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タグ哲学
Q.同意なく人生は始まるのに幸せになるには個人の努力が必要不可欠なのはどうして?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.同意もなく人生を始めさせられているのに、幸せになるには個人の努力が必要不可欠なのはどうしてですか

A.画面の前で頷いている人が多くいそうな問いかけだと思いました。最低限快適に生きられる自由や安定を手にするために必要な努力があまりに多い社会であることが問題だとウ・サギは思いますし、無理ない範囲でお互いに協力するだけで最低限の快適が保障される社会であるべきで、本来そういう仕組みにすることは可能だと考えています。
同意して誕生する生き物はおそらく世界のどこにもいないのは、人生はこんなに複雑で大変なことなのに不思議で理不尽だなとも感じるし、こんなに複雑で大変じゃなければ「同意してない」と感じることもないような気もするし・・・ウ・サギも納得できない気持ちはありつつ、例えば天気が自分の思い通りにはならないように、自分にはどうしようもないことがたくさんあることは諦めてはいます。でもだからこそ、誰と暮らすかとか、何をして暮らすかとか、そういう選べる部分はちゃんと選べる社会がほしいと強く思います。

回答:ウ・サギ

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うさえなが所長
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update 2026/6/14
Q.世界が嫌い。なんで生きてるのかわかんない。でも生きろって言われる。
この記事の担当 所長室

Q.世界が嫌い。
頑張ってる人が踏みつけられて汚い人が褒められる世界も、逃げたくても逃げさせてもらえない世界も、でも生きることを強いられるこんな世界も。
なんで生きてるのがわかんない。生きる意味もなくていなくなりたい。
でも生きろって言われる。

A.やどかりから見ると、人間の世界はとても歴史的な世界だなと思います。
今を生きている人たちの苦しみの根源には、苦しんで来た人間の歴史が詰まっていて、人間の生命は脈々と「世界」を引き継いで、引き渡しているんだなと思います。
何を引き受けて、何を引き渡すか、それに必死で取り組むのが「今を生きる」ということなのかな?と人間を眺めていて思います。でもそれは、一緒に引き受けてくれる仲間や、どう引き渡すのか一緒に考えてくれる仲間がいないとあまりに苦しいし、納得できないとも思う。そんな孤独やつらさが、あちこちから聞こえてくる気もします。
悲しみの多い世界で、何を引き受けて、何を引き渡すのか。やどかりは凪いでいる海のように静かで安らかな時間を自分の中に育てて、それを分かち合ったりしていきたいです。

回答:宿貸しやどかり

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update 2026/6/12
Q.私の生きている意味はなんですか
この記事の担当 うさえなが

Q.私の生きている意味はなんですか

A.え~なんだろう~
生きづLABOに来るため!?

回答:うさえなが

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update 2026/6/12
Q.エゴと思いやりは紙一重なのでしょうか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.エゴと思いやりは紙一重なのでしょうか。悲しんでる人や困ってる人を助けたいけど、助けることでその人の強さまでも弱さにしてしまいそうな気がします。

A.エゴと思いやりが紙一重なのかはわからないですが、「助けたい」はエゴだとウ・サギは思っていますし、そもそも人間の思うことはすべてエゴ(自我)でしかないと考えています。でもエゴが必ずしもエゴイスティック(利己的)になるわけではないし、大切なのはエゴをエゴだと自覚することと、弱っている相手にエゴを押し付けないことだと思っています。
また、同じ「助けたい」といっても、エゴの形は何種類かあると思います。質問者さんの場合は、その相手が好きでこれからも一緒にいたいから(親しい相手だと生じやすそうです)、誰かが悲しい思いをしているのが悲しいから(繊細で共感性が高いと生じやすいかも?)のミックスかな、なんて勝手に想像しています。他には、本当は自分が「助けてほしかった」「助けてほしい」と思っているのを、相手に投影して助けようとしている場合もあります。また、助けることで自己有用感を得たいという、危ういエゴもあります。ウ・サギの場合は、困ったときに誰もが助けてもらえる社会であってほしいから、その正義を信じているし譲りたくないから、というエゴで活動しています。
助けてあげるー助けてもらう という関係性になると人の強さも弱さにしてしまうかもしれませんが、自分が助けたいと思ったから助けるー助けを求める という関係性であれば、一時的にこちらが助ける側でも、「困ったときはお互い様」の対等な人間関係であるように感じます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/6/4
Q.親からされたことを虐待だと認めるのは辛いが認めないと倫理観がおかしくなる気がして辛い
この記事の担当 所長室

