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Q.誰も見ない前提の場所では思いを書けないが所長室の質問での文章化は時に没頭するのが不思議。どう思う?

この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は、誰も見ない前提の場所(紙か画面か等は問わず)で思いを文章化したいとは思えないしできないのですが、
所長室の質問内容の欄で思いを文章化するのは、時にやり始めると没頭します。
見てもらえる前提だからなのかな?不思議です。どう思いますか?

A.これはウ・サギにとっては超わかりみですね。実際に見てもらえるか、伝えられるかは別にして、誰かに見てもらうというイメージがもてないと、自己表現は湧きづらいとウ・サギは思っています。
ウ・サギは病んだ気持ちも含めて思いをそのまま書くブログを昔公開でやっていたのですが、誰にも紹介していなくて読者がいなくても(誰にも紹介しませんでした)、公開じゃないと意味がない、という感覚がありました。自分の手元だけで紙やスマホで何か書いてるときも、実際に見てもらうことは絶対しないのに、宛先に誰か特定の(自分のことをわかってくれる見込みのありそうな)相手をイメージはしてます。わかってくれそうな相手が見つかると、これまで全然意識に浮かんでいなかった思いが出てきたり、それが言葉になったり・・・という経験も何度もありました。
だから表現というのは、受け取ってくれる存在が(目の前にいなくても、たとえ想像の中でも)いることで生まれるもので、育っていくものだとウ・サギは感じています。だから生きづLABOが受け取り手として信頼されているように感じて、勝手に嬉しくもなりました。

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update 2025/6/11