Q.私は将来、自殺予防に関わる仕事をしたいと思っています。特に、生きづLABOの活動に興味があります。皆さんの仲間になるには、どうしたらいいですか?
A.我々の活動に興味をもってくれるとはありがたい限りです。
ぜひ、一緒に活動をやりましょう。
今、仲間を増やす方法を考え中です。ブログにも書きました。
(思わず、飛び跳ねながら回答をしています)
Q.私は将来、自殺予防に関わる仕事をしたいと思っています。特に、生きづLABOの活動に興味があります。皆さんの仲間になるには、どうしたらいいですか?
A.我々の活動に興味をもってくれるとはありがたい限りです。
ぜひ、一緒に活動をやりましょう。
今、仲間を増やす方法を考え中です。ブログにも書きました。
(思わず、飛び跳ねながら回答をしています)
こんにちは、生きかたカエルです。
久しぶりにブログを書きたくなりました。
というのも、所長室の質問箱にコンスタントに質問が寄せられ、地味に回答しているのですが(目下のところ、質問箱だけが生きづLABOの活動になりつつあります…苦笑)、回答しながら、いろいろと考えることがあり、「そうだ、ブログを書こう!」という気持ちになりました。
質問箱に来る質問は、カエル的にはとてもいい質問がやってきます。
何がいい質問かというと、「世の中についていいところを突いてくる」質問という意味です。
そして、比較的、若いというのか幼いというのか、小学生とか中学生ぐらいと思しき子どもたちからの質問も多い印象です。
我々所長たちは、生きづLABOを開設したときに、そうした年齢層と「生きづらさ」とか「死にたい」とかそういうことを一緒に考えられるサイトになることを意識したので、子どもたちが来ることはとてもうれしいことです。(もちろん、どんな年齢層も大歓迎ですが、既存のサイトで子ども向けのものが少ないのでは?という課題意識があったのでした)
ただ、質問からは子どもたちがとても苦しい思いをしていることも伝わってきて、それは悲しくもあり、歯がゆくもあり、理不尽でもあります。
しかし、子どもたちが素直な気持ちで「生きづらい!」とか「おかしい」とか「苦しい」など問いかけてくることには頼もしさがあり、「その違和感や苦しさはとてもまっとうだ」と思い、「無駄にはしたくない」と思う気持ちになります。
最近、「仲間になりたい」「居場所がほしい」という声もあり、生きづLABOを通じて仲間づくり(まずは所長たちと仲間になれたら…)や居場所づくりをしていけないかと野望を抱くカエルでした。
カエルとしては、家出についてこれまでも書いてきているのですが、子どもが自分の家庭(ホーム)の環境を選べたり、改良したり、何かしらの効力を持つ方法がないかとずっと考えています。
子どもはいつも大人(特に親)の都合で、どこで誰とどのように暮らすかという大切なことが決められてしまいます。ホームは子どもが生きる上でいろいろな意味で重要な要素を持つため、ホームが選べないことは、ずいぶんと権利を奪われてしまう状況といえるのです。
子ども時代に権利を奪われると、持っている力を伸ばす機会を失い、同時に自信も失ってしまいます。大人になって自分らしくそれなりの力を発揮しながら、社会の中で生きていくことがいろいろな意味で難しくなります。
それは、人の成長や発達の過程を考えると当たり前なことなので、いろいろな子どもたちがいる中で、それぞれに合った育つ環境を得ることができるよう、選択の幅を広げていくことが必要なのではないかと思うのです。
同じように、学校に行きたくないという質問がたくさん来ています。
学校についても、子どもにとってかなり大きな影響力のある存在であるのに、その特殊性(多様性や自主性がとても限られている、子どもの選択権が少ないなど)は相変わらずで、課題が多くあると思っています。
家庭と学校がもっと子どもたちのためのところになるように…という方向性もあるのですが、それはそれで限界があるので、家庭でも学校でもない居場所がもっと多様に増えていくという方法もありじゃないかと思っています。
だから仲間や居場所の作り方について、生きづLABOでみんなと一緒に考えてみたいです。
一緒に考えることができたら、そのプロセスが仲間づくりになったり、居場所になったりするとカエルは思うのでした。
だから、質問をくれている人たちはカエルの中ではみんな仲間だと勝手に思っています。
Q.両親がよく喧嘩をしていた。ひとりっこの私はほぼ毎日怒られてた。小学生高学年から中学生ぐらいの間そうだった。今はだいぶおさまったとは思う。でも苦しい。これって虐待っていうのかな。
A.カエル的な判断では、心理的虐待だと認定してもいいと思います。
