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Q&A > 生きかたカエル回答のQ&A
Q.今高校三年で、教室にいると息苦しさなどを感じる。どうしたらうまくやり過ごせる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今高校三年です。教室にいると息苦しさ、居心地の悪さを感じます。少し理不尽なことがあると愚痴を言い合ったり教室が荒れたり、自分より頑張ってない人を下に見たり不満を言ったりなど、自分は合わないと感じます。どうしたらうまくやり過ごせるでしょうか。

A.実はカエルもカエル界の進学校で同じような思いをしたので、首が痛くなるほど頷いて読みました(カエルに首なんてあるのか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、あるんですよ!)。カエルの場合は少し距離を置いて、そうした殺伐とした様子を見ながら、「このカエルたちはもともとこんなカエルじゃなかったのに、こんな言動をするのは今置かれている環境のせいだ」と考えてみて、高校3年生が受験戦争に巻き込まれていくことの弊害を実感しました。「自分には合わないと感じる」というのは自分の感性がしっかりと働いているということなので、ひとまずその自分の感性を労いつつ、その背景にある課題を知ったことを今後の人生に生かしていくマインドでいることで、気持ちは少し変わるでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30
Q.心配されるためにリスカしたり死を仄めかしてしまう自分が嫌
この記事の担当 所長室

Q.試し行為がやめられない。心配されるためにリスカしたり自殺をほのめかしてしまう自分が嫌です。自分のことをみてほしい気持ちが抑えられないです。すごく申し訳ないと思うのに何度も繰り返すので相手から見捨てられそうです。どうしたらいいですか?

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル 生きかたカエル指名だ。『どうしたらいいですか?』って質問だもんなぁ。そのままでいいんだよ。カエルはそう思うんだけど。でも、それは苦しいからね。まず、試し行為っていう表現が誤解を招いていると思うんだ。これは本当は試してないからさ。(質問文で)『やめられない』って言ってるでしょ? 本人はやりたくもないのにやっちゃうってことじゃん。つまりそれは発作というんですよ。だから、お試し発作です。された方からすると試され行為だから、された方が理解を試されているんだけど、相手が誰かによっては対策が必要なときがある。支援者だったら全然いいと思うけどね。「いくらでもやってください。それがお仕事なんで」って。それで見捨てられるような支援者だったらそれまでかって思えばいいけど、身近なパートナーや友達、家族とかだとしんどくなっちゃうからね。だから、そこの折り合いみたいなのが……それで自己嫌悪も強くなるのか。(質問文の)『どうしたらいいですか?』は、発作が起きてないときに「そういうことやっちゃうんだよね」って話すのはどうかな? あと、一緒に考えればいいんだよね。「またこういうことしちゃったときにどうしたらいいと思う?」って相手にも意見聞いて「ここまでなら私大丈夫だけど、流石にこれは困る」とか、発作が起きないときに話せるとだいぶ違うと思う。カエル、試されるときいっぱいあったから、前、いろんな人と話したときに「やらかしちゃったときでも、その後ごく当たり前に関われると良くなる」っていうのは聞いてるから。発作のないときに「関われるときは関わるけど、ダメなときは関わらないよ」っていうことも合意しといて、実際にやっちゃったときも、終わった後に何事もなくまた関わり持つと「別にいいんだ」っていう、実際に見捨てられない経験を積むと少しずつ解決するって。だから、やらないで我慢するのは無理だと思うんだ。発作だから。やっちゃったことを「そういうときもあるさ」って、お互いに言えるような準備をしとく。
ウ・サギ 一緒に勉強するとかですか? あとは。
カエル 勉強するのもいいね。あと、似たような経験した先輩とかがいるとね、経験聞くとか。報告相手がいるとか。その人と自分だけだとさ、逃げ場がないじゃん。だから、他にも作っとくとか。でも、いい傾向だと思うよ。こういうことを出せる相手ができたってことだから。我慢してたものをそこに出して、何とかしたいっていう願いの表れだから。相手がもしつらいとしたら、そこも話し合うとか、そこを誰かに相談するとか、大事だと思うんだ。発作だから薬で止まるといいんだけどね。てんかん発作と違うから。薬で治らないからね。
ペン 発作の勉強はどうやってする?
カエル 発作の勉強ね。研究員制度で勉強会。いろんな発作があるから、試し行為って言っても、行為にもいろいろあるじゃん。だから今度、試し発作発表会とか。いろいろ経験聞くのは絶対いいと思うんだよね。それが勉強会みたいな。
ウ・サギ それやって、そういうの一緒に見てもらったりすれば、お互いに試し発作といい感じに距離を置けるのかな。
カエル これ、まさに生きづLABOで扱うべきテーマですね。発作集めるか。
ウ・サギ そうだね。発作集めて、発作の研究成果を発表して、本人にも周りの人にも役立つ。
カエル いいね。研究大会みたいなのやって、「『第一分科会、発作について』それぞれの演題を発表しましょう」みたいに、「5分で発表して、5分は質問タイムです」って。学会でそういう風にやるってこと。アカデミックだね。
ペン アカデミック。
カエル みんなの経験はね、そもそもアカデミックなんですよ。試し行動っていうのを支援者が口にするのを、カエルはとても嫌に思ってるんですわ。
ウ・サギ 「やりたくてやってることなんてないよ」って気持ちじゃないですか? やみーペン。病んでる側からしたらやりたくてやらないよって。
ペン そうなんだけどね、難しいよね。基本的に自分のことコントロールできるのはすごく高度なことなんですよって言いたい。みんな自分だってできてないくせに!
カエル 棚に上げちゃって。
ペン ねー。
カエル ね、見せてないだけじゃないか。だから、悩んでる人のことを言うんじゃなくて、自らの苦しさとかを見つめ直すのが大事なんです。ひとりひとり。

