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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い

A.家庭の中で、おばあちゃんからお父さんへの関わりだけ、見ていてわかるくらいに態度が強いのですね。補足に書いていた「これって差別?」には、辞書の定義でいくなら差別とは違うのですが(差別というのは、例えば性別や人種や病気などの、何か特定の”属性”があるからという理由で攻撃するものを言います)、おばあちゃんの態度に質問者さんとしては不当なものを感じているのだろうとウ・サギは想像しています。
なんでお父さんにだけ態度が違うのか?そうしてしまうような理由もわからないし、やめてほしい・・・そういった気持ちがあるのかなと思いました。そもそもどんな理由があろうと、子どもの前で、不当な扱いや攻撃的な言動を見せないでほしいとウ・サギは思います。
家庭内で大人間の喧嘩を見ているだけで、自分が攻撃されていなくても心に傷を受けるという話はされていますし、喧嘩までいかなくても同じように傷つくことがあると感じます。直接やめてほしいとは言えないかもしれないですが、辛いという話を言えそうな人がいたらなるべく相談してほしいとウ・サギは思いました。

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update 2025/9/2
Q.「本来のその人」って一体何?よくない性質だけ個性を切り離すなんてできるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「本来のその人」って一体何でしょうか?
よくない性質だけ個性とは切り離すなんて、都合のいいことが本当にできるのでしょうか。
所長たちが普段言っている、「よくない行動でも無理にやめさせず背景を分析すべき」という考えとも矛盾する気がします。

A.(補足)所長たちの質問回答配信第22回の質問1「精神疾患や発達障害の治療では、主に『考え方や行動の矯正』を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。」を見ての質問とのことです

質問と補足を読んでウ・サギが気づいたのは、質問者さんの言っている「認知行動療法」と、ウ・サギ(たち)のイメージしている「認知行動療法」には、何かしらの違いやズレが生じていそうだな、ということです。
これはウ・サギの印象なので間違っていたら申し訳ないですが、質問者さんの言っているもの(実際に経験したものでもあるのかなと想像しています)は医学モデルでの話で、ウ・サギは社会モデル・対話モデルでの運用をされるのは勝手に大前提とした上で話している気がします。
何がよくないものなのかを医療を提供する側が定義し、患者が努力や工夫をしてそれを変えていきましょう、というスタンスで行われるなら、どんな療法だろうとウ・サギは大反対です(残念なことに、実態としてはそういった場合があるのでしょうね……)。ただ、それは認知行動療法という技法の問題ではなく、医療というもの自体や支援者のあり方の問題だと捉えているので、認知行動療法を対象にしたネガティブな気持ちはあまりないです。何がよくないもの・変えたいものかを(そもそもそこに正解もないですが)対話の中で本人が決めて、本人と周囲と双方で歩み寄りや折り合いを探っていくために使う枠組みとして、認知行動を意識して考えてみるのは悪くないよね、と思っています。
ただ、合う人合わない人はいるかと思いますし、ウ・サギ自身が認知行動療法を受けるということだけで考えると、きっと合わないだろうと感じます。社会の常識といわれるものからの圧や合わなさでの傷つきが大きい場合や、もともと思考が発達している場合は、あまり合わず、腹立たしい思いさえする。社会の風潮というよりは特定の誰かとの関係での傷つきが大きい場合や、感覚や感情が優位で思考を伸ばした方が生きやすい場合は、わりと有効・・・?という印象はあります。これはあくまで主観バリバリの仮説ですが。

補足にあった「いつか生きづLABOでこのような問題を話しあえたら、社会の課題を一つ明らかにできそうだと思うのですが」という意見には賛成です!どうしたら安全な話し合いの場になるか、参加したい人たちが参加しやすいツールや運営方法は何か、ああ先に研究員制度を始めるための利用規約を整備しなくては(研究員にならなくても話し合う場はあっていいのですが、まずは前から言ってることをやらなくてはという筋)、そんなうちにやろうやろうと口だけのウ・サギになってしまう・・・と頭も心も忙しくなってきました。
当事者の違和感を出発点に対話を深めていくことは、社会の課題を明らかにしていくための超有効なアプローチだと思っています。

