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Q&A
Q.ゲームへの課金が止められない。ダウンロード版ゲームを遊びきれないくらい購入してしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ゲームへの課金が止められません。ソーシャルゲームへの課金はなんとか止められたのですが、今度は買切りのダウンロード版ゲームを遊びきれないくらい購入してしまいます。誰か助けて〜!

A.課金というのは、課金したくなるようにあれこれお誘いしてくるものですしね……ソーシャルゲームへの課金を止めるのは、なかなか力の必要な作業だと思います。
買い切りのゲームは腐るものではないので、それで金銭面で困ることがないなら購入しても問題ない気がしたのですが、今はボタン一つで何かを簡単に買えてしまうのが怖いところ、難しいところだと思います。せめてパッケージ版を買えば中古で売る選択肢も生まれるのと、物として見えると「買ってしまった」感が強くて抑制されたりはしないでしょうかね…。
とはいえ、そこまで買いすぎるのは、何かストレスや原因はありそうという部分がウ・サギは一番気になります。課金が止まらなくなった時期に、環境の変化やしんどいことがあったのなら、自分の心のケアや休息をとってあげるのが大切なのかもしれません。

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update 2025/12/3
Q.前質問を送った者です。ケアやサポートを受けながらの活動なら「働く」ができるかもと思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
の質問を送った者です
私の場合、支援やケアやサポートを受けながら、何かの活動をする形なら
楽しさや、安心感を感じつつ
「働く」ができるのかもしれないなと、なんとなく思います

A.はい、その通りだと思います。あらゆる人たちがそれぞれに安心や安全が確保され、その人の力や興味関心にあった役割を果たせる社会になることをカエルはいつも願っています。そのためには今の社会のことをいろいろな角度から検証して、改めてどのような価値に基づいて社会の在り方を検討していく必要があると思っています。生きづLABOもそのための研究機関です。

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update 2025/12/3
Q.ゲームで好きなイベントが始まって1日ほぼ費やして、楽しさより自制の利かない辛さが大きい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近はゲームともいい距離を保てていたのだけれど、好きなイベントが始まっちゃって、それからは1日ほぼゲームに時間を費やすようになっちゃった!楽しさよりも、自制が利かないくらいのめり込んじゃってる辛さのほうが大きい。

A.なるほど…好きなものとの距離の取り方もなかなか難しいものですね。イベントが理由なのであれば、イベントが終わればまたいい距離に戻るのかな?とも想像しましたが、そういう現実的に大丈夫か大丈夫じゃないかは別として、自制がきかないのにつらさを感じるのはわかる気がします。
ちゃっと話はズレますが、自制がきかない状態の人に対して周りが「困っちゃうよね」といったネガティブな評価をしているのを見ると、自制のきかない本人が一番困っているんだよなあ…と、ウ・サギは内心もやもやすることが多いです。

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update 2025/12/3
Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
の、生きかたカエルさんの言った、動画内の一発言に反論します。
「社会が悪い」がおかしい言葉とは私は思いません。
切実なつらい気持ちから出る言葉だと私は想像するからです。

誰もが人や人以外の命の犠牲や支えで生きているのは確かだと私は思います。それでも、「社会が悪い」という言葉を言う方は、実際に社会の誰かや何かに苦しめられているか、仮にそうでなかったとしても、切実な苦しさを抱えていると、私は想像します。その方が、社会の犠牲や支えで生きている部分があれど、社会に苦しめられていると感じている以上、「社会が悪い」という言葉を言うことは、私は至極真っ当なことだと思います。私の反論に対して、生きかたカエルさんは、どう思いますか?

A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2
Q.職場でなぜか私の聴覚に障がいがあるという噂があった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.職場でなぜか私の聴覚に障がいがあるという噂がありました。話しかけても返事くれないことがあったからということでしたが、それだけで言うのはどうなのよと思いました。ちなみに、私は逆に聴覚過敏です。

A.勝手に決めつけられて噂にされるのは、困ったものですね……。(聴覚の障がいへのネガティブな評価からの発言ではなく、ちょっとした理由で噂をされることへのモヤモヤだとウ・サギは受け取ったので、質問を公開しました)
噂の始まりは、話しかけても返事をされないことで戸惑って、「もしかしたらそうなのかも」と言ったくらいの話だった可能性もあるのかな…?とウ・サギは考えたりしました。これは噂をした側をフォローする意味ではなく、噂というのは案外そういった小さなことから話が広がるかもしれないと、自分を戒めておこうと思って書きました。
「話しかけても返事くれないことがあったのだけど…」と、本人にまず直接聞いてくれ~!と、ウ・サギとしては言いたくなりました。決めつけと噂話にならないコミュニケーション文化を広げていきたいところです。

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update 2025/12/2
Q.親の実名を出さずに「親に○○されてつらかった」などネットに投稿するのは良くないこと?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親の実名は決して出さずに
「親に〇〇されて、私は、つらかった」
「私の親は過保護だ、過干渉だ」
「私の親は毒親だ」
ということをネットに投稿するのは
親への悪口でしかないのでしょうか?
良くないことなのでしょうか?
酷いことなのでしょうか?

