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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.子供の頃に戻りたい気持ちは一体どんなところから来ている?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.子供の頃に戻りたいなぁと思う気持ちが、最近大きくなっています。こういう気持ちって、一体どんなところから来ているのでしょうか。

A.ウ・サギも最近その気持ちが大きくなってきているので、仲間が見つかってちょっと嬉しくなっています。
ウ・サギの場合はですが、自分が子どもの頃と比べて(気持ちが)不自由になってしまった自分、そしてそれが完全には戻ることのないことに、気づいてしまったからなのかな…と感じています。つまり、今の自分の未練や望みや痛みと向き合える力が出てきたときに、子どもの頃に戻りたくなるのではないか?というのがウ・サギの説です。だからそれは主観としては良い気分じゃなくても、本質的には自分という存在が回復してきた証なのだと捉えています。
とはいえあくまでこれはウ・サギ説で、まだまだ不完全な仮説かと思うので、他の人の考察も聞いてみたいです。

update 2025/3/2
Q.先生が「これを見て、君たちにこういう思いを持ってほしい」と言うけど、何を学ぶかは私たちの自由じゃないの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.先生が、「これから動画を見せるけど、君たちにこういう思いを持ってほしいんだ」とか言います。でも私たちがそれを見て何を感じて何を学ぶか、学ぶか学ばないかって私たちの自由じゃないんですか。

A.ウ・サギも、120%それに同意です。今首がもげるほど頷いています。
何を感じ学ぶかは、その人の自由だし、押しつけられた学びは本当の意味で学びではなく、調教や洗脳に近いものだと思っています。
ちなみに、ウ・サギはおおむね学校というものは好きじゃないですが、「こういうのは正しくないな」「ちょっと違うな」という例をいっぱい見れた部分は学びになったと感じています。

update 2025/3/1
Q.不幸せでも生きてゆく方法ってなにかあると思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.不幸せでも生きてゆく方法ってなにかあると思いますか?辛い状態が長く続いていて、正直生きるのが苦痛なのですが、楽に生きるにはどうすればよいのでしょう。幸せに生きるか、死ぬかのどちらかなのかな。

A.幸せじゃなくても、死にたいままでも、それなりに平穏に生きていくことはできる(ウ・サギはその状態なので)とは思います。
でも、「不幸せ」「辛い状態」というのは、幸せじゃないという次元ではなく、積極的に苦痛のあるものかと想像しています。そして、苦痛は周り(身近な人、周りの価値観、社会のあり方)との関係性の中で生じるものであり、辛い状態=環境が合わない状態、という側面が強いと思っているのですが、あなたはどうでしょうか。相手が悪いわけでないとしても、この人と関わっても、ここにいても、頑張るだけ不幸になっちゃうな・・・という場所はあるとウ・サギは感じています。
自分を変えられる幅は小さいですが、付き合う人と環境は、理論上は大いに変える幅があります。
どこで生きるかの選択肢が手軽にたくさんあったら、生きるか死ぬかではなく、さあ楽に生きれそうな場所を探しに行こう、という話になる気がします。そんな世界になってほしいです……。

update 2025/2/28
Q.前まで死にたいと言っててそれを乗り越えた友達の冗談を聞いて苦しくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.前まで死にたいって言っててそれを乗り越えた友達がね、他のクラスメートに冗談で「お前みたいなやつがいるから去年の若い世代の死因は自殺が1位なんだぞ〜w」って言ってて。そんな簡単なことじゃないだろって苦しくなった。

A.ウ・サギはこれまでずっと「乗り越えた」という言葉に何かもやっとするものを感じてたのですが、それは「簡単なことだったことにする」に近い意味に見えたからなのかもな、とあなたの話を読んで気づきました。
でももしかしたら、それを言っている友達も「簡単なことだった」と思い込みたいだけで、本当のところでは解決していないのではないか(今はうまく誤魔化せているだけ)、ともちょっと考えました。
そう考えると、なんか難しいですね…。でもこういう苦しみを抱えているとじわじわ削られるものがあるとウ・サギは想像しているので、質問に送ってくれて勝手ながら安心しました。苦しさは吐き出して、シェアしていきましょう。

update 2025/2/28
Q.ニキビがやばすぎて自分の顔が嫌いになりそう…なんでモデルとか周りの子達は綺麗な肌なの…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ニキビがやばすぎて自分の顔が嫌いになりそう…なんでモデルとか周りの子達はあんなに綺麗な肌で入れるんだろ…?割と意識して生活してるつもりなのに…

