感じます。論に賛成するかは別として、当事者の感覚、感情としては自然な反応のひとつだと思います。
質問でごめんなさいと伝えてくれたということは、社会の仕組みを変えようというメッセージがすごく賛同を求めているように見えてしまったのか、どこかで賛同したい気持ちや責任感を抱いているから出てきた言葉なのか・・・ちょっとそのあたりの想像も巡らせてしまいました。
カエルさんにも話を聞いてみましょう。
*生きかたカエルから*
変えようと思えなくても全然いいと思いますよ。あなた自身が変えようと思えなくても、生きづLABOが変えようとすることを応援してもらえるのなら嬉しいです。もしも、応援もしたくない!というのであれば、それもありだと思います。
こうして、「そう思えない、ごめんなさい」と思って、質問箱に送ってくれているのですから、少なくとも社会の仕組みを変えることに対して興味や関心がありそう…関心を寄せてくれるだけで、ちょっと嬉しくなるカエルでした。
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Q.人間は病気でも治療して治せる
食べ物はちゃんと供給できる
野生動物に襲われる確率はかなり低いのに
野生動物よりなぜくよくよ悩み窮屈そうに見えるんでしょうか?
A.それは、くよくよ悩むということ自体が、生存のためにリソースを全部使う必要がない(つまり、端的に言うと暇がある)から発生する現象というのがまずあるのかなと思いました。あとはそもそも動物と人間の大きな違いとして、人間は概念というものを獲得していて、今目の前のこと以外も考えることができちゃうというのもあると思います。過去を思い出すのも、将来を不安に思うのも、アイデンティティというものに揺らぐのも、比較するのも、概念があって初めて生まれるもので、動物には(現状の仮説としては)ないとされています。
そして困ったことに、一方で面白いことに、人間の考えや生き方に正解は存在しないのですよね・・・。この世界が何なのかを自分で感じ、必要があれば感覚を理論で補強し、自分の欲求と周りの欲求や現実との間で折り合いを探り続け、絶望や閉塞を感じてもどうにか今を生きるための支えを見つけ・・・死ねない間は、揺らぐ自我を抱えてどうにかやっていかないといけません。そのバランスを自分で見つけて取り続けていくことの難しさは、ここまで宗教というものが必要とされてきたことや、時に信じられないような虐殺が起こってしまうことなど、歴史が証明しているとウ・サギは思います。
くよくよ悩むのは(その権利を使いたいかは別として)人間として生まれた特権のようなものだし、全然いいと思いますが、窮屈というのは行き過ぎると怖いようにウ・サギは感じます。だからくよくよをシェアできる、窮屈になりすぎない社会をつくりたいと思っているところです。
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Q.死にたいと思うとまだ生きたいと思って、まだ頑張ろうって粘るけど辛くなって死にたいと思うの繰り返しでもうワケわかんなくなります。
A.真逆(に見える)気持ちがどちらもあって、自分の気持ち・自分のことのはずなのに、もうワケわかんないよ…!とパンクしそうな感じを想像しました。振れ幅や波が大きく、心も体も消耗していくのではないかとも思いました。
ウ・サギは「死にたい」は、「生きたい」とある種セットのように感じています。生きたい気持ちがなければ、「別に生きていきたくもないけど死にたいってほどでもないなあ、まあくたばるまで生きておくか」くらいの淡々としたメンタルになるのではないか?と思うからです。そういう思いで生きているよという話も実際に聞いたことがあるので、死にたいという強いエネルギーや気持ちを抱くのは、生きたいというエネルギーが逆に向いたときに起こる現象というのか・・・。話がよくわからなかったらすみません。
それと同じように、辛くなるのも、頑張ろうとするからなのかなとウ・サギは思います。だから一見反対の気持ちに見えても、実はセットなものって意外と多いのかもしれません。頑張らないをできたらちょっと楽になれそう?とも思いつつ、頑張らないを簡単にできたら苦労しないよなあと、悩ましく思うウ・サギです。
