PAGE
TOP
カテゴリー
Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.四肢が重い感覚があり指が開けなくなったりもする。ミスも増え食欲が湧かず吐き気もする。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何だか四肢が怠くて重い感覚があって動きにくい。急に指が開けなくなる現象(一時的に開けなくなる)が出てきたり、ミスが増えたりしている。食欲が湧かず、二口か三口しか食べれない。吐き気もする。

A.身体症状が出てくるのは、結構強いSOSサインだとウ・サギは思っているので、あなたの置かれている状況があなたにとってかなりしんどいものなのではないかと想像しました。もう頑張れない中頑張り続けてしまうあなたに、一生懸命ブレーキをかけさせようと体が足掻いている、そういったイメージも浮かびました。
ウ・サギとしては、メンタルクリニックなどにかかるのをおすすめしたいのですが、どうでしょうか(状況がわからないので、ズレている提案だったらすみません)。自分でもやばそうとは自覚していつつも、どうしたらいいかわからないくらい消耗しているように見えるので、何かの助けを借りてセルフケアに取り掛かってほしい…と思ってしまいました。またよかったら質問箱も使ってください。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/8
Q.休めば元気になる前提について色々感じるところがあるのですがどう思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.休めば元気になる前提について
休んでもやりたくないことをやりたいと思えるとは限らない
できないことができるようになるとも限らない
そもそも「休んでいる」ほうが本人にとって無理ない生活スタイルかもしれない
そう感じるのですが
どう思いますか?

A.興味深い意見だと思いました。「休む」「元気になる」を世間で言われているイメージで捉えるか、質的な定義で考えるかで、たぶん話は変わってくるのかなとは感じます。
世間で言われているイメージの「休む」=学校や仕事など外部のタスクの多い世界に行かない、寝る、何もしないなど、「元気になる」=学校や仕事などに行く、周りの要求を満たせるようになる、活動的になるなど で考えるなら「休めば元気になる」なんて前提は、暴力的だし突っ込みどころの塊だと思います。あなたの言う通り、休んでいる方が無理ない生活スタイルのこともあれば、休んでも何かできるようになるとも限りません。そして何より、世間の求める元気像は理不尽に要求が高く価値観が限定的だとウ・サギは思っているので、思考停止の「休めば元気になる」キャンペーンには疑問を投げかけ続けたいと思います。
ただ、「休む」=自分のパフォーマンスが上がるようにセルフケアをしたり環境調整をする、「元気になる」=自分の本来もっている力が発揮できる(阻害されない)ようになる、といった質的な定義で考えるなら、「休めば元気になる」はある程度真理なのかなと思っています。その定義で眺めると、周りからは忙しく見えるくらいが実は休んでいる状態の人もいるかもしれないですし、別に元気といえるような様子に見えなくても休んでいると言われる状態であろうとも、本人も周りも苦しんでいないなら何でもありだと思います。
でも考えるほどに、「休む」は「元気になる」「働く」を正しい状態と定義して生まれている表現な気がしてきて、簡単に使うのは危ういのかもなと思えてきました。考えさせられる質問をありがとうございます。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/8
Q.親の機嫌に怯えて生きてきて大学生一人暮らしで自分を取り戻せると思ったがダメで十数年経った
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親の機嫌に怯えて生きてきました。大学生になって一人暮らしすることになり、ここからは自分を取り戻せる!と思いました。でも全くダメでした。大学に馴染めず中退してそこからもう十数年経ってしまったけど未だに停滞しています。誰か助けてって叫びたいです

