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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.自分に優しいものは財布に優しくなくて、財布に優しいものは環境に優しくなくて…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分に優しいものは財布に優しくなくて、
財布に優しいものは環境に優しくなくて、
環境に優しいものは自分に優しくないです。
選べるものがない。生きていけないです。

A.これはですね、めちゃくちゃ大切な問題提起となる質問だとウ・サギは思いました。(切実さは感じ取っているのですが、本当そうなんですよ、と勢い余って返してしまいました…。不謹慎なノリに感じられたら申し訳ありません)
ウ・サギは地球に住まわせてもらっている身として、環境に優しいことを大切にしたい気持ちは強いのですが、財布と時間の都合上、できることにけっこう限界があります。そこで真剣に、どうしたらこの問題が解決するのだろうと最近考えていたのですが、自給自足できるくらいの土地がある田舎で、いろんな人で協力しながら暮らすことでなら可能かもしれないと思いました。ここでのポイントは、いわゆるフルタイムでビジネスの世界で働く人と同じ人数かそれ以上に、生活のことを丁寧にやってくれる人材を配置することで、その役割が今の社会で「働くのがしんどい」「働きたくない」と感じる人にもしかしたらはまるのではないか、なんてことを考えています。例を出すと、電子レンジを使わずに鍋や蒸し器で温め直す、薪ストーブを使う、土地で野菜を作る、ニワトリを飼う、とか環境に優しい方向性の手間はいろいろあると思うのですが、それをいろんな人と協力してやるのであれば、ビジネスの世界で求めらえるような能力は自己犠牲はいらないと思うのですよね。
いろいろなものが分断されて、お金だけがモノを手に入れる手段になってしまった今は、優しく生きることが本当に難しい、ほとんど不可能に近くなっているとウ・サギは感じます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/7
Q.どうしても恋愛ができなくて寂しい!どうしたらいい?
この記事の担当 所長室

Q.どうしても恋愛ができなくて、寂しい!周りと比べて落ち込んじゃうし、気にしてもどうにもならないのはわかっているけど、恋人がいたことがない自分が落ちこぼれに感じて辛いです。どうしたらいいですか?

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update 2026/3/7
Q.生きづLABO利用者がお互いに分かるマークがあれば面白そう
この記事の担当 所長室

Q.「生きづLABO利用者です!」「生きづらさを抱えてます」「社会を変えたい!」人たちがお互いに分かるようなマーク(指定の色の組紐をつける的な)のがあったら面白そう 「研究員」以外の人も含めたファンネーム?みたいなのも

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update 2026/3/7
Q.社会人です。どうしてもだめな日、皆さんはどうやり過ごしますか?
この記事の担当 所長室

Q.社会人です。何もしたくない、ずっと寝ていたいと思うことが多々ありますが、そんなに休んでもいられません。どうしてもだめだ~~の日、皆さんはどうやり過ごしてますか?

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update 2026/3/7
Q.1週間でいいので誰かに守られながら何もせず暮らしたい
この記事の担当 所長室

Q.どれだけ仕事などで人と関わっても毎日孤独を感じてしまいます。生きるのに疲れました。1週間でいいので、誰かにまもられながら何もせずに暮らしてみたいです。質問じゃなくてすいません、

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update 2026/3/4
Q.大きい地震がくるのは怖くないのですか?
この記事の担当 所長室

Q.大きい地震がくるのは怖くないのですか?何度も地震がくるうちに慣れてしまったのでしょうか?私は地震があまりこない地域に住んでおり、大きく揺れると思うだけで不安です。年数回ある震度2でもびっくりしてしまいます。

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update 2026/3/4
Q.「嫌い」「怖い」は悪ではないし人付き合いは選んでいいはずだけど、それで誰かが苦しむのは嫌
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「嫌い」「怖い」「好きになれない」は決して悪ではないし、
人付き合いは選んでいいもののはずだし、
俺も嫌いや怖いや好きになれないは感じるし、人付き合いは選んでいます。
でも、「嫌いだから」や「怖いから」や「好きになれないから」を理由に自分含めた誰かが苦しめられる社会は嫌です。
矛盾が苦しいです。
どう思いますか?
また、どのような仕組みがあれば、
嫌われたり怖がられたり好かれなかったりして傷つけられたり見捨てられたり孤立したりして苦しむ人がいる問題が少しでも解決に向かうと思いますか?

