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Q.感情って生き残るためのシステムのはずなのに、なぜ「消えてしまいたい」などと思うの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.感情って生き残るためのシステムのはずなのに、なんで「自分が嫌い」「消えてしまいたい」「存在を消したい」と思うの?

A.それは、感情さんが言葉足らずだから起こっている不思議現象だとウ・サギは思います。
・自分が嫌いは、自分が嫌い(としか感じてしまいほどに生きるのがストレス、しんどい)
・消えてしまいたいは、(今の環境に居続けるくらいなら)消えてしまいたい
・存在を消したいは、(この関係性の中にいる自分という)存在を消したい
という、つまり現状のストレスを訴えているサインだとウ・サギは考えています。「このままでは私が私として生きられなくて、死んでいるみたいです。環境やつながる相手を変えてください」みたいなことを言っているイメージです。あくまでウ・サギ説なので、合っているかはわかりません…!

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/18
Q.大人は悩みがあったら誰かに相談しなさいというけど、そんなの綺麗事だと感じる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大人はみんな、悩みがあったら1人で抱え込まず誰かに相談しなさいというけど、そんなのただの綺麗事だと感じるし、そういう声があってもオーバードーズしてしまう若者が増えていたり、辛さや苦しみを話せない人がいなくならないのはどうしてだと思いますか。

A.実に鋭い質問で、大人が向き合わないといけない、大切な問いかけだとウ・サギは思いました。
ウ・サギの答えとしては、そもそも相談は共同作業なので、聞き手の力量が至らないという点がまずあると思っています。だから「相談しなさい」ではなく「相談してほしいので、相談をしてもらえるように頑張ります」とメッセージを発するべきとウ・サギは思いますし、そういう謙虚さや、自分自身に向き合う姿勢が、社会に不足しているように思います。(ウ・サギも気をつけないと……)
次に、大人個人の頑張りのレベルを超えて、社会に「自己責任論」という考え方、「迷惑をかけてはいけない」というウイルスが爆発的に広がっていることも理由の一つだとウ・サギは思っています。自分一人だけで生きれる人はどこにもいませんし、本来、社会というのは助け合い、支え合いで成り立っているものなのですが、みんなそれを忘れてしまって、「困るのは自分のせい、自分の努力でどうにかするべき」という考えが広まってしまっています。生きづLABOとしては、その「迷惑をかけてはいけない」ウイルスに非常に危機感を抱いており(ウ・サギの心の中にも、油断すると増殖してきます)、みんなと一緒に考えていきたいと思っています。
また、コミュニケーションについて、相手の求めている正解を言う形で生き延びるしかなかった人が多いことも、もっと大人は知って考えないといけないとウ・サギは思っています。
1人で抱え込まずに相談してほしい(ウ・サギの感覚で言うならシェアしてほしい)とウ・サギも思うのですが、どうしたらそれが綺麗事ではなく広がるのか、向き合って試行錯誤していきたいです。鋭い質問をありがとうございます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/15
Q.「友情面の好き」と「恋愛面の好き」の境目ってなんですか?
この記事の担当 所長室

Q.質問です。「友情面の好き」と「恋愛面の好き」の境目って、なんですか?たまに、わからなくなります。教えてください。

A.ウ・サギはこれについては絶対的な回答はないと思います。「友情」「恋愛」と同じ言葉を使っていても、友情や恋愛のニュアンスや求めているものは人それぞれ少しずつ違うでしょうし、その二つを分けない感じ方や考え方も存在します。
とはいえ、個人(個体)ごとに回答はあると思うので、何体かの意見を聞いてみましょう。

*ウ・サギの場合*
感情についてだけ言えば、友情と恋愛の境目はウ・サギはあまりないというか、「好き」は友情でしか生じなくて、「この相手とは恋愛もしたいかも」と恋愛オプションをつけたい意欲が相手や場合で揺れ動きます。いわゆる友達関係と恋愛関係のどちらが上位はないし、恋愛は友情のおまけでしかないので、友達が複数いても構わないのに、恋愛する相手が同時に複数だとダメと言われるのもわかりません……。ちなみに恋愛オプションつけたい意欲は、同じ相手に対しても自分のコンディションによって気まぐれに変化するので、ウ・サギにとっての恋愛感情は「好き」というのは相応しくない何かだと思っています。

*しきぶとんゴロン猫の場合*
わからなくなる気持ち、とてもよくわかる。ゴロン猫は一緒に働き友達だった猫が、今のパートナーになりました。会ってすぐ雷に打たれたような強い衝撃が走り、好きが降ってくることもあるようだけれど、心を許し、共に過ごす時間をいつまでも持ちたいと願う気持ちが徐々にしまってもしまいきれない、そんな好きもあると思う。その境目は難問で曖昧なのかもしれない。

*無ササビの場合*
きっぱり線を引ける人のほうが少ないテーマかもしれないですね。無ササビもハッキリと、こうです!とは明言できないのが正直なところです。ただ、何となく思うこととして、友情面の好きは「一緒にいると安心する」とか「気づいたら話が盛り上がっている」などその人の存在が日常の延長線にあって、恋愛面の好きはそこに少しだけ「特別でありたい」とか「もっと距離を縮めたい」などの要素が混ざってくることなのかなと。境目というより、”その人とどういう関係でいたいか”のイメージが、友情か恋愛かどちらかを判断するヒントになるのかなと無ササビは感じています。

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update 2026/2/15
Q.AIをどこまで信用していいのか分からないが線引きはある?
この記事の担当 所長室

Q.書いた文章やネットで調べても出てこないことをChatGPTに意見を求めることが多いのですが、どこまで信用していいのか分かりません。皆さんは線引きとかありますか?