A.誰しも、困ったときには誰かの力を借りて生きているので、誰か助けて って叫びたいのはとてもまっとうな気持ちだと感じました。全部自分でやりたいと言われたらちょっと困ってしまいますが、どうやったらうまく助けを借りられるのか、助けてを伝える相手としてまずどこがいいのか、そこなら知恵を出せるはずなので気合を入れたくなります。(といっても、質問箱でやれることも、ウ・サギの知っていることにも限界があるのですが…)
補足で、支援を頼ろうと試みたことはあること、相性のいい人が見つかるまで当たって砕けるのは無理だと感じるとありましたが、「そうだよね…」と頷くしかできない感覚になりました。恐れ多くも提案をさせてもらうなら、匿名のチャット相談などはわりと優しく寄り添ってくれるのと、この人無理だ!と思ったら速攻逃げれること、(大きい相談機関なら)相談する度に基本違う人に当たると思うので、一応おすすめはします。
家庭で大変だったところからとりあえず逃げられても、回復には少なくない時間とコストがかかるケースが多いというのがウ・サギの実感です。安心したことでつらさが爆発する場合もあれば、自由だとどうしていいかわからない、身についた不安が邪魔して自分らしくいられない、人に頼れず一度つまづくと浮上できなくなる、人を信用しようとする過程で周りを振り回したり傷つけ合うような関係性を繰り返してしまう・・・等々、あらゆる困難が起こりえますし、停滞するのはサポートが十分になかった結果だと思います。子ども時代の傷の影響に苦しみ続ける大人への支援が乏しいのは大きな問題で、本当に理不尽だともいつも思います・・・。
語ることは自分を取り戻すことにささやかにつながるとは思うので、またよかったら質問をください。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.付き合っている子に可愛いねと言うと微妙な反応をされるのは信用されてないから?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.僕は女の子で、好きな女の子がいます。毎日好きだよ!とLINEし合うし、もう付き合って一ヶ月ほどです。しかし、ぼくが可愛いねと言うと、微妙な反応をされます、これは僕のことがあまり信用できないからなのでしょうか?

A.相手の子の気持ちは相手にしかわからないですが、信用できないからではなく、違う理由から微妙な反応をされているのではないか?とウ・サギは感じました。
ちなみにウ・サギも(そもそも可愛いと評されるタイプでもないですが)、好きな相手に可愛いと言われても微妙な反応をしてしまうと思います。褒めることや愛情表現については、なんでも嬉しいタイプもいますが、自分が「頑張っている」または「自分で好きだと思っている」要素を言ってもらえたら嬉しくて、そうじゃない部分はむしろちょっと嬉しくないタイプも一定数いるとウ・サギは感じます。ウ・サギの場合は、自分のことを本当には見てもらえてないように感じるから、しっくりこない褒めをいただくとちょっとモヤモヤします。我儘でごめんなさい、という感じですが…。
ここは相手に直接「微妙な反応をされていると感じるのだけど、どういう気持ちか教えてほしい」と聞いてみるのがウ・サギとしては良いと感じるのですが、どうでしょうか。わからないことは正直に聞く。そして、聞くときには、まず自分の思っていることを丁寧に伝える。それがお互いを大切にする関係性だとウ・サギは考えます。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.何が不安か分からなくて毎日なんとなくギリギリ。自分を見失ってます。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何が不安なのか分からなくて。毎日なんとなくギリギリで生きてるけど、このままでいいのかなって思ってしまって。自分を見失ってます。

A. ウ・サギは不安というのは、プレッシャー(周囲からのものと、自分が自分に向けるものと)と、自分はこうありたいというののせめぎ合いの中で発生することのように感じています。また、心身が弱るほどに、不安が暴走してくるとも思っています。
だから日常的にプレッシャーや負荷がかかっている中で、休める機会も十分になく、でも本当は自分らしく生きたいともがいている気持ちもあるのかなと勝手ながら感じました。負担については、それがあるのが当たり前になっているか、意外なところに苦手ポイントがあるのか等で、自覚しにくい状態にあるのかな…?という想像も浮かびました。(全然違ったらすみません)
また、あなたとしては自分を見失っていると感じるのかもしれませんが、「見失っている」とわかっているのは、哲学にも「無知の知」という有名な言葉があるように、理解の第一歩にいるようにウ・サギは感じます。
とくに、「このままでいいのかな」には、大切な要素がたくさん含まれていそうにも思いました。見失いながらも、あなたがまた自分のことを言葉にするのを、ウ・サギとしては聞いてみたい気持ちです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.配信で言っていた「全然やりたくないことをやっていたらなんか変わった」について詳しく聞きたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.6/25の配信の質問5の質問者です。回答してくださっていた中で、ウ・サギさんが「ウ・サギは全然やりたくないことをしょうがないからやっていたらなんか変わりましたね」とおっしゃっていたことについて、個人的に詳しく聞いてみたくなりました。

