Q.生きづラボの皆と一緒に働くにはどうしたらいい?どこの事務所とかで活動してるの??
A.いいですね。ぜひ、一緒に働きましょう。生きづLABOはそれぞれリモートワークなので、実はみんな一緒に仕事をしていないんだ。だから、こうして質問をくれるみんなも一緒に仕事をしている仲間だとカエルは思っていますよ。
カエルはいろいろな仕事を他にもしているけど、質問箱の任務は姿も見えないたくさんの仲間たちと一緒に社会について考えるすごい仕事だと思って、とても気に入っています。
Q.生きづラボの皆と一緒に働くにはどうしたらいい?どこの事務所とかで活動してるの??
A.いいですね。ぜひ、一緒に働きましょう。生きづLABOはそれぞれリモートワークなので、実はみんな一緒に仕事をしていないんだ。だから、こうして質問をくれるみんなも一緒に仕事をしている仲間だとカエルは思っていますよ。
カエルはいろいろな仕事を他にもしているけど、質問箱の任務は姿も見えないたくさんの仲間たちと一緒に社会について考えるすごい仕事だと思って、とても気に入っています。
Q.憲法で、未成年者はその親の決めた場所に住まなければいけないって書いてあったんだけど、なんで?なんで自分で決めちゃいけないの??
A.多分、憲法ではなく、子どもの権利条約ではないかとカエルは思いますね。
子どもの権利条約の第9条には親と引き離されない権利というのがあります。また、第5条には親の指導を尊重するという内容も書かれています。
5条だけを見ると、親の指導が効力を持つような印象がありますが(カエルもちょっと気になる)、それ以外の書いていることを見ると、第3条にあるように「子どもにとってもっともよいこと」を考えることが大切だと言っています。ユニセフのサイトはとても分かりやすいので、ぜひ、見てみてください。(知らないうちに、より見やすくなっていた)
カードで学ぼう!子どもの権利条約 | 日本ユニセフ協会
Q.働いてるけどひかれものばかりで生活が苦しい
生きるって大変すぎるしにたい
A.短い文章から、疲労や切迫感がありありと浮かんでくるように感じられて、どうしてこんな世界なのか・・・と悔しく、もどかしくなりました。
税金が高いことなどをこの質問で言っていると読み取ったのですが、税金は本来「みんなが互いに支え合い、共によりよい社会を作っていくため、この費用を広く公平に分かち合うことが必要」なものであるはずなのですよね…。(財務省のサイトから抜粋)
だとすると、今は本末転倒で、何かおかしいことが起こっていそうです。
しにたい=生きるのが大変すぎる、というのは一つの真理かもしれないと感じました。
これだけ「しにたい」と思う人が多いのは、生きるのが大変すぎる世の中になっている、という警鐘だと改めて思います。
Q.ちょっとADHDなのかな?って思う部分が自分にある。でも親は本気でそうは思ってないらしくて。多分、私は、自分が何かトクベツなものになりたいの。何かトクベツな枠に当てはまりたい、ただそれだけなのか、ほんとにADHDなのか、、、どっちだと思う?
A.自分が何者か(=アイデンティティ)というのは、生きる上で大切な、でもとても難しいテーマだとウ・サギは感じます。
あなたがADHDかどうかはウ・サギにはわかりませんが、トクベツなものになりたい気持ちは、周りに何かしら馴染めない、自分は周りとどこか違う気がする、という感覚から生まれたものだと想像しました。
だとしたらその感覚は信じていいと思いますし、ADHDに当てはまらなくても、何かそのトクベツに自分で名前をつけていいと思います。
ウ・サギは周りとどこか違うと感じてきた民ですが、自分はトクベツではなく、「すごく極端なだけの当たり前の存在」だと思っています。傷つくポイントは変わっているけど、きちんと傷つくし、求めている関わりの質はマニアックでも、誰かと関わりたい気持ちはある、といったニュアンスです。
Q.ちょっとオタクの話になってしまうんだけど。死ネタの、儚い感じが好きなんだよね。愛に溢れてて。自分でも小説を作ったりしてて。でもそういうのを周りに理解されなさそうで、自分は死ネタが好きって言うのが怖い。私の趣味ってなんとなく変?