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update 2025/9/2
Q.邪魔者の自分が死ぬべきだと思うし、社会の仕組みを変えようと思えない。ごめんなさい。
この記事の担当 所長室

Q.社会なんて変えられないから、邪魔者の自分が死ぬべきだって思います。社会の仕組みを変えようと思えないです。ごめんなさい。

A.そ、そんな、全然謝ることじゃないですよ…!と恐縮のウ・サギです。
ウ・サギの中にも「自分が死んだら自分の中では解決じゃん」と思う自分がいるので、感覚的にも全然わかると感じます。論に賛成するかは別として、当事者の感覚、感情としては自然な反応のひとつだと思います。
質問でごめんなさいと伝えてくれたということは、社会の仕組みを変えようというメッセージがすごく賛同を求めているように見えてしまったのか、どこかで賛同したい気持ちや責任感を抱いているから出てきた言葉なのか・・・ちょっとそのあたりの想像も巡らせてしまいました。
カエルさんにも話を聞いてみましょう。

*生きかたカエルから*
変えようと思えなくても全然いいと思いますよ。あなた自身が変えようと思えなくても、生きづLABOが変えようとすることを応援してもらえるのなら嬉しいです。もしも、応援もしたくない!というのであれば、それもありだと思います。
こうして、「そう思えない、ごめんなさい」と思って、質問箱に送ってくれているのですから、少なくとも社会の仕組みを変えることに対して興味や関心がありそう…関心を寄せてくれるだけで、ちょっと嬉しくなるカエルでした。

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update 2025/9/2
Q.人間は病気も治せて食べ物も供給できるのに、なぜ野生動物より悩み窮屈そうなのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間は病気でも治療して治せる
食べ物はちゃんと供給できる
野生動物に襲われる確率はかなり低いのに
野生動物よりなぜくよくよ悩み窮屈そうに見えるんでしょうか?

A.それは、くよくよ悩むということ自体が、生存のためにリソースを全部使う必要がない(つまり、端的に言うと暇がある)から発生する現象というのがまずあるのかなと思いました。あとはそもそも動物と人間の大きな違いとして、人間は概念というものを獲得していて、今目の前のこと以外も考えることができちゃうというのもあると思います。過去を思い出すのも、将来を不安に思うのも、アイデンティティというものに揺らぐのも、比較するのも、概念があって初めて生まれるもので、動物には(現状の仮説としては)ないとされています。
そして困ったことに、一方で面白いことに、人間の考えや生き方に正解は存在しないのですよね・・・。この世界が何なのかを自分で感じ、必要があれば感覚を理論で補強し、自分の欲求と周りの欲求や現実との間で折り合いを探り続け、絶望や閉塞を感じてもどうにか今を生きるための支えを見つけ・・・死ねない間は、揺らぐ自我を抱えてどうにかやっていかないといけません。そのバランスを自分で見つけて取り続けていくことの難しさは、ここまで宗教というものが必要とされてきたことや、時に信じられないような虐殺が起こってしまうことなど、歴史が証明しているとウ・サギは思います。
くよくよ悩むのは(その権利を使いたいかは別として)人間として生まれた特権のようなものだし、全然いいと思いますが、窮屈というのは行き過ぎると怖いようにウ・サギは感じます。だからくよくよをシェアできる、窮屈になりすぎない社会をつくりたいと思っているところです。

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update 2025/9/2
Q.死にたいと思うとまた生きたいと思っての繰り返しでワケわかんなくなる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいと思うとまだ生きたいと思って、まだ頑張ろうって粘るけど辛くなって死にたいと思うの繰り返しでもうワケわかんなくなります。

A.真逆(に見える)気持ちがどちらもあって、自分の気持ち・自分のことのはずなのに、もうワケわかんないよ…!とパンクしそうな感じを想像しました。振れ幅や波が大きく、心も体も消耗していくのではないかとも思いました。
ウ・サギは「死にたい」は、「生きたい」とある種セットのように感じています。生きたい気持ちがなければ、「別に生きていきたくもないけど死にたいってほどでもないなあ、まあくたばるまで生きておくか」くらいの淡々としたメンタルになるのではないか?と思うからです。そういう思いで生きているよという話も実際に聞いたことがあるので、死にたいという強いエネルギーや気持ちを抱くのは、生きたいというエネルギーが逆に向いたときに起こる現象というのか・・・。話がよくわからなかったらすみません。
それと同じように、辛くなるのも、頑張ろうとするからなのかなとウ・サギは思います。だから一見反対の気持ちに見えても、実はセットなものって意外と多いのかもしれません。頑張らないをできたらちょっと楽になれそう?とも思いつつ、頑張らないを簡単にできたら苦労しないよなあと、悩ましく思うウ・サギです。