A.ひとつのことから巡り巡って、世界全体のことを考えるのですね。その垣根のない共感は強みであると同時に、自分の感情や行動をいつも素直に肯定できないような、生きづらさにもつながりそうだと想像しました。
この問いについての解決策はウ・サギの中では結構はっきりしていて、
・多様な属性の人がいる
・干渉はしないけど気にかけて助け合う関係性
・20~50人程度の規模
・裕福とか社会的成功まではなくても衣食住には困らない資源がある
がそろっているコミュニティをつくることだと思っています。
好き嫌いは人間必ずありますし、嫌いがあまりに排除したくなる気持ちや、抑えがきかずにその行動に出てしまうことも、完全に無くすのは不可能だとウ・サギは思っています。でも上記の要素がそろっているコミュニティなら、それが小さな芽であるうちに(誰かの心を長期的に損なうほどの暴力になる前に)自浄作用が働くと思っています。例えば、いわゆる問題行動が多く嫌われやすい人がいたとしても、余力があれば対応を考えることができるし、対話の中で「こういう背景があるのかも」という想像力を発揮できる人もいるでしょう。また、そもそも誰のこともあまり嫌わない人や、好き嫌いが多数派と違う人もいます。人間はけっこう多様なものですし、想像力や共感のポテンシャルの大きい生き物だと思っています。
ウ・サギは実際に上記の要素を満たすコミュニティに属していたことがあるのですが、周りから嫌われたり、周りを困らせたりするタイプをウ・サギが好むのはどうやら間違いないようです。一人で完璧な存在はどこにもいないので、チームを作ることがとにかくポイントだと思います。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/4
Q.学校の授業に調子いい時しか行けない。行ってみたら意外とあっさりの感じなんだけど…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校の授業に出たいけど、調子いい時しか行けないです。行ってみたら意外とあっさり受け入れられる感じ(表現が難しいです)です。頭で一応わかっていてもなかなかそう思えないです。助言を下さい。

A.なるほどです。参考になるかはわかりませんが、ウ・サギは不安なことや怖いことは、なるべく何も考えずに最初の一歩だけに力を注ぐようにしています。ウ・サギは高所恐怖症で怖いアクティビティがいくつかあるのですが(でも好きなんですよね…)、「やることはシンプル。安全を確保して、最初の動作をするだけ」と考えることで怖さを振り切っています。
だから学校の授業に出ることを考えるのではなく、教室のドアを開けて一歩だけ中に入ることを考えるのはどうでしょうか。ウ・サギは学校が嫌いなので想像すると「無理かも…」という気持ちになりましたが、教室に入るだけなら、やることは単純かとは思います。この作戦をしてみるなら、もし無理だと感じたら一歩だけ入って引き返してもいいという、自分に甘い気持ちをもっておくのも大切かもしれません。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/4
Q.私が死にたくなるのは周りのせいなのか思春期のせいなのかわかりません
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私が死にたくなるのは周りのせいなのか思春期のせいなのかわかりません

