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記事の担当 生きかたカエル
Q.自己開示が苦手です。相手が何を言って欲しいのかばかり考える癖が抜けません。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.私は自己開示が苦手です。みんな私の事に興味がないだろうと本気で思っています。昔から私の話を誰も聞いてくれませんでした。だから私は自分が伝えたい事よりも相手が何を言って欲しいのかばかり考えてきました。
今もその癖が抜けません。

A.自己開示が苦手というよりも、「昔から私の話を誰も聞いてくれなかった」ということがポイントだとカエルは思いました。
知ってほしくて自己開示をするのなら、相手を選ぶのは当たり前だと思います。
だから、苦手というよりは、慎重に相手を選んでいる、ということなのかもしれません。

癖は簡単には変わらないかとも思いますが、
・第1ステップ:自分の直感を頼りに、「この人は聞いてくれそう」という人をかぎ分ける
・第2ステップ:自分のことを小出しにして反応を確かめる
をやっていくと、自己開示のチャンスがあるように思いました。(すでにやっているかも)

この方法は、相手が言ってほしいことを考えすぎるとうまくいかないので、意識的に「今回は癖を置いておいて、自己開示をしてみるぞ」と実験してみるのがポイントです。
少なくとも、自己理解・問題意識があるというだけで、実験は成功に近づいているようにカエルは思います。

とはいえ、すぐに見つからないこともありますので、そんな時は匿名相談や、死にトリの経験談などをご活用ください。

update 2024/5/4
Q.学校に行きたくないけど行かないと親に怒られる。学校では性の差別が自分に降りかかる。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きてるのがつらい
学校に行きたくないけど行かなくちゃならない
学校に行くとストレスが溜まるでも行かないと親に怒られてストレスが溜まる負のループ
学校では性の差別が自分に降りかかる
どうすればいいのか分からないです

A.それは生きているのがつらくなるのももっともな話だとカエルは思いました。
負のループ、切りたいですね。

カエルとしては、性の差別について味方になってくれる大人の存在がループを切るポイントだと考えました。
親が性の差別に対して味方になってくれそうなら、親に相談する(でも、難しそうな気配がする)
学校に性の差別について味方になってくれそうな人がいたら、その人に相談する(これも、難しいから悩んでいるのだろうと推測)

親も学校も難しいとなると、親、学校以外に性の差別に関して詳しい人に相談して、一緒に解決策を考えてみるのがいいかと思いました。
ネットで「LGBTQ相談」とかで検索すると、いろいろな相談機関の情報が出てきます。

遠くの人でも、あなたの気持ちやつらさをわかってくれる人が見つかることが第1歩としていいかと思いますが、近くに一緒に考えて手助けしてくれる人も見つけたいところです。

令和5年6月23日に「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」が公布・施行されたので、行政機関も少しずつ、理解ある対応をしてくれるようになっていると思います。
身近な相談先としては、児童相談所、教育委員会の教育相談、保健所などがあるから調べてみてください。

何とかなりそうもない時は、また所長室に来てください。

update 2024/4/28
Q.親に「学校に行け!」といわれます どうすれば良いでしょうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親に「学校に行け!」といわれます どうすれば良いでしょうか

A.親は、学校に行ってほしいという願いを持っているということなのでしょうか。
質問者が学校に行かない選択をしているところに、親が行けと言ってきたという状況だとの推測のもとに、対応を考えてみました。

①親はそう思うのはわかったけれど、自分は行きたくないんだから、しょうがないと適当に聞き流す

②「気持ちはわかりました、申し訳ありません。努力します」と丁重に伝えて、やり過ごす

③「そう思う気持ちもわかりますが、私は行きたくないのです。行かない選択を認めてほしいと思います」と伝える

④学校の話題を出されたら、泣いたりわめいたりして、親が何も言えなくなる空気を作る

⑤「生きかたカエルが『学校だけがすべてじゃないし、行かない選択をして自分らしく生きている人もいる』って言ってたし、自分もそれに賛同した」と言って、生きづLABOのサイトを紹介する
参考ページ:SOSの出し方ガイド「学校に行きたくない」

まだまだ方法はありそうですが、質問者さんのキャラと親のキャラに応じてカスタマイズしてみてください。

update 2024/4/28
Q.ふと急に心が辛くなることがあるのですがどうしたらいいでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ふと急に心が辛くなることがあるのですがどうしたらいいでしょうか?

