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記事の担当 ウ・サギ
Q.学校で自我を出さない分家庭で自分を出して生活しているが、家族はそれが不満みたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は学校で、周りを伺って、周りに望まれている姿になろうとしている。自我は出さない。ただの作業。その分、家庭では自分を出して生活している。けど、家族にはそれが不満みたい。外ではちゃんとできるんやから家でもちゃんとしてよ、といわれた。

A.家族に対して「ずっとちゃんとできる人なんていないよ」と代わりに言い返したくなったウ・サギです。ウ・サギも学校で周りを伺いまくり、家では褒められない態度をとっていた時期があったのですが、そうしないと当時メンタルが崩壊しちゃっただろうなあと思い返しています。
学校でも時と場合によって自我を出せれば、家でも多少良い子にしてあげるのも一つの選択肢だとは思いますが、学校でストレスがかかる状態が続いている限りは、家では無理をしないことをウ・サギは推奨します。「外でちゃんとできるんだから家でもしてよ」は、言いたい気持ちはわからなくはないですが、子どもの心の健康への想像が足りていない危険な理論だと思います。
また、家で自分を出すことができているなら、学校で自分を出すためには、自分を出しても大丈夫そうな(むしろ自分を出したほうがお互いに楽しく過ごせる)相手が見つかる日を待つだけな気もしました。同じように自我を抑えて作業として学校生活をこなしている人か、そもそも自我を抑えるということもできないし周りに何かを望むこともない自由な人か、自我がはっきりしている子を面白がってくれる先生がウ・サギはおすすめですが、周りにいそうですか・・・?ひっそり隠れている場合もあるので、自分を出しても大丈夫そうな人はいないか、学校で周りの観察を頑張ってみるのもいいかもしれません。

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update 2025/8/25
Q.精神がしんどすぎるが、笑ってしまうから苦しさをわかってもらえない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神がしんどい。しんどすぎて、苦しいです。だけど、笑ってしまうから、苦しさをわかってもらえない。甘えで。

A.体の怪我のように、心の怪我も目に見えるものだったら、どれだけいいだろう…と考え込んでしまいました。(これは本当にずーっと思っています。目に見えないものも伝えやすい、気づきやすい社会になるためにはどうしたらいいのか……)
しんどすぎても、笑うことのできてしまう人もいれば、いわゆる反抗的といわれるような態度で表出してしまう人もいます。それがギリギリで自分を保つ方法だったり、守る方法だったりするのですが、届かないSOSを思うとやりきれない気持ちです。
補足には家が苦しいとありましたが、家は基本的に毎日帰ることになる場所かと思うので、そうなると心の休まる暇や回復する暇がかなり足りなさそうです・・・。ひたすら「苦しい」の波と付き合う日々を送り続けているのではないかと想像しましたし、質問を送ってくれたときはかなり高波が襲っていたように感じました。質問からはしんどさが迫るように伝わってきたので、気持ちや悩みを文章にして、誰かに伝えることができたら、苦しみをわかってもらえる可能性は結構ありそうには感じました。

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update 2025/8/25
Q.昔死にたいと言われたことをまた夢で見て不安
この記事の担当 ウ・サギ

Q.昔、死にたいって言われて涙がとまらなくって、来月誕生日じゃんといったらじゃあその日の0時〇〇公園集合ね私最後は見送られたいなあと言われました、でも、その子は来ませんでした。次の日会うとごめんねと言われました。
これをまた夢でみました不安です

A.昔実際にあったことを、最近夢に見たという話で合っているでしょうか。当時の不安を思い出して、ざわざわした気持ちになり、今もまたその子に何か起きているのではないかなどと不吉な予感もしたりするのかな、なんて想像しています。(理解が間違っていたらごめんなさい)
その昔の出来事が保育園の頃と補足にあったので、保育園の年齢で「死にたい」と言われたら・・・と想像すると、かなりのショックや不安があっただろうと感じました。何事もなかったとはいっても、自分だけで受け止めたり消化するのは大変な出来事だと思いますし、当時消化しきれなかった感情が蘇って暴れているのかな・・・?とウ・サギは感じています。