Q.親との付き合いをある程度続けていくにあたって、親からされたことを虐待だと認めるのは辛いけど認めないと倫理観がおかしくなる気がしてどっちも辛い。虐待って言葉の響きが強いから…
子ども時代は自己愛的で幼稚な父の機嫌取りと、母の見栄のための中学受験に費やされた毎日でした。いじめの影響で人付き合いがしんどくなって、高校の修学旅行が本気で嫌だと訴えた時も、誰も助けてくれませんでした。その他いろいろ思い出がありましたが、私の実家時代は傷つきの連続でした。
実家を出てからも苦しいことばかりで、ボロボロなのにどうして認めるのが怖いのでしょう。認めなきゃ彼らと同じになってしまうかもしれないのに。それでも、母や父が楽しそうに暮らしてると嬉しいと思ってしまう。死にたいです。
(編集注:質問は一部要約、省略させてもらいました)

A.人間は、なんて複雑な心を持った生き物なんでしょう。生命として自然に育つことを許されず、たくさん傷ついてしまっても、自分を深く傷つけた存在の幸せもまた嬉しい。自分の心と身体に起こっているアンビバレントな反応は、とても苦しいことだろうなと想像しました。
人間という生き物は、心におった傷を癒すために、自分が受けた行為が何であったのかを捉え直す必要があるのかなとやどかりは感じます。でも一方で「虐待」や「被害」など、今ある言葉に充ててしまうと見えなくなるものもあるかもしれない。だって、自分の心や身体が感じてきたことや、受けてきたことは唯一無二でもあるから。無理に言葉にあてはめずに、自分の唯一無二な体験や気持ちを語る機会が、みんなにあったらいいのかな。
やどかりは、あなたとあなたが傷つく原因になった人たちはすでに違う人物で、同じになることはあり得ないと思います。そう思えるための語りを、あなたの命は求めているような気もしました。

回答:宿貸しやどかり

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update 2026/6/1
Q.生きている意味ってなんでしょう。
この記事の担当 やみーペン

Q.生きている意味ってなんでしょう。

A.やみーペンの生きる意味は…美味しいジェラートをたくさん食べるため!って最近思ってる~意味は自分なりに見つけることしかできないか…?って思うようになって、時々生きる意味を変えてみたりその時々で勝手に決めてみてるよ。

回答:やみーペン

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update 2026/5/30
Q.健全に自分軸で生きるってどういう状態?
この記事の担当 所長室

Q.健全に自分軸で生きるってどういう状態?好きなことして生きたいけど、行動選択の理由が全部「自分にとって良いから」になってしまったら人のためにならない。必ずしも人のためにせねばとはないかもだけど、でも自分にばかり意識が向くと人に何も与えられない 人に何も与えられない人って人間的に良くないというか薄っぺらい人間ですよね、みんなは人に与えたいなにかを持っているのに自分だけ自分にばかり意識が向いてしまって、自分ばかりかわいいってなってるのが本当にしんどいです、でもそう思っているように端から見えるから前知り合いにそうやって指摘されたんだろうな、、

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update 2026/5/30
Q.「先生は化粧しているのになぜ私はダメなの」と生徒が言うのは屁理屈?屁理屈と意見はどう違う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.母親が学校の先生で、化粧してきた生徒が「先生は化粧してるのに私はなんでしちゃだめなの」と言ったことを父親に話して、父親はよくある屁理屈だねと返していた。納得できる説明をしてくれたらいいなと思います。屁理屈って何ですか。意見とどう違いますか。

A.屁理屈と意見の違いですか…興味深い質問ですね。屁理屈と言っても色々あると思いますが、質問者さんの両親の話の中で言われている「屁理屈」については、ウ・サギは「大人からすでに理屈を提供しているのに、それに納得せずに議論を向けてくる行為」と捉えました。先生が化粧してよくて生徒が化粧をしてはいけない理由も理屈もウ・サギにはわからないですが、そこに理屈があると思っている大人もいることは理解していますし、理屈というからには、それはその人にとっては筋の通ったものと感じているのだと思います。そして、自分が筋が通っていると思ってて、周りもそれにおおむね同意したり反発はしてこない中で、「なんでですか?」と聞いてくる相手がいると、自分の信じているものや秩序を乱されるような不快感を抱き、「屁理屈だ」と自分の方の理屈が正しいと圧をかけにいく…のかもしれませんね。
だから意見と屁理屈の違いは、どんな発言かではなく、受け取る側がどう受け取るかで決まるのかも……?と思いました。自分によって許容範囲内で価値のあるものを感じたら「意見」、許容できないまたは無価値だとみなしたら「屁理屈」にされてしまうというのか・・・。「先生は化粧してるのに私はなんでしちゃだめなの」というのは、ウ・サギからするととてもいい意見だと思います。逆に世間でよいと言われている意見や発言だとしても、ウ・サギからすれば屁理屈に見えるときもきっとあると思います。
そう整理していくと、屁理屈だと言われるのは、「すみません、私は今このテーマについてあなたと対話する力や意欲を持ち合わせていません」というメッセージなのかもしれません。

