PAGE
TOP
タグ疑問
Q.採血の痛みを思い出すことってありますか?
この記事の担当 所長室

Q.以前に「採血が怖いって子供っぽい?」という質問を送った者です。一か月ほど前に採血された腕が時折痛むことあります。痛みに敏感なのは自分でもわかっていますが、思い出すとやっぱり怖いです。採血の痛みを思い出すことってありますか?

A.ウ・サギは痛みは思い出さないですが、時間がたっても感覚を生々しく思い出すことはあります。小説での描写を読むだけで現実に見たように浮かんできて、不快や不安を抱くこともあります。
ちなみに、周りに比べると痛みにもとても弱くて、頭がちょっとだけしめつけられる気がする程度の頭痛でも、この前は元気が全然なくなりました。

*やみーペンから*
え!そんな痛みを思い出すなら注射はなお嫌かも!!やみーペンは痛い〜は思い出すの苦手なタイプだけど、猫を見ただけで鼻の奥が痒い感じはするよ!!

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/11
Q.不登校だったが学校に行くことに。クラスの人はどう思うと思う?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.不登校だったのですが、学校にいきたいというか行かなければならなくなりました。クラスにいるのはちょっと悪い(ちょっとではないけど)人がたくさんいて、その人たちは私が学校にいったらどう思うと思いますか

A.他の人がどう思うかはカエルはわかりませんが、ちょっと悪い人?たちのことをあなたが恐れていることは伝わってきました。どういった事情で行かなければならなくなったのかわかりませんが、行くのを見合わせたり、行ったとしてもやっぱり行かないという方針転換ができる準備を整えるのがよいのではないかとカエルは思いました。他の人がどう思って、どう行動するかは自分の力ではどうにもできませんが、自分のための備えはできますので。ご検討ください。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/7
Q.読書感想文は子どもたちの大切な表現だから賞とかの順番をつけるのはやだなと思った
この記事の担当 うさえなが

Q.読書感想文とかって、子供がある本を読んで、それについて感じたことを、己の言葉で表現するものでしょ?それって、たとえ素晴らしい語彙と文章でなくても、その子どもたちの大切な表現でしょ?それを、賞とかで順番つけるのはやだなあと思ったの!

A.読書感想文って何で順番が決まるの??
でも賞はほしいな~

*ウ・サギから補足*
ウ・サギもちょっと学校時代を振り返ってみたのですが、読書感想文に限らず、何かと順番をつける場面が多いですよね…。自己表現に対して評価があるのはいやだな、というのは同意です。ウ・サギはいかに大人に受ける文章を書くか、丁寧な絵を描くかなどに学校では力を注いでいたので、文章や絵を自己表現のために使えるようになったのは大人になってからでした。
でも、自己表現のクオリティを上げたいと思っている子にとっては、自分の立ち位置を知るために順番は(もし低くても)ほしいかもしれないので、順番をもらいたいかもらいたくないかを希望できればいいのかな?ともウ・サギは考えました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/7
Q.生きづらい属性を持っていても人生が好きという人は私以外にいる?
この記事の担当 所長室

Q.生きづらさと結びつきやすい属性を持っていても、本人は人生が好きという人は、私以外にいるのでしょうか。所長たちはそういう人に会ったことはありますか?私はASD、引きこもり、ニート、最終学歴が中卒などの属性を持っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/5
Q.親に対して屈辱感を感じているが、他に聞いたことないので私だけなのかな?と気になっている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に対して屈辱感を感じています。親に対しての罪悪感なら聞いたことがあるし、私も感じることがありますが屈辱感は聞いたことがなく私だけなのかな?と気になっています。

A.なるほど・・・屈辱感ですか。AIに聞いてみたところ「他者によって大いに恥ずかしい思いをさせられ、面目を失ったと感じる感情のことです。相手に屈服させられるなどして自尊心が傷つき、恥ずかしさや悔しさ、無念さを伴います。」と説明されました。
ウ・サギは感じたことがあるだろうか?と振り返ってみたのですが、わりとありました……!相手が親だろうが誰だろうが、相手の言動と、自分自身の個性とのマッチングで、屈辱感を抱くことはありそうな気がします。
相手に「屈服させられる」や「悔しさ」の部分がポイントな気がしていて、それらの感情は、自立心が強いタイプだと湧きやすくて、自立心がそこまで旺盛じゃないタイプだとあまり感じないかもしれないと思いました。相手の言動については、バカにしてくる態度をされたら屈辱は感じやすいとは思いましたが、そこに屈辱ではなく、怒りや憎しみという名前をつける人もいそうだとも感じます。あと屈辱は「恥ずかしい」という感覚が鮮烈かと思うので、屈辱感を抱いていたとしても、それを表明せずに隠す人も多いのかもしれません。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/3
Q.「本来のその人」って一体何?よくない性質だけ個性を切り離すなんてできるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「本来のその人」って一体何でしょうか?
よくない性質だけ個性とは切り離すなんて、都合のいいことが本当にできるのでしょうか。
所長たちが普段言っている、「よくない行動でも無理にやめさせず背景を分析すべき」という考えとも矛盾する気がします。

