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Q.高校生になったら一人で水族館に行きたい。やみーペンさんはここに行きたいという場所はある?
この記事の担当 やみーペン

Q.水族館が好きだから、高校生になったら一人で水族館に行きたい(`・∀・´) ゆっくりすごしたい。やみーペンさんは、ここに行きたいという場所はありますか?

A.やみーペンも水族館好き!!最近行けてないなぁ…悲しみ。
行きたい場所は好きなだけ漫画読めて、ゴロゴロできて美味しいジェラートが食べれるところ!やみーペンの理想の場所、徒歩圏内に無いかなぁ??

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update 2026/1/19
Q.精神科の薬が死ねますようにと願って飲むとよく効くが、楽になれますようにと願うと全然効かない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科のお薬なんですけど、
死ねますようにって願って飲むとよく効くのに、
もっと楽になれますようにって願うと全く効きません。
これは私は死んだ方がいいってことですよね。

A.同じく適量を飲んでも、願い方によって効き目が変わるという話ですね。「私が死んだ方がいいってことですよね」には率直に「どういう理論でそうなるのだう…?」とウ・サギは思ってしまいましたが、追い詰められた気持ちでいることはよく伝わってきました。
「もっと楽になれますように」はどこか自己一致しない願いなので心に負担がかかり、「死ねますように」は自分らしい無理のない願いなので心がリラックスするのだと考えると、薬の効き目も変わってくるのもあり得る話だとウ・サギは思います。ただ、死ねますようにという願いが自分をリラックスさせてくれることと、死という状態を質問者さんが求めているかは別の話だとウ・サギは考えます。死にたいというのはどこまでいっても感情の話で、感情にぴったりくるイメージであり表現であるだけで、現実として死を求めているのとは少し違うと思っています。死にたいに限らず、どんな願いも思いも一言で表しきれることのない複雑に絡まり合った感情で、実は叶える手段も複数あるからこそ、願いをそのまま最短距離で行動に移すことは滅多に起こらないのではないでしょうか。
一方で、「死にたい」「死ねますように」などの一言でしか伝えられない気持ち、自己一致して表現できない気持ちもあると思っています。

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update 2026/1/19
Q.望まず生まれてつらい思いをしてるって嫌だけどそう考えれるのは自分が存在しているからで…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が望んでいないのに生まれてきて、つらい気持ちをたくさんしているってなんか嫌だなって思った。でも、そう考えれるのは自分が存在しているからだよなとか考えたりぐるぐるしてる。何を目標として生きればいいのか知りたいです。

A.なるほど…哲学的ですね。でも哲学というにはあまりに切実で、生きているしんどさから生じてきた問いであるとも感じています。
自分で望んでいないのに生まれてきて、というのはウ・サギも時々思います。生まれるというのは大きいことなのに、誰一人自分で望んで生まれてきていない、そこに選択権がない、というのはびっくりなことにも感じます。でも、生きる上で選べないことはそもそもたくさんあって(人間以外にも自分以外にもなれないし、生まれる時代も場所も選べないし…)、本来選べるはずの範囲のこと(どこで誰と住むのか、学校に行くか行かないか、何で生活を賄っていくのか…)が選べないから、「生まれる・生まれない」など選びようもないことを考えてしまうのかもしれません。
何を目標として生きるのかは、目標なんて無く生きるくらいがちょうどいいとウ・サギは思っています。目標をもち、努力をして、生きがいを感じ、自分のキャリアを築いていく・・・そういったものが、今の人生像の主流になっているのではないかとウ・サギは感じているのですが、生きるというのは本来違うものだとウ・サギは思っています。私たちは関係性の中で生きています。誰かが食べ物を作ってくれて、家を建ててくれて、娯楽を創造していて・・・自分だけでできないことはたくさんあるし、何もできない赤ちゃんから誰しも人生は始まり、年を取れば身の回りのことのサポートを必要とする場合もあります。傷つき孤立したり、疲弊すれば、何もできなくなることだって誰しも起こり得ます。そういった弱さや不完全さを抱えたもの(すべての人)同士が、誰かを過度に犠牲にすることなく助け合える社会をウ・サギは望んでいるのですが、そのために目標があるとしたら「誰も切り捨てない世の中であるために必要とされることをやる」という、自分中心でなく、関係性を中心とするものになるのではないかと考えています。
そして、ウ・サギは、今の社会について一度立ち止まって一緒に考える仲間を必要としています。今の社会で何が問題なのかは、切り捨てられてしまっている存在が最も知っているので、教えてもらうことも欠かせません。生きづLABOにアクセスがあるだけでも、今の社会について考え直すことが必要とされている一つの根拠となり力となります。
だから、そんな壮大に社会を変えることを目標にしましょうと言うつもりではないのですが、存在し考えることにはいつも意味があり価値があるのだ、とウ・サギは思っています。だいぶ話が膨らんでしまいましたね・・・全然回答になっていなかったらごめんなさい。

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update 2026/1/19
Q.「Q.人生重要なことはネットとaiにはないんじゃないかな?」を見ていろいろ考えました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.人生重要なことはネットとaiにはないんじゃないかな?」を見て、
確かに、ネットとAIには人生重要なことはないのかもなと、納得しました。
その一方で、ウ・サギさんが書いていたように、ネットやAIが人生重要なことに気づく「きっかけ」になることならあるのではないかと俺は思いました。
ただ、ウ・サギさんの書いた「つらさを絶望の方に後押ししてしまう可能性もある」に近いかもですが、
ネットやAIによって気づくことから遠ざかってしまう場合もあると思います。
俺個人の考えですが、人生重要なことは、
他者や本やアニメやネットやAIなどの自分以外の存在との関わりと、
自分の中にあるものが合わさって、自分自身で気づくものだと思っています。
自分の中にあるものは、生まれつきのものと、自分以外の存在の影響で生まれるもの、どちらもあるのかなと思います。
そして、
人生重要なことは、絶対的な一つの何かではなく、
人それぞれに異なる「人生重要なこと」があるのではないかと俺個人は思います。
ウ・サギさんは、どう思いますか?

A.うんうん、と概ね同意の気持ちで読みました。(「概ね」と保留するのは、違う考えの場所があったわけではなく、質問者さんの考えをどこまで正確に読み取っているかわからないからです)
気づきとか学びがどういうものか、何からもたらされるかというのは、考えるほどに「こういうもの」と簡単に言い切れないものだと思います。だから、ちょっと話は逸れてしまいますが、「こういうのを学んでほしい」「教えよう」といった教育のスタンスにはずっと疑問と反発をウ・サギは抱いています。ただ、人生重要なものを感じるために大切な経験と、あまり糧にはならない経験はあると(無意味な経験は一つもない、という前提で)思っていて、最近は生活体験みたいなものが大切なのではないか、今それがあまりに欠けているのではないか、とよく考えています。だからウ・サギは、人生で重要なことは人それぞれの色合いやニュアンスは異なるにしても、ある程度普遍的なものだとは思っているかもしれません。でもそれは今のところうまく言葉にしきれないし、言葉にしたとしても、言葉だけでは説明しきれないものにも感じます。今の段階で無理やり言葉にするなら、自分のちっぽけさを思い知ることと(具体的には、自然に対しての畏敬の念とか、いろんな人の支えや関わりの中で自分が存在している感覚とか)、一人ひとりの力が合わされば世界を変えていくこともできるのだという有力感の両方を、ほどよいバランスで自分の中に抱くこと・・・ですかね。
そう考えていくと、ウ・サギ説では、ネットやAIで人生重要なことは得られないと思っていることになりそうですかね……?いや、一人ひとりの力を合わせるツールとしては、ネットは大いに可能性はあるかも…?とりあえず、自分のちっぽけさを思い知ることの方は、ネットやAIはあまり役に立たなさそうです。

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update 2026/1/19
Q.今当たり前の価値観が10年後当たり前じゃないのかもって思う
この記事の担当 やみーペン

Q.韓国の犬肉文化が衰退してるニュースみると
今当たり前の価値観が10年後当たり前じゃないのかもって思う
今の価値観は絶対ではないんだと

A.やみーペンは結構「こうあるべき」とか「こういうもの!」の価値観が強めだったのが、カエルやウ・サギに会って自分の中の価値観は揺さぶられまくってるよ!みんな少しずつ変わっていく中で文化にも影響がでてくるのかなぁ?

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update 2026/1/19
Q.摂食障害の自助グループで発言したら辛さを一般化されるようなことを言われ悲しかった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっと前まで、摂食障害の自助グループに属していました。そこで私が『こういうことがつらい』と発言したら、ある方から『まだそんなところにいるの?そんなの当たり前』と言われました。私の辛さを一般化され、軽視されたようで悲しかったです。

A.つらさを一般化されるのはしんどいですよね…。真正面から否定されるわけではない分、反発もしづらいというか、どうにもモヤモヤするものだとウ・サギも感じます。
おそらく、聞き手側がまだ自分のつらさを消化や整理しきれず、他者のこころを受け止める余裕がないときに起こる現象だとは思うのですが、どんな事情があろうと一般化をしていいわけではないですし…。とはいえ油断したりコンディションが悪いと誰しもやってしまいかねないことでもあるので、ウ・サギも一般化してしまう側にならないよう気をつけなくては・・・とも思いました。

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update 2026/1/19
Q.失礼な発言なのは分かったうえで、病気になって周りからしょうがないねと思われながら休みたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.本当に苦しんでいる人に対して失礼極まりないのは分かったうえで、病気になりたい、周りからしょうがないねと思われながら休みたいです。出来れば治らない病気がいい。

A.自分の最大の願いが完璧に叶いそうな妄想(かつ実際にあり得そうで、想像しやすいもの)は甘美なものだとウ・サギは感じます。具体的にこの状態になりたいという強いイメージがあるのは、それだけ今の環境がその逆をいっているしんどさが大きく、それを変えられそうにない無力感がある、という話だとウ・サギは捉えました。
実際にそうなったらそれはそれで問題も出てくるかと思うのですが、想像の世界ではややこしいことはすべて免除される(理屈ではわかっていても体感はできない)ので、願いが浮かんでしまうこと自体は自然だしある意味大切なことだと思います。

