PAGE
TOP
カテゴリー
Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.前までの苦しみが薬を飲んだら無くなった。良いことなんだろうけど忘れたらどうしようと思う。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.前までは夜、その日にあった事や過去や未来の事を考えて泣いて苦しんでたんですけど、薬を飲んだらそういう事も無くなりました。良いことだとは思うけどこの苦しい思いをしたことを忘れたらどうしようと思っています。どう考えたらいいですか?

A.ウ・サギはそういった経験があまりないので(今は気が紛れているときも多いですが、しつこく過去のことをあれこれ考えて苦しんでいます)、なるほど・・・と思いながら想像を巡らせています。
ただ、たとえ忘れたり今は苦しさを感じなくても、苦しい思いが「無かったことはならない」とウ・サギは感じています。食べたものを忘れても、体は食べたもので構成されているように、記憶やエピソードを忘れて、感情を鮮烈に感じることもなくても、経験や思いはどこかに積もり続けて私たちを形作っていると思うのです。
苦しい思いを感じるべきとき(感じる余裕があるとき、かもしれません)になったら、自然と思い出すような気もしますし、小説を読んだり映画を見たりする中で、ふと自分の感情や記憶が湧き上がってくることもあるかもしれません。だから、今はそういうのを感じる機能を鈍らせている「時期」なだけで、本当に自分の中から何かが失われるわけではないようにウ・サギは思いました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/7
Q.虐待とか苦しい人達がいっぱい居て、私は傍から見れば幸せな環境なんだと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんだか、辛い苦しいって言ってる人の話を(ネットとかで)聞くと、虐待とかいじめとか環境が酷いとか、教育虐待とか、なんだか本当に苦しい人達がいっぱい居て。私ってやっぱり恵まれた環境にいる、傍から見ればとっても幸せな環境なんだなあって思います。

A.誰かから見たら幸せな環境でも、自分にとっての辛さを決める(というか感じる)のは自分だけなので、自分が辛い環境ならそれは辛い環境だとウ・サギは思います。でも、比較してそう感じてしまう気持ちもわかるし、じゃあどうして比較をしてしまうのだろうか…と今考えてみているところです。ウ・サギ自身も比較して、自分が弱っている場合じゃない、辛いなんて言うのも失礼だ、と思っていた時期は結構長かったので・・・辛さを比較するような風潮が社会で流行しているのかもしれません。
ただ、ウ・サギは虐待を受けた方にそういった申し訳なさを実際に伝えたことが何度かあるのですが、「いや、あなたも全然つらいでしょ」みたいにスッと受け止めてもらいました。比較して自分が恵まれている環境にいる側面があるとき、その自覚がなく発信してしまうと、過酷な環境の人が傷つくことは確かにあるのかもしれません。でも、基本的には私たちはお互いのつらさに寄り添い合える存在で、そうやって双方が回復していくのだとウ・サギは思います。だから自分が相手のつらさを尊重していれば、相手も自分のつらさを尊重してくれて、そこで比較は生じない、というのか・・・。ちょっとうまく説明できていなかったらすみません。
自分の苦しさに対処するという視点で言うなら、他の人の辛さを知ったり考えることで自分が辛くなってしまうなら、他の人の辛い話はなるべく見ないようにするのがウ・サギとしてはおすすめです(実際にこの対処をしたことがあるのですが、わりと効果がありました)。辛い自分をさらに辛くさせることで、自分にいいことはないし、他の辛い人が救われることにつながるわけでもないし、私にとって私の人生は辛いんです!と自分の中では思いっきり認めて肯定していいとウ・サギは思います。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/7
Q.何をするにも面倒でやる気が出ない。どうしたらこんな自分と向き合える?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何をするにも面倒で、やる気が出ない、、、。夏休みでずっと家にいるのもしんどいし、かと言って外に出る気力もあんまりない。どうしたらこんな自分と向き合えますか?

A.こんな自分と向き合うというのは、良くないコンディションになっていることと、それをわかっていつつもうまく動き出せない状態から、生活を立て直したい、みたいな意味でしょうか(一応そんなイメージで回答しますね)。自分の状態を理解して、こうやって言葉にして質問してくれている時点で向き合っていると感じたので、「どうしたら向き合えますか?」に素直に答えると「もう向き合っていると思います」という言葉が浮かぶウ・サギです。
エネルギーが削られる要素が多く、回復する要素が少ない(だろう)中で、何かをするのは本当に難しいですよね……。少しでも負担を減らすという方向で考えてみると、やる気を出そうとするのを一度諦めて、無気力をとことん突き詰めてみるという案は浮かびました。ウ・サギは気分がなんとなく沈んでいてやる気が出ないときは、何もせず寝たいときに寝て、動画をだらだら見て、堕落した休日を過ごすことに振り切るのを結構やります。そうすると、堕落にも飽きてくるというか、休んでいることにも疲れてくるというのか、案外浮上することができたりします。
ただ、それはあくまで心が多少は健康なときや環境が悪くないときの話で、もっと弱っている場合は、誰かの力を借りることが必要かもしれません。やる気が出ないのは、これまでの我慢の反動みたいなものだとウ・サギは思っています(だから「やる気が出ない」という表現よりは、「充電が切れている」という表現の方が適切かも?と今ちょっと思いました)。我慢してきた疲れから回復する方法として、一番早いのは、一度我慢を放り出して自分の気持ちを誰かに言うこと=相談することだとは思います。今は向き合うのが難しいと判断したら、相談に限らず、何か少しでも自分が我慢しなくていい機会をつくることはおすすめしたいです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/7
Q.かつて自分をいじめてきた人に雰囲気が似ている人に警戒心が働いてしまった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.路面電車に乗ったら、運転士の雰囲気がかつて自分をいじめてきた小学校の同級生に似ていた。その運転士は同級生とは別人なのに、警戒心が働いてしまってつらかった。なんで何年も経っているのに過去に苦しまなくてはいけないんだ。運転士さん、ごめんなさい!

A.過去に引っ張られて、過去関係ない相手に警戒心や、時には嫌悪や怒りなどを感じてしまうことはウ・サギもあります。なんなら、つらかった記憶ではなく、キライだったあいつに似てる!というくらいで警戒心が発動することもあります。もちろん態度には出さないように気をつけますし、徐々に知っていくと過去とその人を切り離すこともできてきますが、第一印象が過去からの影響を受けること自体は、たぶん自然なことだろうと思っています。
危険に備えるのは生物に備わっている機能なので、攻撃を受けた記憶は強くインプットされやすく、似ている状況(刺激)があったら思い出しやすいようにできているという話も聞いたことがあります。
その相手には、確かにごめんなさい!という感じではありますよね…。でも、もう少し考えてみると、悪いのは自分ではなく、自分を当時つらい状況から守ってくれなかったこの世界では?とも感じます。
結論としては、誰にでも起こりうることで、自分が悪いわけでもないからこそ、その人に関係ないことで心が動いていることを自覚していればOKだとウ・サギは思います。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/5
Q.研究員制度に登録するときは配信のチャットの名前と同じ方がいい?
この記事の担当 所長室

Q.研究員制度に登録したいと考えています。質問回答配信のチャットでコメントも何回かしているのですが、研究員ネームはチャットにコメントしている時の名前と同じにしたほうが良いですよね?

A.質問とお気遣いありがとうございます。結論から言うと、違う名前でも全然大丈夫です!自分の好きな名前、使いたい名前をぜひ優先してください。
研究員になる前の参加履歴は、こちらとしてはとくに重視せず、参加する人が伝えたいなら教えてもらえたらと思っています。その際には、「この名前を使っていた」とか「この質問をしました」と具体的にわかるとありがたいですが、名前が違うことで混乱したり困ったりはないので大丈夫です。
また、研究員限定のコンテンツに参加するときは、登録した名前を使ってほしいですが、誰でも参加できるコンテンツ(質問回答配信など)では別の名前を使うのもOK、研究員の誰であることを運営に伝えなくてもOKで考えています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/5
Q.疲れてる時ほどジャンクフードを食べたくなるのはどうしてでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.疲れてる時ほどジャンクフードを食べたくなるのはどうしてでしょうか。
テスト期間に入ってから、もともと得意ではない自炊が面倒になってしまい、学食を含む外食が続いています。今日の夜ご飯はカップラーメンのビックサイズを食べてしまいました。

A.それはずばり、ジャンクフードのような油脂や砂糖の多い食品が、快をもたらす効果があるからだと思います。
ヒト(生物)は生き延びるために、高カロリーのものを優先して食べたくなるようにプログラムされている=高カロリーのものを食べると快が出るようになっています。心に余裕があれば、もう少し穏やかな快を日々得られるのでしょうが、ストレスがかかると、手軽にドバっと快を得るのに走るのだと思われます。

また、自炊は工程の多い作業ですし、よほど好きか向いてない限り、余裕がなくなるとやるのは困難になるとも感じます。ウ・サギも仕事が忙しくなると外食が多くなりますが、稼ぎが多くなった分と同じくらい出費が増えるので、何のために働いているのかよくわからなくなります(苦笑)
補足に食費がかかって親に申し訳ないと書かれていましたが、最初は何事もうまくいかないものですし、成長はうまくいかない経験を積み重ねる中でしか起こらないとも感じています。だからそこまでネガティブに捉えず(もし家が経済的にピンチなら急いで策を考えたいところではありますが)、一つのよい経験として捉えていいようにウ・サギは思いました。

