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記事の担当 ウ・サギ
Q.AIは便利だけど、人間のやりたくてもやれないことが取られそうで受け入れられない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近動画やイラストに多用されているAI、人々の負担を減らすことが出来るとても便利なものだとは理解しているんだけれど、その分人間のやりたくてもやれないことが取られてしまいそうで、どうしても受け入れられない。新しい世の中に順応出来ないのが辛い

A.AIは、本当に急激に進歩してますよね…。ウ・サギとしても、これをどう受け止たらいいのか、どうしたらうまい活用になるのか、まだ戸惑っているところです。良い点も多くあると思いますが、「便利だね!」というだけで受け入れていくと、何か良くないこともありそう…?とは感じています。
具体的には、人間のクリエイティビティの価値はどうなるのかという点と、AIができる作業だとしても作業をしたい人間はいるのではないかという点(結果だけが見られ、プロセスの価値がおざなりにされて、人間らしい生活が失われていくのではないか)が気になります。だから、質問者さんの受け入れられなさには、共感できるものを勝手ながら感じました。
逆に、ウ・サギがAIの発展で明確に希望を感じているのは、IQが高い=優れた人間とでもいうような能力主義は廃れるのではないか?という点です。記憶する能力、集められた情報を処理する能力はAIに叶わないので、そういったものを身につけるためにあまり時間を割かずに、人間らしい(という表現はちょっと微妙かもですが、どんな人も自分らしく生きていく)生活には何が必要なのかをみんなで考えていくことに時間を使っていきたいです。
例えば、最高効率で経済を回していく方法や、地球環境を守るための最適な方法は、人間の誰よりもAIが正確に導き出せるでしょう。でも、どんな人も自分らしく生きていけるというのがどういうことなのか、どうしていけばいいのかは、人間の対話の集積でしか導き出せないし、対話によって更新し続けるものだと思っています。もしAIの答えが正解だろうと、その対話のプロセスに参加していくことができないなら、それを人間は正解だと感じられないとも思います。
だから質問者さんは「順応できない」ではなく、まさにAI時代に人間がやるべき大切なことをやっているようにウ・サギは感じました。自分の感性や感情を発揮し、問いかけ、対話することを、ウ・サギはこれからも重視していきたいです。

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update 2025/8/5
Q.自分は人を傷つける最低な人間です。とにかく自分が嫌いです。生きるのがつらいです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は人を傷つける最低な人間です。とにかく自分が嫌いです。生きるのがつらいです。でも死ぬのは怖いので嫌です。どうすればいいですか。

A.まず、丁寧な補足をありがとうございます。人を傷つけてしまう自分のことを責める気持ちと、そう思う根拠が並んでいましたが、一番傷ついているのはあなた自身であるようにウ・サギは感じました。
補足の内容から、家族が自分のためにコストを割いてくれているのに、それに報いることができていない、という部分で自分を責めているとウ・サギは理解しました。

ちょっと話がズレてしまうかもしれませんが、「誰かのために」行動するという考えにウ・サギはずっと疑問をもっていて、実は全部が自分のための行動でしかないと思っています。例えば、誰かを心配で手をさしのべるのは、「心配だ」という自分の気持ちに耐えられないからとか、「幸せになってほしい」という願いがあるからとかかもしれないし、生きづLABOが誰も見捨てられることのない生きやすい社会を作りたいのは、誰かを見捨てるような社会で生きていきたくないからです(だって、いつ自分が見捨てられる側になるかわからない世界じゃ怖くて、安心して生きられないです……)。そのあたりをもう少し正確に言葉にすると、ウ・サギのいう「自分のため」というのは、「自分一人のため」ではなく「自分たちのため」という意味合いがあります。
だからつまり、何が言いたいかというと・・・自分のためにしてくれた(だろう)ことに応えられないことで、自分を責める必要はないのではないか?ということです。そして、親切にする側の人も、それは突き詰めると自分のためにしているのではないか?という視点で自分に向き合ってみてほしいと思っています。相手のために何かをしてあげようとすると、質問者さんがこうやって自分を責めているように、弱い立場の人をより追い詰めてしまう危険があるからです。

補足のケースでいえば、あなたの気分が変わったのなら、親と妹はあなたの意向を尊重して、自分の気持ちも大切にして、その結果あなたは家に残して自分たちは出かける、という選択をすればいいようにウ・サギは感じたのですが、どうなのでしょうか…(的外れな意見を言っていたらごめんなさい)。
子どもが大人に嘘をつくのも、それは「嘘をつかせてしまう」大人側の問題(嘘をつかないと認めてもらえない、自分の身が危険かもしれないなどと感じるほどに、子どもにプレッシャーをかけてしまっているという問題)だとウ・サギは思っています。

