PAGE
TOP

Q.自分を傷つけてきた属性の人を尊重するのは当事者としては難しいと想像するが、どう思う?

この記事の担当 ウ・サギ

Q.全員がそうだとは思いませんが、例えば女性に傷つけられた人が女性を尊重することや、障害者に傷つけられた人が障害者を尊重することは、どうしても当事者の気持ちとしては難しいと勝手ながら想像するのですが、そのことについてどう思いますか?
(編集注:質問の補足に「個人の思いやりに頼らず、負担が集中せず『みんな』に助けが行き届く仕組みが必要なのではないか。そうした仕組みが可能なのか、実現したらどうなるのかを知りたい」といった思いが書いてあったので、みんなに助けがいくという世界のあり方について考えてみました ※寄せられた視点を参考に、回答の趣旨が伝わりやすいように、編集注の表現を改めて整えました)

A.人は属性だけで決まる存在ではないですが、例えば男性恐怖症なんて言葉も一般に聞かれるように、自分を傷つけてきた人の属性そのものへ恐怖などの感情を抱く場合は確かにありますね。ただ、例えば女性が男性を尊重できないこと(社会集団として自分より優位にいるものへの感情)と、女性が子どもを尊重できないこと(社会集団としても個としても自分より弱い立場を対象にした感情)については分けて考えていく必要があるとウ・サギは思います。
ヘイトをしないのは大前提の上で、自分より優位な社会集団に属する者に対しての感情的な受け入れがたさについては、虐待をされた子どもが親の事情を汲んで我慢したり許す必要がないように(本人が許す許さないは自由ですが、許すことを求めるのは正義に反すると思います)、尊重しようと思うことも理解しようとすることも全然しなくていいとウ・サギは考えます。逆に、トータルで考えて自分が社会的に優位にいるとき、または優位性劣位性が交差していてどちらとも言えないときは、もし自分の傷つきが一定程度まで回復してきたのなら、異なる属性のものを理解し尊重しようとする姿勢がないと、世界は荒んでいく一方なのではないかと思ってしまいます。
ここまで書いて、尊重ってなんだ?とよくわからなくなってきたのですが、この質問で言われている尊重がもし心の部分での寄り添いや理解の姿勢を求めているのだとしたら、心には間違いなくキャパがあるので、全員から寄り添ってもらうのは不可能です。一部からの無理解や無関心、感情的な拒否もあることは、どうしようもないことだとウ・サギは感じています。
ただ、人格否定されたくないとか、属性で福祉から切り捨てられたくないとか、一人だけご飯を作ってもらえないとか挨拶されないみたいなことはイヤだという「人権の尊重」の話であれば、どんな人も守られるべきだし、守れるのではないかとウ・サギは思います。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな分野でも、重くても軽くても、質問OKだよ!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/9/14