A.心は正直ですから、きっと何か事情があるのでしょうね。
人間ってとても複雑だから、理由も意味も分からず「ふと急に」なんてことはあるあるのような気がしますよ。
「今、辛いんだな」って自分なりに受け止められたらいいのではないかとカエルは思うのです。
もし、一人では受け止められない時は「辛いんだ」と誰かに言うとか、声に出すとか、心の中でつぶやくとか、何かに書くとかして、何かしらの自己表現で外に出すのもおススメです。

update 2024/3/25
Q.もう自分を消すしか無いという思いが子供の声を聞くと溢れ出してしまいます。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.もう自分を消すしか無いという思いが子供の声を聞くと溢れ出してしまいます。

A.子どもの声を聞いて溢れるのは、きっと過去のトラウマが悪さをしているのでしょう。

過去のつらい記憶があなたの中の情動脳(自分のコントロールできない原始的な脳機能です)を支配して、「もう、消えるしかないよ」とささやいているように感じました。ただ、それは本当に消してしまう方がいいというより、苦しみから逃れるには自分を消すしかないという切羽詰まった感情の生存戦略だろうと思います。
でも、こうして何とかしたいと質問をしているということは、あなたの理性脳がバランスをとろうとしている証だとカエルは思いました。

過去の記憶に支配された情動脳と仲良くするには、マインドフルネスとかタッピング、ヨガ、動物を戯れるなど、日常的にできることもありますので、よかったら調べて試してみてください。

update 2024/3/19
Q.ネット、特にSNSが怖いです。どうしたらネットの情報とうまくつきあえますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ネットが怖いです。特にsnsが怖いです。悪口や差別発言、そして炎上など、あと、ちょっと違う意見を多数が寄って叩く、それらを見たくなくて、snsにあまり、近づかないようにしています。
どうしたらネットの情報にうまくつきあえますか。

A.怖いものには近づかない(みない)とい根本的な対応法はありますが、現実的ではないのなら、別の方法を考えましょう。
カエルとしては、真に受ける情報は直接見たり聞いたりしたものであって、「ネットの情報」はどちらかというとドラマや映画など、サンプル品のようなものだと思っています。

テレビや映画や漫画を見るような距離感を、ネット情報に適用するのがちょうどいいのかなとカエルは思っています。

update 2024/3/12
「社会モデル」と「不作為責任」について③ 「不作為責任」を考える
この記事の担当 生きかたカエル

~これまでのお話~
①社会モデルとは?
②本当はつながっている

ちょっとカエルが注目していることに、精神医療国家賠償請求訴訟の活動があります。

精神障がいのある方たちが治療の必要がないのに、本人の意思ではなく、地域に受け入れ先がないなどの理由で長期入院を余儀なくされた方たちに対して、国が必要なことをせずに放置したことの責任を訴訟を通じて、問うているものです。

精神医療国家賠償請求訴訟研究会 | 鳥は空に魚は水に人は社会に (seishinkokubai.net)

この活動のことを聞いた時にカエルがすぐに考えたのが「家庭内の暴力被害も同じ状況だなぁ」と言うことです。

これだけ、家族や家庭というコミュニティの中で起こっている人権侵害があるにもかかわらず、それが放置され、子どもや障がい者、女性など、弱い立場の人たちが暴力被害にあい続け、その結果、長い期間その後遺症にも苦しみ続けるのに、それに対する治療法や支援策が本当に乏しいし、自己負担だったりするのが本当におかしいと思います。