A.世間が何を「良くないこと」とするかは時代によって変わるものですし、良くないことは全て禁止すべきか?というのも難しいところですが、そういう哲学的な話は置いておいて、親の実名を出さずにネットに親へのネガティブな感情を投稿することの問題点を考えてみますね。
結論から言えば、ウ・サギとしては問題あるとは思えませんでした。身体や生命を脅かしたり、強い立場の人が弱い立場の人を抑圧したり、実名でバッシングする等他の不特定多数の悪意が向くようにする行動は酷いことに該当すると思いますが、匿名で親(自分より強い立場)の人への愚痴や、つらかった気持ちを書くことは、ウ・サギ基準では酷いことには当てはまりません。
ただし「こんなことは絶対的に誰がどう見ても酷いことです」みたいことじゃなくても、相手にとっては酷い(と感じる)ことであるときはあります。自分と相手では見えてるものや感じることが違うので、「自分側の見えているものが絶対真実で、あなたの方が間違っている!」という論調でぶつかると、お互いにダメージを負うかもしれません。といっても、じゃあお互い様だよねというのも違って、どう感じたかの聞き役になって受け止める役割は、まずは強い側の方にあるとウ・サギは思っています。
ネットに親へのネガティブな投稿をすることについては、親にとっては酷いことに感じられる場合はあると思います。だからといって、親へのネガティブな投稿をするのが許されないとはウ・サギは全然思わなくて、質問者さん自身が自分の傷ついた気持ちと、親が傷ついた気持ちの、どちらを大切にしたいかで決めていいのかなと思いました。「私の親は毒親だ」などと思うのは自分の自由で、誰にもそれを責める権利も、制限する権利もありません。もしネットへの投稿やその他行動を我慢するにしても、自分の気持ちを否定することはしないでいい、しない方がいいとは、ウ・サギは強調しておきますね。

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update 2025/12/2
Q.過去に虐待を受けて大人になっても後遺症で苦しんでいる私達にももっと目を向けて欲しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供が今虐待を受けてることに対して救われるのはもちろんなのを前提の上で、過去に家族などから虐待を受けて育って大人になった今もその後遺症に苦しみながら生きてる私達にも、もっと目を向けて欲しいです。

A.カエルもずっとそれと同じことを考えています。カエルの知り合いで、精神科病院に本人の意思ではないのに長期間入院させらていた人たち(つまり、社会の仕組みによって人権侵害をされてきた人たちと言えます)と一緒に「自分たちがこんな目にあっているのを知っていて助けてくれなかった。社会としての責任を怠った」と国に対して裁判を起こしている人がいるのですが、カエルはそれを聞いて「虐待を受けている人たち、受けた人たちも同じだ!」と思ってしまいました。
こうした裁判は賠償請求をしているわけですが、訴えている人が個人的な補償を求めているというより、そうした課題に目を向けて、よくないところは認めて、今後に改善をしてもらいたいという社会全体への提案があるとカエルは思っています。裁判というのは一つの方法ですが、それ以外にも虐待などの子どもの頃の人権侵害が、大人になってからも様々な後遺症などの支障として当事者を苦しめている実態がもっと理解され、それを未然に防いだり、大人になってからのサポートも安心して受けられることを願っています。生きづLABOもそのためにやっているとカエルは思っています。

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update 2025/12/2
Q.最近職場に来た警備員がかわいくて対抗心を燃やしている(笑)なんで対抗しちゃうのか…
この記事の担当 やみーペン

Q.最近職場にやって来た警備員がかわいくて、こっちも負けてられん!と対抗心燃やしてます(笑) なんで対抗しちゃうんだろう…

A.なんでも対抗心が湧くタイプ…??やみーペンはあんまり対抗心とか湧く方じゃないけど、自分の方が上手くできる!って思った時には張り合って奪っちゃうかも??そういうこと…??

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update 2025/12/2