なんとまあ、罰当たりな題目である。しかし、このような傲慢さを抱いたっていいだろう。人間だもの。しょせん世界は偶然か否か。神の創った世界か。全く分からない。
ただ目の前に起きる虐待、性被害、自殺、いじめ、病気、死、被害を受けたし被害を見てきた。バカみたいな人生である。憲法なんてくそくらえ。権利がなんだ。人権がなんだ。ひとつも役に立たん。目の前にいる人間を誰ひとり救えずして何が「法」であろうか。ちまちま法文を弄るしかできない学者なんかいらない、デモしかできない奴もいらない、さっさと滅んでしまえばよろしい…とさえ私は言いたくなってしまう。
こんなに人生が真っ赤な鮮血に染め上がっているとはビックリである。自分の血、他人の血、入り混じって鉄の味。何事も血の味が混じる。何をしても血の味が少しする。どうも私の人生は血からは逃れられないようである。白血病になり、死にかけたが、死にぞこないである。文字通り心身ともに傷だらけ。生者は誰もついてこられない。死者だけがついてくる。この血の海さえも飲み込む、歴史の大河、おそるべし。いったい私はどこにいくのだろうか。
神様より、理解者でありたい
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【コメント1】
題目に惹きつけられました。
目の前にいる私が傷ついているのに、それに気付かず、理解もせず、平和を謳わないでくれ、と身近な人に対して思ったことがあります。
「目の前にいる人間を誰ひとり救えずして何が「法」であろうか。」という一文に共感しました。
神様が世界を創ったのかは分かりませんが、私が必要としているのは間違いなく理解者のほうです。
もしかしたら神様にだって理解者は必要なのかもしれません。
(注:投稿者はn-salonとなっていますがコメントは研究員からのものです。コメントは研究員限定で受け付けています)
【コメント2】
俺個人は困っている人がデモをして気持ちを伝えようとすることは意味があると思っています、
その人々に対する「デモできる余裕があるなら困窮してないだろ!」みたいな否定はすごく嫌だなと感じます。
しかし貴方の記事を読んで思ったことをChatGPTと話し整理して(コピペや名前出しはしておりません)、
デモが精一杯な困っている人がデモをすることと、
他の支援をする余裕がある「支援者」がデモにこだわるのだと、
後者の「支援者」は困っている人への支援を優先してほしいなと感じました。
答えも正しさも俺にはわかりませんが、
その上で、
俺に立ち止まって考える機会をくださり、
ありがとうございます。
(注:投稿者はn-salonとなっていますがコメントは研究員からのものです。コメントは研究員限定で受け付けています)
【コメント3】
前回のコメント(コメント2)では書ききれなかったことを書きたいと思います。
まずタイトルの表現が好きです。
俺は実際の神様という存在がどのような存在かはわかりません。
しかし勝手ながら「神様より、理解者でありたい」というタイトルから、「苦しんでいる人に実際に寄り添える理解者でありたい」というメッセージを感じました。
また「目の前にいる人間を誰ひとり救えずして何が「法」であろうか。」という表現も好きです。
俺も含めて、苦しんでいる人がちゃんと救われる仕組みを俺は願っています、
まあ、仕組みが改善される希望を持てない気持ちもありますが、
やっぱり俺は助かりたいですし、皆にも助かって欲しいです。
(注:投稿者はn-salonとなっていますがコメントは研究員からのものです。コメントは研究員限定で受け付けています)