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記事の担当 ウ・サギ
Q.死んだら燃やされるから死にたくない、死ぬのは怖いという考え方は幼稚でしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死んだら燃やされるから死にたくない、死ぬのは怖いという考え方は幼稚でしょうか?

A.いえいえ、幼稚だとはウ・サギは思わないですよ。感性や感覚は本当にそれぞれなので、「○○は幼稚」「○○なら普通」とかじゃなく、あらゆる感じ方が尊重されてほしいと心から思います。何を想像してしまうのか、想像したことについてどう感じるのか・・・脳のやることは全部ある意味独りよがりで、誰にも誰かを笑う権利はないとも思います。
ちなみにウ・サギが最近見たアニメで、宗教的な理由で、自分が死んだあとに燃やされてしまうことに大人たちが絶望しているシーンが出てくるものがありました。そういった宗教的な背景があっての怖さとあなたの怖さは違うとは思いますが、死後燃やされるのを恐れるのは、人類の歴史上においてはわりとメジャーな感覚かもしれません。

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update 2025/10/4
Q.やらなければいけないことがたくさんなのに、何もできないし破滅願望を抱いてしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.やらなければいけないことがたくさんあるのに、いつもどうでも良いと思ってしまい、何もできません。破滅願望を抱いてしまいます。やらなければならないことは分かっているのに。どうすればいいでしょう。

A.ウ・サギも「やらなければ」ということは日々いくつかありますが、本当に大切なことって実はそんなにないと思っています。やらなくても誰も困らなかったり、困るのは自分だけだったり、誰かが代わりにやればいいことだったり、そもそもそんなことをやらなくてはいけない世の中の仕組みの方がおかしいだけのことって結構多いと感じます。
生存を目的とするなら、やらなければいけないのは、まず何よりも持続可能な形での食糧の生産。人権を守り合うのを目的とするなら、やらなければいけないのは多様な生き方を肯定し、自らの暴力性を自覚し続けること(やらかしても、なるべく早く気づいて謝れるようにすること)くらいな気がするのですが、どうなのでしょうか。そのやらなければいけないことを軽視し、よくわからない、むしろやらない方がいいことを推奨される機会が多い気がしてウ・サギは危機感を抱いています。
と、ちょっと話がズレすぎてしまいましたね・・・。ウ・サギが言いたいのは、自分から湧き出てくる思いの方がきっと大切だと思う、ということです。どうでも良いという気持ちや破滅願望に身を任せすぎるるとそれはそれで困ったことにもなりそうですが、それらの思いは、あなたにとって大切な自分の意思だったり、違和感だったり、自己表現だったりするのではないか?とウ・サギは感じました。
実用的(?)な回答をするなら、どうせ何もできないなら、「やらなければいけない」という気持ち自体も忘れてしっかり休めたら合理的なようには感じます。そう割り切れた方が絶対お得なのになあ、と頭で思いつつも、ウ・サギはいつも「やらなくてはならないことがあるのに」と追い詰められた気持ちで何もできない時間を過ごしています。

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update 2025/10/4
Q.親が学校に行けと言うのは、子どもが家にいると親が落ち着かないからが理由な気がする
この記事の担当 ウ・サギ

Q.不登校の話を聞いていると、親が学校に行けと言っている場合、親の方が子供がいると落ち着かないから自分の好きなことができないからという理由で、家にいてほしくないがために行かせようとしている気がする。うちの親もそうだった。

A.質問者さんの親が実際そうだったのですね。ウ・サギはあまり考えたことのない視点だったので、なるほどなあと思いました。ただ、子どもが学校に行きたくないのは学校がしんどいからだと思うので、それを「落ち着かない」「好きなことができない」といった大人の都合で、学校に行けと言うのはちょっと残酷すぎないか…?とウ・サギは親に問いかけたい気持ちになりました。
ちなみにウ・サギは親が学校に行かせようとする理由については、親が「学校は行かないといけないもの」「学校に行かないと将来が心配」と信じていて、焦りや不安から行かせようとするのかな…?と思っていました。でも子どもには学ぶ権利があるので、学校が学べる場所になっていないならむしろ学校は行かず他に学べる環境を考えるべきだと思うし、嫌なところに無理やり行かせる方が子どもの健康や将来が心配だと思っています。
学校に行くのは親ではなく子どもなのですから、学校に行く行かないを決めるのは子どもだし、子どもの気持ちを何より尊重してほしい……とウ・サギは心から思います。

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update 2025/10/4
Q.小さい頃からどこかおかしくて、自堕落な生活を送っている。どうやったらまともになれる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.小さい時からどこかおかしくて、自分で髪を切って七五三を台無しにしたり塾の宿題やらなかったり、嘘を塾の先生にも親にもついたりして、親は信頼してくれてたのに失望させちゃって、せっかく中学校に受かったのにまた不登校になって、自堕落な生活を送っています。忘れっぽくてすぐ忘れるし勉強も全くしてないです。塾に入ってお金払ってるのにそれもやっていません。救いようがないです。上っ面だけまともです。この先どうやったいけばいいかわかりません。どうすればいいですか?どうやったらまともになれますか?周りに迷惑ばかりかけていて夢も希望もありません。長くてすみません。ごめんなさい。

