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Q.安楽死についてのウ・サギさんの回答を見て、自分は質問者じゃないが、色んなことを思った

この記事の担当 ウ・サギ

Q.Q.自殺を安楽死として合法化することはできないのか?の質問回答を見た。
自分は質問者ではないが、ウ・サギさんの意見には反論はできない。切り捨てが肯定されてほしくはないし、かかわるかたの精神的負担はものすごくあると思う。ただ…ここからは気持ちの話だが、自分はそれでも安楽死の選択肢が欲しい気持ちは捨てられない。将来切り捨てられる恐怖が消えて無くなるわけではないからだ、実質的に切り捨てられるくらいなら、安楽死の選択肢が欲しい気持ちはある。
かかわるかたは精神的負担を感じるだろうなと想像するが、だったら自分含めて安楽死を望むほどの苦しさを背負っているかたがたをどんな人でもちゃんと助けてほしい。安楽死に協力したくないなら助けてほしい。もちろんどちらも無理なことは悪では無いと思う、助けるのにも限界があって、安楽死に協力することも耐え難いのも、仮に逆の立場だったとしたら自然なことだと想像する。それでも安楽死の選択肢を望む自分の立場からすると、「それならどんな人でもちゃんと助けろよ」と思ってしまうのも本音だ。
一番は国家が、社会が、仕組みが、風潮が、誰かに押し付けず、誰も切り捨てないことが大事なのかな、と思う。しかし、自分も国家や社会や仕組みや風潮の一部だけど、誰かを助けたいとは思えなくて、これ以上頑張りたいとも思えない。そんな自分はいないほうがいいと思ってしまう自己否定が強くて、安楽死の選択肢を望んでしまう部分も強いと感じる。生きていたい気持ちも現在はあるけど。どう思いますか?

A.質問者さんの書いてくれたような率直な思いをそれぞれが出し対話することに、とても意味があるとウ・サギは感じました。ウ・サギは安楽死を望む気持ちを否定したい思いはないですし、全世界で社会的包摂が軸になった暁には、安楽死の実現も無くはないと思っています。
なのに論として安楽死否定をしてしまい、いつも心苦しいので背景や気持ちを少し書かせてもらうと、今の日本社会はまだ相当に個人モデルの考えが強く、特に直近は切り捨てが加速傾向にあると感じています。そして生きづLABOには、切り捨ての流れに明確にNOを表明する責任と、その根拠や論を出す役割があると考えています。だから色んな考えや見方があることはわかっていて、すべてを社会モデルで語るのも物事を単純化しすぎているかもしれないと思っても、個人モデルの暴走を止めるために、社会モデルの捉え方を明確に前面に出すことになります。
質問の内容に話を戻すと、「それならどんな人でもちゃんと助けろよ」とはまさにその通りで、反論の余地もないと思いました。そして(力は色々至らないにしても)目の前の困っている人を切り捨てず、分野や仕事という枠も超えて、持てる資源をすべて使って活動している仲間を知っているウ・サギは、安楽死以外を提案したい気持ちがちょっと前のめりになってしまうのかもしれません。

回答:ウ・サギ

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うさえなが所長
うさえなが所長

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update 2026/7/6