ウ・サギが思い浮かぶ対処法も書いておくと、ストレスがかかる時期の散財はある程度はもう仕方ないと割り切って、余裕があるときになるべく節約したり、自炊が面倒になったときの準備をしておくのがいいのかな?と感じます。ウ・サギは、冷凍庫に主食(パン、ホットケーキ、ごはん、そして冷蔵庫にはバターや卵)をストック、油脂の多いおかずも冷凍庫にストック(お好み焼き、カレー、ハンバーグ、餃子あたりがウ・サギの定番です)するようにしています。冷凍食品があまり苦にならないなら、チャーハンやこってり系のパスタなんかもわりとおすすめです。あとはインスタントラーメンなんかも快が出てコスパは悪くない気がします。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/5
Q.AIは便利だけど、人間のやりたくてもやれないことが取られそうで受け入れられない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近動画やイラストに多用されているAI、人々の負担を減らすことが出来るとても便利なものだとは理解しているんだけれど、その分人間のやりたくてもやれないことが取られてしまいそうで、どうしても受け入れられない。新しい世の中に順応出来ないのが辛い

A.AIは、本当に急激に進歩してますよね…。ウ・サギとしても、これをどう受け止たらいいのか、どうしたらうまい活用になるのか、まだ戸惑っているところです。良い点も多くあると思いますが、「便利だね!」というだけで受け入れていくと、何か良くないこともありそう…?とは感じています。
具体的には、人間のクリエイティビティの価値はどうなるのかという点と、AIができる作業だとしても作業をしたい人間はいるのではないかという点(結果だけが見られ、プロセスの価値がおざなりにされて、人間らしい生活が失われていくのではないか)が気になります。だから、質問者さんの受け入れられなさには、共感できるものを勝手ながら感じました。
逆に、ウ・サギがAIの発展で明確に希望を感じているのは、IQが高い=優れた人間とでもいうような能力主義は廃れるのではないか?という点です。記憶する能力、集められた情報を処理する能力はAIに叶わないので、そういったものを身につけるためにあまり時間を割かずに、人間らしい(という表現はちょっと微妙かもですが、どんな人も自分らしく生きていく)生活には何が必要なのかをみんなで考えていくことに時間を使っていきたいです。
例えば、最高効率で経済を回していく方法や、地球環境を守るための最適な方法は、人間の誰よりもAIが正確に導き出せるでしょう。でも、どんな人も自分らしく生きていけるというのがどういうことなのか、どうしていけばいいのかは、人間の対話の集積でしか導き出せないし、対話によって更新し続けるものだと思っています。もしAIの答えが正解だろうと、その対話のプロセスに参加していくことができないなら、それを人間は正解だと感じられないとも思います。
だから質問者さんは「順応できない」ではなく、まさにAI時代に人間がやるべき大切なことをやっているようにウ・サギは感じました。自分の感性や感情を発揮し、問いかけ、対話することを、ウ・サギはこれからも重視していきたいです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/5
Q.自分は人を傷つける最低な人間です。とにかく自分が嫌いです。生きるのがつらいです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は人を傷つける最低な人間です。とにかく自分が嫌いです。生きるのがつらいです。でも死ぬのは怖いので嫌です。どうすればいいですか。

A.まず、丁寧な補足をありがとうございます。人を傷つけてしまう自分のことを責める気持ちと、そう思う根拠が並んでいましたが、一番傷ついているのはあなた自身であるようにウ・サギは感じました。
補足の内容から、家族が自分のためにコストを割いてくれているのに、それに報いることができていない、という部分で自分を責めているとウ・サギは理解しました。

ちょっと話がズレてしまうかもしれませんが、「誰かのために」行動するという考えにウ・サギはずっと疑問をもっていて、実は全部が自分のための行動でしかないと思っています。例えば、誰かを心配で手をさしのべるのは、「心配だ」という自分の気持ちに耐えられないからとか、「幸せになってほしい」という願いがあるからとかかもしれないし、生きづLABOが誰も見捨てられることのない生きやすい社会を作りたいのは、誰かを見捨てるような社会で生きていきたくないからです(だって、いつ自分が見捨てられる側になるかわからない世界じゃ怖くて、安心して生きられないです……)。そのあたりをもう少し正確に言葉にすると、ウ・サギのいう「自分のため」というのは、「自分一人のため」ではなく「自分たちのため」という意味合いがあります。
だからつまり、何が言いたいかというと・・・自分のためにしてくれた(だろう)ことに応えられないことで、自分を責める必要はないのではないか?ということです。そして、親切にする側の人も、それは突き詰めると自分のためにしているのではないか?という視点で自分に向き合ってみてほしいと思っています。相手のために何かをしてあげようとすると、質問者さんがこうやって自分を責めているように、弱い立場の人をより追い詰めてしまう危険があるからです。