これは「不作為責任」と呼ばれるものです。

このサイトでは不作為責任は以下のように説明されています。

不作為とは、あえて積極的な行為をしないことです。そのままでは不利益をもたらす事を知りながら、それを放置していた責任を不作為責任といいます。

国家賠償という言葉から、国が悪い!という発想になりがちですが、カエルは不作為責任は誰が悪いか、誰を責めるかと言うことではなく、一人ひとりが「あえて積極的な行為を少しだけやる」ことが大切だと思っています。

それ以上にカエルが大切だと思うのが、何もしないことではなくその前提となる「そのままでは不利益をもたらす事を知りながら」という点です。

精神科病院の社会的入院に関しても、そして、家庭内で起こっている暴力に関しても、「そのままでは不利益をもたらす事」があまりにも知られていないことが問題なのだと思うのです。

だからこそ、生きづLABOや連携サイトの死にトリのような情報発信はとても大切だと思っているのでした。

不作為によって、権利侵害を受けた人たちが率直に経験を語り、考えを発信し、問いかけていくことはとても貴重な機会です。

誰もが自分が生きているこの今の社会とのつながりが広がり、そして、自分たちがまだまだやれることやるべきことについて考えることがとても大切です。

現状は確実に「このままでは不利益をもたらす事」があります。

今後も、多くの人たちとそれらをより深く知り、受け止める機会を作りたいと思っています。

update 2024/2/8
「社会モデル」と「不作為責任」について② 本当はつながっている 
この記事の担当 生きかたカエル

前回は、「生きづらさというのは、個人の問題じゃなく、社会のあり方の問題だよね」という「社会モデル」の考え方を説明しました。

しかし、それが社会の中ではスタンダードとは言えず、どちらかというと自己責任、個人責任が優先されてしまうところがあるということ、その要因としては、全体的に人間社会の中に余裕がないことが大きいのではないか、という話もしました。

今回は、その余裕のなさの背景を考えてみます。

今の人間社会では、何か現実的ではない理想や望みを、私たちが追いかけ続けようとしているのかもしれないと思うこともあります。

迷えるおたまじゃくしたちと関わっていても、お金がないと生きていけないとか、働かないとだめだとか、〇〇できないと、〇〇しないと…という焦りや強迫性を感じます。

でも、ふとカエルは思うのです。
「そんなに焦る必要があるのかな?」と。

必要だとか、ほしいという希望ではなく、「〇〇しなければ」「〇〇するしかない」が動機の中心になることは、とにかく我慢と忍耐でお金のために働く人を増やすためには、役立っているのかもしれません。でも、人を資本と考えた時に、人を育てたり、人の生活を豊かにしたり、人を大切にするという発想は置き去りになっていると思うのです。

その置き去りは、じわじわと知らないうちに私たちの生活の中から、大切なことについて考える機会を奪い、自分が知らないところで自分とつながって起きているはずのことを「他人事」にしてしまうと感じています。

今必要なのは、今この社会(地球規模でも)で起こっていることはすべてつながっていて、そのつながりについて私たち一人ひとりが自分なりに理解をしていくことだろうと思っています。(カエルの世界と人間の世界もつながっています!)

<続く> → ③「不作為責任」を考える

update 2024/2/5
「社会モデル」と「不作為責任」について① 社会モデルとは?
この記事の担当 生きかたカエル

こんにちは、生きかたカエルです。

最近、社会について語る記事をせっせと作成し、ブログの更新を頑張っているところです。今回は「『社会モデル』と『不作為責任』について」を、全3回で連載していこうと思います。
(第1回は「社会モデル」の話になるので、「不作為責任」が気になる方はひとまず検索してみてください笑)

社会モデルとは、主に障がい福祉の分野で使われる用語で「生きづらさ」は何なのか、どこからくるのか理解するための言葉です。

障がいを持つ人が生きづらいのはその能力の問題が原因なのだ(=「個人モデル・医学モデル」つまり、個人の責任)に対して、障がいがあるというだけで、持っている力を発揮できないのは、サポートが行き届いていなかったり、発揮するような機会がこの社会になかったりするから生きづらいのだという考え方のことを「社会モデル」というのです。

