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タグ疑問
Q.親に言われることのすべてが嫌。親の発言は昔から気分でコロコロ変わるのでその影響だろうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に言われることのすべてが嫌で、「○○したら?」って少し命令っぽいものはもちろん「焦らなくていい」とか「自由に生きていい」も親に言われた時だけとてもムカつきます。親の発言は昔から気分でコロコロ変わるのですが、その影響でしょうか?

A.ウ・サギであれば、ムカつく相手の発言はどんなことでもムカつきます(苦笑)親の発言が昔から気分でコロコロ変わるなら、嫌な感情を抱くかと思うので、すべてが嫌になるのも全然おかしくないと思いました。
嫌だという感情は、この人からなるべく逃げるべし・言ってることを無視すべし、という自分からのサインだとウ・サギは思っています。だから、あなたの感情があなたを守るために、しっかり働いていると感じました。

update 2025/5/13
Q.無職の人や居場所がない子=頑張らないやつなのか?親の意見は何か違うと思い意見を聞きにきた。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.リストカットしている人を見て親は、「こんなん自己アピールだ」とか、居場所がない人には「社会が居場所作ってんのに入ろうとしないだけだ」とか。何か違うなと思い、意見を聞きにきました。無職の人や居場所がない子供=頑張らないやつなのでしょうか?

A.親の意見にはウ・サギも「何か違うな」、いや「とても違うな」に一票です。
そんな意見は困っちゃうなあといくらでも文句は出てくるのですが、おかしいポイントをウ・サギなりに挙げてみると、
①そもそも他人のことを勝手に決めつけるのはいつでもマナー違反
②人間の感情も行動も周りとの関係性の中で起こることだから、「本人のせい」という考え方はあまりに一面的
③自己アピールだとしても、それは否定されるべきことではない
④何を根拠に言っているかは謎だが、社会に居場所があるとは思えない(居場所があれば、死にたいと感じている人がこんなに多くないはず)

ちょっと難しい言葉を使うと、無職や居場所がない人=頑張らないやつ(”その個人”の努力不足)という考え方を「個人モデル」といいます。反対に、何か困りごとがあるとき、それは社会の構造が引き起こしていることという考え方を「社会モデル」といいます。個人モデルでは、解決のための努力をするべきは個人。社会モデルでは、解決の努力をするのは社会(といっても社会は人間の集合体なので、一人ひとりが社会の問題に目を向けて解決を目指していく)となります。
ウ・サギは(生きづLABOは)社会モデルの考え方をしています。あなたがどんな意見や考え方をもつかは勿論自由ですが、自分の「何か違うな」には大切な気持ちが隠れていることが多いとウ・サギは思うので、そのフィーリングをこれからもぜひ尊重していってほしいです。

update 2025/5/13
Q.自分の世界を大切にするとか、自分軸で生きるってどういうこと?
この記事の担当 やみーペン

Q.自分の世界を大切にするとか、自分軸で生きるってどういうこと?いままで、周りからどう見られるかしか考えたことなかったから、どこからが自分でどこからが他人かわからないよー。

A.その気持ちやみーペンも分かる〜周りのこと優先してたら自他の境界線がつけられないよ〜。やみーペンが自分の世界だ!って強く意識できるのはジェラートの味の好みくらいかな〜

update 2025/5/11
Q.ストレス発散に課金してガチャを引いている。「外れても楽しめた」と思えるには何が必要?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ストレス発散や楽しみのために、スマホゲームに課金してガチャを引くけれど、ほしいものが当たらなくてガッカリする。でも、課金するモチベーションで何かを頑張れたりするので、やめたくはない。「外れても楽しめた」と思えるには何が必要だと思いますか?

A.なるほど・・・。外れるからこそ、当たりがあると嬉しくなるのかなとウ・サギは思うので、次の当たりがくるまでの喜びをチャージしていると考えるのはどうでしょうか。毎回当たったら、たぶん当たっても嬉しさが減りそうな…?
あと、人生ではうまくいかないときや、運が悪いときもあるので、外れの経験をすることで外れ耐性みたいなものがつくと思えば、いい経験を積んだといえるかもしれません。
ウ・サギは某スポーツの贔屓チームが負けるたびにがっかりしますが、ずっと勝ち続けたら楽しくないはずなので、少しでも良いところを探したり「こういう負け方ならまだ○○な負け方よりマシ」と、負けの質に救いを見出している気がします。(それでも、しばらくどよーんとしちゃうときもあります…苦笑)

update 2025/5/11
Q.安全なリスカって何だと思いますか?
この記事の担当 所長室

Q.安全なリスカって何だと思いますか?この間のライブ配信みて、ふと疑問に思ったので、所長たちに聞いてみたいと思いました。ChatGPTに聞いてみたら、安全なリスカはないって言われましたが、私はあると思います。でも、何か思いつかないです。