A.ウ・サギも身近な人を見て体感しているのですが、ニキビができるかは、体質に左右される部分が大きいです。ニキビができない体質の人は何も意識しなくても一つもできないし、できる体質の人は十分に意識してもできてしまう、というくらいの差があります。(その真ん中の人が多いは多いでしょうが)

だから、あなたの生活の意識が足りないとかの話ではない、とはウ・サギは伝えたいです。ただ、ニキビ対策にベストを尽くしたいなら、やはり専門家である皮膚科のサポートがあった方がいいので、皮膚科に行ってみるのはありだと思います。
皮膚のトラブルは感覚的な不快感もあるし、周りと比較しても苦しくなるし、やりきれないよなあ…とウ・サギは思います。

update 2025/2/28
Q.トランスジェンダーなのに性欲が強くて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.トランスジェンダーなのに性欲が強くて辛い。どうして性欲があるのか、なくなれば楽なのに…といつも思います。いつも自分の体を嫌悪したり、罪悪感や後悔の気持ちで一杯になってしまいます。どう考えを変えたらいいと思いますか?

A.悩みの切実さを感じ、しばらく考えこんだウ・サギです。
まずは、何の答えにもなりませんが、「睡眠欲」「食欲」「性欲」が人間の三大欲求とも言われる中、「性欲」だけはちょっと特別な場所に置かれているよなあ、とぐるぐる考えました。
眠いから寝る、食欲があるから食べる、性欲があるから(周りに迷惑をかけずに)解消する、どれも等しく、排泄と同じくらいに生理現象だという考え方はできると思いますが、どうでしょうか。

あと、人間は生命の危機や、さみしさ、不安を感じると、食欲や性欲が強くなることがあるようです。
あなたの性欲がどういったメカニズムのものかは、ウ・サギには測りかねますが、「自分は今後どうやって生きていったらいいのか」といった危機や不安からくる衝動、という側面はあるかもしれません。

あらゆる面で、自分の体と心がちぐはぐで、かなり苦しいだろうと想像しています。
でもとにかく、人間の欲は(とくに三大欲求は)、自分の意思や感情でコントロールしきれるものではないので、「自分の心がしていることではない」のだ、とはウ・サギは思います。

update 2025/2/27
Q.自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきたが、生きていてほしいと言うのが正しいことなのか分からなくなった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.高校3年です。自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきました。死にたい人に生きていてほしいと心から強く言いたいのに、それが本当に正しいことのか、良いことなのか分からなくなりました。死にたい人と向き合うことが怖いです。皆さんは怖いですか?

A.自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきた、というのは、ウ・サギはあまり聞いたことのない生き延び方だったので、どうしてその思いが生き延びる軸になったのかが、とにかくまず気になりました。

ウ・サギは、死にたい=「自分らしく生きれないなら」死にたい=自分らしく存在したい、という意味があると思っているので、自分らしくありたい思いの支持・応援はしたいと心から思いますし、それが生きる道で叶ってほしいと願う気持ちはあります。
ただ、生きていてほしい、というメッセージは時と場合によっては、自分らしくあれない苦しみを尊重していない・受け止めていない態度に相手には見えてしまうこともあるので、取り扱いは難しいなと感じています。

死にたい人といっても、その「死にたい」に込められた思いや傷、背景は人それぞれだと思いますし、周りはその「死にたい」の背後に耳を傾けることしかできないとウ・サギは思います。
そして、相手の気持ちの背後にあるものに耳を傾けるためには、まず、自分の気持ちの背後にあるものをよく知るのが必要だとウ・サギは思っています。そうしないと、相手の声なのか、相手の声を聞いて出てきた自分の声なのか、混乱して、相手の声をうまく聞けないときがあるからです。