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update 2025/8/25
Q.最近ふと小学生の頃に友人から性被害に遭っていたのを思い出した。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近ふと、小学生の頃に友人から性被害に遭っていたなぁと思い出しました。今まで思い出しても自分が悪だと忘れようと責めてきましたがなぜそう思ってしまったのでしょうか。日々死にたいと思う要因の一つにはこの経験が入っているのでしょうか。

A.大きな心の傷、とくに性被害について、「自分が悪い」と罪悪感を抱くケースはウ・サギとしてはわりとよく聞く話です。ウ・サギは専門家ではないので、細かなメカニズムや心理までは解説できないのですが、人間の心の機能として、どう受け止めていいかわからない、受け止めきれないショックを「自分のせい」と意味づけて抑え込む、というのは一つの防衛本能なのだろうとは感じています。
ただ、それは誰かに頼れないときに自分を守るための方法で、本当に自分を守るためには、気持ちを誰かに受け止めてもらう中で、中立で自分に優しい意味づけを見つけていく必要があるようにも思います。
日々死にたいと思う要因に性被害の経験がどれくらい入っているかはわかりませんが、死にたいという感情は、今目の前のことだけでなく、これまでの経験の影響を受けている場合が多いとウ・サギは考えています。言葉にできない、気づけないから、全部ひっくるめて「死にたい」という感情に結晶化してしまう、というようなイメージです。
今のあなたは過去自分に起こったつらい出来事を捉え直せそうな(そのための安全や余力がなんとか確保された)タイミングがきたのかも…?とウ・サギは感じました。それはどんな出来事のどんなダメージについてのことでも、自分の「死にたい」のサイズを小さくすることにつながるとウ・サギは感じています。

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update 2025/8/24
Q.恵まれて何不自由なく生活しているのに死にたいなどと感じてしまう私はおかしい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.恵まれて何不自由なく生活しているのに死にたい・消えたい、学校に行きたくないと感じてしまう私はおかしい?

A.何もおかしくないとウ・サギは思います。例えば、物質的に恵まれていることや、愛されて育っていることや、どんな素晴らしいと思われる生活でも、100%生きやすさを保証するものにならないというのがウ・サギの考えです。
でもそれ以前の話として、補足を読んだところ、あなたの「恵まれて何不自由なく生活している」という認識は、ウ・サギの思う「恵まれている」とは違いがあると思いました。

これは、この質問回答を読んでいる全員にも伝えたくて書くのですが、「自分は恵まれているのに…」と考えるのは、
①身体の安全が今も昔も保障されていた(暴力を受けていない)
②自分の好き・嫌い、やりたい・やりたくないを遠慮なく言える(言葉や、または雰囲気で、自由な発言を制限されていない)
を③行きたくない場所やいたくない場所があったとき、そこに離れる選択をするのが難しくない(生き方、暮らし方がいわゆる「普通」から外れているものも、それを否定されずむしろ応援してもらえる)
少なくとも、この3つを満たしてからにしませんか?と、ウ・サギは提案したいです。

このどれか1つでも守られていないなら、安心して自分が自分らしく生きられていないとウ・サギは思うので、それは十分死にたい気持ちにつながるつらさとなると考えています。もちろん、この3つを満たしている場合だって、死にたいと深刻に思うこともあります。
あと、そもそも、学校はあまり行きたいと思える場所ではないとウ・サギは思っています。だから学校に行きたくないのも全然おかしくなく、行かない子にも何も悪い点や問題はなく、行きたいと思えないような学校になってしまっている、という点に大人たちは向き合ってほしい・・・とずっと考えています。

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update 2025/8/24
Q.自分の気持ちを歌詞みたいに書き出していたらクラスの人にナルシなどと言われた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の気持ちを歌詞みたいに書き出していたらクラスの人に見つかって、「きもっ、賢い気取り?」とか「ナルシすぎる」とか、ずたずたにされました。それ以来自分の気持ちを整理する事ができず、もやもやしています…

