Q.誰も死に方を選べないのに、生きられなかった人の分まで生きるべきだと言われて辛い。
もし自分の寿命を渡す事ができるのなら全部生きたがってる人にあげるのにと考えている。
A.それはつらいですね…。そんなことを言ってきた人には、無言でキックしたいくらいの気持ちです。「生きられなかった人の分まで生きろ」とか「もっと苦しんでいる人がいる」(というのも言われたと補足にあったので…)論は、世の中でなぜか正論のように出されることが時々ありますが、ウ・サギはいろいろと文句を言いたい点があります。
ウ・サギは、「死にたい」というのは、「死にたい以外の結論が見えないくらい気持ちがいっぱいいっぱい」の状態であると捉えています。そんなにいっぱいいっぱいの人が、なぜ他の人の感情や苦労まで背負わなくてはならないのか?というのがまずウ・サギの怒りポイントです。他の人の感情や苦労に思いを馳せ、背負うのは、その余裕がある人の役割だと思います。もっと苦しんでいる人がいるというのを苦しい人に押しつけてる暇があるなら、苦しんでいる人のために、あなたがやれることを黙々とやってなさい…!とお説教したいです。
生きられなかった人の分まで生きろは、生きられなかった人に直接言われるならわかりますが、第三者が押しつける意味も筋合いもわかりません・・・。
あと、指摘したいのは、それらの理論を生きるのがしんどい人相手に話すことで、誰が幸せになるのか?という合理性です。そんなことを言われたら、生きるのがしんどい人はもっと苦しんで、苦しんでいる人のことを考える余裕のある状態は遠ざかるし、生きる力も弱っていくはずです。
と、いろいろ怒りながら反論させてもらいましたが、たぶん言う側はそんなに深く考えて言ってないと思うのですよね…。死にたいというくらい弱っている人に、考えなしの言葉を投げること自体、ウ・サギは大反対です。
ずいぶん怒ってしまいました。すみません。とにかく、つらいものはつらいのだから、比べなくていいし、自己嫌悪しなくていいし、せめて自分だけは自分のつらさを一番に思い遣ってあげようじゃないか。自分のつらさを申し訳なく思っている人全員に、そう叫びたいウ・サギでした。