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update 2025/9/2
Q.勉強しようと思うがすぐ集中が切れてしまう。勉強頑張れるような言葉をお願いします!
この記事の担当 ウ・サギ

Q.もうすぐ受験生になるので、勉強しなければいけません。勉強しようとはおもいますが、すぐ集中が切れてだらけてしまいます。自分の成績は悪い方なんで、勉強頑張れるような言葉をお願いします!

A.なるほど…ウ・サギは勉強を重んじない派閥なので、頑張れるような言葉が何も浮かばすちょっとわたわたしていますが、頑張りたい気持ちが自分自身から溢れているなら、それは応援したい気持ちです。
まず、言葉じゃない話になってしまうのですが、勉強については、自分に合ったやり方やモチベーションの上げ方を見つけるのがとても大切だと思っています。ウ・サギであれば、計画を立てるとそれに従ってしまう性質なので(ちょっと崩れただけで絶望するので、ハイリスクハイリターンな作戦ですが…)、細かい計画を立てるとうまくいきます。
集中しやすい環境も人によって様々で、一人で黙々とやる派、周りに人がいる図書館などの方が集中できる派、家のリビングがちょうどいい派・・・いろいろあります。何でモチベーションが上がるかも、誰かに褒められる、自分で目標を作ってご褒美を用意しておく、近いレベルの人と競い合う、競うのではなく励まし合う・・・などとかなり様々です。とにかく、やる気とやる体力はあるなら、あとは自分がやりやすい環境を探すだけなので、自分が集中できてモチベーションを保てる方法を探してあげてほしいと思いました。
頑張れるような言葉は・・・やっぱり思い浮かばないのですが、「これくらい進んだよ!」とか「こういう部分は失敗したけどこういう気づきはあったよ」とか、「ダメだ~助けて」とか、安心して報告できる先があると頑張りやすい気がしました。報告先として、生きづLABOの質問も役に立ちそうなら、ぜひ使ってください。

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update 2025/8/28
Q.何も言われていないときも「怒られたらどうしよう」と怖い。恐怖心を克服する方法を教えて
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何も言われていないときも「怒られたらどうしよう」と怖くなる。恐怖心を克服する方法を教えて欲しい。

A.ウ・サギも結構共通していそうな部分があって、メールなどで連絡をすると返事待ちの間「なんて失礼な文章なんだ」みたいに怒られる妄想がよく出ます。実際は怒られることはほぼないだろうとわかっても、妄想は妄想で止まらないので、恐怖心というものは困りものですね……。
恐怖心を克服する方法と言われると難しいですが、ウ・サギは自分の恐怖を正直に伝えて、「連絡では絶対怒らないようにする」と約束してもらったことはあります。だから同じように「叱るべきことがあったときも、控えめに言われるだけで私は十分に反省できるので、強く言わないでください」とお願いすることはできるかも…?とは思いました。
怒られることが怖いのは、怒られたら全部自分が悪いと自分を責めてしまうような、自信のなさが影響しているのだろうかとウ・サギは時々自己分析するのですが、あなたはどうでしょうか。怒らない形で伝えることのできる場面は多くあると思うので、怒るという表現をする相手に「まあ私が悪かった部分もあるけど、そんな言い方しなくていいのにさ」と内心ぶつぶつ思えるくらいになれるといいのですけどね・・・。

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update 2025/8/27
Q.誰も信用できない。相談しても自分ばかり責められ、苦しくなる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰も信用できない。相談しても自分ばかり責められ、苦しくなる。

