PAGE
TOP
Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか

A.居場所って家とか学校とか、物理的な空間や場所を指すわけではないのですよね。だから、家にも学校にも居場所がない場合ってわりとあることなのかなと思います。(残念ながらですが)
ただ、居場所がないとか、友達も信用できないと感じられる感性はとても大切だとカエルは思いました。
あなたの感性や気持ちがちゃんと働いて、警戒したり、疑ったり、迷ったり、こうして質問箱に送ったり…していることは支持をしたいです。
だから、カエルの気持ち的には「どうすればいいですか」という問いには「居場所がなくてもそのままでいいです」と答えたいのですが、肝心なのは居場所ですもんね。
所長室でよければ居場所にしてください!!

update 2025/1/9
Q.やっぱり馬鹿な子ほど可愛い?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.やっぱり馬鹿な子ほど可愛い?

A.「可愛い=大人から子どもへの庇護欲求が強く出る」と定義して回答すると、馬鹿な子ほど可愛いと感じるかは人それぞれかと思いますが、傾向としては、自己主張できて感情表現が素直な子ほど可愛がられやすい部分があるように感じます。
(これも人それぞれではありますが)大人は意外とにぶくて、日常に追われている生き物でもあるので、目に見えづらいもの、分かりづらいものは見逃したりちょっとスルーしてしまう場合があるかもしれません。

ウ・サギはひねくれている子ほど可愛い派閥ですが、それはそれとして、みんなが必要な分だけ可愛がられたりケアされてほしいと切実に思います。
可愛がられるためのアプローチとしては、にぶそうな(?)大人相手なら感情を強めに出したり手紙でしっかり気持ちを伝えるとか、他に自分を可愛がってくれるタイプの大人を探すか、相談に乗ることを専門としている大人(身近であればスクールカウンセラー、匿名ならSNS相談など)に話を聞いてもらうとか、そんな手があるかなとは思いました。
理想をいえば一点集中ではなく、色んな人に色んな距離感で可愛がってもらえると気持ちが安定しそうですが、そんな機会が少ない世の中だとも感じるので、困りますね……。

update 2025/1/9
Q.過去の嫌なトラウマのフラッシュバックがつらい、トラウマを消したいです
この記事の担当 やみーペン

Q.過去の嫌なトラウマのフラッシュバックがつらい、トラウマを消したいです

A.嫌な思いしたことやトラウマとの付き合い方って難しい。最初これがトラウマだ!って分かってない時は分かってない時で「なんなんだこれ??」ってなるし、トラウマだって分かってからは「またトラウマか!」ってなる。
トラウマを無くすことは難しいのかもしれないけれど、フラッシュバックとの付き合い方(どう現実に戻るか、どうサポートしてもらいたいか)くらいは決めれるようになりたいとやみーペンは思ってる。でも、自分が悪いわけじゃないのになんでこんなことに苦しまなきゃならないんだろうね……。

update 2025/1/9
Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?

A.何もダメなことはないと思います。今調べたのですが、憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と書いてあり、心の中で何を考え何を思うかが自由であることが保障されています。

そもそも何を思うかは、「思ってしまう」「感じてしまう」「考えてしまう」という自分の意思でコントロールしきれないものだと思うので、ダメだと言われても困っちゃう気がします。
とくに死にたいについては、何かしらのつらさや違和感や虚しさのもたらすものかと思うので、思う側ではなく、そう思わせてしまう社会(死にたい人の周りにあるストレス、理不尽な現実)に目を向けるべきだとウ・サギは考えます。

update 2025/1/6
Q.誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?

A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。

それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。

update 2025/1/6
Q.家にいるのも学校にいるのも嫌です。親から逃げてもいいんでしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.家にいるのも学校にいるもの嫌です。
必ず学校にいかなきゃだめですか、必ず家に居て親の監視下で暮らさなくてはいけないんでしょうか。私は親に愛されているという感覚もありません。親から逃げてもいいんでしょうか。

A.もちろん、学校に行かなきゃダメということはないし、親から逃げても構いません。子どもの権利条約では「子どもの最善の利益」という原則があり、子どもにとってもっともよいことは何か考えることが大切だとしています。
そして、実際に親と暮らしていない子どももたくさんいます。事情はそれぞれですが、それがイレギュラーだったり、特別なことではなく、いろいろな環境があることがもっと広がるといいなぁとカエルは常々思っています。
ただ、子どもの権利条約でも、子どもを育てる一義的な責任は親にあるとしていて、実際には親の力が強く、子どもの最善の利益に関しても、難しさに直面することもあります。親子と言えども、相性もありますし、お互いにつらい思いをしたり、我慢をして一緒に暮らす必要もないと思います。
まずは、子どもの気持ちや希望に耳を傾けて、一緒に考えて動く大人が増えたり、子どもだけが相談できて、必要なら支援をしてくれる独立した機関ができることをカエルは希望しています。

update 2025/1/6
Q.みんなはクリスマスなにしてた?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんなはクリスマスなにしてた?

A.所長たちみんなで過ごしていました。鹿肉ロースト、とりハム、ポテトグラタン、エビと帆立とブロッコリーのアヒージョ、ピーマンとちくわの炒め物、フルーツポンチ、フルーツタルトを手作りして食べました。美味しかったです。

update 2025/1/6
Q.「死にたくていい、そのままでいい」に所長(代理)さんも賛成しますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「死にたくていい、そのままでいい」なんて言葉をよく聞くのですが、所長(代理)さんもその言葉に賛成しますか?全く悪意はなく、寧ろ善意で言われているのに、違和感を持ってしまう自分が嫌いです。

A.その「死にたくていい、そのままでいい」は、「死にたいと思うことを否定しないし、言っても大丈夫だよ」といった意味合いで使われているのでしょうね(たぶん)。でもだとしたら、「死にたいと思うことを否定しないし、言っても大丈夫だよ」という言葉にしてほしいところです。

ウ・サギは死にたい気持ちを抱えており、かなりそれが深刻な時期もあったので、当時「そのままでいい」なんて言われたら「何も知らないくせに気楽なこと言いやがって」と内心ブチ切れてただろうと思います。
どんなに善意だろうと、むしろ善意であればあるほど、自分よりつらくないだろう人から想像力の足りない(と自分は感じてしまう)発言をされるのは、もやっとするものだとウ・サギは思います。

違和感は誰かと一緒に研究・解剖すると、自分への理解も周りへの理解も深めることにつながっていくとウ・サギは感じます。
また何か違和感があったら、いつでも質問をください。

update 2025/1/6
Q.「誰でも、生まれたときは喜ばれたはず」そんな世間での「フツウ」を言ってくる人が大嫌い。
この記事の担当 うさえなが

Q.「誰でも、生まれたときは喜ばれたはず」っていう人がいる。でも、子どもを愛せない人だっている。それを無視して、無条件にそういうこと、世間でいう「フツウ」を言ってくる人が大嫌い。

A.フツウってよくわかんないよね~
カエルはフツウより変な方が好きって言ってた!

*生きかたカエルから補足*
それは、無視をしているのではなく、無自覚なのです。そして、教養やわきまえのない人だとカエルは思います。残念ながら、人間は自分が見てきたこと、知っていることを基準に「フツウ」という言葉を使っていることが多いですね。
そのことに気づいて、「大嫌い」と感じられるあなたの理性と感性に拍手を送りたい気持ちです。

自分の知らないことは永遠にたくさんあって、知らない自分を謙虚に受け止めることがいろいろな人たちがお互いの権利を守る基本だとカエルは思っています。

update 2025/1/6
Q.制服でトランスジェンダー向けのズボンは増えてきたけど、スカートはなぜ少ないのか。悲しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、トランスジェンダー向けのスーツや制服などが増えてきたように感じます。ですが、ほとんどFTM向けのズボンです。スカートはなんで少ないんでしょうか。悲しいです。

A.自分の望む装いが叶わないのは(あなたはスカート希望なのかなと推測しています)、ほんとに悲しいですね…。
見た目も自分の大切な一部でアイデンティティなので、そこで自分らしさが叶わないのは、人格や心の一部を不当に奪われているに等しい気がします。(逆に、それが平気な人は、見た目があまりアイデンティティと結びついてないのかもしれません)
誰がスカートだろうとズボンだろうと誰に迷惑をかけるでもないはずですし、そもそも制服を着ない自由もあるべきだし、選択肢は多ければ多いほど社会は健全だと思うのですが、選択肢が少ない社会で残念です…。

スカートの制服を割り当てられた人がズボンを穿くよりも、ズボンを割り当てられた人がスカートを穿く方があまり進んでいないのは、なぜなのでしょうね…。
私服でシス女性でもズボンは一般的で、シス男性のスカートはまだ一般的とは随分距離があるので、何かしら感覚的な抵抗を感じる人が多いとかはあるのでしょうか。倫理的な問題がなくとも、「感覚的な」抵抗をもつ人が多いほど(感覚で誰かの自己表現を制限されても困るのですが)、選択肢を増やす足取りは重くなる気はします。

こうやって率直に、「なんで?」「悲しい」という発信をしてくれることは、みんなが考えるきっかけになるので、とても大切だと思います。

update 2024/12/29