でもきっと、理屈で解決する次元ではない「自分が嫌いだ」という感情が、あなたの中に強くあるのだろうとも受け取っています。そして、変な言い方ですが、自分はいつも自分のそばにいるので、嫌いで仕方ない相手とずっと離れられないのはとてもしんどいことだと思います。だからウ・サギは、誰よりもあなた自身が、一番傷ついてダメージを受けているように感じました。

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update 2025/8/3
Q.死にたいけど死ぬ勇気もない。私なんている意味がないんです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいけど死ぬ勇気もない。
私なんている意味がないんです。
どうしたらいいか分かりません。

A.真剣に思い詰めている気持ちを感じました。
いる意味がなくても生きていていいとウ・サギは思いますが、周りの人に必要とされていない感覚や、迷惑をかけているような感覚があるのでしょうかね…。それに苦しむのに疲れ果てて、でも、死にたいを行動に移せるとも感じられない・・・じゃあ何かを変えられたらと思うけど、そのイメージも元気もない、そういった状態を想像しました。(想像がズレていたらすみません)
その行き場のなさや苦しさを、一人でずっと抱え込むと余計につらいと思うので、またよかったら質問をください、とは伝えたくなりました。

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update 2025/8/3
Q.セクマイなのでアプリで付き合おうとしても身体の関係に持ち込まれて自己嫌悪。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつまで経っても愛し方と愛され方がわからないまま、セクマイなのでアプリで付き合おうとしても、望んでいるわけではないのに身体の関係に持ち込まれてその度に自己嫌悪。
どうすれば健全な感情の関係を築ける?

A.愛し方や愛され方以前の問題として、望んでいるわけではないのに断り切れない、というところに社会の闇と人間関係の難しさをウ・サギはとても感じます。
それは個人のせいではなく、とくに親子間や恋人関係において境界が曖昧になりやすい文化、自分の気持ちを理解し発信していくのを学ぶ機会の圧倒的な不足(残念ながら学校教育は逆のことを身につけさせてしまう場合が多いと感じます)など、社会の方に問題があるとウ・サギは思っています。

補足の内容から、育った環境の中で(相手に悪意がないとしても)心の繊細な部分を踏みにじられてしまった経験が少なくないと感じたので、そのあたりが愛を求める気持ちと愛がわからない混乱のようなものを大きくさせているのかな・・・とも想像しました。ウ・サギは恋はこれまで満たされなかったものを何かで埋めようとする側面があると感じてしまって、恋愛は愛よりも支配に傾いてしまいがちな、危うい関係性だとも感じています。
健全な感情の関係を築くのは、本当に全然簡単なことじゃないと我が身を振り返っても思うので、どうすればいいか?への答えの自信はないですが、自分の感情を知ることが大切だとは思っています。寂しさはどこからくるのか、恋愛に何を求めているのか、断れないのはどういうメカニズムで起こっているのか・・・。それは人間関係の中でしか見えてこない部分はあるので、これまでの経験も学びだとは感じました。

また、身体の関係にすぐ持ち込まれないようなセクマイのお付き合いを求めるなら、クワセクシュアル、デミセクシュアル、グレーセクシュアルなど、「恋愛=性的な関係をもつ」という価値観を無条件ではもたない人との出会いを探してみるのもありなのかな・・・?とは思いました。出会い方についても、マッチングアプリよりは、どんな恋愛関係を求めるかの自己紹介(にじいろ学校というNPO法人で発行しているテンプレートがよく使われています)が書いてある人とSNSで関わってみるあたりから始めてみるのもいいかもしれません。SNSはSNSで危険もありますが、フォロワーとの関わりなどを含めて、相手のことを知る材料はマッチングアプリよりは多そうです。
恋愛メインの結びつきよりも、生きづらさの部分や周りに感じるもやもやを共有するような結びつきの方が(そこから恋愛に発展していくのも全然あると思いますし)、寂しさはあまり埋まらないかもしれませんが、ウ・サギ的にはおすすめです。

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update 2025/7/27
Q.毛を剃っていないと不潔!という考えに賛同できない。特に女性に対して世間からの圧を感じる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.毛を剃っていないと不潔!という考えに賛同できない。特に女性に対して、自己管理をしろ、きっちり剃毛しておけという、世間からの圧を感じる。それで最近は脱毛が流行ったり。

