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タグ哲学
Q.振り返りたくない過去と、どう共存していくべきでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.戸籍上の性別に合わせて生活してきた幼少期のことを思い出すと、当時は認識できなかった辛さを感じてしまい、幼少期の記憶を消してしまいたいし、まわりの人も忘れてほしいと思ってしまいます。振り返りたくない過去と、どう共存していくべきでしょうか?

A.記憶を消してしまいたいし、周りの人も忘れてほしいと思っている時期はウ・サギもあるので、勝手ながら共感しました。
経験的には、自分らしくいられる期間が積み重なって、ちゃんと扱われたり認められるほどに(これから新しく出会う人は、素晴らしいことに、自分のこれまでを知らないのです!)、過去が心を占める割合は徐々に少なくなります。だから一般論っぽくなりますが、時間がある程度楽にしてくれるのはあるとウ・サギは思います。
あとはそのつらい経験に意味を見出すことで、なんとか折り合いをつけていくアプローチもあります。ウ・サギは、消したいほどの大変な時期がなければ、こうやって色々と考え言葉にすることはできなかったと感じています。考える力や言葉にする力なんていらないなら、ハッピーに生きてきたかったとも思いますが、どんな経験も自分の一部として役に立つこともあるんだなあ、とは思います。まあそれはそれとして、記憶はなるべく振り返りたくないので、せっせと働いて、他の人の話に耳を傾けています。
また、過去の辛さを感じるのはしんどいものですが、自分の悲しみを癒すための大切なプロセスだともウ・サギは感じています。

update 2025/4/14
Q.「嬉しい」と思うことはあるが「楽しい」は感じない。「楽しい」は意識するのが難しい感情なのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は、「嬉しい」という気持ちになることはあるのですが「楽しい」と感じることがありません。「楽しい」は意識するのが難しい感情なのでしょうか?

A.たとえ同じ「楽しい」と表現していても、実はそれぞれにみんな違うことを感じているとウ・サギは思います。
だからあなたが「楽しい」気持ちになることがないというよりは、周りの「楽しい」や、あなたの中の「楽しい」のイメージに合う感情を感じることはない、ということだと理解しました。
誰しも(心の余裕がある状態で、いいことがあれば)プラスの感情を抱くとは思うのですが、そのプラスの感情の温度感やニュアンス、方向性などはそれぞれに個性があるのかもしれません。ちなみにウ・サギは、誰かへの「好き」は食べ物をもらったときにしか出てこない感情です。「楽しい」という感情はわかる気がしますが、「何かしらの刺激に興奮して夢中になっている」という現象が起こっているだけで、周りの「楽しい」とはズレている可能性もありそうです。ただ、あなたは何かに夢中になるとか、興奮することが少ないタイプなのかなとは想像しました。

update 2025/4/14
Q.幸せ→お金(裕福)は違うけど、お金→幸せは間接的に、部分的に合っていると思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.幸せ→お金(裕福)
これは、違うけど、
お金→幸せ
これは間接的に、部分的に合ってると思いました。
語彙力がないけど、幸せってお金じゃ買えないと思うかもだけど、美味しいものや面白いもの、サービスを買えるから間接的に、幸せになるのかなって。
でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。

A.おそらく前のこのQ&Aを読んでの質問ですかね。
とてもいい指摘、論点だと思います。カエルが前に書こうかなと思って長くなりそうだと思って控えたところを突っ込んでくれて、ありがとうございます。
幸せを決めるのは「自由」だとカエルは考えています。そして、自由を得るために現代でとても効力を発揮している存在が「お金」ということだという理解です。
だから、お金→幸せ が間接的、部分的にあっているというのは全面的に同意します。「でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。」というのもその通りだと思います。
自由(幸せ)はお金で買えるものと、買えないものがありますが、今はお金で買えるもの、お金がないと買えない物事が多すぎやしないかい?と思うのでした。
カエルは自由を得るための手段があまりにもお金に頼りすぎてしまい、知らないうちにお金を得るために幸せを放棄してしまう逆転現象が起こっていることを危惧しています。なんとか「生きかたを変えなければ…」とカエルをやっているわけです。

update 2025/4/10
Q.命はお金で買えないよっていうのに、なんで私達人間はペットを買ったり肉を何の抵抗もなく食べるのでしょう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.命はお金で買えないよっていうのに、なんで私達人間はペットを買ったり肉を何の抵抗もなく食べるのでしょう。殺して食べちゃうんだから、殺人よりタチが悪く無いですか。