A.自分をたくさん責めてきて、どうにかしたいけどどうしていいかわからず、一人で長い間苦しんできたのでしょうか…。極端な行動や嘘は、周りを信頼できないときに起こる一つの自然な現象だとウ・サギは思います。自堕落になるのも、そうしないと自分の心を守れないからだと思うので、あなたは自分なりに出来ることをやっているとウ・サギは感じました。
また、学校も勉強もそんなに楽しくない(ことの多い)ものだとウ・サギは感じるので、頑張れないのも自然なことで、逆にどうして頑張れて当然みたいになっているのか、とても不思議でつらい世の中になっていると感じてしまいます。
この先どうすればいいかは、あなたの気持ちに気づいてくれる大人に出会えたらいいのに・・・と、まずは思ってしまいました。でもそれが簡単にできたら苦労しないですしね・・・。とにかく、救いようがないのはあなたではなく、頑張りを当然のようにみんなに求めて、子どもが大人に本音を言えないような世の中のあり方だとウ・サギは思うので、それで子どもが苦しむことに申し訳なさとやりきれなさを感じます。

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update 2025/10/4
Q.ホス狂いって悪いこと?小学生でホストを好きなのは悪いこと?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ホス狂いって悪いこと?小学生でホストを好きなのは悪いこと?

A.どんな好きも嫌いも、心の中で思うことについて、悪いことはないとウ・サギは思います。気持ちは自然と湧き出てしまうものだと思うので、それに良い悪いをつけたら、とても苦しくなってしまうとも感じます。だから何歳でホストを好きでも、何狂いでも、悪いとは思いません。
ただ、ホス狂いは一種の依存なのかなと思いますし、依存の背景には傷つきや孤立があると思うので、そのあたりがちょっと心配には感じます。また、ホストは傷を抱えた人からお金を搾り取るビジネス(ホス狂いになると、自分の適正な範囲をこえてお金を使ってしまえるシステム)になっている部分があると感じるので、そこについてはもう少し社会全体で考えなくてはいけないと思っています。
でも、繰り返しになりますが、好きに良い悪いはないと思います…!全部OKです。

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update 2025/10/4
Q.近所の人に粘着されていて、泣き寝入りかと思いずっと耐えている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.毎日じゃないのですが近所の人に粘着されています、何ヵ月か前に外を歩いていたら買い物?と声かけられ無視して私はそのまま逆方向に歩きました。
違う日にもあとをつけられたり……証拠を抑えてないから泣き寝入りかと思いずっと耐えています

A.追い詰められた気持ちや、しんどさをひしひしと感じました・・・。買い物?と声をかけられた意図はわからないですが、声をかけられるような関係だと自分は感じてないときに、声をかけられるのは怖いものだとウ・サギは思います。自分の意思や感情を想像してもらえず、相手の都合や思いのようなものを一方的に向けられる、みたいな感覚が恐怖になるのでしょうかね…。
最近ウ・サギの身近な存在も、粘着されるではないですが、声をかけられて怖い思いをする事案があって、そのときはウ・サギと電話をつなぎました。誰かとつながっていると相手も多少ひるむかと思うので、可能なら誰かと連絡をとる、または誰かと電話しているふりをしてみるとかはちょっとは有効かもしれません。ずっと耐えるのは本当につらいので、味方がなるべくいてほしいところです・・・。

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update 2025/10/1
Q.発達障害かもしれないと思う時があるが、診断を受けた方がいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.発達障害かもしれないと思う時があります。先生から診断されたことはありません。発達障害の診断をした方が支援などを受けやすく、周りに理解されやすいのではと悩んでいます。診断を受けた方がいいでしょうか?

A.診断がどうなるかは別として、発達障がいの診断に使われるウェクスラー式知能検査(大人であればWAIS、子どもだとWISC)を受けるのはウ・サギ的にはとてもおすすめです。自分の得意と苦手、認知の傾向がよくわかるので、診断がどうとか関係なく学校で全員が受けられたらいいのに、と思うくらいです。
診断がつくと、制度やサービスを活用する上では便利なので、そういう点では間違いなくメリットはあると思います。診断は支援を受けるためのチケットで、使いたかったら使えばいいし、使いたくないなら使わなくてもいいし、別に隠したかったら隠すこともできるし、あって困ることはないよね、というのがウ・サギの考え方です。
ただ、診断がついたからといって、あなたはあなたのままで何が変わるわけでもないのも一つの事実です。発達障がいは自分の特徴や困りごとを説明してくれる一つの要素ではあっても、発達障がいだけがその人の個性ではないので、発達障がいを理解してもらえる=自分を理解してもらえる、とは単純にならない部分もあります。とはいえ診断があると自分にとっても周りにとってもわかりやすくはなりますし、診断名で自分を説明するかしないかは時と相手によって選べばいいので、やはり診断があるのは損にはならないと思います。
診断がついた場合のことをいろいろ書いてしまいましたが、もし診断まで至らなくても、自己理解のための一つの切り口として、発達障がいだと自分は感じるのだがどうだろうか?と話してみることには意味があると思います。発達(認知特性や感覚の個性など)は発達障がいか否かの白黒ではなく、グラデーションなので、ここはこういう傾向があるかもね、と自己理解や他者理解を深めていくのはどんな人にとっても有益だとウ・サギは思っています。