A.ウ・サギはその界隈にあまり詳しくはないのですが、「死ネタ」という言葉がある時点で、そのジャンルは一定の支持を獲得しているのかなと思いました。
そもそも趣味は全部変だし、全部変じゃないとウ・サギは思っています。
ちなみにウ・サギは、某ねずみの夢の国に行く人々が、最も変な趣味の持ち主だと思っています。死ネタは、ウ・サギ的には全然変だと思いませんよ。
つまり、どんな趣味も変じゃないけど、どんな趣味も「変なの」と思う人がどこかにはいる、ということです。
変だと個人的には思っても、否定的に捉えるのでなく、どうしてそれが好きなの?どうして変だと思うの?と、お互いに話せる関係ならいいのですけどね…。そうじゃない場合は、理解されずにあなたが嫌な思いをする可能性があるので、言うのが怖いというのは自然なことかと思いました。
Q.事件の容疑者として逮捕された人を知る人の多くはこう言う。「想像できない」「なにがあったんだ」「なんで」。そりゃぁあんた方に見せてない一面もあるよ。人の一面を知っただけで相手の全てを知った気になるなよ。そう思った。
A.そうだ!そうだ!
でもなんか、話が難しかった~
*ウ・サから補足*
ごもっともな指摘だとウ・サギは思いました。
メディアでそういった声が報道されることがあるので、それを見てあなたが違和感を抱いたのかなと想像しています。
でも、あれは人の一面だけで相手を知った気になっているというよりは、何も考えずに野次馬根性で自分の思ったことをただ喋っちゃっている側面の方が強い気もします。
ちょっと冷静に考えてみれば、相手の全てを知っているわけないし、軽率に発言しない方がいいな、と思い当たる気もするのですが・・・今の世の中にはあまりに思考停止が蔓延っているのかもしれません(ウ・サギも気をつけないと)。そのあたりは思考停止でワイドショー的なメディアのあり方にも問題があると感じます。
Q.親が「〇〇しろ」「〇〇しなきゃいけない」ばっかりで嫌です。早くしろ、勉強しろ、、、私的にはもっとゆったりしたペースで生きたい。時間を有効的に使わなければならないのは分かってる。どうしたらいいのかな
A.えー、時間なんていっぱいあるのにね!
ゆったり、賛成!!
*ウ・サギから補足*
あなたがいいと思うペースで生きるのが、一番有効的に時間を使うことになるとウ・サギは思います。
自分の無理のあるペースで頑張ったり、「○○しなきゃ」で時間を使うと、目先のちょっとした成果(例えばテストの点とか)は出るかもしれませんが、そこで出る成果が人生の幸せには結びつくことは少ないと感じます。
ウ・サギは自分が生きることを、自分という乗り物を乗りこなすみたいに思っている部分があるのですが、あなたはあなたという乗り物に乗ってしか生きていけないので、自分のエンジンに合った走り方をするのが一番だと思っています。
Q.怒る。物に当たる。物に当たるなと怒られる。だから自分を傷つける。するとまた怒られる。怒りをコントロールしろと言われる。できないから困っているのに。だから影でまた自傷。怒られるの繰り返し。どうしたらいい??
A.なんか歌みたい!
一曲、つくる?一緒に!
*やみーペンから補足*
コントロール出来なくて困ってるはとっても分かる〜
やみーペン的には怒るくらいなら見ないふりしててほしいなぁと思ったり…
曲作るときは仲間に入れてほしいな〜 あるあるソング作ろう!
Q.昔から無意識に人を傷つけたり怒らせたりしちゃって、毎回時間が経ってからそれに気づく。謝っても中々許してもらえない。もう自分も人も傷つけたくなくて学校に行けない。クラスで浮いてる。自傷もしちゃう。死ぬしかないですか?