A.相談して自分ばかり責められたら、それは信用できなくなるのも無理はないとウ・サギは思います。相談はいつもうまくいくというわけではないですが、大変なときに自分を責められる言葉を言われてしまったら、ダメージは相当大きかっただろうと想像しています。その中で、人を信用できないと感じるのは、再びダメージを受けるのを避けるために自分を守る思考だとも思いました。
ただ、補足を読むにかなりストレスの大きい状況で、相談する必要性をあなたも感じているのかなと受け取っています。比較的安全な相談先としては、匿名のチャット相談をウ・サギとしてはおすすめしたいですが(合わないと感じたら遠慮なく去れるので)、質問箱でも溜まっているものを受け取ることと返事をすることはできるので、よかったらまた使ってください。

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update 2025/8/27
Q.離れるって何?と最近思う。親や嫌いな人からは離れたいけど離れて終わりじゃないですよね…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.離れるって何?って最近思っています。親や嫌いな人からは離れたい!って思うけど、離れてそこで終わりじゃないですよね…?大きな決断をするのにその先も何かが続くのは、少し嫌かもしれません…。終わりたい…。

A.離れてそこで終わりじゃない、は確かにそうですね。むしろ離れてそこからが本当の始まり、という感覚がウ・サギはあります。でも「離れよう」と言われたら「離れたら解決する」といったニュアンスに聞こえるかもなあ・・・そうだとしたら疑問や抵抗を感じるのも至極まっとうだな・・・と、質問を読んで考えさせられました。
(離れた後にも支援を続けるタイプの支援者の想定で話しますね)離れるのは、生きづらい側がすぐ楽になる!という話ではなく、サポートする側が手助けしやすくなるというポイントが大きいのかもしれません。だからちょっとぐいぐいと、離れることをおすすめしたくなってしまう気がします。でも実際のところは、何かをして劇的に全てが解決することはきっとほとんどなくて、つらい疲れた、もう少し頑張ってみるか、いややっぱりもう無理かも・・・といった繰り返しの中で、味方や使える資源が少しずつ増えていって、まあ生きていてもいいか、くらいに落ち着いていくイメージはあります。
周りができるのは、その人自身の「生きるのが楽になりたい」という思い、自分で自分を助けてみようとする意欲や力を、ちょっとだけ支えたり、せめて萎えたりしないように一緒に考えることなのだろうか・・・などとも考えさせられました。

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update 2025/8/27
Q.何でも先延ばしにして周りにも嘘をついて取り繕う自分が死ぬほど嫌い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分に甘いから何でも先延ばしにして後の自分を苦しめる。周りにも嘘をついて取り繕う。期待にも答えられない。こんな自分が死ぬほど嫌いです。努力できない自分が死ぬほど嫌いです。

A.嘘をついて取り繕ってしまうのは、あなた自身がなかなか苦しそうだと感じました。ウ・サギは、嘘をついてしまうのは、嘘をついてまで自分を守らなければと思うような、不安な世界で一人困っているということだと思っています。だから、とにかくとても困って苦しんでいる様子を感じて、「自分を責めなくていいよ」と言いたい気持ちになりました。
補足に、「自分で望んできたくせに忙しい環境に言い訳して」という言葉がありましたが、何事もやってみないとわからないことが多いので、望んだなら一貫して責任を引き受けるべき、といったような考えはウ・サギは危険だと思っている派です。自分の希望でやってみたものの自分に合いませんでしたとか、キャパを超えてしまって助けが必要になりましたとかは、誰にでも当たり前に起こることです。恥ずかしいことでもないし、周りへの裏切りでもないし、そうやって試行錯誤する中で人は成長していくものだとウ・サギは思っています。頑張りたいのに自分の力ではどうにもできなくて助けてほしい、と伝えたときに、協力してくれそうな人は周りにいないでしょうか・・・。
また、ここまで自分を攻撃してしまうのは、以前は努力できていた時期があったからなのかなとも想像しています。努力はしたいならすればいいし、したくないなら全然しなくてもいいとウ・サギは思いますが、もし前はできていたのにできなくなっているなら、今は負担がキャパを超えているというだけのシンプルな話に感じます。だから、自分の何かが変わってしまったのではないかとか、そういった心配はあまりいらないかも…?ともウ・サギは思いました。

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update 2025/8/27