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Q&A
Q.ネットの世界まで社会の嫌な部分を凝縮したようで息苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.スマホが普及して良いこともいっぱいあったけど、インターネットの世界まで社会の嫌な部分を凝縮してそっくりそのまま移植された空間のようになってしまって息苦しいです。以前までのネットが全て良かったわけでは決して無いけど、まだ逃げ場があった気がする

A.確かに、どんなコンテンツも黎明期の方がちょっと居心地がいい気はします。
最初は興味の強い人が入ってくる分、ある種のマナー(悪く言えば身内感かもですが)はあり、全ての人に開かれると、やや無法地帯になる傾向はあるのかもしれません。といってもきっと本当は良心的な人の方が多くて、良心的な人は声が小さく、周りが見えない人の方が声が大きいだけだとウ・サギは思っています。
素敵な部分だけを凝縮、とまではいかなくても逃げ場のあるネット空間、どこかに作れないですかね。。

update 2024/12/12
Q.発達障害かどうかって大事?発達障害という言葉が濫用(?)されすぎていて余計に生きづらい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.発達障害かどうかってそんなに大事ですか?発達障害という言葉が濫用(?)されすぎていて、余計に生きづらく感じています。

A.カエルも発達障がいかどうかということそのものはそんなに大事じゃないと思っています。発達障がいというひとくくりにするのはおかしいと思うからです。ただ、何かしらの説明がないと理解してもらえない人たちや誤解されてしまうような人たちがいることは確かだと思います。そのうちの代表的なものが発達障がいだと理解しています。
だから、発達障がいと説明したらこれまでよりわかってもらえるとか、誤解されなくなるのなら使えばいいと思いますし、別にそうした説明が役に立たないと思ったら使わなくてもいいと思います。そもそも、発達障がいかそうじゃないかというより、個人はそれぞれ違っていて、それなりの得意不得意もあり、感じることも考えることも違うし、その人なりの道理や背景や考えがあることを多くの人たちが理解するような世の中になれば、いちいち診断をしなくてもいいように思います。
でも、ちょっと人と違っているだけであれこれ言われたり、普通は~~とか当たり前には…などと、標準化を求められるようなクセはなかなかすぐには変わらないのかなと思うところもあり、だからこそ、不本意ではあるけれど、ある種の特徴を持った人たちをグループにして名前を付けて、わかりやすくし、社会サポートが届くようにしようとすることは必要な側面があるとは思います。
ただ、あなたのようにモヤモヤする気持ちもわかあるので、こうして議論できる機会があるのがいいですね。

update 2024/12/12
Q.ネット依存の母親がネット情報を鵜呑みに服薬や通院を徹底的に反対する
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ネット依存の母親が「医者は金儲けの為に患者を実際より重い病状と診断し、不要な薬を大量に売りつけている」等ネットに出回る不確かな情報を鵜呑みにし、薬を飲んだり病院に行ったりするのを徹底的に反対します。

A.どんな情報を信じるも個人の自由ですが、それを押しつけてくるのは(しかもそこまで激しく…)困ったものだと思います。
「自分だけは真実を知っている」「それを広めたい」といった感じ方は、ネット依存でありがちな気はするのですが、どういうメカニズムなのでしょうね……。自信がなく、自分の存在意義を感じられないとかはありそうですが、何だろうと押しつけは困りますね…。
よほどの反社会的なものを除き、人間には誰かの行動を制限する権利はないはずだ・・・!とウ・サギは思うのですが、制限を許すかのような文化が多くて悲しくなります。話がズレてすみません。

update 2024/12/12
Q.親や今の環境から抜け出したい。病気あり無職でも一人暮らしはできる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親や今の環境から抜け出したいです。
ずっとそう思ってきて時間だけが過ぎました。年々しんどくなってきてしんでしまいたいと思うことが増えました。
病気があり、無職ですがそれでも一人暮らしってできると思いますか。

A.病気があって、無職でも一人暮らしはもちろんできます。
もしも、障がい福祉サービスを利用できそう(自立支援医療を使っているような場合)なら、グループホームを利用するのが手軽だろうと思います。保証人問題とか、初期費用など含めて通常の一人暮らしをスタートするよりもハードルが低くなります。
病気で働くことが難しいのなら、生活保護も受けることができます。働ける分は稼いで、足りない分を生活保護からもらう人も世の中にはたくさんいます。お金がなくなってから、活用することもできます。
家を借りるためには、ある程度のお金があれば保証人の要らないマンスリーマンションのような物件を数カ月単位でまずは借りてみることができます。もう少し長期的に考えるのなら、保証人がいなくても保証会社を使って部屋を借りることもできるかもしれません。全国には家から出たい人たちが一時的に生活できる安価な部屋を提供しているところが意外とありますので、そういったサポートを利用することも一つの方法かと思います。

まずは自分がもっともコンディションがよくなる生活環境を整えることが、おそらく個人的にも社会のパフォーマンス的にも合理的だとカエルは思っています。無理をして何かを我慢し続けたり、しんどい状況に耐えることにエネルギーを使うよりも、少しでも得意なことをやってみたり、疲れ切っているような場合はまずは心身を休めたりすることも必要な時もあるでしょう。
ずっと思っているのなら、親や今の環境から抜け出すことが第一だろうとカエルは思うので、そのことを理解してくれて、手伝ってくれる人とつながることがとても大切かと思います。

update 2024/12/12
Q.うさえながは、うさぎとえながの親からうまれたの?
この記事の担当 うさえなが

Q.うさえながは、うさぎとえながの親からうまれたの?それとも、うさえなが族っていうのがあるの?あと、うさえながは「お飾り」って言われてるけど、いるだけで幸せになるからお飾りなんかじゃないと思うよ

