Q.私はもっとやりたいのに、誰も着いていける人いないからいい加減諦めなよって周りによく言われる。どうして私が諦めるばかりなの?全然私に合わせてくれない。根拠も説明してくれない。みんなだけ好きなことを自分の好きなだけできてずるい。つまんない。
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Q.私はもっとやりたいのに、誰も着いていける人いないからいい加減諦めなよって周りによく言われる。どうして私が諦めるばかりなの?全然私に合わせてくれない。根拠も説明してくれない。みんなだけ好きなことを自分の好きなだけできてずるい。つまんない。
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Q.ソシャゲをやっているんだけど、フォロワー(フレンド)が1人減るだけで、自分の存在価値が揺らぐような感覚に陥る。来るもの拒まず去る者追わず、位の気持ちでいられたらと思うんだけど、傷ついて自責しちゃう自分がいる。
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Q.Q.「男は皆ケダモノだ」みたいな表現は嫌だなと思うが男性の自分は少しでも良い言動を選びたい
の質問者です。
回答を見て、「良い言動を選びたい」より「多少なりともマシな言動を選びたい」のほうが、現実的でかつ無理のない表現だと感じました。
実は俺自身、「少しでもマシな言動をしたい」という表現も使っていたので、すごくしっくりきました。
ありがとうございます。
A.質問者さんのニュアンスとも一致したならよかったです。
少しでもマシな言動をできるように、過ちを認められる生物でいられるように、気をつけていきたいウ・サギです……!
回答:ウ・サギ

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Q.努力と結果は必ずしも比例しないと思うのですが、どう思いますか。「かわいい子は皆努力してる、ブスはもっと努力しろ」みたいなことを言っている人をたまに見かけます。私は、世の中ってもっと理不尽なものだと思っています。努力は正義、的なのがしんどい。
A.ウ・サギも世の中というか、世界はもっと理不尽で、努力でどうにもならないことはたくさんあると思います。努力と結果は必ずしも比例しないですし、分野によっては、かなり努力しても、まったく努力していない人に才能だけで負けるものだってあります。例えば容姿とか、短距離走とか、お勉強とかは、努力よりも生まれもったものの比重が大きいと感じます。だから努力を正義とし盲信するのは、個人の信念として思う分には自由ですが、あまり合理的な考えではないような…?とウ・サギは思っています。
また、そもそも、「皆」というでかい主語、みんなが~とか普通は~とかの言葉は「あなた個人がそう思っているだけのことを、勝手に見も知らない他の人のことまでわかった顔で語らないでくださいね」と突っ込みたくなります。あと「ブスはもっと努力しろ」というのは強烈なルッキズムと自己責任論(どちらも最近大流行しているウイルスだと感じます)が込められていて、そう思わされるような世の中つらすぎでは・・・?と嘆くような気持ちになりました。
ウ・サギは、もし努力に意味があるとしたら、昨日の自分ができなかったことが今日できるようになった、みたいな自分への手応えを得られる部分だと思っています。でもそれにしたって、努力をするかしないかは個人の自由のはずです。ウ・サギは努力するのがわりと好きな傾向がありますが、自分の思うような結果が出るかは運や巡り合わせ次第の部分もあるので、結果が出れば嬉しいけど出ないと悲しいギャンブルに、自分のエネルギーというコストを投入するという一風変わった趣味嗜好くらいに捉えています。ハイコスト、ハイリスクなわりにリターンはそんなに見込めないので、あまり他人におすすめする気持ちにはなれないです(苦笑)
回答:ウ・サギ

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Q.生きづLABOのアプリの話、私も賛成です!「かくれてしまえばいいのです」みたいにメタバースで生きづLABOの社長たちと会えるみたいなのいいと思います!
A.前にこのような質問(Q.死にトリにアプリがあるって話を聞いて生きづLABOもアプリ版ができたら面白いなって思った)がきたので、それを見ての質問ですかね。読んでいる人向けに補足しておくと、「かくれてしまえばいいのです」は生きるのがしんどい人のためのWeb空間で、交流のコンテンツはないですが、絵本調のメタバースとなっています。ウ・サギも「かくれてしまえばいいのです」みたいなのは生きづLABOに結構合っていると感じますし、いいと思いました!
ちなみに、生きづLABOは社長たちではなく所長たちですね(誤字かな?)。会社の社長ではなく、研究所の所長なので、一応訂正しておきます。
回答:ウ・サギ