A.「命はお金で買えないよ」という言葉が、どんなシチュエーションでどこの誰が言い始めたことかはわかりませんが、ペットを買ったり肉を食べるのがタチが悪いかどうかを考えてみたいと思います。

基本的には、ほとんどの人は、人間と人間以外の命を分けて考えているとウ・サギは感じています。そして、人間の命とそれ以外の命の何が違うかというと、「自我」がある部分だと思っています。
自我がある存在~もう少し詳しく定義すれば、周囲との継続的な関係をつくり、未来を(感覚的にであれ)予想し、意思がある存在~にとっては、唐突に理不尽に命を奪われるかもしれない世界や、売買される世界で生きるのは、かなり酷なことだし、倫理に反することだとウ・サギは感じます。安心安全、自分の意思が保障されない世界では、自我を健康に保つことがおそらく難しいので……。

ペットや家畜が(そういった次元での)自我のない存在でないとは断定できませんが、そうじゃないと想定すると、売買も屠殺も倫理に反するとまではいかないのかなと思います。未来を不安に感じたり、何か起こったときに「どうして?」と傷つくわけじゃないのなら、死ぬこと自体は生命にとっては自然なことだからです。

動物たちの自我がどういうものかについては、今のところ理解する術がない(想像の域を出ない)ため、動物を人間と同等に扱う扱わないの正解はないし、売買や屠殺に抵抗を感じるのも感じないのも、そもそもそういったことを考えるのも考えないのも、それぞれの自由なのかなあと考えています。

ちなみに、ウ・サギはニワトリを自分でしめて捌いて料理して食べた経験がありますが、わりと抵抗なく美味しくいただきました。(でも、抵抗を感じる人も少なくないだろうな、とは思いました)
ペットを売買しない、ビーガンとして生きる、といった選択肢もありますが、ウ・サギはそれらを我慢すると差し障りがあるレベルで日常の潤いが減るので、ペットは最期まで責任もって面倒を見る、お肉はなるべく無駄なく美味しくいただく、とだけは自分に誓っています。
あまり回答になっていなかったらすみません。

update 2025/4/7
Q.自分はトランスジェンダーのはずだった。でも思いや考えを心だとするなら、心に性別は無いのにと思った。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分はトランスジェンダーのはずだった。自分は思いや考えを心だと思っている。けれどそれが心だとするのならば心に性別は無いのに、勝手に男女でわけて、私は心が男。とか言ってる自分たち当事者が1番性を決めつけているのでは無いかと思った。

A.※補足に、性別に苦しんでいる人を批判する意図は全くない、と書いてあったので、読んでいる方もそこを理解して質問を受け取ってもらえたらと思います。

興味深い質問ですね。
トランスジェンダー(の中でも、FtM、MtF)は、「男・女」という性別が「存在する」のが前提になっているものなのは確かにそうだとウ・サギも思っています。
ウ・サギは当事者ではないですし、当事者といっても様々だと感じますし、「トランスジェンダーとは~」なんて語ることはできないとは思いますが、「割り当てられた性別(によって受ける扱い)に違和感がある」というのを「トランスジェンダースペクトラム」と捉えるのはどうだろう?とちょっと考えています。
スペクトラムは「範囲」「連続体」といった意味なのですが、つまりトランスジェンダーか否かの白黒に分けるのでなく、違和があればいろんな個性や濃度があっても広く仲間だよね、みたいに考えたらいいんじゃないかな?と思っている感じです。

心というのは、一体何なのでしょうね・・・。心の性という表現が実はちょっと雑で、アイデンティティの性、という表現の方が適切なのかもしれないとも思いました。アイデンティティは「自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚」だそうですが、どうでしょうか。
生きづらさに名前をつけるのも大切で、意味あることですが、こうやっていろいろと考えるのも大切だとウ・サギは思っています。質問ありがとうございました。

update 2025/4/5
Q.自分が分からないです。どうすればいいと思いますか?
この記事の担当 うさえなが

Q.自分が分からないです。どうすればいいと思いますか?

A.自分は我も分からない~
あ、分からないときは、だれかに教えてもらったらいいかも!

