Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか?
私の経験上、希死念慮が他人からは想像以上に見えていないと痛感しています。だから簡単には気付けなくて当然で、逆にそれが明らかに見て分かる頃では支援が間に合わない気がします…
A.ウ・サギは、死にたい気持ちは「生きる負担>生きる楽しみ・価値」という状態があって、生まれるものだと思っています。もし死にたい気持ちを感じていない人でも、同じく「生きる負担>生きる楽しみ・価値」になっている場合が少なくないと感じますし、自殺を止めたいと思うなら、そういった世の中(家庭、学校、仕事・・・生きる負担があまりに多いと思います)を変えるのが、一番のやるべきことだと考えています。だから、誰かが自殺という行動に至るところでやっと「自殺のサインに気づく」ことを重要視されても、なんだかなあ、とウ・サギは思ってしまいます。亡くなってしまったら生き返ることはないので、気づくことも勿論大切だとは思いますが…。
ちょっとあなたの話からズレたことを語ってすみません。ウ・サギも、人や場合によりますが、希死念慮も自殺のサインも周りから全然見えないことはあると感じます。というかそもそも、人がどんな感情でいるか、どんな考えをもっているかは、周りには(時に自分にだって)なかなか見えないものだと思います。だから自殺のサインに限らず、感じていることを言える関係をつくることがポイントだと感じますし、そのためには常日頃から、ネガティブな気持ちを否定しない、頑張りや完璧を求めない、良い悪いの評価をしないなど、「この人になら言っても大丈夫だ」と思ってもらえるような振る舞いや生き方をするのが大切だと思っています。