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Q&A
Q.親が過保護で、県外の大学に進学しても一緒に来ると言っている
この記事の担当 所長室

Q.家族がやや過保護です。今は高校生で、県外の大学に進学すれば一人暮らしできると思っていたのに、一緒に引っ越して暮らそう、それがだめなら週に何度かは寝泊まりしにくると言われて困惑しています。いつになったら親と適度な距離を取れるのでしょうか?

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update 2025/9/5
Q.周囲に全日制の高校に行くのを期待されているが私は通信制に行きたい
この記事の担当 所長室

Q.今年から中学3年生です。全日制の高校に行くこと(そして大学に行くこと)を親と周囲に期待されています。ただ、私は通信制の高校に私は行きたいです。それを親に言うと、ずっと家にいられたくないと断られました。ど、どうしたらいいんでしょう?

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update 2025/9/5
Q.ネッ友を裏切った人に悪口を言ってしまった。早く自分という存在を消したい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ネッ友がとある人に裏切られ、傷ついていて、その人に悪口を言ってしまった。早く自分と言う存在を消したい。生きている意味がない。

A.補足から、結果的にネッ友にも迷惑をかけてしまった、ネットを荒らす一員になってしまった、というあたりが自分を消したいポイントだと受け取っています。ウ・サギも、自分が周囲に迷惑をかける類の失敗したと思うとわあああって感じで消えたくなるので、気持ちとしてはとても共感しつつ、冷静に考えるならそれほど気にしなくても大丈夫だと思うよ、とも感じています。
正義感と怒りが混ざって感情的な行動に出て、結果的に周りに迷惑をかけてしまうのは、ほとんどの人がやっているのではないでしょうか。しかも、それに気づかない人や、気づいてもあまり気にしない人もいます。だからあなたのやってしまったことの質や中身よりは、それで「生きている意味がない」まで急激にいくエネルギーの動きが、ウ・サギは気になりました。周りに迷惑をかけないように、大切にしたいものを大切にできるように、というところをすごく自分に厳しく求めているのでしょうかね……。

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update 2025/9/3
Q.交通系ICカードの小学生用のデザインがかわいくて欲しい。年齢問わず選べたらいいのに。
この記事の担当 やみーペン

Q.最近欲しい交通系ICカードがあります。で、そのカードは小学生用のやつのデザインがかわいくて、大人なのにそれが欲しくてたまりません。大人用のは2種類あって選べるので、年齢問わずみんな好きなデザインを選べたらいいのに。

A.えー!好きなデザインをみんな持ちたいのは当然だと思う!!年齢とか関係ないのにねぇ〜
そういう時はやみーペンは、自分デコレーションするので折り合い付けること多いかも??シンプルなカードケース買って、それを好きなデザインにしたら元々のカードのデザインも許せるかも〜

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update 2025/9/3
Q.親に対して屈辱感を感じているが、他に聞いたことないので私だけなのかな?と気になっている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に対して屈辱感を感じています。親に対しての罪悪感なら聞いたことがあるし、私も感じることがありますが屈辱感は聞いたことがなく私だけなのかな?と気になっています。

A.なるほど・・・屈辱感ですか。AIに聞いてみたところ「他者によって大いに恥ずかしい思いをさせられ、面目を失ったと感じる感情のことです。相手に屈服させられるなどして自尊心が傷つき、恥ずかしさや悔しさ、無念さを伴います。」と説明されました。
ウ・サギは感じたことがあるだろうか?と振り返ってみたのですが、わりとありました……!相手が親だろうが誰だろうが、相手の言動と、自分自身の個性とのマッチングで、屈辱感を抱くことはありそうな気がします。
相手に「屈服させられる」や「悔しさ」の部分がポイントな気がしていて、それらの感情は、自立心が強いタイプだと湧きやすくて、自立心がそこまで旺盛じゃないタイプだとあまり感じないかもしれないと思いました。相手の言動については、バカにしてくる態度をされたら屈辱は感じやすいとは思いましたが、そこに屈辱ではなく、怒りや憎しみという名前をつける人もいそうだとも感じます。あと屈辱は「恥ずかしい」という感覚が鮮烈かと思うので、屈辱感を抱いていたとしても、それを表明せずに隠す人も多いのかもしれません。

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update 2025/9/3
Q.別室登校しているが担任が教室行こうと言ってくる。行かなかったら先生はおこる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.別室登校してるんですけど、担任が何回もこの授業教室行こうやとか、このどっちかはいこうと言ってきました。「明日これいるからな」って言って教室に行く前提かよ!って思いましたけど行くつもりはないです。もし自分が行かなかったら先生はおこりますか。

A.カエルは先生ではないので、先生が怒るかどうかはわかりませんが、先生が怒るか怒らないか関係なく、「行くつもりはない」というあなたの気持ちを貫くことをカエルは全力で応援したいです。
そして、先生は下心?(教室に来ることが前提)をあなたが見抜いていることに気づいていないような気がするので、機会があったら「先生は、教室にどうしても来てほしいと思っているんですね」というフィードバックをしたうえで、「先生はそう思うかもしれませんが、私は教室に行くことを前提には考えられません」と伝えてみてほしいと思ってしまうカエルです。カエルとしてはとてもアサーティブだと思うのですが、そんなことを言うと先生はおこりますか?あれ?同じ質問を返してしまいました…苦笑