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Q.摂食障害を患って、強制入院ギリギリの低体重から一転、お腹パンパンで苦しくても食べ足りない体になってしまいました。太りたくない。でも食べちゃう。獣みたいな自分が大嫌い。どうしたら自分を許せるでしょうか。
A.本当は食べたくないのに食べてしまう、それに苦しむのはあなたが人間であり、傷ついた心を持つからだとカエルは思いました。だから、獣みたいではなく、とても人間らしいと思うところです。すぐに自分を許すことは難しいと思いますが、あなたが「許したい」という願いを持っていることがカエルには伝わってきました。その「願い」だけでカエルはすでに自分を許そうとする一歩を踏み出していると感じました。その一歩をカエルは受け止めたので、あなたもその一歩を受け入れるというのはいかがでしょうか。
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Q.「Q.休みたいけどどこからが甘えでどのラインが休むべきか分からない」
の質問回答動画で
生きかたカエルさんの言っていた
「お金は魔物」について
さらに詳しく知りたいです
また
食事や住まいの現物給付と自己決定の折り合いについては
どう考えますか
A.「お金は魔物」というのは、主に人の心を狂わせるという意味で使いました。
本来、お金というのは必要なものを交換し合うために生み出された一つの手段だとカエルは理解しています。ところが、いつの間にやらお金がそれ以上の価値や意味を持ち始め、今ではそれがないと生きていけない唯一無二の存在になっているように感じます。
物を交換するための手段より、お金が権力となり、格差や支配、争いのもとになっています。人が生活する一つの手段として使っていたお金が、いつの間にやらお金が主導権を握って、人がその存在に支配されているように思えます。なければすなわち絶望、あればすなわち権力という構造は、お金が人間のコントロールを超えた魔力を持ってしまった状態のように思えるため「魔物」と表現したところです。
食事や住まいの現物支給と自己決定の折り合いについてですが、食事はその人が食事を購入するためにしか使えないクーポンのようなものを支給して、お店で食材を買うのもよし、レストランなどの飲食店で使うもよしのシステムを想定していたので、自己決定は保障できると考えています。
また、住まいについても様々なスタイルの住まいをリスト化し、そこから本人の生活のニーズや希望に応じたところを選べるようにするイメージです。だから、一方的に当てがわれるのではなく、一人ひとりの希望やニーズもある程度考慮するべきと考えています。もちろん、住んでみてダメなら一定の基準を設けて引っ越しも可能だと思います。感覚過敏やトラウマなどある人もいますからそうしたことも理解される機会になるとよいなとカエルは考えています。
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Q.水泳の授業が苦痛でしか無いです。自分の身体の輪郭とか肌とか露出させて皆に見られるのがそもそも嫌だし、自分のクソ下手くそな泳ぎを見られるのが地獄です。どうしたら他人の目を気にしないで居られると思いますか
A.嫌なことは、我はやらない~
嫌なものは嫌!
*ウ・サギから補足*
水着、嫌な気持ちに共感です。最近は長袖長ズボンに近い露出のないものもわりと出てきていますが、それで苦痛は和らいだりしないだろうか…?とまず思いました。(すでに試していたり、学校で禁止されているとかだったらすみません)
他人の目を気にしない方法・・・本当に難しいテーマだなと感じます。敵はたぶん、実際の他人の目よりも、他人の目を気にしてしまう自分自身(自意識、ともいえるかと思います)なのかもしれないとはウ・サギは思っています。学生時代は年齢的にも環境的にも、周りの子たちの多くも、他人の目を気にしてあれこれ不安や抱いている場合が結構ありそうです。だからもしかしたら、自分のことで精一杯で他人のことを見ている余裕がある人の方が少ないかも?とはちょっと想像しましたが、どうでしょうか。あまりお役に立てなかったらすみません。
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