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update 2026/1/18
Q.健康に生きるのが素晴らしいと世の中でプロモーションされすぎて、当てはまらない自分が辛くなる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.世の中で、健康に生きるのがどれだけ素晴らしいか、みたいなのをプロモーションされすぎてて、 それに当てはまりたくても当てはまれない自分は辛くなってきた。世間は、僕を陥れたいのかな。僕みたいな人間もいるってこと知らないのかな。

A.「プロモーション」という表現にカエルは「おぬし、やるな」を思ってしまいました。まさに、世の中には実に作為的なプロモーションが潜んでいて、知らないうちに巻き込まれる人があまりにも多いとカエルは感じています。それが、「お、このプロモーション、何?」と鋭く気づくセンスに、心の中で拍手を送りました。
きっと、潜在的に僕みたいな人はけっこういると思うのですが、その気持ちを「そうだよね」と分かち合う機会があまりないのかもしれません。健康もそうですが、美しいとか、若いとか、お金持ちとか、〇〇に生きるのがどれだけ素晴らしいか!というプロモーションは多すぎて、一人ひとりの感性や好みがわからなくなってしまうことが多くなっているように思います。こうして、プロモーションに気づいて、本当はどう生きたいのか話せる機会があるといいなぁとカエルは思います。一人ひとりの「こう生きたい」に目を向けられる世の中になってほしいとカエルは願っています。

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update 2026/1/18
Q.普段は死にたいと思ってるのに、事故にあいそうになったときは生きたいと思った。なんで???
この記事の担当 ウ・サギ

Q.普段は死にたいと思ってるのに、事故にあいそうになったときは生きたいと思った。なんで???

A.それは「死にたい」という気持ちは、死という状態になることをただひたすらに望む、という気持ちとは実は結構違うからだとウ・サギは思います。
死にたいという気持ちに何が含まれているのかは人それぞれだと思うのですが、一つのポイントとして「こんなに自分の望みの叶わない理不尽な(選択肢のない、自分の意思の尊重されない)世界なら、せめて終わらせることくらいは自分で”選びたい”」という自己決定への渇望が含まれている場合が多いとウ・サギは考えています。不慮の事故は自己決定とは真逆の出来事になるので、これは違う、と反射的に感じて生きたいという気持ちが湧くのかもしれません。
また、死にたいは掘り下げて丁寧に考えると、目的は今の苦しさから解放されたいということでその手段として死があるだけで、心から欲しているものは死ではなく救済だと言えると思っています。死にたいというのを思考だけで捉えるなら、事故にあって亡くなることも救済と定義されるかもしれませんが、死にたいを感情やイメージとして捉えるなら、事故にあいそうだという状況を救済だと心や体は感じないような気がします。
だから、事故にあいそうになったときに生きたいと思うのも、死にたいという気持ちと両立する、自然は反応や感情なのだとウ・サギは思います。

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update 2026/1/18
Q.なんでもかんでも先延ばしして、いつもギリギリで苦しい。どうにかしたい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なんでもかんでも先延ばしにして、ギリギリに追い詰められないと何もしないのをどうにかしたい。いつもギリギリで半泣き。苦しいし、他のことの余裕ができないから、どうにかしたい。どうすればいい?効果的な方法を教えてください

A.先延ばしとギリギリはカエルもしばしばあることなので身近に感じました。ただ、カエルはギリギリになっても苦しくなく、気にしないのが質問者さんと違うところです。
「どうすればいい?」との質問で、おそらく「先延ばししないようになるには、どうしたらいいですか?」という趣旨かと推測しましたが、カエル的には「先延ばししても、苦しまなくて済むためには、どうしたらいいですか?」という意味もあるぞと思っています。というのも、カエルの経験から先延ばしをしてしまうこと自体を何とかするのはけっこう難しいように思うからです。それよりも、先延ばしは本当に先延ばしなのか?とか、そもそも、ギリギリだと焦っていることがそんなに重要なのかと疑問が生じるわけです。
例えば、学校の宿題だとしたら、自分で決めたことでもない学校から押し付けられた課題をどうしても締切までにやらなければならないのだろうか?と思うのです。誰かに著しく迷惑をかける締切や、自分の生活に重大な影響を与えるような締切はきっとない!とカエルは考えます。それだけ、世の中にはよくわからない縛りというのか、見えない「ねばならない」プレッシャーがあることを痛感します。質問者さんの先延ばしの事情を詳しく知っているわけではないのですが、カエルとしては先延ばしってなんだ?とか、先延ばしだっていいじゃんって思います。
追い詰められている質問者さんにはのんきすぎる回答かもしれませんが、物事の見方や本質を検討してみることをカエルとしてはおススメしたいと思います。

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update 2026/1/18