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記事の担当 ウ・サギ
Q.行きたい高校があるので夏休み勉強を頑張らないといけないが、する気になれない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生です。私は、ある高校にいきたいです。夏休み、勉強を頑張らないといけません。ですが、全然勉強する気になれないのです。面白い動画を見て過ごし、落ち着いて、その後に勉強してない!と焦り、自分が嫌いになり、また落ち着きを求めて動画を見る・・・この繰り返し。精神はズタボロです。最近は涙をずっとこらえています。ですが今ここで休んでは望んでいる高校に行くことは難しいと思うのです。休んだほうがいいのでしょうか。

A.する気になれないというのは、基本的に、できるコンディションにないということだとウ・サギは考えています。例えば運動をすると考えると、体の栄養状態が悪かったらそれどころじゃないし、どこか怪我をしていたら運動するほどさらに事態は悪化すると思うのですが、目に見えないだけで心もそういうものだと思うのです。
ただ、もし休むべきだとしても、望んでいる高校に行けなくなる可能性が高まるのは、それはそれでストレスや怖さになりますよね……。どの学校に入るかよりは、そこで何をするか、どれほど安定したコンディションで通えるかの方が大切だとウ・サギは思いますが、「行きたい」という気持ちもあなたにとって大切で、捨てがたいものだろうと感じますし…。
どうしてその高校に行きたいのかや、夏休みに勉強できないのが実際どれほど問題なのか(ひとまず休みに専念してから勉強を再開するという方法はあるかと思います)を整理できたら、少し気持ちの負担が減るかもしれない・・・?とは思いました。やれないコンディションなのにやろうと気持ちだけ焦るのは余計に疲れて勿体ないので、とりあえずどこか期限を作って、そこまでは休む!と休むに専念してみるのはおすすめしたいです。

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update 2025/8/12
Q.親も先生も、進路を考えて欲しい、メンタルの弱さもどうにかして欲しいと思っているだろうと思う。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親も先生も、将来や進路を考えて欲しいとか、僕のメンタルの弱さもどうにかして欲しいって思ってるんだろうなって思います。でも、生きてることは当たり前っていう前提で話されてるなって感じました。毎日生きてることは評価されないんでしょうか。

A.うわあ、それはしんどいやつだ・・・と、(補足も読みながら)苦しみがありありと浮かんでくるような気持ちになりました。
自分が自分として一生懸命生きていることが、世間のジャッジによって、テストみたいに△や×をつけられていく感覚というのか……。大人の思う正解や普通に向かっての頑張りを求められているのはわかるし、その点から自分が大人にとって心配な存在なるのもわかるけど、頑張ろうと思って頑張れるなら困ってないし、そもそも大人の思う正解に自分がついていきたいかというとそこもよくわからないし・・・といった、生きていく力が奪われていくような状態を想像しています。
補足に「親は自分に期待していないのか、逆に期待が大きいのか、どっちなんですかね、、」とありましたが、随分と関心は持たれているようだとウ・サギは感じました。ただ、関心が強いのも子どもにとって良いかというとまた難しく、大人は子ども自身の感じ方や意思を尊重すべき(関心を向けるべき)だとウ・サギは思っていて、あなたの親の場合は、親自分の感じ方や意思の方に関心が向いていそうなのが気になっています。
そういった中で日々生きていることは、空気が薄い中でランニングをしているような大変さがあると思います。だからウ・サギとしては、とても労いたい気持ちになりました。

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update 2025/8/12
Q.親に理解してもらえないけど、そのくだらないことですごく苦しくなっている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に理解してもらえないけど,そのくだらないことですごく苦しくなってでも悪いのは自分だから何もいえなくて結局ずっと謝っていて辛いです,今までずっと変わらなかったしいい子になれないし,毎日消えたいって思っちゃってどうしたらいいでしょうか?