A.画面の前でとても頷いています。何の合理性もない、理不尽な押しつけだとウ・サギも思います。
海外事情をネットで軽く調べたところ、ムダ毛を剃らないのが珍しくないところもあるようです。毛質や毛色的に目立たないのもそれに関係はしていそうですが、「自然体が美しい」という価値観をもつ人も多いと書かれていました。そこと対比すると、日本の文化や風潮として、女性は自然体よりも従順、もっと強く言えば男ウケする生き物であれ、という価値観が強いように感じてさらにもやもやしてきました・・・(苦笑)
いやいや、自分はそういう圧や価値観関係なく、つるっとした肌を美しく感じるという女性もいるかとは思うのですが、そういうものが美しいとされていない世界にいたら本当に同じように感じていたか?というのは怪しいところだとウ・サギは思います。
個人が毛を剃るのも脱毛するのも自由で、何ら悪いことだとは思いませんが、自己管理しろという理不尽な圧にはNOを叫んでいきたいウ・サギです。

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update 2025/7/27
Q.なぜ私は生活に支障をきたすくらい怖がっても、怖いものを見たくなってしまうのか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なぜ私は怖いものを怖いのに見たがるのでしょう。怖いものを見た時、最初は何とも思いませんが、その後急に怖くなります。風呂にも入れないし一人の空間にいられないので正直生活に支障をきたすくらい怖がっています。しかしまた怖いものを見たくなるのです。

A.怖がりなのにホラーを見る層は結構いる気がするので、支障をきたすくらい怖くなるとわかっても怖いものを見たがるという事象は案外自然なことなのかも…?とまず思いました。個人で見ていったら理由は様々かとは思うのですが、その行動は矛盾しているようで、実は合理性や意味もある、という感じがします。
もう少し考えると、ホラーだけでなく、鬱マンガや鬱ゲー、胸くそ系など、見たら気分が落ちるものもジャンルとして成立していますよね…。(ウ・サギは怖いものは避けるタイプですが、鬱系のものは時々見ちゃいます)
人間は危険を避けるために、基本的に快よりも不快や恐怖を強くインプットするらしいですが、それが不快や恐怖だとしても、何かに圧倒されたり耽るのは一つの現実逃避としては有用なのかもしれません。現実がすごく大変じゃなくとも、考えないといけないこと、やらなきゃいけないことはどうしてもあるので、どんな方法だろうとそれを完全に心から追い出す時間があることは、生きるためのバランスを保つのに役立つような気もします。

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update 2025/7/27
Q.トラウマがあって男性が怖く、トランスジェンダー女性を受け入れにくい。これは差別?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.小さい頃トラウマになる出来事があり男性が怖いです。最近トランスジェンダー女性を受け入れてという意見を目にして申し訳ないとは思いつつ怖くて、中でも体は男性のまま本来の性で生きたいという方を疑ってしまう自分が辛いです。これは差別になりますか?

A.今差別の定義を調べてみたのですが「ある集団や個人を、正当な理由なく(①)、他の集団や個人よりも低い扱いをすること(②)」と出てきました。(①②は、ウ・サギがわかりやすいように番号をつけました)
だから、①自分のトラウマという切実な理由で、②低い扱いではなく受け入れてという意見に抵抗や疑問を感じている、というあなたの思いは、差別とは結構遠い現象であるとウ・サギは感じました。
逆に、表向きは似たような主張だとしても、①自分が怖いと感じる立場でもないのにトランスジェンダー女性の苦しみへの想像も怠った状態で、②表立ってトランスジェンダー女性を叩いているのは、差別のように感じています。①自分の理由に正当性があるかの確認が十分ではなく、②表立ってバッシングできるのはその属性をどこか低く見ているとウ・サギは思うから、です。
また、ずっとウ・サギがちょっと気になっているのは、トランスジェンダー女性を受け入れてという意見は誰が言っているのか?何を求めているのか?(トランスジェンダー女性にも、理解を促進する立場の人にも、さまざまなスタンスがあるはずです)、それに反対や抵抗を示す人はトランスジェンダー女性に会ったことはあるのか?会ったことがあるにしてもトランスジェンダー女性をくくって意見を言えるほどの立場なのか?という点です。本来全部個人の意見で、それぞれに背景があるはずのことが、なんとなくふわっと主義主張のぶつかり合いになっているのはとても怖いと感じています。
原則として、自分らしく生きたいという気持ちはなるべく尊重されるべきだとウ・サギは考えます。ただ、もう一つ大切な原則として、怖いという気持ちや事情については配慮があるべきだと思っています。だから自分の本来の性で生きたい気持ちは否定しないのは大前提で、トイレや更衣室などの問題は、一番弱い立場(怖いと感じている人)に寄り添って、どういう形がいいのか話し合って模索していけたらいいのかな…と考えています。
ネットなどを見ていて、いろいろ思うことがあるので、ちょっとあなたの話から逸れて熱く語ってしまいました・・・すみません。