回答:ウ・サギ

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update 2026/5/25
Q.苦手で避けていた相手が、自分との関わりで傷ついていたことが判明し悩んでいます
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私には苦手な人がいます。その人は苦手な性格をしているので避けていました。避けていたと言う自覚があったかももう記憶が2年前くらいのことなのに思い出せません。その人と私の親友のトーク履歴を紆余曲折あってちょっと見せてもらったことがあって、そこには私にいじめられていること、私のせいで死にたいと強く思ったこともあったことが話されていました。私にはいじめようという気持ちはなかったのですが、かなり正直に物事を言っていたので、嘘とも思い込みともとれないし、わたしが他人の心を深く深く傷つけていたことに凄く悩んでいます。自分が今後消えない足枷を背負っていかないといけない(当然のことですが)こと、取り返しのつかないことをやってしまって自分の言葉がぺらぺらになってしまうこと、傷つく事も辛くなる事も私には権利が無いし権利が無いとしか頭の中で考えられないことに悩んでいます。
(※質問文は一部省略し短くさせてもらっています)

A.自分で気づかないうちに誰かを傷つける行為は、誰しもが大なり小なりやってしまうことですし、普遍的な私たちのテーマや難しさとして、質問を受け止めて考えています。
感じ方も経験も実に多様なので、自分にとって悪気がない(なんなら善意の)言動が、相手の傷つくことや嫌なことになってしまう場合がある。たとえどんなに気をつけていても、自分に感情が湧きあがっているときには、周りの感情に鈍くなるときがある。悪いこととはわかっても、誰かを傷つけることを止められないときもある・・・。すれ違う要素や、自分のやったことに気づかない要素は様々あって、人が人を傷つけたことについて、誰かを裁く権利は誰にもない気がします。(親と子、教師と生徒、上司と部下など、明確な権力差があるときは、権力のあった側に責任があると思いますが)
だから消えない足枷はみんな背負っていて、罪を背負った存在としてどう生きるかなのかなとウ・サギは思っています。取り返しについてはウ・サギはよくわかっていませんが、経験から学び今後に生かすことが、自分の過ちへの責任だと考えています。そして反省することは大切でも、償いをしていくためには、自分にある辛い気持ちを認めたり癒したり、自分のケアも必要なことだとウ・サギは思います。

回答:ウ・サギ

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update 2026/5/23
Q.「性格・考え方は変えることができる」の目的は「ありのままの自分を受け入れる」な気がする
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「性格・考え方は変えることができる。すると(生きるのが)楽になる」ことの目的って、「ありのままの自分を受け入れる」という表現の方が正確な気がするけど、気のせい?

A.なるほど、補足も含め丁寧にありがとうございます。質問者さんの考えを読んで、「ニーバーの祈り(平安の祈り)」のことをウ・サギは思い出しました。詳しくは調べてもらえたらと思うのですが、これは簡単にいうと、「変わらないものがあるのを認め(ありのままを認め)、変われる部分を見極めて変えていこう」という、アディクションからの回復を支えるメッセージとして知られている言葉です。
「性格・考え方」を変えることができると表現されると人格まで侵害・介入されているようでウ・サギはカチンときますが、自分について変えることのできる部分はあるし、そのためにはまず自分を知ることが大切なのもそうだと思います。ただ、自分のありのままを受け入れられない場合は、これまで生きてきた環境で危機的な感覚が沁みついてしまっている(抑圧的な相手に対し、誤魔化し偽ることで自分を守ってきた)部分があるとウ・サギは思うので、それは本人のせいじゃないし本人のコントロールの及ばない範囲のことでもあるよなあ…とは思います。
今の社会では経済的な問題や心理的ハードルがありますが、本来一番変えやすいのは環境だとウ・サギは思っています。少なくともウ・サギについては、自分を変えようと闘うよりは、環境を変えた方が色々と手っ取り早かったです。一本道のレールの圧が強い世の中ではなく、フラットで手軽な選択肢がたくさんあれば、軽くなる生きづらさが案外あるのではないかと思ったりします。

回答:ウ・サギ

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うさえなが所長
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※以前は1日1回まででお願いしていましたが、質問数の増加により変更しました

update 2026/5/20