A.(補足)所長たちの質問回答配信第22回の質問1「精神疾患や発達障害の治療では、主に『考え方や行動の矯正』を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。」を見ての質問とのことです

質問と補足を読んでウ・サギが気づいたのは、質問者さんの言っている「認知行動療法」と、ウ・サギ(たち)のイメージしている「認知行動療法」には、何かしらの違いやズレが生じていそうだな、ということです。
これはウ・サギの印象なので間違っていたら申し訳ないですが、質問者さんの言っているもの(実際に経験したものでもあるのかなと想像しています)は医学モデルでの話で、ウ・サギは社会モデル・対話モデルでの運用をされるのは勝手に大前提とした上で話している気がします。
何がよくないものなのかを医療を提供する側が定義し、患者が努力や工夫をしてそれを変えていきましょう、というスタンスで行われるなら、どんな療法だろうとウ・サギは大反対です(残念なことに、実態としてはそういった場合があるのでしょうね……)。ただ、それは認知行動療法という技法の問題ではなく、医療というもの自体や支援者のあり方の問題だと捉えているので、認知行動療法を対象にしたネガティブな気持ちはあまりないです。何がよくないもの・変えたいものかを(そもそもそこに正解もないですが)対話の中で本人が決めて、本人と周囲と双方で歩み寄りや折り合いを探っていくために使う枠組みとして、認知行動を意識して考えてみるのは悪くないよね、と思っています。
ただ、合う人合わない人はいるかと思いますし、ウ・サギ自身が認知行動療法を受けるということだけで考えると、きっと合わないだろうと感じます。社会の常識といわれるものからの圧や合わなさでの傷つきが大きい場合や、もともと思考が発達している場合は、あまり合わず、腹立たしい思いさえする。社会の風潮というよりは特定の誰かとの関係での傷つきが大きい場合や、感覚や感情が優位で思考を伸ばした方が生きやすい場合は、わりと有効・・・?という印象はあります。これはあくまで主観バリバリの仮説ですが。

補足にあった「いつか生きづLABOでこのような問題を話しあえたら、社会の課題を一つ明らかにできそうだと思うのですが」という意見には賛成です!どうしたら安全な話し合いの場になるか、参加したい人たちが参加しやすいツールや運営方法は何か、ああ先に研究員制度を始めるための利用規約を整備しなくては(研究員にならなくても話し合う場はあっていいのですが、まずは前から言ってることをやらなくてはという筋)、そんなうちにやろうやろうと口だけのウ・サギになってしまう・・・と頭も心も忙しくなってきました。
当事者の違和感を出発点に対話を深めていくことは、社会の課題を明らかにしていくための超有効なアプローチだと思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/2
Q.人間は病気も治せて食べ物も供給できるのに、なぜ野生動物より悩み窮屈そうなのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間は病気でも治療して治せる
食べ物はちゃんと供給できる
野生動物に襲われる確率はかなり低いのに
野生動物よりなぜくよくよ悩み窮屈そうに見えるんでしょうか?

A.それは、くよくよ悩むということ自体が、生存のためにリソースを全部使う必要がない(つまり、端的に言うと暇がある)から発生する現象というのがまずあるのかなと思いました。あとはそもそも動物と人間の大きな違いとして、人間は概念というものを獲得していて、今目の前のこと以外も考えることができちゃうというのもあると思います。過去を思い出すのも、将来を不安に思うのも、アイデンティティというものに揺らぐのも、比較するのも、概念があって初めて生まれるもので、動物には(現状の仮説としては)ないとされています。
そして困ったことに、一方で面白いことに、人間の考えや生き方に正解は存在しないのですよね・・・。この世界が何なのかを自分で感じ、必要があれば感覚を理論で補強し、自分の欲求と周りの欲求や現実との間で折り合いを探り続け、絶望や閉塞を感じてもどうにか今を生きるための支えを見つけ・・・死ねない間は、揺らぐ自我を抱えてどうにかやっていかないといけません。そのバランスを自分で見つけて取り続けていくことの難しさは、ここまで宗教というものが必要とされてきたことや、時に信じられないような虐殺が起こってしまうことなど、歴史が証明しているとウ・サギは思います。
くよくよ悩むのは(その権利を使いたいかは別として)人間として生まれた特権のようなものだし、全然いいと思いますが、窮屈というのは行き過ぎると怖いようにウ・サギは感じます。だからくよくよをシェアできる、窮屈になりすぎない社会をつくりたいと思っているところです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/2
Q.摂食障害で低体重から一転、お腹パンパンでも食べたりない体に。どうしたら自分を許せる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.摂食障害を患って、強制入院ギリギリの低体重から一転、お腹パンパンで苦しくても食べ足りない体になってしまいました。太りたくない。でも食べちゃう。獣みたいな自分が大嫌い。どうしたら自分を許せるでしょうか。