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Q.完璧主義ってなんですか?
僕は完璧主義なのでしょうか?
A.完璧主義ってなんですか?は、とてもいい問いだとウ・サギは思いました。どんなものも「そもそも論」がウ・サギは好きというのもありますが、完璧主義には、社会の価値観と人の個性や性質の両方の要素が深く入り混じっていると感じるからです。
まず補足に他人に完璧主義だと言われて…という話があったので、他人から言われた自分の人物像や個性をどう捉えるかという話をすると、それはあくまでその人の感想であって、クオリティをそこまで信頼できるかというと怪しいとウ・サギは思っています。ウ・サギの経験則としては、「完璧主義だね」と言われる場合は、「私はあなたのようには目標や理想を抱かないし、それに対して神経質になったり不安になったりもしません。あなたは生きるのが大変そうですね」といった感想の表明の要素が強いと思っています。
次にウ・サギの思う完璧主義について話をすると、完璧主義は
①自分なりの、こうありたい、こうあらなければ、というイメージが限定的かつ明確である
②その限定的で明確なイメージが、世の中で言われる「出来ている」や「ミスがない」に近しい
③自分のイメージに向かっての努力が大きい、またはそうなれないことへの不安やショックが大きい
といった要素に分解できると思っています。つまり、完璧主義というのは、視野や想定が広くない&不安が強い、という言い方をした方が正確なのでは?というのがウ・サギの考えです。それが良いか悪いかでいうと一長一短だと思いますが、自称完璧主義の傾向があるウ・サギとしては、まあ生きるのは疲れますよね…とは思っています。
なぜ①②③が生じるのかの分析を深めると、「こうありたい」「こうあらねば」と思いやすい(あれこれ想定して理屈で生きる)タイプと、あまり思わない(今現在を感覚で生きる)タイプがもともとの個性としてあると思います。そして人は周りの価値観やプレッシャーを吸収するので、狭い価値観の中にいるほど、プレッシャーを浴びるほど、①②は強化されるし③も強くなると思われます。
だから完璧主義は、自分で抱いた「主義」なんてものではなく、自分の思う完璧にこだわってしまう、完璧への圧に囚われてしまった、という「自分で選べないもの」な気がします。
質問者さんが完璧主義かはわからないですが、圧が強い社会なので、完璧主義と言われる傾向を持ち合わせてしまう人はとても多いようにウ・サギは感じています。
回答:ウ・サギ

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Q.最近、自分が「いい子」じゃなくて「悪い子」になりたいんだなと気づきました。私の思う「悪い子」は派手な見た目をして、社会規範から外れた、親や偉い人の言うことは納得できることしか聞かない子です。世の中のルールは最低限守って生活する感じです。この春から高校生になるのですが、家に帰るのは21時を過ぎさせる予定ですし、親の言うことは基本無視するつもりです。大学生になったら一人暮らししてピアス開けて髪染めて実家に帰るのは成人式のときに宿泊場所として使うので最後にしたいです。これって「悪い子」っぽくないですか?私はこういう人をかっこいいと思うのですが、かっこいいと思いますか?最近は不良をかっこいいと思って少し憧れてます。
A.「いい子」「悪い子」の基準といっても様々だと思いますが、(思考停止で規範に従わせてくるような)大人にとっての「都合のいい子」になるのは完全にお断りします!といった宣言に近いのかなとウ・サギは理解しました。派手な見た目をして、大人の言うことは納得できることしか聞かなくて、ピアス開けて髪染めて、実家に帰るのを成人式で最後にするのは、ウ・サギとしては「悪い子」というよりは「自由な子」という感覚です。そこには、誰かの人権侵害をする要素がないからです。どちらにせよウ・サギは誰かを悪い「子」とは思わず、人権侵害の「言動」は確かにある&もしそれがあるなら予防や対処を考えようというスタンスですが、もしピアスや髪染めるくらいで悪い子とされてしまうなら、ちょっと基準が変じゃないですかね…?と言いたくなります。
かっこいいと思いますか?と聞かれると、「その人にとって望ましい自分でいられるなら、それが一番イケてる姿だと思います!」という回答になりますが、ウ・サギは性別を超越してる存在がかっこいいと思っています。これはウ・サギ自身が最も嫌いで苦痛な規範が、性別や異性愛や家族についての当たり前なので、それを打ち破りたい気持ちが強いからかもしれません。自分自身が嫌いな規範をお断りしてる人をかっこいい!と思うという点では、もしかしたら質問者さんの思うかっこいいと、ウ・サギの思うかっこいいは似ているかもしれませんね。
回答:ウ・サギ