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update 2025/7/24
Q.思いを寄せている人を街で偶然見かけてなぜか涙が出た現象に名前を付けたい。良い名前はない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.思いを寄せている人(片思い)の姿を街で偶然見かけて、なぜか涙が出てしまった。この現象に名前を付けたい… 良い名前、ないですか?

A.ウ・サギは同じ現象を経験したことはないので、良い名前探しにちょっと自信はないですが、人を見かけたときに限定しないなら、ふとしたきっかけで感情が溢れて涙が出ることはわりとあることな気がします。
感情の湧き水現象、とかはどうでしょうか。なんというか、なるべく美しい名前をつけたい現象だとは感じました。

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update 2025/7/24
Q.休んでいるだけでは何も良くならず数年経った。何かできることはないだろうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「今は焦らずゆっくりと休む時なんだよ」って言う人は多いけど、本当にただ休んでいるだけでは何も良くならずに何年も経ちました。休みながらも何かしらの行動はしないと駄目なんじゃないの?って思うのですが……何かできることってないでしょうか。

A.休めてること自体は前向きな要素に感じましたが、良くならないなら、何かできることはないのか?と感じるのも確かにそうだな…と思いました。無理しないことは絶対の前提として、休むだけを推奨するのもちょっと危ういのかも、と考えさせられました。
自分や周りの回復のきっかけやルートを振り返ってみると、やはり私たちは関係性の中にいる(環境の影響を受ける)存在なので、何かと関わりをもつのはポイントなようにウ・サギは感じます。本を読んだり何かを推すなど受け手として関わるのも一つの方法ですし、安全そうな匿名のチャット相談や医療などの支援機関を使うのもありですし、あとは自然に触れるとか、何か勉強をしてみたり趣味を探してみるとか、そういった関わりもあると思います。勿論、質問箱に質問をくれるのも一つの関わりですね。関わりという表現よりは、何かしらの刺激を受けることで、もしそれが自分とうまく噛み合えば、変化や気づきが徐々に生まれていくようなイメージはあります。
ただ、何が合うかも、何なら無理がないかも、それぞれ個性があるので気軽に何かをおすすめできないのが悩ましいところです……。ゆっくり休むべきという状態までしんどくなったときは、合わない刺激とお付き合いしていたかとは思うので、その逆を考えればちょっとヒントにはなるかも?とは思ったりしました。

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update 2025/7/24
Q.FTMです。「肉体的には女の子だから~」と言われたことを忘れたいです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.FTMです。数ヶ月前に、軽い感じで「肉体的には女の子だから〜」と言われたことが忘れられなくてつらい。肉体的・女の子っていう言葉選びが気持ち悪いなと思ってしまった。これを言われたことを忘れたいです。

A.なるほど…。言われたことを忘れる方法があればウ・サギが知りたいというくらい、ウ・サギは悪いことだけずっと覚えているタイプなので、所長たちで相談してみました。
その結果、「肉体的には女の子だから~」を何かの聞き間違いということにしてしまうのはどうか?という案が浮かび、以下の聞き間違い例を考えてみたのですが、いかがでしょうか。

・ネクタイ的にはほんまものだから(ネクタイが謎の自我をもった)
・肉鯛敵には大ナマコだから(肉・鯛vsナマコのごちそう合戦)
・肉ないときにはオンなめこだから(肉うどんを作ろうとしたけど肉がなくて、なめこうどんに)
・肉買い的には恩納にGOだから(沖縄県恩納村の肉を買い付ける)

ふざけた内容に見えるかもしれませんが、言われて嫌だった言葉を後付けで聞き間違いにしてしまおうというアイデアはとても大真面目で、「肉体的には女の子だから」になるべく発音を近づけるべく迷走した結果の言葉となっています。少しでもお役に立てば幸いですが、全然役に立たなかったらすみません…。

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update 2025/7/24