Q.「Q.申請主義は切り捨ての仕組みだと思うのですが、どのような仕組みが必要だと思いますか?」の質問者です。本人が選択できるのは大事だと納得しました。強制的に何かを押し付けられるのは確かに凄く怖いです。
僕としては、申請の手続きの困難さが選択肢を奪っていると感じていたので、確かに申請主義自体の問題というより、福祉全体の仕組みのほうの問題だと、生きかたカエルさんの回答を見て気づきました。
例外として、本人や周りの人に命の危機がある緊急性の高い状況、例えば、生きかたカエルさんが例に出したように本人が虐待の被害を受けている場合や、逆に本人が周りに暴力を振るっている場合などは、本人の意思や意向だけに全部を任せるのは危険なのかなと僕は感じます。それでも、強制的に施設に入れるなどの対応でなく、人が人として尊重されるような仕組みが必要なのかなと思います。
具体的にどのような仕組みが良いのかは分かりませんが、それでも、意志や意向の尊重も、命が守られることも、 どちらも大事だというのは確かだと僕は感じます。
大前提として、人に強制的に何かを押し付ける仕組みは、確かに恐ろしすぎると感じるので、全部本人任せでもなく、かといって強制的に押し付けるわけでもない、そのような仕組みが良い福祉の仕組みなのかなと僕は感じます。だからこそ、福祉の活用について本人と一緒に考えてくれて、実際の活用をサポートしてくれるソーシャルワーカーの存在は、凄く重要だと僕は感じました。本人だけでは困難なことをサポートしてくれる存在がいることで、仕組みに選択肢が奪われることも減るのかもしれないと僕は思います。
このような理解で良いでしょうか?
また、回答にあった「ユニバーサルな生活保障や支援の仕組み」僕もあると良いなと思います。皆に生活保障や支援が行き渡ると、公平感も安心も生まれると思います。
(編集注:同じ質問者さんから、先日の質問で書き忘れたことがある、という流れがあったので2つの質問を合体させた内容になっています)
A.はい、本人の選択がとても大切だと思います。ただ、選択するためには必要な情報を得られることが前提ですね。また、自分のための選択というのはそんなに簡単ではなく、いろいろな経験も必要となります。やったことがないことを選べません。
いつも誰かに勝手に決められるような経験をすると、自分のためを考えることができなくなります。そして、選んだ結果について一緒に振り返る機会も必要です。人はいつも正しい選択ができるわけではありませんので、失敗をどう受け入れるか、折り合いをつけるかということも学ぶ必要があります。
もし、自分の望んだ結果にならなくても、結果から学ぶことは、次の選択に必ず生きてきます。そうした選択や意思決定のための経験が保障された上で、自己決定の尊重があるとカエルは思っています。しばしば、自己決定は自己責任と直結されることがありますが、責任を問われるのはそうした経験や機会の保障があってのことだと思います。
自己決定のための土台は、社会的に弱い立場の人たちだけに必要なことではありません。
どんな人も豊かな経験をして、自分のために選択をする経験が保障され、そして選択の結果を誰かと一緒に吟味したり、振り返ったりする機会は大事です。もはや福祉というより、教育の問題だと思います。前回、ユニバーサルな生活保障や支援の仕組みについてお話ししましたが、同時に誰にとっても学ぶ保障があることも大切です。今の画一的な学び方や教育内容(教科教育にかなり偏重している)ではそうした学びを提供することは難しいですし、学び方が個性的な人たちは学校からこぼれ落ちることも多いため、学ぶ機会が少なくなってしまうという課題もあります。そう考えると、ソーシャルワーカーに限らず、一人ひとりにあった学びや生き方を一緒に考えるサポーター(何か名称をつけたいですね)がますます重要になりそうです。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX