Q.「Q.弱肉強食という言葉について怖さや複雑な気分を感じる。どう思う?」の質問者です
「他の命の苦痛」と表現したのは、人への過酷な労働の強制だけでなく、家畜として扱われる動物の飼育環境による苦痛も含めて表現したつもりです。
畜産が人を救っているのも確かだと思います、自分も美味しい食べ物に救われています。また、実際の動物の感覚や飼育環境については、わからないです。
そのため、ネットで見た写真や文章の記憶をもとにした想像なんですが、狭くて不衛生な工場畜産の飼育環境で家畜として扱われる動物の苦痛が現実にあるのかなと想像すると、すごく複雑な気持ちになってしまいます。
罪悪感が生じて苦しいけど、食生活を少しでも変えたりは、つらくて続けられずやめたし、今後やるつもりもないので、すごく複雑な気持ちになるんです。どう思いますか?
また、人が人から搾取する構造は、少しでも無くなっていってほしいなと、回答を読んでいて思いました。自分は奪われて苦痛を強いられるのは嫌だし、奪って苦痛を強いるのも嫌です、完璧には程遠くても、できればどちらも可能な限り避けたいです。
A.なるほど、続きをありがとうございます。だとすると、弱肉強食そのものというより、家畜の扱いがまっとうじゃないのではないか?という点で今回の回答は考えさせてもらいますね。もう少し話を広く拾うと、自分たちで苦痛を訴えたりできないもの(家畜)に対して強者側(人間)が好き勝手していいのか?という話になるとは思うのですが、ちょっと広がりすぎるので、まずは畜産の実態について考えたいと思います。
狭くて不衛生な工場畜産は間違いなくあると思いますし、はっきり言ってしまうと、野菜なども含めて安い食べ物はほとんどがかなり歪な育てられ方をしています。ウ・サギはまっとうに育てている肉や野菜を食べる機会や、実際に育てた経験、生産者と実際に会う機会もありますが、かけている手間を知ってしまうと、スーパーで安く売っている値段になりようがないのは考える間もなくわかります。一方で、まっとうなものだけを買おうとすると、年収が一定以上ないと絶対に無理(ウ・サギも自分では日常的に買えず、おこぼれに授かっているような立場です)なのも確かです。動物の感覚や苦痛については想像の域を出ないので、想像で物事を決めつけるのはウ・サギのポリシーに反することから、感情的な共感はあえてしない立場をとってはいますが、地球環境の維持と適切な循環などの観点から、健康なあり方で食物を生産していくべきだとは思っています。
解決策まで勝手ながら話をのばすと、食べ物を育てる土もないような大都市に人が大量に住み続ける限り、どこかで歪なことをしてでも大量生産をするしか食糧を確保する方法がないため、絶対にこの構造はなくならないと思っています。それぞれの抱える事情や制約を考えると、大都市に住むしかない人もいると思うのでそこは強制しませんが、まっとうに生きたいと願うなら、大地や生き物の恵みの上に生きている(からそこをきちんと大切にしよう)という視点は欠かせないように思っていますし、人口が地方に分散するのは必須だと感じています。それぞれに農寄りやX寄りかの度合いは違っていいですが、半農半Xがライフの基本となってほしいというのがウ・サギの現状の考えです。
回答:ウ・サギ

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