A.なるほど、質問ありがとうございます。
まず「やりたくない」のニュアンスをもう少し丁寧に説明すると、積極的にやりたい要素は何もないが、積極的にやりたくない要素もない、つまりプラスがなくマイナスもないものでした。それまではウ・サギはプラスがあることを(好き、興味がある、目標)を優先に、どんな不向きも逆境もわりと気にせずに進んできたのもあって、全然やりたくないこと、という表現を使いました。だから丁寧に表現すると、全然やりたいとは思わないこと、になるかと思います。
そして、ウ・サギ的にはここが結構ポイントだった気がするのですが、作業は「自然の中で体を動かす」「わりと単純作業」「人と積極的に関わる必要はない」=ウ・サギにとって負担が少なくリラックスできる要素がそろっているものでした。心身は最低限回復していつつも、放っておくと延々と過去や自分の思考に引きこもってしまう時期だったので、無理ない負荷で外の刺激に目が向くことで、自分のバランスが徐々に良くなっていったのだと思います。(まだ最低限回復していないなら何かを無理にやるべきではないですし、合う環境はそれぞれ違うので、ウ・サギのこの話をはあくまで参考程度にしてもらえたらと思います)
また、外の刺激に目が向いてバランスを取り戻すと同時に、(大した経験やスキルだと自分としては感じられなくても)経験が積み上がっていくことも大切だったと今は振り返っています。役に立つことができている感覚や、ささやかでもスキル向上や人間関係の手応えがあると、落ち着いて自分の個性や適性を理解し、やりたいことを見つけていけるような気がしています。
補足に書かれていたあなたの今始めようとしていることは、これまで書いたウ・サギの経験から言うと、なかなかグッドな選択に感じました。間違いのない選択はどこにもないとは思いますが、何事もまずは小さく積み重ねていくのが大切だとウ・サギは思っています。それは時にはぐるぐる悩んだりすることだったり、休むことだったり、むしろ一度我儘になってみることだったり・・・努力しないことが自分にとって必要な積み重ねの場合もある、というのも強調しておきたいです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.以前質問した者です。回答の”自然な心の働き”について考えてみました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「仕事も家事もやりたいと思えない自分を親は支えてくれているのに将来介護したくない自分が嫌で苦しい」の質問をした者です
“自然な心の働き”について考えてみたのですが
朝から疲れていて、もう頑張りたくない感覚がずっと続いてるような気がします
自分を生かすのも自分の限界を超えてしまっているような感覚です
“必要性や理由”はシンプルに「もう頑張るのは限界」ということなのかもと思いました
自然な心の働きって、こういうことでしょうか?

A.汲み取ってくださりありがとうございます。そういうことがウ・サギとしては伝えたかったです!という気持ちで読みました。
もう頑張るのが限界なら何もやれないのは自然なことあり、それはあなたの意思や資質の問題ではないし、思考や努力や根性でどうにかなるものでもないとウ・サギは考えています。限界を超えているなら、そのときの最適解は何もせずに、なるべく生きる負荷を減らすことだと思います。そう考えると、もうウ・サギが何も言うまでもなく、あなたのこころやからだがあなたを守ろうと一生懸命働いていますね。
人間は感情が本体の存在であるとウ・サギは考えていますし、エネルギーにも限りがあります。だから「頑張らなくては」「迷惑をかけたくない」など思考が発達しすぎて、感情の自然な発散やケアを阻害してしまう現象、エネルギーの限界を忘れてしまう現象が増えているのは、由々しき事態だと感じています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.手紙なら家族に本音を伝えられるかと思って書いてみたが、手汗が止まらず渡す勇気も出ない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.本音は言えず「手紙などの形でなら伝えれるか」と思って書いてみたのですが、書いてる時は手汗が止まらずいざ渡そうとすると勇気が出ません。「どう思われるのか怖い」と心のどこかで思っていて、家族を信用出来ず渡せないのでしょうか。