そもそも、日本の「虐待」という表現はあまりよろしくなくて、海外では「マルトリートメント(不適切な養育)」という表現が使われることがあります。マルトリートメント概念で行くと、あなたが両親にされたことは間違いなく、マルトリートメントに認定されます。
また、カエルは虐待かどうかというより、あなたが「苦しい」のが重要なことだと思います。子どもの苦しい思いを、親に限らず大人が受け止めて、苦しさが少しでも軽くなるような手助けができる仕組みをつくっていく必要があると思っています。
今はだいぶおさまったと聞いて少し安心していますが、「前よりまし」という基準で大丈夫じゃないことも、「大丈夫」と思ってしまうこともあります。苦しいことは苦しいと思ってもいいし、言ってください(少なくとも質問箱では大歓迎です)。
Q.生きたくない。冬休みになって学校は休み。でも2週間もしたらまた始まるし、今も家にいるのがしんどい。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。
A.もうそろそろ、学校始まっちゃうころかな
相談できないのも気持ちはわかるし、こうなったら体力尽きてしまったら、ことが起こるかも?と思ってしまったカエルです。
本当なら体力が尽きる前に何とかできたらと思うのですが、カエルが出会った子どもたちも、相談したり助けを求めることができずに、とりあえず動けなくなったり、有事が起こってから、物事が動くことってわりとあります。
自分から相談するのは難しいけど、相談してもいいタイミングが向こうからやってくることもあるから、そのチャンスを逃さないのは大切だと思います。
それにしても、子どもが自分から安心して助けを求められる独立機関がなかなか整備されないし、そういうのが活用される準備も進まないのは歯がゆいカエルです。参考までに「子どもコミッショナー/オンブズパーソン」というものが具体例なので、参考になるサイトを紹介します。
子どもコミッショナー/オンブズパーソンについて|こども基本法プロジェクト
Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか
A.居場所って家とか学校とか、物理的な空間や場所を指すわけではないのですよね。だから、家にも学校にも居場所がない場合ってわりとあることなのかなと思います。(残念ながらですが)
ただ、居場所がないとか、友達も信用できないと感じられる感性はとても大切だとカエルは思いました。
あなたの感性や気持ちがちゃんと働いて、警戒したり、疑ったり、迷ったり、こうして質問箱に送ったり…していることは支持をしたいです。
だから、カエルの気持ち的には「どうすればいいですか」という問いには「居場所がなくてもそのままでいいです」と答えたいのですが、肝心なのは居場所ですもんね。
所長室でよければ居場所にしてください!!
Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。
それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。
Q.家にいるのも学校にいるもの嫌です。
必ず学校にいかなきゃだめですか、必ず家に居て親の監視下で暮らさなくてはいけないんでしょうか。私は親に愛されているという感覚もありません。親から逃げてもいいんでしょうか。
A.もちろん、学校に行かなきゃダメということはないし、親から逃げても構いません。子どもの権利条約では「子どもの最善の利益」という原則があり、子どもにとってもっともよいことは何か考えることが大切だとしています。
そして、実際に親と暮らしていない子どももたくさんいます。事情はそれぞれですが、それがイレギュラーだったり、特別なことではなく、いろいろな環境があることがもっと広がるといいなぁとカエルは常々思っています。
ただ、子どもの権利条約でも、子どもを育てる一義的な責任は親にあるとしていて、実際には親の力が強く、子どもの最善の利益に関しても、難しさに直面することもあります。親子と言えども、相性もありますし、お互いにつらい思いをしたり、我慢をして一緒に暮らす必要もないと思います。
まずは、子どもの気持ちや希望に耳を傾けて、一緒に考えて動く大人が増えたり、子どもだけが相談できて、必要なら支援をしてくれる独立した機関ができることをカエルは希望しています。
Q.今まで不登校だったけれど、全日制の大学へ行ってみたい!入学しても、ちゃんとやっていける気がしないから、色々なサポートのある大学を選びたいけど、選び方がわからない…。都市圏に住んでいるのでたくさんの大学がありますが、どう絞り込めばいいですか?