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Q.心療内科に通っている自分に後ろめたさを感じます。
ふわっとした死にたいが多くて、辛くて苦しい!死にたい!じゃないから、なんだか申し訳ないです
通院をやめた方がいいのでしょうか?
A.後ろめたいという理由で通院をやめるのは、ちょっともったいないような気がしたウ・サギです。もう自分には要らないと思っているなら通院をやめるのも手ですが、ウ・サギはピンチになったときに頼れる第三者機関の選択肢として、かかりつけの心療内科はキープしておいて損はないと思っています。ふわっとした死にたいでも、どんな気持ちでも、心療内科が助けになりそうなら通っていていいし、助けにならないなら通わなかったり、別の頼り先を探すのがいいかな…?とウ・サギは思います。だから質問者さんにとって心療内科に通っていることに価値があるかという、シンプルな考え方で判断することをおすすめしたいですが、いかがでしょうか。
回答:ウ・サギ

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Q.不登校期に親に「殺す」と言われました。親は過労死世代で仕事のストレスなど重なった結果だと思って飲み込んでいますが、自分は30代でも自立が出来ず、家庭も欲しくありません。地方特有の家族の圧力や、お金が無ければ結婚という選択圧が息苦しいです。
A.地方特有の家族の圧力や、お金が無ければ結婚という選択圧…ウ・サギも地方に生息していたことが多いので、ありありと空気感が浮かんできました。「いや~…あれはしんどいですよね……」と、質問者さんの事情や地域をすべて知っているわけでないのに、心を込めて頷いてしまいます。家族所属の自分でしかいられないというか、「家」というものの力が強くて、一人で支援を使うみたいなものがそもそも選択肢に上がってこないというのか……。
生きづLABOは今年度から拠点のある釧路で「家以外で暮らしてみよう体験」も企画中なので、よろしければご検討ください。案内できるのは5月以降になりそうですが、お金がない場合も来れるようなものとして運営する予定です。
回答:ウ・サギ

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Q.親の言うことを必ず聞いてしまいます。嫌だとは思わないの?とよく聞かれますが、ほぼ義務みたいに従ってしまいます。
A.従わない方が不利益が大きいなら、従っていた方がまだマシだと判断して従っておくのは、一つの戦略だとは思います。嫌だと言って断固従わないのも、嫌だと言いながら従うのも、嫌だと思いながら従っておくのも、従ったふりをして時々裏をかくのも、色々な戦略の形があると思います。(とはいえ、そもそも親が子どもを従わせようとするのをやめてくれ、って話ではあるのですが……)
嫌だという思いは大切なものであると同時に、環境を変えるのが難しい状況で嫌だに気づくと苦しいというのもあるので、嫌だを封じ込めるのは生存戦略の一つだったのかもしれないともウ・サギは想像しました。「必ず聞いてしまう」という自覚をもち、それを変えたいと感じているなら、もう親の支配から抜け出す一歩は始まっていると思います。あとは自分の気持ちを応援してくれる応援団を増やしていくことがポイントかと思うので、ネット上のささやかな関係ですが、生きづLABO一同も勝手に応援団の一員になりたいと思います!
回答:ウ・サギ

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