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update 2025/10/1
Q.楽しい時間を過ごすと孤立していた頃の自分が「辛かったことを忘れるな」と言っている気がする
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、友達と過ごすことを楽しいと思っています。優しくて穏やかな友達と過ごしていると、ふと、孤立していた頃の自分が出てきて、「辛かったことを忘れるな」と言っている気がして、泣きそうになります。どうしたらいいですか?

A.ウ・サギは辛かったことを忘れたくない民なので、ちょっとわかるような気がしました。安定した今があるほど、過去の自分の痛みも感じて受け止める余裕ができてしまって、なんだか自分が二つに分かれるような感覚になるのでしょうかね……。楽しい自分も「辛かったことを忘れるな」と言っている自分も、どちらもあって自分だと思うので、その両方をうまく抱えていくバランスみたいなものを見つければいいのかも?というのがウ・サギの感覚としてはあります。
泣きそうになるなら、泣きたい、泣きたかったと気持ちが叫んでいるのだと思うので、時と場所を選びながら泣くのはおすすめしたいです。ウ・サギは過去の自分のためにこっそり泣いてあげた時間が結構あって、それでつらい気持ちや負のエネルギーが消えるかというと消えはしてないのですが、徐々に穏やかなものになって扱いやすくなったとは感じています。

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update 2025/10/1
Q.ありのままでは生きていけない。でも正しくなった自分は自分じゃない気がして気持ち悪い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ありのままでは生きていけない。
でも正しくなった自分は自分じゃない気がして気持ち悪い。
どうすればいいかわからない。

A.補足の内容を少し書かせてもらうと、精神科に通院していて、服薬をすれば社会に適応できるけど、自分の行動が変わりすぎて気持ち悪い、でも飲まないと生活が崩壊してしまう・・・という状況があるとのことです。だから、質問の文章だけで見ると哲学的な話にも思えますが、質問者さんにとっては切実に自分の生存や生活に関わる話でもあるのだとウ・サギは読み取っています。
病名や病状にもよるかと思いますが、メンタルの薬は根本的な治療というよりは、治療のお助けグッズのようなものだとウ・サギは捉えています。例えば、体の痛みがあるとき痛み止めの薬を使うこともあるかと思うのですが、根本的な解決となると、無理ない体の使い方を覚えることだったり、無理ない生活スタイルにすることだったり、そういった生き方そのものの話になるのではないかとウ・サギは考えています。そして、体だけでなく、心の不調もそういうものなのではないか?と思っています。
だから、この質問はとても大切なこと、本質的なところについて語ろうとしているように感じました。今の世の中は自分がある人ほど生きづらいものになっているとウ・サギは感じていて、でもそれは誰にとっても自分らしくいられない世界だと思うので、本当にどうにかしていきたいところです・・・。あまり質問の回答になっていなくてすみません。

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update 2025/10/1
Q.ネットのヘイトスピーチのような投稿が、ターゲットにされているわけでなくともつらい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、毎日のようにネットやSNSでヘイトスピーチのような投稿が出てきて、ターゲットにされているわけでもないのに見ていてつらいです。

A.ウ・サギもそういうのにダメージを受けるタイプなので、本当つらいですよね…と頷いています。ウ・サギはネットやSNSのメッセージをなるべく見ないようにはしていますが、過激なものほどインプレッションを稼いでしまうのか、どうしても時々ヘイトスピーチのようなものや争いが目に入ってざわざわしてしまいます。
ウ・サギが最近心がけているのは、発信の内容ではなく、どんな人が発信しているのか?どうしてネットという公の場所でこんな攻撃的な書き込みをしてしまうのか?という背景に目を向けることです。今のところのウ・サギの仮説では、自分の感じていることやもやもやなどを受け止めてもらう経験が乏しかったことで、誰かに自分の声を聞いてほしいという衝動が高まっている人がいる、というのをまず思っています。そして、それをつらいとか、寂しいとか、誰かをずるいと感じてしまったとかの等身大の気持ちではなく、(自分の痛みと向き合わなくていいし、注目も惹ける)ヘイト発言に変換して叫んでしまう、といった現象が起きているように感じています。とはいえ、どんな理由や痛みがあったとしても、ヘイトスピーチをしていい理由はどこにもないとウ・サギは思います……。

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update 2025/10/1