A.ウ・サギも、なんとなく安全なリスカはあると感じています。勿論100%の安全はないと思いますが、危険な飲酒と比較的安全な飲酒、アルコール依存と酒好き、というものが存在するように、危険なリスカと比較的安全なリスカ、リスカ依存とリスカの適度な利用、みたいな違いはある気がするのですよね…。
・・・続きはやみーペンお願いします。

*やみーペンから*
やみーペンの中では、なんでリスカが今必要なのかが分かるようになると安全なリスカ感があるのでは…!と思ってます。理由も分からないまま感情に操られてリスカしたりしなきゃならないと事故も起こりやすいけれど、今どうして必要なのかを自分で分かって、リスカという対処方法を自分に向けて処方してあげる…って感じです~

update 2025/5/7
Q.親から暴力を受けていなくても、居場所がないと思ったら家出できますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親から暴力を受けていなくても、居場所がないと思ったら家出できますか?

A.もちろんです。家出はできます。というのか、カエルは「家出」という言葉は非常に不適切な言葉だと考えています。我々には「どこで誰と暮らすのか」を自分で決める権利があります。ただ、子どもの場合は保護者の存在や権限が大きいので、家ではないところで暮らすためにはハードルがありますが、そこから出たいと思って別の生活の場を選択するのは家出ではなく、「住まいの選択」をしているだけだとカエルは思うのです。少なくとも、「この家では暮らしたくない、別のところで暮らしたい」と願ったり、その願いを口にすることはまったくの自由です。ただ、それが実現するかどうかはいくつかの理由が必要になる場合があります。
その理由ですが、カエルが気になったのは「暴力は受けていないけど、居場所がない」という点です。叩かれたり、殴られたりする暴力を受けていなくても、言葉による暴力(暴言や否定の言葉など)や態度による暴力(無理に勉強や習い事をさせられる、意見を聞いてもらえない、無視をする、きょうだいと差別するなど)や必要な世話をしてくれない(ご飯がない、病院に行かせてもらえないなど)も暴力と同じように、子どもが家から出たい理由として認められます。もしも、親同士の暴力やけんかなどがいつもあることも、子どもが家から出たい正当な理由になります。あなたにとって「居場所がない」「家出したい」と思うのであれば、そこにはそれなりの理由があり、それを受け止められる大人や社会であってほしいとカエルは思います。少なくともカエルは子どもが「住まいの選択」を主張できるようになってほしいし、同時にあらゆる子どもたちの「住まいの安心安全の確保」をしっかりと議論できる社会にしたいと思っています。

update 2025/5/3
Q.まあ生きるのも悪くないか、と思うには何が必要なのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.まあ生きるのも悪くないか、と思うには何が必要なのでしょうか。最近、脳汁のために生きているようで、心が置いてきぼりになっています。腹の底では、死にたい気持ちがうずうずしています。

A.まあ生きるのも悪くないか、と思うには、楽に生きられる環境があるのが一番話は早そうな気はします。頑張らなくても生きられるなら、まあとりあえずいいか、とはなりそうな…?ならないかな…。
何にせよ、プラスを探すよりは、マイナスを減らすのがポイントな気がするし、何か見えないマイナス(生きる大変さ)があるから「心が置いてけぼり」になっているのかなと想像しています。
死にたいと思うのは、実際に生きるのが大変(負担が大きい)という要素がけっこうあるようにウ・サギは感じています。

update 2025/4/29
Q.とあるアイドルたちは放送ライブラリが少ないんですよ マジで怖いですよね、、、
この記事の担当 ウ・サギ

Q.放送ライブラリが少ないんですよ
とある アイドルたちには
いやマジで怖いですよね、、、
放送ライブラリって本来忖度無し放送をアーカイブするもんですよね。おかしくないですか?