A.ウ・サギの経験を言うと、思春期は一番多感で感情の揺れは激しかったので、死にたいを最も感じやすい時期だとは思います。ただ、思春期で必ず死にたくなるかと言うと、そんなことはないので、死にたいと思うからには何かしんどいことがあるのは間違いないと感じます。
また、そもそも自分の気持ちは、周りとの関係性でしか生まれないものだとウ・サギは考えています。そして、周りとの関係性は、直接的な人との関わりだけでなく、周りと周りの関係性を見ていて思うことや、社会全体に漂う雰囲気やネットなどで入ってくる情報も含めた複雑なものだとウ・サギは捉えています。それらは重たい何かとして、まだ弱い立場の(自分一人の力では跳ね返せないし、逃げられない)子どもを、揺さぶって消耗させてくるものだと感じます。
複雑であるがゆえに「○○のせい」と言い切るのは難しいですが、自分のせいだけで起こる感情はないとウ・サギは断言したいです。もし質問者さんが「この人のせいかも」と思う人がいるのだとしたら、その人との関わりで傷ついていることは、きっととても確かなのだと思いますよ。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/4
Q.「Q.いじめ傍観者も加害者と”同罪”は~」の質問者です。回答の言葉からぐるぐる考えました。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.Q.「いじめ傍観者も加害者と”同罪”」は極論だと思いますか?の質問者です。
ウ・サギさんの回答にあった、「子どものいじめについての責任は100%大人にある」という言葉について俺が思ったことがあります。
まず、俺は子供と大人でキャパやできることの差が極端にあるわけではないと俺は思います。だから、大人(教師など)ができる範囲で必死に頑張っても子供のいじめをどうにもできないケースや、他のことの負担が大きくて対応できないケースや、一人の大人が負担を押しつけられて適切な対応ができなくなるほど追い詰められてしまうケースも、現実にあると俺は想像しています。特に教師の過重労働問題もあると俺は認識しているので、大人にも限界があるのも現実だと思ってます。
しかし、そんな大人側の背景や事情は、いじめを受けた子供やいじめをしてしまった子供には関係のないことだという意見もその通りだと俺は感じるのです。
なぜなら、大人のキャパやできることが子供と大きく違わないとしても、大人の言動が子供に与える影響が絶大なことに変わりはないと思うからです。だからこそ、「子どものいじめについての責任は100%大人にある」という言葉そのものは正しいと思うのです。
しかし、いじめ問題に対して、大人が適切な対応を選べない現実そのものは、「大人の責任」で片付けていい問題ではないんゃないかと、俺は思うのです。大人であるということは、キャパが大きいことや、できることが多いことと、イコールではないと感じるし、大人にも限界がある、大人にも事情があるということも現実だからです。
しかし、だからといって大人がそれを言い訳に子供に責任転嫁するのも違うと感じます。難しいです。
少なくともいじめ問題は、簡単に「こうすればいい」で片付けられる問題ではないと感じますが、勝手ながらぐるぐると考えてしまい、質問を送ることにしました。
ウ・サギさんは、どう思いますか?

A.なるほど……色々と、考えを深めたことがよくわかりました。まず、「責任」という言葉の捉え方が質問者さんとウ・サギで少し違うかもしれないと感じたので補足しておくと、「責任」は「○○のせいである」という原因よりも、「解決する役割を果たすのは誰か」という解決の主体を指している意味合いがウ・サギは強いです。また、ここでいう大人とは常に大人たちのことであり、小さい単位で言えばそれは身近な人たちで組むチーム、そして大きい単位では社会を構成する大人全員のことを言っています。
大人の定義についても、単に年齢で考えてはいなく、子ども時代に必要なケアや学ぶ機会を保障された上で、現在誰かをサポートするだけのリソースが余っている者、という捉え方をしています。ただ、残念なことに全員がそれを保障されてはいないので、子どもと大人の混ざったような段階の人たちも、それぞれの力を無理なく持ち寄ることができたらいいな…とは思います。
「責任がある」「責任をとる」いう言葉でウ・サギが一番強く思っているのは、「問題の本質を考え、長いスパンで解決のための努力を続ける」姿勢のことかもしれません。解決のための協力者は大人子ども問わずたくさんいるほど良いし、誰でも少しずつ手伝えるし、自分のできる分については少しずつの責任を背負ってほしいとも思います。でもそのプロジェクトの責任者と言える人やチームには、それなりの力量や安定感が求められると考えているし、ここでいう力量や安定感を得るためには、絶対に一定数の人生経験が必要だとウ・サギは思っています。だから、責任を果たせないものには責任がない(求めてもいいことはない)という点で、子どもには責任がないと言い切ってしまうのかもしれません。
ただし、個人で責任を背負いすぎると、結局責任が果たせなくなることもあります。こうやって考えてみると、責任というものはとても難しいですね……。考える機会をありがとうございます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/4