ウ・サギは、どんな人相手だろうと、自分に余裕がないときや自分の声(気持ち)がざわざわしているときは、人と向き合うのは怖いです。

update 2025/2/27
Q.なんで皆、お葬式のときでも「死」をネタにしたり、帰ってきたらすぐに日常に戻って笑えるのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんで皆、お葬式のときでも「死」をネタにしたり、笑って話したりできるのでしょうか。
なんでお葬式から帰ってきたらすぐに日常に戻って笑って生きることができるのでしょうか。

A.あなたにとって、違和感やもやもや、許しがたさのようなものを感じるお葬式を経験してきたのだろうか…と想像して、回答を考えています。(違ったらすみません)
また、「なんで」という気持ちを抱えたまま、それを消化できずに、苦しい状態にいると受け取っています。

それ以上想像に想像を重ねてもズレていくばかりな気もするので、ウ・サギのこれまでの経験から、死をネタにして笑って話したり、お葬式から帰ってすぐ日常に戻って笑ったりできる場合と、そうはならない場合の違いを考えてみますね。

一つは、(たぶん生まれつきの)タイプとして、今や未来に意識が向きやすいタイプと、過去や記憶に意識が向きやすいタイプがいると思っています。今・未来タイプの人は、死を深く悲しんでいても、「日常にすっと切り替わる」部分はあるかもしれません。
別のベクトルとして、じっくり考えてから話したり行動するタイプと、なんとなくのノリや感覚で行動するタイプがいるとも思っています。そして、ノリのタイプは、何かを簡単に「笑って」ネタにしてしまうときがある気もします。(たぶん多くの場合、そこに悪意はないとウ・サギは感じています)

あとは、人は居心地の悪さや不安を抱いたときに、何かをネタにして笑うときがあるとは感じます。
そう考えると、周りは死というものに動揺を抱いていたり、向き合うことができずに、逆に軽い態度をとってしまうのかもしれません。
的外れなことばかり書いてしまった気もしていますが、何かの参考になれば幸いです。

update 2025/2/27
Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう なんなんだろう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう
なんなんだろう

A.考えをして「しまう」と表現されていたように、自分自身の意思ではなく「そうなってしまう」ものなのだろうとウ・サギは思いました。

どのような考え方をするかは、時代や環境にかなり左右されるものだとウ・サギは感じています。
質問者さんの考えがどのようなものかわかりませんが、自分を追い詰めるような考えは、物事の責任や過失を自分に求めすぎる、努力や結果のプレッシャーをかける、周りの反応を気にしすぎてしまう、などかなと想像しています。
今の世の中は「自己責任論」や「競争主義・能力主義」という、個人の努力を過剰に求める考え方や、「集団・同調主義」とでもいえるような、周りにどう思われるかを重視する在り方が流行しているとウ・サギは思います。そして、私たちは知らず知らずに、または身近な人から直接的に、それを取り込んでると感じています。

もちろん、それだけが全てではないと思いますが、自分を追い詰めるような考え方をしてしまうのは、自分を追い詰めるような考え方が流行しているせいだ、という要素は大いにあるとウ・サギは思います。
なぜそんな流行がおこってしまったのか、どうしたら過剰なそれらから抜けられるのか・・・みんなで考えていきたいところです。

update 2025/2/27
Q.多分幻聴が聞こえてる。どうしよう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.多分幻聴が聞こえてる。どうしよう

A.幻聴があること自体は、ウ・サギはそんなに大ピンチとは思わないのですが、幻聴が幻聴であるとわからない、幻聴の言うことに強く振り回される、となってしまうと大変かと思うので、幻聴に影響を受けすぎないように、あなたの幻聴を一緒にモニタリングしてくれる存在がいたら(幻聴についてフラットに相談できる人がいたら)いいなあと思いました。
そんな人はなかなかいないかもですが……。ピンチだと感じたら、この記事なども参考にして、相談できる先を探してみてほしいと思います。

update 2025/2/19