つまり、生きづらさというのは、個人の問題じゃなく、社会のあり方の問題だよね、と言うこと。

カエルは何の疑いもなく、その通りだと思っているのですが、実際の今の社会はそうじゃないことだらけで嫌になってしまいます。

一方では、障がい福祉分野の人材育成の現場では「社会モデルがスタンダードです」と伝え続け、それを共有する仲間たちが、現場でも頑張っていますし、国が主催する研修や専門職養成の場でも社会モデルは当然の考えとして出てきます。

でもやっぱり、社会の中ではそれはスタンダードとは言えず、どちらかというと自己責任、個人責任が優先されてしまうところがあります。

全体的に人間社会の中に余裕がないことが大きな要因の一つかなぁという気もしています。

<続く> → ②本当はつながっている

update 2024/2/1
家族という特殊チームを解体しよう④ まとめ
この記事の担当 生きかたカエル

~これまでのお話~
①暮らす自由が守られていない
②家から出る応援をする
③家族から抜ける手続き

  • 日本は家族が強制的にチームを組まされてしまう制度になっている

  • 家族という特殊チームでは、お金や力を持つチームメンバーがチーム全体の生き方や決定を握り、民主主義や法治国家の原則から外れてしまうことがしばしば起こる(日本全体のチーム理論の象徴なのかもしれません)

  • 民主主義と法治国家の原則から外れたとき、弱い者が抑圧され、権利侵害に陥りやすい(当たり前に起こる)

  • それなのに、特殊チームを抜けることは難しい。まずそもそも、抜けると生きていけない実態があることもある。周囲も抜けるべきではないと思っているし、抜けたいと思うことがおかしいとされていたりするので、抜けようと「思う」ことも難しい。

  • 実際に特殊チームから抜けるとなると、戻されないような工夫や段取りが必要

  • 工夫や段取りとしては、まず協力してくれるサポーターとつながること、制度、関係機関、交渉などいろいろな知識と技術が必要だから。

  • そのうえで、役所、18歳未満の場合は児童相談所、警察、弁護士を必要に応じて活用する

  • 逃げる際には「明確な意思表示」が必要で、とにかく「イヤだ」と思ってもいいし、言ってもいい。特殊チームを抜けたいと思うことも、抜けることも悪いことじゃない。それは自然な願いだし、個人の自由だから。

  • チームから離脱し、フリーになるためには、役所の手続きなどのために本人確認できるものを確保する、家族の名前を生年月日を覚えておく、扶養に入っていたら保険証を持ってくるか、持っていなくてもコピーを用意しておくと便利(健康保険の会社に電話できるように)


最後に改めてお伝えしたいのは、特殊チームから抜けるためにこんなにも苦労するのはそもそもおかしいということです。

だから、本当は何も持っていなくても、どんなに説明がうまくできなくても、そんなことはどうでもいいのです。

守られるべき権利が絶対で、本人を証明するものがなくても、必要な物を持ってきていなくても、何もわからなくても、わがままだという人がいても、働くことができなくても、お金を持っていなくても、嫌なチームにいる必要はないし、抜けられるのです。

生活費も何とかなります。未成年でも単身で保護は受けられますし、今は事情を話せば家族への扶養照会も配慮してもらえます。

これからは、誰もがチームに縛られることなく、家族という特殊な関係に関わらずチームが作れたり、解体できたりするといいし、いくつものチームに入れることがいいのではないかと思っています。

そう考えると、カエルが出会ったおたまじゃくしたちはみんな、家族じゃないけれど、緩やかなチームである感じがします。

必要な時に声をかけあって、できることはお互いにやるし、何かの目的があればチーム編成をして、ミッション達成のために動くし、でも、必要なければチームでは動かない。

そんな多様なチームをたくさん持てる社会になるといいなぁとカエルは思っています。

update 2024/1/17