A.親相手にずっと謝っているような関係性は、とてもしんどいだろうと思いました。親子は親側のパワーが大きいことが多いので(例えるなら、車と人間がぶつかるくらいの力の差があると思っています)、理解されないのはダメージのあることですし、そう簡単に割り切れたり受け止めたりできることではないよな・・・と感じます。
親の思う「いい子」を求められていて、自分なりに自分の気持ちを伝えても、いい子像を押しつけられ続けてしまう感じなのでしょうかね…。自分の判断基準に相手を当てはめるのではなく、相手の思うこと感じることに寄り添っていくのが大人の(弱い立場の人に対して、強い立場の人がやるべき)仕事だとウ・サギは思うので、親の行動の改善を求めにいきたい気持ちでうずうずします。
とはいえ、誰かを変えるのは難しいことでもあるので、他で理解してくれる人を探すのが話は早そうですが、そこもそう簡単に切り替えられるものでもないかと思うので・・・難しくて、ぐるぐるしてしまいます。どうしたらいいかにあまり回答できず、すみません。

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update 2025/8/9
Q.苦手な虫に一人暮らしの家の中で遭遇してしまい、退治がとてもつらかった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.この前一人暮らしを始めたのですが、虫が苦手すぎてつらいです。特にGがつらいです。この前家の中で遭遇してしまい、実家では見たことがなかったため耐性がなく、退治がとてもつらかったです。

A.ウ・サギの住んでいる地方にはGがいないので、そのショックは想像しきれませんが、苦手な虫が家(安心したい場所、自分の領域)に出てくるのはなかなかメンタルにくるものがあると感じます。一人暮らしで自分だけで対処するとなると、気持ちが動揺したまま、どうにか行動もしなくてはならないので、負担はより一層大きいですよね……。
苦手なことは、誰かに助けてもらうのが一番だとウ・サギは思います。なぜなら、自分が苦手なことでも、誰かにとっては全然苦手じゃなかったりむしろ楽しめたりすることさえあるし、ささやかな手伝いをするだけで誰かが助かったり喜んでくれるなら、それは結構嬉しい(少なくとも悪い気はしない)ことだからです。苦手について助けを求めるのは、誰かの活躍のチャンスをつくるという価値があると思います。
苦手を気軽に言い合えて、私はそれなら手伝えます!といろんな人が力を発揮できる世界で生きていきたいとウ・サギは感じるのですが、今は我慢や努力が必要以上に推奨される風潮があるように思います。どうしてそうなっているのか、どうしたら変えていけるのか、今度研究してみたいです。

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update 2025/8/9
Q.幸せな生活を送りたいと毎日思うのに幸せが具体的にわからない。どうやったら理解できる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.幸せな生活を送りたいと毎日思うのに、幸せが具体的にどんな状態かわからない。そもそも幸せが何かわからないから、この願いが叶うことはないんじゃないかと思う。どうやったら幸せが何かを理解することができると思いますか

A.ウ・サギは幸せだと感じた瞬間がこれまで2度(合計3時間くらい)しかないので、お答えできるかは自信がないですが、まずそもそも幸せは「理解する」ものではなく「感じる」ものかな・・・?とは思いました。そして、幸せがどんな要素で起こるどんな感覚かは人それぞれだし、幸せ(と表現したい感覚のある日々)だけが豊かな生活というわけでもないのだろうと思います。ちなみに、ウ・サギは幸せを感じるよりも、interestingでexciting(突然の英語ですが、このニュアンスが一番しっくりきます)な生活を希望しているタイプです。
ただ、あなたにとっては、幸せというイメージが大切な意味をもつというか、惹かれるものなのだろうと受け取りました。ウ・サギ調べでは、「こうなりたい」という強いイメージや願いは、「○○なしんどさを全く感じない世界に行きたい」といった、不安や傷から生じる場合が多いように感じていますが、どうでしょうか。願いを叶える方向にだけ目を向けると、不安や苦しみが募ってくるので、願いを分析したり解剖する方向に目を向けてみるのはウ・サギとしてはおすすめです。
普通になりたい、愛されたい、役に立ちたいの分析・研究はしたことがあるのですが、幸せな生活を送りたいの分析はまだ聞いたことがないので、何かわかったら質問箱に送ってくれるのも歓迎します。

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update 2025/8/7
Q.前までの苦しみが薬を飲んだら無くなった。良いことなんだろうけど忘れたらどうしようと思う。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.前までは夜、その日にあった事や過去や未来の事を考えて泣いて苦しんでたんですけど、薬を飲んだらそういう事も無くなりました。良いことだとは思うけどこの苦しい思いをしたことを忘れたらどうしようと思っています。どう考えたらいいですか?

