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Q&A > うさえなが回答のQ&A
Q.なんで「働く義務」って言われてるの?
この記事の担当 うさえなが

Q.なんで「働く義務」って言われてるの?だって、働きたくても働けないひともいるし、働きたくない人もいるじゃん。なのになんではたらかなきゃいけないの?好きなことして好きに囲まれて生きるのはできないの?(仕事が好きな場合は除く)

A.我は働きたくなーい
美味しいものに囲まれて生きたいな

*生きかたカエルから補足*
働くという意味によっても違ってきますが、生きていくために必要な物事を確保するためには一定程度「働く」必要はどうしても生じます。

食べる物を確保する、それを食べられるように調理したり、そして片付けたり、ゴミが出るとそのゴミも適当に放置するわけにもいかないので、ゴミを適切に処理する必要も出てきます。また、生活するために必要な水や電気、ガスなどを維持管理する仕事もありますし、それこそ子育てや介護もする人がいないと、困ります。病気になった時の病院も必要なので、お医者さん、看護師さん、その他の病院スタッフが働いてくれないと困ります。
移動するためのバスや電車、車を使うのなら車をつくる人もいるし、整備する人もいるしガソリンスタンドも要りますね。
私たちが一定の生活水準を保って暮らすためには、そのための仕事があり、それを分担するのが社会の最低限のルールだとカエルは思っています。

ただ、今の社会では生きていくための最低限の仕事の上に、個人の財産を増やすためにできてしまった膨大な仕事があると思っています。そこまでやる必要がないとか、あってもなくてもいいとか、生活というより、お金を増やすために作ってしまった仕事に暮らしが圧迫されている傾向はあるとカエルは思います。
結論としては人間は一人で生きていけないので、社会という共同体を構成し、支え合って生活を成立させているため、働くことは必要です。ただ、どれだけどのように働くのか、お金を稼ぐことだけが働くことではないなど、「働く」という意味を改めて整理したり、考えたりした上で、「働く義務」ということが言えるのではないかと思います。
生きるために働くを通り越し、意味を吟味しないでやみくもに「働く義務がある」と片付けるのはよくないです。あなたのように「なんで、はたらかなきゃいけないの?」と疑問に思って、考えることがとても大切だと思います。

update 2024/12/11
Q.生まれて10年かそこらで、その後の大まかに人生(仕事とか)を決めるの子供たちきつくない?
この記事の担当 うさえなが

Q.生まれて10年かそこらしか生きてないのに、その後の大まかに人生(仕事とか)を決めていく。途中で仕事とか変えてもいいんだろうけど、でも人生半分も生きてないのにそれで釈迦に出させるって子供たちなんかきつくない?

A.うん、うん、きつい!
仕事なんてしたくないよね~

*ウ・サギから補足*
話しぶりからすると、あなたは10代のうちに、その後の大まかに人生を決めていく必要があるように感じているのでしょうかね。
また、社会に出ることや、働くこともハードで失敗の許されないことのようにイメージしてると感じたのですが、「まあ学校や社会がそう脅してくるもんな…」と納得もしながら聞いています。
ウ・サギは学校を出てからも、10年間くらいは「社会で自分らしく生きるための試行錯誤の期間」と定義して、みんな転職しやすかったり、少ない稼ぎでも何か補助が出て生活できればいいのにと思ったりします。

update 2024/12/4
Q.学歴社会はなんで変わらないの?このLABOの人みたいに変えようとしている人もいるのに
この記事の担当 うさえなが

Q.「勉強だけが全てじゃないよ」っていうひとがいるけれど、今の社会って学歴社会じゃないですか。なんでですか?また、このLABOの人たちみたいに、そんな世界を変えようとしてる人がいるのに、なんで変わらないんですか?私は何ができますか?

