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タグ病院
Q.お手洗いに行く夢を見るとおねしょが不安で毎回目が覚める。受診するとしたらどの医療機関?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.20代です。お手洗いに行く夢を見ると、おねしょしてないか不安で毎回目が覚めます。受診するとしたらどの医療機関でしょうか。

A.医療機関の受診については、カエルは詳しくないので質問の回答にはちゃんとお答えする自信がないのですが、通常だと泌尿器科だと思われます。ただ、自律神経なども関係することかもしれないので、心療内科なども可能性はあるかと思います。ただ、カエルは専門外なので、AIの方がいろいろ教えてくれそうですね。
医療関係は専門外のカエルの私見としては、病院に行く必要もないのでは?と思います。というのも、カエルも随分とトイレに行きたい、でもトイレがない、トイレを探し出して、トイレで用を足すという夢を見ているときがありました。目覚めると確かに尿意を感じることはあるのですが、一度も漏らしたことはないのです。不思議です。夢の中では確かに用を足していて、目覚めたときに「これは漏れた!?」と焦る気持ちがあるのですが、漏れてはいません。(補足にあった)去年の6月のおねしょはおそらく疲労時の爆睡による特別なことで、繰り返されることでないような気がしています。
そうした不安を払しょくするためにも病院に行ってみるという手もあるので、まずは泌尿器科でいかがでしょうか。

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update 2025/10/4
Q.発達障害かもしれないと思う時があるが、診断を受けた方がいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.発達障害かもしれないと思う時があります。先生から診断されたことはありません。発達障害の診断をした方が支援などを受けやすく、周りに理解されやすいのではと悩んでいます。診断を受けた方がいいでしょうか?

A.診断がどうなるかは別として、発達障がいの診断に使われるウェクスラー式知能検査(大人であればWAIS、子どもだとWISC)を受けるのはウ・サギ的にはとてもおすすめです。自分の得意と苦手、認知の傾向がよくわかるので、診断がどうとか関係なく学校で全員が受けられたらいいのに、と思うくらいです。
診断がつくと、制度やサービスを活用する上では便利なので、そういう点では間違いなくメリットはあると思います。診断は支援を受けるためのチケットで、使いたかったら使えばいいし、使いたくないなら使わなくてもいいし、別に隠したかったら隠すこともできるし、あって困ることはないよね、というのがウ・サギの考え方です。
ただ、診断がついたからといって、あなたはあなたのままで何が変わるわけでもないのも一つの事実です。発達障がいは自分の特徴や困りごとを説明してくれる一つの要素ではあっても、発達障がいだけがその人の個性ではないので、発達障がいを理解してもらえる=自分を理解してもらえる、とは単純にならない部分もあります。とはいえ診断があると自分にとっても周りにとってもわかりやすくはなりますし、診断名で自分を説明するかしないかは時と相手によって選べばいいので、やはり診断があるのは損にはならないと思います。
診断がついた場合のことをいろいろ書いてしまいましたが、もし診断まで至らなくても、自己理解のための一つの切り口として、発達障がいだと自分は感じるのだがどうだろうか?と話してみることには意味があると思います。発達(認知特性や感覚の個性など)は発達障がいか否かの白黒ではなく、グラデーションなので、ここはこういう傾向があるかもね、と自己理解や他者理解を深めていくのはどんな人にとっても有益だとウ・サギは思っています。

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update 2025/10/1
Q.自分の記憶や考えも何もかも信用できない。どうしたらいい?
この記事の担当 所長室

Q.自分のことが何にも信用出来ないです。記憶や知識、体調もなにもかも。挙句の果てには感情や考えも信じられなくなって、今自分が何を考えてるのかよく分からない状態です。自分を信用するにはどうしたらいいですか?

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update 2025/9/19
Q.医者に「こんなに長い間働いていないから」と言われ気になった
この記事の担当 所長室

Q.医者から、「こんなに長い間働いていないから働くのはハードルが高いですよね?」と言われました。私は、「こんなに長い間」という部分が気になり、なんだか働いていない自分に非があるように感じてしまいました。気にしすぎでしょうか?

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update 2025/9/19
Q.「傷ついた経験」と「トラウマ」は違いますか?
この記事の担当 所長室

Q.トラウマに大小はないと思っていますが、「傷ついた経験」と「トラウマ」は違いますか?仕事でパワハラを受けてから、人との関わりに強く恐怖を感じるようになりましたが、そのような経験は自分の中で「トラウマ」と認識してよいでしょうか?

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update 2025/9/18
Q.相談すると逆に落ち込んで死にたくなる時は相談しない方が良い?
この記事の担当 所長室

Q.精神科、精神訪問看護を利用していますが、相談すると逆に落ち込んで死にたくなります。毎回、自分の心が振り回されて辛いです。このような時は相談しない方が良いのでしょうか?

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update 2025/9/18
Q.自己肯定は必要?また、どうすれば高められる?
この記事の担当 所長室

Q.心療内科の医者に、「あなたは自己肯定が足りませんね」と言われました。自己肯定は必要だと思いますか?また、どのような方法で自己肯定を高められると思いますか?