A.都合の悪い情報はひっそりと闇に葬られて、隠されていく、という話で理解しました。(違ったらすみません)
世の中にはそういった怖いことはいっぱいありそうです。おかしいかもと思える力、おかしいと思ったときに、きちんと現実を知ろうとする姿勢、そして情報リテラシーが求められているのかもしれない・・・と、この質問を読んで思いました。
おかしいことをおかしいと気づけなくなったらまずい気がするので、ウ・サギもおかしいセンサーが鈍麻にならないよう気をつけたいです。

update 2025/4/24
Q.話せなくてよく黙ってしまう人って、困る?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.話せなくてよく黙ってしまう人って、困る?

A.相手の性格や関係性次第ではありますが、黙っていることの意味やメカニズムが理解(または理解できなくても受容)できれば困らず、なぜ黙っているかわからないと困るのかな、とウ・サギは思っています。
相手が黙ってしまうと、不快に思わせたかな?と心配になったり、どうしていいかわからず立ちすくむような気持ちになったり、自分を無視しているのかと腹立たしく思ってしまったり・・・悪い方に妄想が膨らんで疲れてしまうことは人によってはあるのだとは思います。逆に、目の前で起こったことをただ受け止める、ゆったりした性格の人だと、あまり困らないような気がします。
また、黙るのは、話しかけられた内容を咀嚼しているまたは理解できない(インプットで動きが止まっている)場合と、言いたいことはあるのに言葉が見つからないことや緊張で言えない(アウトプットで動きが止まっている)場合があるのかなとウ・サギは理解しています。
「こういうときに、こういうメカニズムで黙ってしまうことがあって、そういうときはこうしてほしい」を言ってもらえればウ・サギは困らないです。綺麗に説明できなくても、わかる範囲で伝えてくれたら、ふむふむと思うし自分の苦手も伝えやすくなってありがたいです。

update 2025/4/23
Q.適応障害って、いつ働けるようになると思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.適応障害って、いつ働けるようになると思いますか?

A.適応障害という括りよりは、「心の健康を崩してしまった状態から、働ける状態に戻るまでどれくらいかかるか?」というので考えて回答させてもらいますね。
ずばり答えは、「必要な分だけ休めば働けるようになる」だとは思うのですが、①「必要な分」とは、②「休む」とは、③「働ける」とは、の3点に分けて整理してみたいと思います。
①「必要な分」とは
例えば、同じ適応障害という診断がついていても、背景にある心のダメージの量や質はかなり個人差があるかと思います。幼少期から家庭環境などでダメージを受けていて、ずっとギリギリでいたところに限界がきたパターンから(複雑骨折のイメージ)、それまでは比較的健康に自分らしく生きてきたけど、今いる環境が合わなくてメンタルを崩したパターン(風邪を引いたに近いイメージ)、その他諸々あるかと思います。ダメージの質や量によって、回復にかかる時間も、必要な社会資源も、ひとまずどのラインまでの回復を目指すかも、変わってくるように感じています。
②「休む」とは
休むも、ただ仕事を休むだけで十分に休めるとは限りません。住環境(人間関係含)にストレスがある、病院の先生とうまくコミュニケーションがとれない、焦りや自己嫌悪が強いなどの状態だと、なかなか休めていない場合もあるかと思います。質のいい休みがとれれば、いずれ回復すると思いますが、休む環境が整わないと回復には時間がかかってしまうかもしれません。
③「働ける」とは
働けるか否かは、職場の理解や業務内容とのマッチングでハードルが変わるかと思います、理解ある職場、自分に合う仕事であれば、最低限回復すれば働けるかもしれませんし、自分にとってハードな職場環境と内容であれば(ブラックな職場や苦手な職業はそもそも選ばない方がいいですが)、十分に回復してからじゃないと働くのは難しいかもしれません。また、今はどうしても生活するためには、フルタイムに近い就労が必要な場合が多いですが、本来は働くのは衣食住を確保するための「手段」であって「目的」ではないはずです。だから働くことだけが絶対のゴールではないはず・・・とは、一応お伝えしておきます。
メンタルの不調は「このままの生き方を続けてはいけないよ」というサインだとウ・サギは感じています。だから、適応障害でも他の診断名でも診断がなくても、自分らしいペースや生き方をちょっぴり掴めそうになってきた、何かしてもいいかなと思えてきたときが、何かをやり始めるべきタイミングなのかなと思っています。

update 2025/4/21