A.本当は食べたくないのに食べてしまう、それに苦しむのはあなたが人間であり、傷ついた心を持つからだとカエルは思いました。だから、獣みたいではなく、とても人間らしいと思うところです。すぐに自分を許すことは難しいと思いますが、あなたが「許したい」という願いを持っていることがカエルには伝わってきました。その「願い」だけでカエルはすでに自分を許そうとする一歩を踏み出していると感じました。その一歩をカエルは受け止めたので、あなたもその一歩を受け入れるというのはいかがでしょうか。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/9/2
Q.モチベーション任せはやめたほうがいい?
この記事の担当 うさえなが

Q.「モチベーションで行動するのは良くない(下がったら行動しなくなるから)」みたいな動画を見つけます。私は、モチベーションで勉強してたりするので、こういうのを見ると自分がすごくだめな人間に思えます。モチベーション任せはやめたほうがいいですか。

A.そんな動画があるんだ!
良くない、ってなんかイヤだね~

*ウ・サギから補足*
世の中では、いろんな人がいろんな勝手なことを言います。それは発信している人にとっては、その時点での真実(だと感じるくらい自信のある考え)なのでしょうが、何が適切かは人や場合によって実にさまざまだとウ・サギは思います。だからモチベーションで行動するのは良くないのか?と考えると、そういう人や場合もあるかもしれないですが、そうじゃない人や場合もあるし、寄り道したり試行錯誤するのもそもそも大切だし、良くないなんてことは全く無いと感じます。あなたはあなた自身のことを知っていて、動画の人はあなたのことを知らないので、自分の思う方ややりやすい方を信じていいとウ・サギは思います。
それにしても、最近は不安を煽るような、これが正解でこれは不正解とでもいうような、主張を強く出すコンテンツが世の中に多いと感じます。ウ・サギの意見も偏っているかもしれませんが、世の中には言い切れるような真実はほとんどないとウ・サギは思っているので、「これは○○だ」とか「こうしないと良くない」とか、言葉の強いものは基本的に疑う姿勢で見ています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/28
Q.離れるって何?と最近思う。親や嫌いな人からは離れたいけど離れて終わりじゃないですよね…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.離れるって何?って最近思っています。親や嫌いな人からは離れたい!って思うけど、離れてそこで終わりじゃないですよね…?大きな決断をするのにその先も何かが続くのは、少し嫌かもしれません…。終わりたい…。

A.離れてそこで終わりじゃない、は確かにそうですね。むしろ離れてそこからが本当の始まり、という感覚がウ・サギはあります。でも「離れよう」と言われたら「離れたら解決する」といったニュアンスに聞こえるかもなあ・・・そうだとしたら疑問や抵抗を感じるのも至極まっとうだな・・・と、質問を読んで考えさせられました。
(離れた後にも支援を続けるタイプの支援者の想定で話しますね)離れるのは、生きづらい側がすぐ楽になる!という話ではなく、サポートする側が手助けしやすくなるというポイントが大きいのかもしれません。だからちょっとぐいぐいと、離れることをおすすめしたくなってしまう気がします。でも実際のところは、何かをして劇的に全てが解決することはきっとほとんどなくて、つらい疲れた、もう少し頑張ってみるか、いややっぱりもう無理かも・・・といった繰り返しの中で、味方や使える資源が少しずつ増えていって、まあ生きていてもいいか、くらいに落ち着いていくイメージはあります。
周りができるのは、その人自身の「生きるのが楽になりたい」という思い、自分で自分を助けてみようとする意欲や力を、ちょっとだけ支えたり、せめて萎えたりしないように一緒に考えることなのだろうか・・・などとも考えさせられました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/8/27