A.わーい、ありがとう!
親のことはわかんないよ~
忘れちゃった!

update 2024/12/12
Q.死にたいのに生きたいです
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいのに生きたいです

A.「死にたい」と強く思うのは、生きたい気持ちがあるからな気がウ・サギはしています。
○○な風に生きたいという強い意思があるほど、そうならない現実へのしんどさが重くなり、消えるという解決法の魔力が強くなってくる、みたいな…。
だから生きたいという目標値を下げると、少し楽になるのかもしれません。とりあえずこのタイミングまでは生きる、その後のことはそのとき考える、の繰り返しでウ・サギは生きています。

update 2024/12/12
Q.死にたいでも消えたいでもなく、ただ全部手放して終わりにしたい。
この記事の担当 うさえなが

Q.死にたいわけじゃなくて、消えたいわけでもなくて、ただ、もう全部手放して終わりにしたい。明日なんて来なけりゃいいのに、きてしまう。また今日を生きてしまう。もう全部終わりにしたい。この気持ち、何なのだろう

A.うーん・・・何だろう?
手放しちゃったらだめ?

*ウ・サギから補足*
生きることの煩わしさに疲れてしまった、みたいな感じでしょうか…。
手放したいのに手放せないものがたくさんあるのなら、明日なんて来てほしくないと思うのは自然なことだとウ・サギは感じました。

update 2024/12/11
Q.子どもたちに色々な学びの場を提供するのがオトナの義務なら、それをしてない人は憲法違反?
この記事の担当 うさえなが

Q.子どもたちに色々な学びの場を提供するのがオトナの義務で、それを活用する権利が私達にあるわけでしょ?でもさ、今の社会では学校以外の学びの場が充実してない。充実させようともしてない大人たちって、憲法違反ってこと?

A.よくわからない・・・けど、きっとそうだ!
え?カエルが「違うよ」って言ってる・・・

*生きかたカエルから補足*
憲法や権利、義務について興味を持つのはとても大切なことだと思います。
でも、残念ながら憲法についてはちゃんと学校で教えてくれないのですよね。三大原則とか義務とかそう言った内容が断片的に教科書に出てきて、その断片的なことだけ理解するのは誤解を招くことも多いとカエルは思います。カエルも大人になって、自主的に法律の勉強をしてはじめて憲法や法律ってこういうことなのかと思ったので、少しお伝えしたいと思います。
憲法も法律も「法」ですが、一番大切なのは「法の趣旨」というものなのです。「法の趣旨」とはその法がなんのためにあるのかという目的のようなイメージです。
憲法は特殊な法で、他の法律が私たち国民が守るべきルールであるのに対して、憲法は国家(権力)の暴走を防ぐために、国家権力に歯止めをかけるために国民が課しているものなのです。他の法律含めて、どんな法も民主主義の国では私たち国民が決めています。とはいっても、直接考えたり決めたりはしないので、代議制といって自分たちが選んだ代わりの人(議員さんですね)に任せるわけですが。
なかでも、憲法は特別です。国権の最高法規として、とても大切なことが書いています。その背景としては、権力というものはとても怖くて、これまでも何度も権力を持った人たちが暴走してしまう歴史がありました。そのような暴走をできるだけしないよう歯止めをかける重要な存在が憲法です。だから、一個人が憲法違反になることはないと言えます。
あなたの質問でいうと、子どもの学ぶ権利をちゃんと保障していない実態があるのとしたら(カエルもあると思っています)、大人の存在をある種の権力と見たときに、憲法違反といえるかもしれませんね。子どもからすると、大人の存在は権力なので、子どもの意見や子どもの利益を考えずに、大人が「絶対に学校に行きなさい」「学校で学ぶのが勉強だから他のところは意味がない」などと勝手に決めてしまうとしたら、それは権力の暴走ですし、そういった社会を放置している意味で憲法に違反していると言えるのかもしれません。
とても、大切な視点の質問をありがとうございました。

update 2024/12/11
Q.父に「バカタレ」と言われた。親が子どもにこういう言葉をかけるのってあり?
この記事の担当 うさえなが

Q.まぁなんやかんやあって、父に「バカタレ」と言われてしまいました
まぁ私が全部悪いんだけど、ぐさぁって刺さりました
今結構病み期だから、なおさら
親が子どもにこういう言葉をかけるのってありですか?

A.刺さるのはこわいね
ぐさぁっはつらそうー

*ウ・サギから補足*
バカタレという表現よりも、病み期であることや、刺さった感覚の方がきっと問題なのだろうとウ・サギは感じました。
バカタレと言われても、「ふん、だからどうした」とか「あ~、やっちまってごめんなさい」とか、ほぼダメージのない関係や状況なら、親が勢い余って多少の強い表現をしてしまっても、大きな問題はない気がします。
でも、すでに反省している人や余裕のない人にきつい言葉をかけても、何も良いことは起こらないと思うので、今回のケースでは、バカタレはよろしくない表現であったようにウ・サギは思います。

update 2024/12/11