A.その言葉はなかなかグサッときますね…。誰にも見られないところで書き出していれば安心?とは一応思いましたが、言われた言葉がよみがえってくるなどして、歌詞みたいに表現するのも自分の中でためらうようになったという感じでしょうか。
ちなみにウ・サギも、歌詞みたいな詩で自分の気持ちを整理していた時期があったので、仲間を見つけて勝手ながらちょっと嬉しくなっていました。学生時代に歌詞みたいに気持ちを書き出していたという友達もいるので、歌詞スタイルで気持ちの表現・整理をするタイプは一定数いるように思います。
仲間がいるからといって何があるでもないかもしれませんが、きもいことでも賢い気取りでもナルシでもなく、歌詞スタイルが自分に合う自己表現で、その自分に合う方法で一生懸命気持ちの整理をしようとしているという話だとウ・サギは思います。そもそも歌詞みたいに書き出すことで誰かを傷つけるでもないのだし、どんな自己表現をしようがそこにああだこうだ言わないでくれ~~!とも叫びたくなりました。

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update 2025/8/24
Q.アセクシャルです。ある出来事を話したらアセクはそういうの平気そうなのにと言われた。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.アセクシャルです。ある都市に行ったら、露骨なポーズの裸婦像があって、思わず目を背けました。そのことを友達に話すと、アセクはそういうの平気そうなのにと言われました。

A.アセクシュアルといっても(どんな名前のセクシュアリティだろうと)個人によって違うので、「アセクは~」と語る時点でそもそも間違いがあるように感じますが、その友達のアセクのイメージもちょっと不思議ですね…。性的なものを見て動揺や反応をするのは、性に関心がある人だけだ、みたいなイメージなのでしょうか。
定義としても、アセクシュアルは「他者に対して」性的欲求を抱かないというものなので、性的なことに無関心・無反応であるとは必ずしも限らないのが本来の意味のはずです。用語だけはなんとなく知ったつもりでも、ちょっと理解がズレていることって結構あるよなあと、他のことも振り返ってぐるぐる考えてしまいました。
名前をつけると、生きづらさはわかりやすくなるとは感じるのですが、本質的な部分や個別性が少し軽んじられる弊害もあるので、なかなか難しいところです。

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update 2025/8/24
Q.頼れる人が欲しい。母は自分を理解してくれようとしてるがズレてる気がする。これは我儘?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.周りに自分のことを理解してくれて、頼れる人が欲しいです。母は理解しようとしてくれるのですが、なんかちょっと次元がズレてるような気がします。これって我儘ですか?

A.いえいえ、とくに我儘じゃないと思いますよ。逆にいえば、人間はみんな同じ我儘を抱えていると思います。自分のことを、自分の思っているように理解されたい、というのは人間の自然な欲求だとウ・サギは感じています。
ただ、自分を自分の納得できる次元で理解してくれる人は、そこまでたくさんいないようには思います。例えば、認知や感情の個性や育ってきた環境があまりに違うとか、距離が近くて期待や関心が入りすぎて理解がバグるとか、そもそも理解する余裕がない状態にあるとか・・・または、片方が精密な理解を求めるタイプでもう片方がざっくりした理解で大丈夫なタイプだと「理解した」という感覚そのものがズレている場合もあるかもしれません。だから、「この人に」絶対に理解されたいんだ、と願うとお互いに苦しくなることはあるのかもな・・・とは感じています。
母の次元がズレていると感じるのも、理解してくれて頼れる人が欲しいのも、全く我儘じゃなく、自分の気持ちや感じ方がしっかり働いている証拠だとウ・サギは思います。もっと母に自己開示してみて精度の高い理解を求めに行くのか、母はそこそこでいいと割り切って他を探すのにエネルギーを注ぐのか、そのあたりの戦略も自分の直観に従って選んでいっていいのかなと思いました。