補足のケースでいえば、あなたの気分が変わったのなら、親と妹はあなたの意向を尊重して、自分の気持ちも大切にして、その結果あなたは家に残して自分たちは出かける、という選択をすればいいようにウ・サギは感じたのですが、どうなのでしょうか…(的外れな意見を言っていたらごめんなさい)。
子どもが大人に嘘をつくのも、それは「嘘をつかせてしまう」大人側の問題(嘘をつかないと認めてもらえない、自分の身が危険かもしれないなどと感じるほどに、子どもにプレッシャーをかけてしまっているという問題)だとウ・サギは思っています。

でもきっと、理屈で解決する次元ではない「自分が嫌いだ」という感情が、あなたの中に強くあるのだろうとも受け取っています。そして、変な言い方ですが、自分はいつも自分のそばにいるので、嫌いで仕方ない相手とずっと離れられないのはとてもしんどいことだと思います。だからウ・サギは、誰よりもあなた自身が、一番傷ついてダメージを受けているように感じました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/3
Q.死にたいけど死ぬ勇気もない。私なんている意味がないんです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいけど死ぬ勇気もない。
私なんている意味がないんです。
どうしたらいいか分かりません。

A.真剣に思い詰めている気持ちを感じました。
いる意味がなくても生きていていいとウ・サギは思いますが、周りの人に必要とされていない感覚や、迷惑をかけているような感覚があるのでしょうかね…。それに苦しむのに疲れ果てて、でも、死にたいを行動に移せるとも感じられない・・・じゃあ何かを変えられたらと思うけど、そのイメージも元気もない、そういった状態を想像しました。(想像がズレていたらすみません)
その行き場のなさや苦しさを、一人でずっと抱え込むと余計につらいと思うので、またよかったら質問をください、とは伝えたくなりました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/3
Q.セクマイなのでアプリで付き合おうとしても身体の関係に持ち込まれて自己嫌悪。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつまで経っても愛し方と愛され方がわからないまま、セクマイなのでアプリで付き合おうとしても、望んでいるわけではないのに身体の関係に持ち込まれてその度に自己嫌悪。
どうすれば健全な感情の関係を築ける?

A.愛し方や愛され方以前の問題として、望んでいるわけではないのに断り切れない、というところに社会の闇と人間関係の難しさをウ・サギはとても感じます。
それは個人のせいではなく、とくに親子間や恋人関係において境界が曖昧になりやすい文化、自分の気持ちを理解し発信していくのを学ぶ機会の圧倒的な不足(残念ながら学校教育は逆のことを身につけさせてしまう場合が多いと感じます)など、社会の方に問題があるとウ・サギは思っています。

補足の内容から、育った環境の中で(相手に悪意がないとしても)心の繊細な部分を踏みにじられてしまった経験が少なくないと感じたので、そのあたりが愛を求める気持ちと愛がわからない混乱のようなものを大きくさせているのかな・・・とも想像しました。ウ・サギは恋はこれまで満たされなかったものを何かで埋めようとする側面があると感じてしまって、恋愛は愛よりも支配に傾いてしまいがちな、危うい関係性だとも感じています。
健全な感情の関係を築くのは、本当に全然簡単なことじゃないと我が身を振り返っても思うので、どうすればいいか?への答えの自信はないですが、自分の感情を知ることが大切だとは思っています。寂しさはどこからくるのか、恋愛に何を求めているのか、断れないのはどういうメカニズムで起こっているのか・・・。それは人間関係の中でしか見えてこない部分はあるので、これまでの経験も学びだとは感じました。

また、身体の関係にすぐ持ち込まれないようなセクマイのお付き合いを求めるなら、クワセクシュアル、デミセクシュアル、グレーセクシュアルなど、「恋愛=性的な関係をもつ」という価値観を無条件ではもたない人との出会いを探してみるのもありなのかな・・・?とは思いました。出会い方についても、マッチングアプリよりは、どんな恋愛関係を求めるかの自己紹介(にじいろ学校というNPO法人で発行しているテンプレートがよく使われています)が書いてある人とSNSで関わってみるあたりから始めてみるのもいいかもしれません。SNSはSNSで危険もありますが、フォロワーとの関わりなどを含めて、相手のことを知る材料はマッチングアプリよりは多そうです。
恋愛メインの結びつきよりも、生きづらさの部分や周りに感じるもやもやを共有するような結びつきの方が(そこから恋愛に発展していくのも全然あると思いますし)、寂しさはあまり埋まらないかもしれませんが、ウ・サギ的にはおすすめです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/27