Q.承認欲求を満たすためにアイドルのコンサートに行くのってそんなに悪いことなんでしょうか?
承認欲求を見たそうとする人にチケットを取られて、
本当にアイドルが好きで行きたい人が行けなくなったら、それは許せなくても自然だと思うけど、
第三者が非難するのは、違うんじゃないかと思うんです。
ただ、第三者に見えてそうでない人の可能性もあるのかもなと思うと、うーんうーんとなります。
第三者とそうでない人の線引きも難しいのではないかと感じます。
また、そもそも自分はアイドルのコンサート行かないから、どうあがいても安全圏からの意見なんだよなとも思います。
どう思いますか?
A.承認欲求を満たすためにアイドルのコンサートに行くというのがあまりよくわかってないのですが、そのアイドルが純粋に好きと言うのが第一目的ではないにもかかわらず、抽選となるような倍率のチケットを手に入れた&それをどこかで発信した、という状況で考えさせてもらいます。何が第一目的なのかは他者から完全に測ることはできないと思いますが、例えばそのアイドルが大好きで人生の一番の喜びである人がチケットがとれなかったとしたら、モヤモヤしたり愚痴の一つや二つも言いたくなるのは自然な感情だとは思いました。そして人間には共感の機能があるので、そういった構図に気づいた人からすると「もし自分がチケットを取れない側の立場だったら…」と移入して、少し我を忘れた行動に出てしまうこともあるのかもしれませんね。
ただ、娯楽についてウ・サギが思うのは、そもそも参加の機会さえ平等に確保されていない立場の人もいることです。ウ・サギは大きな音や強い照明がダメなのでコンサートに行く選択肢がそもそもないのですが、その程度ならまだしも、視覚障がいや聴覚障がい、重度の身体障がい、過敏や虚弱でその日にならないと行けるコンディションかわからない、娯楽にかけるお金の余裕もない、家族に支配されていて自由に外出もできない・・・・など、コンサートに限らず、様々な理由での参加の機会からの排除があると思います。何かについて議論するならば、そういった最も弱い立場にいる人も、話し合いのテーブルに入れないと不適切だとウ・サギは考えます。話し合いのテーブルにいるのは、理不尽に気づく&それを発信するだけの自尊心がある人、つまりおおむね有利な立場にあるが一部で不利がある人が多い傾向があると感じるので、その偏ったメンバー構成で正義や善悪についての話を始めてはいけないと思います。
そういった点ではもちろん生きづLABOも近しいリスクをはらんでいるので(ネットにアクセスできる、質問する勇気?がある、言語化できる…などいくつかの条件をそろえた人が集まる傾向があることが考えられます)、参加の機会から排除されている人への視野や想像力はなくさないでいたいところです。メールアドレスがなくても研究員に登録できる、アプリを使わずできることはアプリを使わない、冊子の字体はUDフォント使用、自宅への郵送が難しい場合の受け取り方法もいくつか提案しておく(詳しくはこちら)、動画は後日字幕つきで切り抜くなど、今わかっている範囲の工夫はしていますが、きっと誰かからすると至らない点は絶対にあるので、そのときに伝えてもらえるサイトでありたいです。
話がちょっと膨らみすぎたかもしれませんが、そんなことをウ・サギは思いました。
回答:ウ・サギ

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