A.カエルも大学の選び方はよくわからないのですが、今は、少子化でどこの大学も割と手厚くサポートをしてくれるのがカエル調べの印象です。
カエルは高校に顔を出すことが多いのですが、高校を例にすると、お勉強ができる学校ではどうしても学業優先になるので、サポートにはあまり力を入れていないことが多く、偏差値があまり高くない、比較的サポートの必要な学生がいそうな学校の方が先生たちの理解があると感じています。
とはいっても、実際のサポートは行ってみてからの相性やめぐりあわせもありますので、事前のリサーチによる選択には限界があるのだろうと思います。
カエルの経験上、大学は中学や高校よりもとても自由なことが多いので、不登校経験者でものびのび学校に行ける場合もたくさんあると感じています。自分の直感や感性を頼りにして絞り込んでもいいと思いますよ。
Q.学校から帰るひとりの時間が怖いんです。悩みが頭をはなれなくて。もうなにもかもがぐちゃぐちゃで、身近な人には相談できる人がいない。匿名で電話で相談できるところもあるけど、電話をする場所がない。また生きる希望が見えないです。
A.悩みがあって、誰かに相談したいという気持ちがあるのに、相談をすることが難しいのは無理のないことだと思います。相談って簡単なことではないのです。ただ、こうして「相談したい」「誰かに話を聞いてもらいたい」「わかってほしい」と願う気持ちはとても大切だとカエルは思います。あなたには自分のつらさを理解し、誰かに助けを求めようとする気持ちが働いているのです。そのことだけでも、すでにリスペクトの座布団を3枚ぐらいあげたいです。
電話が難しければ最近はチャットとか文字を使った相談もありますが、どうでしょうか。どうしても、自分で外部につながることが難しそうなら、カエル全国ネットを使ってあなたの近くで悩みを聞いてくれる大人を探してみましょう。
Q.学校に行きたくないです。
幼い頃にいじめられたことがあってそれがトラウマで、家でも学校でも本心を表せません、
どうしても学校って行かなくてはいけないんでしょうか?
保健室登校を考えましたが、親が許してくれません。
どうすればいいですか?
A.学校はどうしても行かなければならないところではありません。あなたの気持ちや心の育ちがそれよりも大切です。学校に行くことがあなたの健やかな育ちを脅かすのであれば、無理をしていく必要はないというのがカエルの意見です。
あなたのようにいじめを受けたことにより、心の痛みが残っているのであれば、なおのこと無理をしなくてもいいよと伝えたいです。しかし、日本の場合、まだまだ「学校には行くべき」「嫌なことも我慢すると強くなる」という偏った考えも強く、子どもの願いや気持ちが尊重されないこともあります(とても残念なことですが)。
そもそも、人の個性はかなり幅広く、学校という場所はけっこう特殊な場所なので、合わない子どもも一定数いることも事実で、通いつづけている子どもであっても、ものすごく我慢をしている子どもたちもいるとカエルは思っています。
そのような背景がありますが、あなたの場合、親が難敵のようですね…
学校の先生で理解をしてくれる人はいるでしょうか。先生で味方になってくれる人がいそうなら、親の理解を促すための味方になってもらえるといいのですが。もしも、近くの大人ですぐに味方になってくれる大人が見当たらないのなら、こどもの人権110番という相談窓口があります。ほかにも子どものための相談窓口はいくつかあるので、自分に合う大人を見つけてみるのもいいかもしれません。