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update 2026/2/14
Q.働けば働くほど搾取されているのではと思ってしまう
この記事の担当 所長室

Q.働けば働くほど、自分は搾取されているんじゃないかと思ってしまいます。ありがとうと言われるために人を手伝うわけじゃないけれど、何も言われないと寂しいと思ってしまう自分がいます。どうしたらいいでしょうか。

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update 2026/2/14
Q.大人はどうしてあんなに自信満々で侵襲的なのでしょうか
この記事の担当 所長室

Q.大人はどうしてあんなに自信満々で侵襲的なのでしょうか。どうして相談しなかったの!とキレる前に、自分が相談するに値するふるまいをしているか反省してほしいのですが、そう思うのはおかしいですか。

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update 2026/2/14
Q.いちど死にたいに気づいてしまうと小さくなることはあってもなくならない気がするがどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、死にたいという気持ちを知らなかった時にもどりたいなと思います。いちど死にたいという気持ちに気づいてしまうと、その先も小さくなることはあってもなくなることはないんじゃないかと思うんですが、どう思いますか?

A.気持ちの変化に断定できるものはないので、はっきりしたことは言えませんが、ウ・サギは自分の「死にたい」については完全になくなる日はないだろうと思っています。でもそれをしんどいと感じているか?と聞かれると、あまりそういう感覚はなくて、傷も自分のこころの一部だから仕方ないね、という静かな諦めを抱いています。
生きることは多かれ少なかれ痛みを伴うものですし、しかも今は残念なことに理不尽も多い社会で、ウ・サギは嫌なことや苦手なことの多い気難しいやつで、昔の傷つきも忘れないタイプなので、ウ・サギがウ・サギである限り、死にたいは消えなさそうだと感じています。
ただ、前向きな側面もきちんとお伝えしておくと、年齢が上がって経験を重ねてつながりが増えるほどに、自己理解が進み自分で環境も調整しやすくなることから、死にたいが大人しくしていられる暮らしを安定して続けられる可能性は高まっていきます。若い頃は感受性が強くて環境から受けるダメージが大きいのに、環境を変える選択肢もストレス解消の選択肢も少なく、なかなか生きているだけで大変だとウ・サギは思います。
ただ、これについては良い経験ができる&つながりを増やせるという幸運があってこそ、年齢が味方になるという話なので、「年齢が上がると楽になるよ」なんて簡単に言ってはいけないともウ・サギは感じています。どんな年齢でも状況でも、死にたいと思うほどのストレスから逃れられる、または死にたいとうまく付き合っていけるようなサポートがある社会を作っていきたいところです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/12
Q.幸せの数と不幸の数っておなじぐらいなんでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.幸せの数と不幸の数っておなじぐらいなんでしょうか?けっこう考えたんですが、どちらが、多いとか少ないとかが今の私には分かりませんでした。

A.個人の人生の中でのカウントの話なのか、全世界でのカウントの話なのか、どちらの話だろう?と悩んでいるウ・サギですが、どちらも興味があるので両方考えてみますね。
まず、幸せも不幸も数字で測れるものではないので、おなじとかちがうとか、そもそも客観的に決められるものではないとウ・サギは思います。ただ、一個人の中でのカウントで考えるなら、この格差や不平等の大きい社会では、「おなじくらい」というのを綺麗事だとしか思えないくらい、不幸を感じることの方が多い人生はあるだろうと思います(本当はそんなことはあってほしくないですが…)。全世界でのカウントについては、誰かがずるく得した分は誰かが損をするので、幸せの数と不幸の数はだいたいおなじくらいという見方はできるかもしれません。でも本当はずるをしないでみんなで分け合えば、全員にとって幸せの数の方が多い世界にすることもできるとウ・サギは信じています。
脳には忘れる機能があるので、昔たくさん不幸があっても、今が幸せであれば「おなじくらいだ!」と帳尻が合う感覚を抱く場合はけっこうありそうだとは思います。でも、そのあたりの感覚や捉え方は個性があると思いますし、それぞれ自分について「おなじくらいだ」「いや、絶対にちがう」などの答えはあっても、万人に共通する答えはない気がします。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/12
Q.家でもどこでも永遠に「帰りたい」と思っている。これはなんでだろう?やばいですかね?
この記事の担当 やみーペン

Q.家でもどこでも永遠に「帰りたい」と思っている。これはなんでだろう?やばいですかね?

A.やみーペンは母ペンからの抑圧から逃れたあとどこにいても何だか落ち着かなくて「帰りたい……でもどこに??」ってぐるぐるしてた時期があったなぁと思いだした!母ペンの元に帰りたいとかでもないし、でも自分が安心していれる場所もないしで、そう思ってたのかな…と今は思ったり。やみーペンの帰りたいは気づけばいなくなったけど、生きづLABOが居場所になったのかなぁ??

回答:やみーペン

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update 2026/2/12