A.それは家族を相当信用できないのでしょうし、補足の内容を見る限り、信用できないという見立てには十分な根拠があるとウ・サギは感じました。手紙を書くのも渡そうと思うのも、かなり大変だっただろうと想像しているので、まずはそれを労いたい気持ちになっています。
ウ・サギとしては、ここはあなた自身の出すサインを信じて、家族には本音を言わない方針で少しでもやれそうなことを探すのをおすすめします。
家族は(子ども目線でいうと)なぜか最初から同じ家が割り当てられていただけの他人だとウ・サギは思っています。たまたま仲良くなれたり人間的に相性が悪くなければラッキーですが、そうじゃない場合も大いにあると思いますし、丁寧に扱われるよりも、近いからこそ雑に扱われてしまうことも多いと感じます。他人であれば、信用できなさそうな相手にわざわざ本音を話すこともないかと思うので、家族であれどそれは同じでいいと思います。(ただ、一緒に住んでいる場合、理解が得られると何かと便利というのはありますね)

今は匿名のチャット相談などもいろいろありますし、たとえば病院を頼るにしても行くのに家族に許可はいらないかと思いますし、最終的に家族に本音を話すかは一旦保留して、そういった否定されにくい場所にまず本音を話してみるのが比較的安全なようにウ・サギは思います。
また、それだけ抵抗があっても家族に本音を伝えようとする様子から、自分の気持ちを我慢して頑張ることに慣れてしまった、真面目な人柄を想像しています。真面目すぎると時に自分を守れないので、今は思い切って自分の楽な方、楽な道を選ぶことが大切にも感じました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.仲良い友達も、家族も相談は出来ないが無関係な人は信用できない。どうすればいいのかな。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どんなに仲良い友達でも本当の相談は出来ない。申し訳ないし本当の自分なんて知られたらクズで甘ったれてて情けなくて恥ずかしい。家族には心配かけたくないから言えない。でも無関係な人は信用できない。どうすればいいのかな。

A.どうすればいい…難しいですね。実際に相談すれば受け止めてもらえる可能性もあるものの、「クズで甘ったれて情けなくて恥ずかしい」「心配をかける」「信用できない」など、あなた自身のジャッジや予測が強力に働いている状態だとウ・サギは理解しました。そう感じるのは、どういった背景があるのだろうか(いい子を求められてきたか、敏感で周りを優先してしまうタイプか、期待に器用に応えられる能力があるがゆえに頼る経験が積めていないか・・・etc)と、勝手ながら想像を巡らせています。
信用はできなくてもいいので、無関係かつ秘密を守ってくれる相手(カウンセラーさんや相談機関)にとりあえず話してみるのがウ・サギとしてはおすすめですが、どうでしょうか。もし信用できそうだったら悩みを小出しにしてもいいですが、基本的には相談する練習くらいの気持ちで、遠慮せずに発信することをしてみるだけでも、ちょっとは楽になったりするかも…?とウ・サギは思いました。悩みを聞くのが仕事の相手ならば、弱い自分をさらけ出してもらうのが向こうの仕事みたいなところがあるので、あなた自身の自分への厳しさも少し緩むのかな…?とも想像しています。
いち大人(の生き物)としての意見としては、苦しい人に我慢させて苦しさに気づけないよりは、頼ってもらってあれこれ一緒に考えさせてもらえる方が嬉しいとウ・サギは思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.生きるか死ぬかみたいな大事な決断ほど、曖昧なままがいいのでは?
この記事の担当 所長室

Q.「生きるか死ぬか」みたいな大事な決断ほど、できる限り曖昧なままにしておいてもいいんじゃないかなってふと思いました。死ななければいけない、生きなければいけないだとすごく苦しい気がします。みなさんはどう思いますか?

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5