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update 2025/9/3
Q.やみーぺんさんは何のアイスが好きですか
この記事の担当 やみーペン

Q.自分はアイスが好きです。棒アイスやカップなど、、、。やみーぺんさんは何のアイスが好きですか

A.アイス好き仲間嬉しい!やみーペンはスプーン使わないで食べれるのを選びがち…。スプーン洗うのめんどくさいから。でもカップのアイスの方が美味しそうなの多いんだよねぇ〜

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update 2025/9/3
Q.ごろ寝ポーズのカエルの箸置きがあって、親はだらしないというが、私はこんなふうに昼寝したい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.家にカエルが葉っぱの上に乗っている箸置きがあります。そのカエルは仰向けでごろ寝しているポーズで、親はだらしないポーズだと言いますが、私はこんなふうに気楽に昼寝してみたいと思います。生きかたカエルさんどう思いますか?

A.もちろん、リラックスを表現したのびのびとしたポーズだろうと想像しています。
ただ、だらしないと思うのも人の感じ方なので、それはそれでもいいように思います。推測するに、質問者の親はあまのじゃくなのか、素直に自分の気持ちを表現することができない何らかの事情をお持ちなのでは?と感じました。それはそれで、生きづらそうです。

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update 2025/9/3
Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い

A.家庭の中で、おばあちゃんからお父さんへの関わりだけ、見ていてわかるくらいに態度が強いのですね。補足に書いていた「これって差別?」には、辞書の定義でいくなら差別とは違うのですが(差別というのは、例えば性別や人種や病気などの、何か特定の”属性”があるからという理由で攻撃するものを言います)、おばあちゃんの態度に質問者さんとしては不当なものを感じているのだろうとウ・サギは想像しています。
なんでお父さんにだけ態度が違うのか?そうしてしまうような理由もわからないし、やめてほしい・・・そういった気持ちがあるのかなと思いました。そもそもどんな理由があろうと、子どもの前で、不当な扱いや攻撃的な言動を見せないでほしいとウ・サギは思います。
家庭内で大人間の喧嘩を見ているだけで、自分が攻撃されていなくても心に傷を受けるという話はされていますし、喧嘩までいかなくても同じように傷つくことがあると感じます。直接やめてほしいとは言えないかもしれないですが、辛いという話を言えそうな人がいたらなるべく相談してほしいとウ・サギは思いました。

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update 2025/9/2
Q.「本来のその人」って一体何?よくない性質だけ個性を切り離すなんてできるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「本来のその人」って一体何でしょうか?
よくない性質だけ個性とは切り離すなんて、都合のいいことが本当にできるのでしょうか。
所長たちが普段言っている、「よくない行動でも無理にやめさせず背景を分析すべき」という考えとも矛盾する気がします。

A.(補足)所長たちの質問回答配信第22回の質問1「精神疾患や発達障害の治療では、主に『考え方や行動の矯正』を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。」を見ての質問とのことです

質問と補足を読んでウ・サギが気づいたのは、質問者さんの言っている「認知行動療法」と、ウ・サギ(たち)のイメージしている「認知行動療法」には、何かしらの違いやズレが生じていそうだな、ということです。
これはウ・サギの印象なので間違っていたら申し訳ないですが、質問者さんの言っているもの(実際に経験したものでもあるのかなと想像しています)は医学モデルでの話で、ウ・サギは社会モデル・対話モデルでの運用をされるのは勝手に大前提とした上で話している気がします。
何がよくないものなのかを医療を提供する側が定義し、患者が努力や工夫をしてそれを変えていきましょう、というスタンスで行われるなら、どんな療法だろうとウ・サギは大反対です(残念なことに、実態としてはそういった場合があるのでしょうね……)。ただ、それは認知行動療法という技法の問題ではなく、医療というもの自体や支援者のあり方の問題だと捉えているので、認知行動療法を対象にしたネガティブな気持ちはあまりないです。何がよくないもの・変えたいものかを(そもそもそこに正解もないですが)対話の中で本人が決めて、本人と周囲と双方で歩み寄りや折り合いを探っていくために使う枠組みとして、認知行動を意識して考えてみるのは悪くないよね、と思っています。
ただ、合う人合わない人はいるかと思いますし、ウ・サギ自身が認知行動療法を受けるということだけで考えると、きっと合わないだろうと感じます。社会の常識といわれるものからの圧や合わなさでの傷つきが大きい場合や、もともと思考が発達している場合は、あまり合わず、腹立たしい思いさえする。社会の風潮というよりは特定の誰かとの関係での傷つきが大きい場合や、感覚や感情が優位で思考を伸ばした方が生きやすい場合は、わりと有効・・・?という印象はあります。これはあくまで主観バリバリの仮説ですが。

補足にあった「いつか生きづLABOでこのような問題を話しあえたら、社会の課題を一つ明らかにできそうだと思うのですが」という意見には賛成です!どうしたら安全な話し合いの場になるか、参加したい人たちが参加しやすいツールや運営方法は何か、ああ先に研究員制度を始めるための利用規約を整備しなくては(研究員にならなくても話し合う場はあっていいのですが、まずは前から言ってることをやらなくてはという筋)、そんなうちにやろうやろうと口だけのウ・サギになってしまう・・・と頭も心も忙しくなってきました。
当事者の違和感を出発点に対話を深めていくことは、社会の課題を明らかにしていくための超有効なアプローチだと思っています。

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update 2025/9/2