A.んん~、なんでだろう?
我にはわからない~

*生きかたカエルから補足*
変わらないのは…
ずばり、このLABOが弱小だからです!
だから、こうやって参加してもらっていろんな意見を伝えたり、議論する機会が増えることが一番大切だと思います。
あなたも、ここだけじゃなく、いろいろなところで意見を伝えてもらえるといいかな思います。
ご質問、カエルとしてはとても励みになりました。ありがとうございます。

update 2024/12/4
Q.勉強は義務じゃなく権利なのに、なんで学歴重視の社会なの?
この記事の担当 うさえなが

Q.勉強するのは義務じゃなくて、権利。
なのになんで学歴重視の社会なんですか?
なぜ学校にいかないと白い目で見られるんですか。
なぜ学校以外の居場所が欠乏してるんですか。
前も似たような質問をしたかもしれないですけど、すみません。

A.うんうん。また、生きかたカエルとウ・サギが頷いてるよ!

*ウ・サギから補足*
まっとうな主張と怒りだとウ・サギは感じます。
ウ・サギの身近なニンゲンでも、学校に行かなかった人がいますが、世間からの目のプレッシャーは感じ続けていたと話していました。
学校に行かない選択ができて、たとえ学校以外の居場所に出会えたとしても(それができずに苦しみながら学校に通い続ける子もいるでしょうし…)、選択肢が乏しく、世間の目にも脅かされるのでは、子どもが安心して成長できる社会になれてるとは思えないところです。

ただ、学歴重視の社会については、実際のところ薄れてきているというのがウ・サギの実感です。新卒カードという限定したシチュエーションでは有利かもしれませんが、今はどこも人材不足が深刻なので、学歴云々を気にしてられなくなっていると感じます。
大人になってから通信の大学などに行って、就きたい職業のための勉強をしたり資格をとる手もあります。
ウ・サギはあなたのあなたらしさを応援します。

update 2024/11/27
Q.仲良くなりたいのに「○○さん」と呼ばれ距離が遠くなっている
この記事の担当 うさえなが

Q.友達だと思っていた相手に、「〇〇さん」と呼ばれ、他の人にもいわれて、距離が遠くなっています。自分は仲良くなりたいのに。

A.よくわからないけど、やっぱり、友達ってむずかしいね…!

*生きかたカエルから補足*
さんづけ=距離が遠いってことなのでしょうか。
それとも、「〇〇さん」以外にも距離を感じることがあるのですかね。カエルにはちょっと不思議な質問でした。
素直に「自分は仲良くなりたいのに、さんづけだと距離を感じるから、〇〇って呼んでほしいな」と伝えてみるのはどうでしょうかね。
意外と、意味なくさんをつけていたとか、周囲から「どんな親しい人でも『さん』をつけるのが礼儀だよ」と指導されているのかもしれません。
ちなみにカエルは、人間界では思ったことを言わずに察し合ったり苦しくなってしまう文化があると感じていて、何でももう少し素直に言葉にして伝えてみようキャンペーンをしたい気持ちになることがよくあります。
とはいっても、何でもストレートにずばずば言えばいいということではなく、私はこう思うよというアイメッセージで必要な情報を伝えるというイメージです。