*生きかたカエルから補足*
自分を知るためには自分以外のいろいろな人と出会い、観察し、関わることが必要だとカエルは考えています。
そして、自分がわからないということをわかっているあなたは、実は自分をわかっている人なのでは?とカエルは認定いたします。

update 2025/4/3
Q.レジリエンスが低過ぎて悩んでいる。落ち込むのは仕方ないとして、再び前向きになるコツが知りたい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.レジリエンスが低過ぎて悩んでいます。
ストレスにより体に症状が出たり、気持ちがついていかなかったりします。
努力や根性を要する場面だとなかなか対処も難しく、引きずりがちです。
落ち込むのは仕方ないとして、再び前向きになるコツが知りたいです。

A.レジリエンスなんて言葉を日常用語として使うとは、将来は心理学とか勉強したい人ですかね?
人はそれぞれ、強みも弱みもありますから、そのことを自分でわかっていることが何よりも大切だとカエルは考えています。特に苦手なことを正確に理解していることは重要かと思います。その点では、自分のことを結構理解しているように思いましたが、最後の「再び前向きになるコツを知りたい」という質問の背景を知りたくなりました。
そもそも、努力や根性などというものは、使わなくてもいいのなら使う必要はないのではないかと思うところもあり、努力と根性そして前向きになることへの志向性について深めてみると、現状を打開するためのコツが見えてきそうな気がしています。

update 2025/3/29
Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。許せない気持ちが間違っているとは思いませんが、「だから苦しんで当然だ」なんて残酷だと自分は思います。誰かを苦しめた人が、それを理由に苦しめられることについてどう思いますか?

A.「人を憎んで罪を憎まず」という言葉が人間界にもありますが、憎む(問題視する)べき対象は行為で、誰か個人を責めてもあまり意味がないと思っています。だから、加害者叩きのようなものはウ・サギも苦手だし、不毛だとも感じています。
ただ、あなたも言っているように許せない気持ち自体は間違いじゃないとウ・サギは思うし、止められないものだし、被害に遭った人は何一つ許さなくても全然OKだと思っています。一方で、被害者に移入して「許せない」と思っている周囲の人には、ちょっとよく考えてほしいと思っていて、本当に許せない・二度と起こらないでほしいと思うなら、その加害が起こってしまったメカニズムを解明して再発防止にみんなで頑張らないとダメだよね?とウ・サギは思っています。

我々は心をもつ不完全な生き物であり、時に過ちを犯す存在です。
だから、どんな暴力も「誰かのやった悪いこと」ではなく「自分も起こしうるかもしれないこと」「自らに内包されているもの」だとウ・サギは思っているし、敵はいつも、本質的には外にではなく自分の中にあると考えています。
だから全員が、加害者になった/なりうる/実はなっていたかもしれない苦しみに悶えて、一緒に背負い、一緒に考えていける世をウ・サギは希望します。

update 2025/3/5
Q.死にたい 生きるのつらい 誰に助けを求めたらいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたい
生きるのつらい
誰に助けを求めたらいいの?

A.誰かが他の誰かを助けることはできないとカエルは思っているので、助けを求める相手は自分自身だと思います。そして「死にたい 生きるのがつらい」と発信していることが、すでに自分に助けを求めている証だとカエルは考えます。自分が自分に助けを求めて、それに「自分を助けたい」と思ったから、こうやって質問がきたと思うのです。
自分を助けるためには、例えば、一緒に考えてくれる人、安心できる居場所、困りごとの解決を手伝ってくれるところ・・・など、きっといろんな力を借りることになるとは思います。でも、周りがどんなに手助けをするとしても、それはその人の本来もつ力を発揮するための手伝いで、助けるのは自分自身なのだとカエルは思っています。

update 2025/3/1
Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。毎日家と学校を往復で精一杯てふとなんのためにこんなに頑張っているのだろう、みんな何が楽しくて生きているのだろうと考えてしまいます。いっそのこと死んでしまってもいいのではと考えてしまいます。

A.ウ・サギ調べでは、何かが楽しいというよりは、何も考えずに毎日生きている、というのが近いかと思っています。あとは、あまり頑張ってなかったり、ちょっとずるく生きているから、毎日何となく生きられるのもあると思っています。
生きることには希望がある、前向きに生きようキャンペーンみたいなものが社会にあるとも感じるので、そのキャンペーンにちょっと流されてるのもあるかもしれません。
だから「みんな何が楽しくて生きているんだろう」と疑問を抱くのは、あなたが真面目に生きようとしていて、世間に流されないタイプである、ということを示しているようにも思いました。
そう考えていくと、生きるために一番大事なのは、実はほどほどに「頑張らない」が出来るようになる(頑張らなくても生きられる環境になる)ことなのかもしれないですね。

update 2025/2/15