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update 2025/8/21
Q.悪夢を見ることが多くて悩んでいます。どうしたらよくなりますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.悪夢を見ることが多くて悩んでいます。
いつも現実的な悪夢で、夢で見た場所と同じ場所は、怖くて避けてしまいます。
もう寝るのが嫌です。どうしたらよくなりますか。

A.ウ・サギもまあまあ悪夢を見る方だと思いますが、どちらかといえば非日常・非現実的なものを見るタイプなので、現実の方にまで影響が及ぶのはとても大変そうだと感じました。
悪夢はメンタルからの影響も部分もあると思いますし、その場合解決はそう簡単ではないかもしれませんが、最近ウ・サギが注目しているのはフィジカルからの影響です。というのも、体を痛めて寝返りがうまくうてなかった時期に(今は元気になりました)、悪夢率が増加しまして・・・。体と夢は連動している!と、とても実感したところでした。
敷布団、かけ布団、枕などの寝具。どんな寝巻を着るか。照明、音楽、匂い、温度、湿度などの環境。寝る姿勢、寝る前に何をするか・・・寝ることについての物理的な要素は本当にたくさんあると思います。何が自分に合うのかを探す道のりは果てしない気もしてきましたが、とにかく体がリラックスできれば、悪夢の率は多少なりとも減るのではないだろうかとウ・サギは考えています。お金をかけないで始められるところだと、寝る前のヨガなんかも良さそうです。
あとは現実と夢の見分けが完全についたら、悪夢との付き合いも少しは楽になるのでしょうかね……。昔ウ・サギは夢の中で夢だと気づいて、夢の中で目を瞑ることで、別の夢を見るというテクニックをもっていた時期があったのですが、ここ数年は何度も同じ悪夢を見ているのに夢だと気づけず、夢の中で恐怖で絶望しています。物語でよく見られる描写だと、ほっぺたをつねって痛かったら現実みたいな見分け方もありますが、これは夢の話、これは現実の話、と区別がつきやすくなる何か良い工夫を見つけたいウ・サギです。

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update 2025/8/21
Q.自分の存在がときどき嫌になり、卑屈になる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の存在がときどき嫌になります。この前友達が手を繋ごうと言ってくれた時も、「私に触れるの気持ち悪くないのかな?」とか思って、そう思った自分の卑屈さが嫌になりました。

A.ウ・サギも時々「自分なんてゴミカスなんだモード」に入るので、それとちょっと似ていそう…?でも全部が一緒でもないよなあ、と思いながら考えを巡らせています。ウ・サギの場合は、根っこのところでは自分の存在がいつも嫌で、日常のタスクやちょっとした自己肯定を感じる出来事で誤魔化せている時間が多いだけ、というのが自己分析なのですが、あなたの場合はどうでしょうかね…。ただ、卑屈になってしまうと不便だし疲れてしまうのは間違いないので、なるべく抑えられるなら抑えたいところだよなあ、とは感じました。
まず、考え方でちょっとでも抑えるなら、
・相手がどう思うかは、自分にはコントロールできないものだから仕方ないと言い聞かせる(自分がベストを尽くして善意での行動をしていても、不快に思われることもありますし、相手の感情はいつでも相手の問題で自分の問題ではないのは事実だと思っています)
・気持ち悪いなら手をつなごうとそもそも言わないだろう、などと事実に基づいて認知を修正する(相手がどういう性格なのか、自分だったら他者の様子をそこまで気にするのか・・・冷静に考えてみれば、根拠の弱い不安はあるかと思います)
というアプローチは浮かびましたが、考えてみるほどに、「ときどき」嫌になるというところに注目するべきかも?とも感じてきました。卑屈さが出るのは、もしかしたら疲労が溜まっているなど、コンディションが悪いサインなのではないか・・・?と。だから卑屈な思考にあまり真正面から対抗せずに、「卑屈な時期に突入しているなあ」と、一歩離れたところから自分を見るスタンスをとってみるのもいいかもしれません。

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update 2025/8/18