A.無意識に人を傷つけてしまうのは、自分の言動が自分の思い(傷つけたくない)通りにいかないといえるので、それは生きづらく、また自己嫌悪も抱いてしまうだろうと想像しました。
ただ、あなたは人を「傷つける」「怒らせる」と、自分に原因があるという見方で物事を捉えていると感じたのですが、ウ・サギはそれが「傷ついてしまう」「怒ってしまう」相手がいて起こるという側面にも目を向けたいと思います。
例えば、
Aさん:寝ちゃってテスト勉強しなかったせいで点数悪かった…
Bさん:じゃあ寝ないでやればよかったのでは?
という会話をすると、Bさんに悪気はなかったのにAさんを傷つけてしまっていることがあります。
その場合、実はこういった言われていない心の声があるかと思います。
Aさん:寝ちゃってテスト勉強しなかったせいで点数悪かった…(テスト勉強するべきなのはわかっていたけど、失敗しちゃった自分に後悔してる。慰められたり、共感されたりしたいな)
Bさん:じゃあ寝ないでやればよかったのでは?(失敗したくなかったんだな。じゃあ、そうしないための解決法を提案しよう)
ウ・サギは、AさんBさんどちらが悪いかというと、どちらも悪くないと思っています。
傷つけるの構造は、
・傷ついた側が、話の大切なポイントを、言わなくても相手に伝わるだろうと思い込んでしまい、言っていない
・傷つけた側は、自分が読み取れたものに対して、親切な対応をした
のスレ違いであることが多いとウ・サギは考えています。
今の社会は、言葉にされていない気持ちを汲み取ってもらえる前提になりがちなので、言葉になっていないものを受け取るのが苦手な人には、余計に難しくなっていると感じます。
大人同士でもこういったことはよく起こるので、人間関係の経験が浅い子ども同士なら尚更スレ違いが多く、スレ違いを解消することも当事者の力だけでは大変だろうと思います。
傷つけないコミュニケーションを目指すだけなら、コミュニケーションの「さしすせそ」は参考になるかもしれません。(興味があったら調べてみてください)
自分も相手もちゃんと理解して、自分らしいコミュニケーションを身につけていきたいなら、大人と関わる中で練習することをおすすめしたいです。
学校のクラスはコミュニケーションを学ぶ場としては、色々とハードすぎるとウ・サギは思います。
あなたが学校に向いていないのではなく、学校があなたに(多様な人に)向いた場所になれていないのです。
そこは大人として、ただただ申し訳なく思います。
Q.言わなくても分かってほしいと思ってしまう。テレパシーなんて無理なのに。
A.「言わなくても分かってほしい」というのはわりと多くの人たちが思っていることなのだろうと思います。ただ、「言わなくても分かってほしい」には
①「言わなくてもわかるだろう」という前提
②「いつも分かってもらえないから、言わなくてもわかってほしい」という願い
と2種類があるとカエルは分析しています。
①はいわゆる「普通」が多くの人たちと似ているマジョリティの前提で、②は他の人とは「違う」ことが当たり前で、理解されるのが難しかったり、誤解されるマイノリティの願いであると言えます。この二つは似ているけれど、意味が全然違います。
カエルはあなたが切実な②の願いを抱いていると理解しました。でも、世の中には①のような似ているけど全く別の前提があるため、あなたの言うような「言わなくても分かってほしい」という願いが届きにくく、テレパシーまでも願ってしまうことは無理もないことだとカエルは思います。
カエルは「言わなくても分かるだろう」どころか、「言ってもわかるかどうかわからない」ぐらい分かり合うのは難しいと感じているので、ひょっとしたらみんながテレパシーを使っているのかもしれないと思ったりします。
ちなみにカエル界は「ゲコゲコ」か「ゲロゲロ」か「ケロケロ」ぐらいのバリエーションで生きています。時々、そんな世界でひと休みするのもお勧めです。人間社会で疲れてしまった人たち向けにカエル界への慰安旅行でも企画しようかな。