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update 2025/9/15
Q.嫌な記憶を忘れたい。いい方法はないか?
この記事の担当 所長室

Q.嫌な記憶を忘れたい。全く関係ない時に思い出したり夢に出てきたり、生きる邪魔をしてくる。死にたいって思いたいわけじゃないのに、死にたくさせられる。いい方法はありませんか。

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update 2025/9/15
Q.母親のいびきがうるさくて眠れない。どうすれば眠れる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.母親のいびきがうるさすぎて眠れません…
耳栓等である程度マシになるくらいならいいのですが、耳栓等つけていてもうるさくて眠れないことがほとんどです…
どうすれば眠れますかね…?

A.それは母親の健康のためにも、ウ・サギとしては受診をすすめてみる選択がイチオシです。(補足には、それをためらう理由も書かれていましたが……)
ウ・サギは医者ではないので診断ではなく、あくまでウ・サギの身近な方の経験談として参考程度に捉えてほしいのですが、睡眠時無呼吸症候群というものがあり、シーパップという人工呼吸器の装着などでかなり症状は改善します。いびきの音がなくなることで周りの人が楽になるのもそうですが、いびきをかいていた当事者の体調が楽になるのが何より大きいと感じます。
質問者さんの母親の診断がどうなるかはわからないですが、睡眠時の呼吸で苦労するのはスポーツ選手にもよくあることのようですし(そもそも体調不良は弱さではないですが、恥じらいのようなネガティブ感情を抱くのは的外れだよという根拠で使えるかと思って書きました)、今はスマホで睡眠の質を調べるアプリもあるし録音もできるかと思うので、現状と受診のメリットは根拠をもって伝えやすそうとは感じます。あとは子どもが眠れてないと聞いて申し訳なく思うだろう母親なのであれば、(もし伝えてない場合は)まず率直に眠れなくて困っているのを言うのもありだとウ・サギは思います。
母親に伝えずに自分の努力でどうにかする方向性では、すでに質問者さんが実践している音を遮断する作戦以外には、いい案はちょっと浮かばなかったです・・・。

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update 2025/9/12
Q.「本来のその人」って一体何?よくない性質だけ個性を切り離すなんてできるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「本来のその人」って一体何でしょうか?
よくない性質だけ個性とは切り離すなんて、都合のいいことが本当にできるのでしょうか。
所長たちが普段言っている、「よくない行動でも無理にやめさせず背景を分析すべき」という考えとも矛盾する気がします。

A.(補足)所長たちの質問回答配信第22回の質問1「精神疾患や発達障害の治療では、主に『考え方や行動の矯正』を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。」を見ての質問とのことです

質問と補足を読んでウ・サギが気づいたのは、質問者さんの言っている「認知行動療法」と、ウ・サギ(たち)のイメージしている「認知行動療法」には、何かしらの違いやズレが生じていそうだな、ということです。
これはウ・サギの印象なので間違っていたら申し訳ないですが、質問者さんの言っているもの(実際に経験したものでもあるのかなと想像しています)は医学モデルでの話で、ウ・サギは社会モデル・対話モデルでの運用をされるのは勝手に大前提とした上で話している気がします。
何がよくないものなのかを医療を提供する側が定義し、患者が努力や工夫をしてそれを変えていきましょう、というスタンスで行われるなら、どんな療法だろうとウ・サギは大反対です(残念なことに、実態としてはそういった場合があるのでしょうね……)。ただ、それは認知行動療法という技法の問題ではなく、医療というもの自体や支援者のあり方の問題だと捉えているので、認知行動療法を対象にしたネガティブな気持ちはあまりないです。何がよくないもの・変えたいものかを(そもそもそこに正解もないですが)対話の中で本人が決めて、本人と周囲と双方で歩み寄りや折り合いを探っていくために使う枠組みとして、認知行動を意識して考えてみるのは悪くないよね、と思っています。
ただ、合う人合わない人はいるかと思いますし、ウ・サギ自身が認知行動療法を受けるということだけで考えると、きっと合わないだろうと感じます。社会の常識といわれるものからの圧や合わなさでの傷つきが大きい場合や、もともと思考が発達している場合は、あまり合わず、腹立たしい思いさえする。社会の風潮というよりは特定の誰かとの関係での傷つきが大きい場合や、感覚や感情が優位で思考を伸ばした方が生きやすい場合は、わりと有効・・・?という印象はあります。これはあくまで主観バリバリの仮説ですが。

補足にあった「いつか生きづLABOでこのような問題を話しあえたら、社会の課題を一つ明らかにできそうだと思うのですが」という意見には賛成です!どうしたら安全な話し合いの場になるか、参加したい人たちが参加しやすいツールや運営方法は何か、ああ先に研究員制度を始めるための利用規約を整備しなくては(研究員にならなくても話し合う場はあっていいのですが、まずは前から言ってることをやらなくてはという筋)、そんなうちにやろうやろうと口だけのウ・サギになってしまう・・・と頭も心も忙しくなってきました。
当事者の違和感を出発点に対話を深めていくことは、社会の課題を明らかにしていくための超有効なアプローチだと思っています。

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update 2025/9/2