A.ウ・サギはそういった経験があまりないので(今は気が紛れているときも多いですが、しつこく過去のことをあれこれ考えて苦しんでいます)、なるほど・・・と思いながら想像を巡らせています。
ただ、たとえ忘れたり今は苦しさを感じなくても、苦しい思いが「無かったことはならない」とウ・サギは感じています。食べたものを忘れても、体は食べたもので構成されているように、記憶やエピソードを忘れて、感情を鮮烈に感じることもなくても、経験や思いはどこかに積もり続けて私たちを形作っていると思うのです。
苦しい思いを感じるべきとき(感じる余裕があるとき、かもしれません)になったら、自然と思い出すような気もしますし、小説を読んだり映画を見たりする中で、ふと自分の感情や記憶が湧き上がってくることもあるかもしれません。だから、今はそういうのを感じる機能を鈍らせている「時期」なだけで、本当に自分の中から何かが失われるわけではないようにウ・サギは思いました。

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update 2025/8/7
Q.虐待とか苦しい人達がいっぱい居て、私は傍から見れば幸せな環境なんだと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんだか、辛い苦しいって言ってる人の話を(ネットとかで)聞くと、虐待とかいじめとか環境が酷いとか、教育虐待とか、なんだか本当に苦しい人達がいっぱい居て。私ってやっぱり恵まれた環境にいる、傍から見ればとっても幸せな環境なんだなあって思います。

A.誰かから見たら幸せな環境でも、自分にとっての辛さを決める(というか感じる)のは自分だけなので、自分が辛い環境ならそれは辛い環境だとウ・サギは思います。でも、比較してそう感じてしまう気持ちもわかるし、じゃあどうして比較をしてしまうのだろうか…と今考えてみているところです。ウ・サギ自身も比較して、自分が弱っている場合じゃない、辛いなんて言うのも失礼だ、と思っていた時期は結構長かったので・・・辛さを比較するような風潮が社会で流行しているのかもしれません。
ただ、ウ・サギは虐待を受けた方にそういった申し訳なさを実際に伝えたことが何度かあるのですが、「いや、あなたも全然つらいでしょ」みたいにスッと受け止めてもらいました。比較して自分が恵まれている環境にいる側面があるとき、その自覚がなく発信してしまうと、過酷な環境の人が傷つくことは確かにあるのかもしれません。でも、基本的には私たちはお互いのつらさに寄り添い合える存在で、そうやって双方が回復していくのだとウ・サギは思います。だから自分が相手のつらさを尊重していれば、相手も自分のつらさを尊重してくれて、そこで比較は生じない、というのか・・・。ちょっとうまく説明できていなかったらすみません。
自分の苦しさに対処するという視点で言うなら、他の人の辛さを知ったり考えることで自分が辛くなってしまうなら、他の人の辛い話はなるべく見ないようにするのがウ・サギとしてはおすすめです(実際にこの対処をしたことがあるのですが、わりと効果がありました)。辛い自分をさらに辛くさせることで、自分にいいことはないし、他の辛い人が救われることにつながるわけでもないし、私にとって私の人生は辛いんです!と自分の中では思いっきり認めて肯定していいとウ・サギは思います。

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update 2025/8/7
Q.何をするにも面倒でやる気が出ない。どうしたらこんな自分と向き合える?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何をするにも面倒で、やる気が出ない、、、。夏休みでずっと家にいるのもしんどいし、かと言って外に出る気力もあんまりない。どうしたらこんな自分と向き合えますか?

A.こんな自分と向き合うというのは、良くないコンディションになっていることと、それをわかっていつつもうまく動き出せない状態から、生活を立て直したい、みたいな意味でしょうか(一応そんなイメージで回答しますね)。自分の状態を理解して、こうやって言葉にして質問してくれている時点で向き合っていると感じたので、「どうしたら向き合えますか?」に素直に答えると「もう向き合っていると思います」という言葉が浮かぶウ・サギです。
エネルギーが削られる要素が多く、回復する要素が少ない(だろう)中で、何かをするのは本当に難しいですよね……。少しでも負担を減らすという方向で考えてみると、やる気を出そうとするのを一度諦めて、無気力をとことん突き詰めてみるという案は浮かびました。ウ・サギは気分がなんとなく沈んでいてやる気が出ないときは、何もせず寝たいときに寝て、動画をだらだら見て、堕落した休日を過ごすことに振り切るのを結構やります。そうすると、堕落にも飽きてくるというか、休んでいることにも疲れてくるというのか、案外浮上することができたりします。
ただ、それはあくまで心が多少は健康なときや環境が悪くないときの話で、もっと弱っている場合は、誰かの力を借りることが必要かもしれません。やる気が出ないのは、これまでの我慢の反動みたいなものだとウ・サギは思っています(だから「やる気が出ない」という表現よりは、「充電が切れている」という表現の方が適切かも?と今ちょっと思いました)。我慢してきた疲れから回復する方法として、一番早いのは、一度我慢を放り出して自分の気持ちを誰かに言うこと=相談することだとは思います。今は向き合うのが難しいと判断したら、相談に限らず、何か少しでも自分が我慢しなくていい機会をつくることはおすすめしたいです。