update 2024/11/27
Q.学校も勉強も義務じゃなく権利なのに、なんで学校にいかないと変な目で見られるの?
この記事の担当 うさえなが

Q.学校に行くのは義務じゃない。
勉強するのは義務じゃない。
権利でしょ?
なのになんで学校にいかないと変な目で見られるの
なんで学歴社会なの。

A.うん、うん、その通りだ!
って生きかたカエルとウ・サギがめっちゃ頷いてる

*生きかたカエルから補足*
その通りです。
子どもには学ぶ権利があります。
子どもの権利条約の第28条には教育を受ける権利について書かれています。
また、29条の「教育の目的」には「教育は、子どもが自分のもっている能力を最大限のばし、人権や平和、環境を守ることなど学ぶためのものです」と書いています。だから、学校があなたの持っている能力を最大限のばすものでないとか、人権や平和、環境を守ることなどを学ぶところでないのなら、行かない選択をしても構わないとカエルは思います。
そして、行き過ぎた学歴社会についても、国連子どもの権利委員会は日本に対して、過度に競争的な システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するために措置を強化するように求めています。1994年に日本が子どもの権利条約を批准して以来、毎回のように「過度に競争的な学校システムの見直し」を勧告されていますが、なかなか改善がないのはどうしてかな?とカエルは思います。
そして、「子どもの意見の尊重」についても、強化を求められ続けています。子どもに関係することに子ども自身が意見を伝える機会があり、そこで力を発揮することが大切だと言われているのです。
だからあなたがこのような意見を持っていることをカエルは全面的に支持をしたいと思います。
そして、あなたの質問にお答えするとしたら
「日本が遅れているからです」ということになります。
と言っても、カエルも一応日本に所属している一員なので、他人事ではなく、一緒にこうした意見を伝えて、現状を変えるようともに発信していきましょう。

update 2024/11/18
Q.怒ったとき、自分を落ち着かせるために体を傷つけていたのを、最近やりたくなっている
この記事の担当 うさえなが

Q.怒ったとき、自分を落ち着かせるための方法としてトイレで腕を跡が残るくらいまで噛んだり、皮膚がちょっと剥がれるくらいまで爪立てたりして親にバレました。それ以降やってなかったんですけど、最近やりたくなってます。

A.よし、やろう!
え、そういうことじゃない……?

*ウ・サギから補足*
こんなに苦しい中生きているのだから、自分の体をちょっと傷つけるくらい、許してくれてもいいじゃないか…と、ウ・サギは「自分の体を傷つけるな」派閥の人たちに伝えたいです。
怒ってしまうのも、嬉しいのも、悲しいのも、感情というのは全て、何かとの関わりの中で(環境、触れるものによって)起こるものだとウ・サギは思います。だから、環境を調整する手伝いもしてくれないのに、こういうのはやるなとか、自分で頑張れみたいに言われるのはとっても不当だと感じます。
いつも少しずつ怒りが溜まるような日々を送っているのかなと文面の雰囲気からは感じているので、どこかで(できれば身近で)気持ちを安心して話せる機会があればと思うのですが…。ここに質問をすることは、あなたなりにアンガーマネジメントだとウ・サギは感じるので、その力があれば今後も少しずつ道を切り開いていけるようには感じています。

update 2024/11/18
Q.親との相性が合わなくて家を出たいけどそんな勇気も出せない。
この記事の担当 うさえなが

Q.親に逆らったり、なにかを告白したりすると、だいたい怒られる。そんな環境で生きてきて、今、親との相性が合わなくて家を出たいけどそんな勇気も出せない。怖いです。

A.「元気がないと、勇気も出ない」って誰かが言ってた
家を出るのは生きかたカエルが詳しいよ!

*生きかたカエルから補足*
そんな環境で生きてきてもなお、「家を出たい」「親との相性が合わない」と言い切れるというのは力がある証拠だとカエルは思いました。
勇気は必ずしも家を出るために使うだけではなく、あなたはすでに今の環境で生きていることで勇気を使っているのです。だから、勇気が足りなくなって、家を出る行動に出られないとか、怖い気持ちがあっても当然です。
勇気をチャージする方法を考えたいですね。
親の文句でも、どんな告白でも否定せずに聞いてくれる相手はいないでしょうか。自分の気持ちを聞いてもらう経験、自分らしい表現ができる時間と空間が勇気をチャージしてくれるでしょう。
どこにもなさそうなら、また質問箱に連絡をください。

