先日、色々あって学校教師と2対1(友達と自分)で話す機会があった。その時感じたのは、学校教師は綺麗事ばかりだということだ。
学校教師に限らず、自分自身含め綺麗事ばかりだと思う。
綺麗事、言う方だって言いたくていっているわけじゃないかもしれない。
だとしても、綺麗事というものには反感を覚える。
なぜなら、基本的に言いたくて言っていない綺麗事も、自身の保守や社会的地位に基づくものだと感じるからだ。
学校教師の話で言うと、言われた綺麗事は、「先生側からするとすごい助かるんだけど〜」みたいな言葉だ。
それは知っているし理解しているつもりだ。
そしてその言葉を枕詞にされると断るこちらが悪い風に見える。
だから、綺麗事だと思う。
教師は、大人だ。
こうでもしないと、聞かない生徒、親もいるんだろう。
理解している、わかっているが。
どうしても反感を覚える。
どうしていいかわからなくなる。
自分に意思表示の権利がなくなったように感じる。
自分は、綺麗事は嘘と同レベルのものだと思う。だから、綺麗事は吐くが一番自分の中にはしっくり来る。
綺麗事が生身の言葉になることなんてあるのだろうか。
そもそも綺麗事とは何なのだろうか。
綺麗事、そんな言葉に救われる命があるのだろうか。
最近、ずっと考えている。
綺麗事
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綺麗事って社会的な都合と個人的な都合があるなと読みながら考えていました。
社会規範的な理由からくるものと、個人の都合で出るものと。
優しい嘘ともまた違うよなぁとか考えていて、そこに誰かの利益が入ると、そして事実を歪曲してると綺麗事になるのかな、と。
きっと自分も言ってるんだろうな、と思わされました。
適度に綺麗事が言えた方が社会では生きやすいかもしれないけど、誰かの靴は知らず知らずに踏んでいそうですよね
(注:投稿者はn-salonとなっていますがコメントは研究員からのものです。コメントは研究員限定で受け付けています)