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update 2025/8/7
Q.かつて自分をいじめてきた人に雰囲気が似ている人に警戒心が働いてしまった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.路面電車に乗ったら、運転士の雰囲気がかつて自分をいじめてきた小学校の同級生に似ていた。その運転士は同級生とは別人なのに、警戒心が働いてしまってつらかった。なんで何年も経っているのに過去に苦しまなくてはいけないんだ。運転士さん、ごめんなさい!

A.過去に引っ張られて、過去関係ない相手に警戒心や、時には嫌悪や怒りなどを感じてしまうことはウ・サギもあります。なんなら、つらかった記憶ではなく、キライだったあいつに似てる!というくらいで警戒心が発動することもあります。もちろん態度には出さないように気をつけますし、徐々に知っていくと過去とその人を切り離すこともできてきますが、第一印象が過去からの影響を受けること自体は、たぶん自然なことだろうと思っています。
危険に備えるのは生物に備わっている機能なので、攻撃を受けた記憶は強くインプットされやすく、似ている状況(刺激)があったら思い出しやすいようにできているという話も聞いたことがあります。
その相手には、確かにごめんなさい!という感じではありますよね…。でも、もう少し考えてみると、悪いのは自分ではなく、自分を当時つらい状況から守ってくれなかったこの世界では?とも感じます。
結論としては、誰にでも起こりうることで、自分が悪いわけでもないからこそ、その人に関係ないことで心が動いていることを自覚していればOKだとウ・サギは思います。

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update 2025/8/5
Q.疲れてる時ほどジャンクフードを食べたくなるのはどうしてでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.疲れてる時ほどジャンクフードを食べたくなるのはどうしてでしょうか。
テスト期間に入ってから、もともと得意ではない自炊が面倒になってしまい、学食を含む外食が続いています。今日の夜ご飯はカップラーメンのビックサイズを食べてしまいました。

A.それはずばり、ジャンクフードのような油脂や砂糖の多い食品が、快をもたらす効果があるからだと思います。
ヒト(生物)は生き延びるために、高カロリーのものを優先して食べたくなるようにプログラムされている=高カロリーのものを食べると快が出るようになっています。心に余裕があれば、もう少し穏やかな快を日々得られるのでしょうが、ストレスがかかると、手軽にドバっと快を得るのに走るのだと思われます。

また、自炊は工程の多い作業ですし、よほど好きか向いてない限り、余裕がなくなるとやるのは困難になるとも感じます。ウ・サギも仕事が忙しくなると外食が多くなりますが、稼ぎが多くなった分と同じくらい出費が増えるので、何のために働いているのかよくわからなくなります(苦笑)
補足に食費がかかって親に申し訳ないと書かれていましたが、最初は何事もうまくいかないものですし、成長はうまくいかない経験を積み重ねる中でしか起こらないとも感じています。だからそこまでネガティブに捉えず(もし家が経済的にピンチなら急いで策を考えたいところではありますが)、一つのよい経験として捉えていいようにウ・サギは思いました。

ウ・サギが思い浮かぶ対処法も書いておくと、ストレスがかかる時期の散財はある程度はもう仕方ないと割り切って、余裕があるときになるべく節約したり、自炊が面倒になったときの準備をしておくのがいいのかな?と感じます。ウ・サギは、冷凍庫に主食(パン、ホットケーキ、ごはん、そして冷蔵庫にはバターや卵)をストック、油脂の多いおかずも冷凍庫にストック(お好み焼き、カレー、ハンバーグ、餃子あたりがウ・サギの定番です)するようにしています。冷凍食品があまり苦にならないなら、チャーハンやこってり系のパスタなんかもわりとおすすめです。あとはインスタントラーメンなんかも快が出てコスパは悪くない気がします。

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update 2025/8/5