(ウ・サギ補足:すでに読んでいるかもしれませんが、生きづLABOでは家を出るのに役立つ記事を書いているので、紹介しておきます→困りごと知恵袋「Q.家に居場所がありません」)

update 2024/11/18
Q.コソコソ話してるのを見ると、私の噂かなと不安になる
この記事の担当 うさえなが

Q.私のいないところで笑い声が聞こえると、あぁ、私はいなくてもいい存在なのかな、私がいないほうが楽しそうだなって思ってしまう。
コソコソ話してるのを見ると、私の噂かな、嫌われてるのではないかと不安で怖くてドキドキして、つい聞き耳を立ててしまう

A.それは疲れちゃいそう…!
いいことしか聞こえない耳があったらいいのに…
はっ 我の耳はそうかも

*ウ・サギから補足*
「必要とされないのは怖い」「嫌われるのが怖い」とささやく何者かに取り憑かれてる人間が結構いるみたいだ…とウ・サギは感じています。
いなくてもいい存在でも、嫌われても、私は私で別にいいじゃないか、と思えたら最強な気はするのですが、、人間がここまで他人の存在に振り回されてしまうのは、どうしてなのでしょうね。
人と関わるのは怖いしつかれるので、ウ・サギは漫画やゲームに閉じこもっていたいです。

update 2024/11/18
Q.勉強させるのは親の義務で、わたしたちが勉強する義務ってないですよね。
この記事の担当 うさえなが

Q.なんで親は「勉強しろ」って馬鹿の一つ覚えみたいにたくさん怒ってくるんですか?
勉強させなきゃいけないのは親の義務で、でもわたしたちが勉強する義務ってないですよね。権利ですよね。これって屁理屈ですか?

A.むむむ・・・むずかしいお話はわからない
でも、たくさん怒ってくるのは、いやだなあ
そんな怒っても意味ないのにね!

*生きかたカエルから補足*
至極真っ当なお怒りモードの質問、カエルは頼もしさを覚えます。
しかも、感情的な親を観察し、「馬鹿の一つ覚えみたいにたくさん怒ってくる」と表現できるあたり、あなたの力と感性を感じます。

もう少し、カエルの意見をお伝えすると、子どもに勉強をさせなきゃいけない義務は親にはありません。親(大人)には、子どもに対して、学ぶ権利を保障する義務があるのです。そして、子どもは学ぶ権利があります。

そして、「学ぶ」=学校の勉強ではありません。
学校の勉強も学びの一つではありますが、それ以外にも大事な学びはたくさんあります。あなたが学校の勉強に魅力を感じず、もっと学びたいこと、やりたいことがあり、それをやろうとしているのに「勉強しろ」と一方的に怒ってくるのくるのは子どもの学ぶ権利を侵害していることになります。

学ぶ権利を阻害する大人の振る舞いはアウトです。でも、それ以前に子どもに学びを保障することがどういうことなのか、大人の理解がないことが、無自覚に学ぶ権利を侵害していることの原因のようにカエルは思っています。

学校の勉強がこういう疑問を自由に出し合い、「権利」についてもっともっと学ぶ機会であるのなら、カエルも「もっと勉強すべし」と進言したい気持ちになりますが、怒ったり、一方的に押し付けることはアウトだとカエルは思っています。

それから、屁理屈についてですが、子どもは屁理屈を堂々と言う権利があるとカエルは思っています。
社会のことがあまり分からないので、何が理屈か屁理屈なのか分からないのが当たり前だからです。それを大人がまともに受け止めて、議論をすることが大切だと思います。よく大人が子どもの意見に「それは屁理屈だ」と言うことがありますが、意外と大人側に正当な理屈がなくて、理論的に説明するのが無理な際に封じ込め作戦として使う方が多いです(カエル調べ)。
かくいうカエルもオタマジャクシの時にはしばしば意見を伝えては「お前はいつも屁理屈を言う」と封じ込まれていました。その時は気づかず、私は屁理屈な人間なのかなと思ったときもありましたが、今なら正当な意見や疑問を抱いていただけだと思えます。

update 2024/11/17