update 2025/11/29
Q.親が友達の悪口言ってて親同士の会話も繋がされ家の居心地が悪い
この記事の担当 所長室

Q.虐待、育児放棄、そういうのじゃないんです。友達の悪口親が言ってて保護者とも全く関わらず私が親同士の会話繋いでて、家でも居心地が悪いです。でも学びや衣食住はあるから感謝しないといけなくて誰にも相談できなくて、、生きるのが辛いです。

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル そりゃつらいよね。(質問文から)『友達の悪口言ってて、親同士の会話繋いで、居心地が悪い』っていうのは、これだけつらい思いをしてるということは、広い意味で言うと心理的な虐待と言ってもいいぐらいだとカエルは思ったよ。感謝しないといけないことはね、まずないです。感謝は誰かが強制するものではありません。自然と感謝したときだけが感謝です。誰かが「●●に感謝しなさい」って言うのは意味が分からないとカエルはいつも思う。やみーペンは?
ペン 大人、子どもすぎ……って思った。
カエル 「大人は勝手だね」って、いつものやみーペンだね。大人、子どもすぎるね。
ペン それに気づいてないからね。
カエル 気づいて質問してくれた人、子どもじゃない? 子どもが大人だね。大人が子どもすぎると、子どもが大人になっちゃうんだよ。 それで苦しくなっちゃうんだよね。
ウ・サギ 余計に苦しくなっちゃいますよね。
カエル 大人成分足りない分をね、 子どもは頑張って埋めようとするわけじゃん。 そしたら子どもはつらくなっちゃうんだね。だから(質問文から)『生きるのが辛いです』って思っても、無理もないんだよ。どうしたらいいかな? 相談できない理由は書いてないけど、相談全然してもいいと思うんだよね。
ウ・サギ 相談できない理由はね、補足には書いてありましたね。普段友達の悩みを聞く立場。むしろ学校の先生は親のことを信頼している。あとは、自分がうまく話せない。相談するのが苦手というのと、昔学校の先生に相談したら「お前が親の親になれ」って言われて……。
カエル 酷い……。
ウ・サギ 酷いよね。
カエル 先生、ダメだわ。学校の人以外に相談しよう。
ウ・サギ その方がまだ良さそうではありますよね。
カエル 今、チャット相談とかあるから、そういうところに言ってみるとね、少し楽になるところもあると思うしさ。身近な人にもよるけど、先生も変わるから、いい先生に巡り合うかもしれないから、その見極めは大事だよね。子どもが学ぶべきは、味方になる大人の見分け方だってカエル思うんだよね。相談する相手を間違うとさ、ダメージくらうから。そこ間違わないように。あと、逃さないようにね。どの辺が(見分けるポイントか)、子ども時代のやみーペン思い出して……。
ペン 難しいね。
カエル (コメントで)『三人いたら一人ぐらい役に立つ』って、そんなにいるか? この間、ウ・サギと別の会議みたいなの出たとき、カエルの仕事の仲間が「50点から60点ぐらいの大人を、子どもが育てたらいい」って言ってて、名言だなと思って。50点〜60点ならいると。
ペン でも、結局そうなんだよね、本当は。
カエル 理想の、そんな物分かりのいいすごい大人ってそんなにいないから、まずは50点〜60点を、ちゃんとつかまえる。
ペン その子にとっての50点〜60点。
カエル 相性もあるからね。子どもの直感って、結構正しいと思うんだよね。「なんかいいわ」「居心地いいな」とか、「楽だな」とか、気使わなくてすむっていう大人っていると思うよね。それはその直感を頼りに。あと、「無理しなきゃならない」とか、「この人と居ると息苦しいな」っていうのは……居づらいとか、みんな分かるじゃん。居心地悪いっていう感覚が正しいというか。その中でも、ちょっとでも「この人話せそうかも」っていう人にアプローチ。あとは、大人にあんまり会えないっていうのが問題だよね。学校と家しかないから、それ以外の大人に会えないのが悲しいよね。
ペン 悲しい。
カエル どうしたらいいのかな? 困るなぁ……。

update 2025/11/29
Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
この記事の担当 所長室

Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル いい質問だね。(質問文の)『治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行う』っていうのに、カエルはびっくりしてるんだけど。
ペン そういう支援の仕方してるところ、確かにあるよねって思った。
カエル そういうこと「正しいものに変えていこう」っていうのかな? それは胡散臭く見えて当然とカエルは思います。どうですか?
ペン 難しい。やみーペンが病んでるときは、認知の歪みは増えてはいってたけど……。
カエル チャットでもね、『強制というより、いわゆる認知の歪み?』って言ってる。そうなんだよね。健常者に近づくことを目標とするなら酷い話だと思うんだけど、本来のその人の認知からズレているときは、いわゆるそれを戻すっていうのは大事だと思うんだよ。本人も苦しんでたり、そうじゃない方がいいなって思っているのに曲がっちゃってるときとかあるじゃない? 暴力受けたりとか、慣れない環境にいたりとか、周りに教えてもらえなかったりするとそうするしかないっていうので歪んでしまったりするときに、それを本来の本人らしく戻すのならいいんじゃない? でも、この質問した人はそういうことではないのかな? 違うことに怒って胡散臭いって言ってるのかな? そうなんですか? ウ・サギさん。
ウ・サギ えっ……ウ・サギにですか?
カエル 補足に。
ウ・サギ ああ、補足にね。
カエル 「マジョリティに近付け」みたいな矯正というか……。
ウ・サギ そういう風に質問した人は感じてるっていう。
カエル それは治療の場じゃなくても「これが普通だよね」とか「当たり前だよね」って普段からずっと言われているから、理不尽にね。そもそも治療の現場以前に、ニューロダイバーシティっていうのが当事者にとって胡散臭く聞こえるのはごもっともだと思うよね。だから、ニューロダイバーシティはまだまだですって言ってしまえばいいんだよ。治療のやり方は個人モデルだから。この人に病気があって、その人の病気を治そうっていうのが、そもそもの医療の趣旨だから、そういう風にならざるを得ないけど……。でも方向性として、本来のその人らしさを取り戻すためにその人の苦しみを治療……っていうのでもいいとは思うんだけど、あんまりそうはなってないんだよね、きっとね。
ウ・サギ 社会モデルで考えると、治療というのはどういうものになるんですか?
カエル 社会モデルで考えると、治療はまず、社会との関係でその人が苦しんでるって考えるから。これはでも、主に精神疾患の分野だけだと思うんだよね。それ以外は病巣、病因っていうのがあって、そこにアプローチするのが本来の医療のやることなんだけど、精神疾患っていうのはとても特殊で、それがないんだよね。病気の因子が体の中にほぼないわけ。そうなると、周りとか社会との関係の中で起こるわけね。だから、社会との関係を変えていったり、学べなかったことを学んでいったり。つまり医療でやることは、症状の軽減みたいな薬飲んだりとかはあるにしても、生活を見る人と連携していくのが社会モデルだと思います、カエルは。パーソナリティの障がいっていうのも、カエルも嫌いなんだな、これは。なんだよ、その性格の障がいみたいな、人格の障がいみたいなのは……。これは、カエル的には、学べなかった自己を形成するのが凸凹になっちゃったとか、負担がかかって、あるところは大人になったけど、あるところは3歳児を抱えながらいるとかね。やみーペンも永遠の何歳児がいるもんね。
ペン いる! 仕方ない!
カエル それは、その自分とどう付き合うかっていうことを考えていく。そのそいつをどうにかしようとかじゃなくて……だと思うんだよ。
ペン 周りも「3歳児を大人にしよう」じゃなくて、その3歳児と付き合ってるやみーペンと付き合ってくれるかとか、その辺りが大事なんだけど、みんな年齢相応を求めてるのかな?
カエル そうだよ。何歳だからとか言うの好きじゃん。
ペン ね。
カエル ね。
ペン でも言うわ、やみーペンも。
カエル 精神疾患は歴史的にも差別されてきてたり、今も未だに…もちろん本人も苦しいから。でも、差別みたいなものもあるからね。だから本当は、その発達の障がいとかは特性じゃないですか。それって、特性=障がいじゃないはずなの。だから、ニューロダイバーシティの世の中では、発達特性は障がいにはならないんですよ。だから、治療の現場に来ないっていうのがニューロダイバーシティだと思う。治療に来たっていうのは、苦しくて差し障りが出てるってことじゃない? つまり、ニューロダイバーシティじゃないから心が悲鳴を上げちゃったって話だから、社会がいじめちゃう構造にあるってことなんだよね。難しいけどね、みんな見えないから。理解するの難しいから。カエルはね、当事者がどんな世界で生きてるかとか、何が苦しいのかっていうのを、もっともっといっぱい教えてほしいなって思うんだけど、聞く人がいないとね。ちゃんと聞いてくれる人。お説教するんじゃなくて。
ウ・サギ だから本当は、考え方や行動の矯正ではなくて、お互いに調整できたら一番いいんですよね。
カエル そう。苦しくない人も歩み寄ってね。どっちかっていうと強い立場の者がより譲るべきだとカエルは思うんだよね。反対になってるからね、弱い者がだいぶ譲ってるから。(コメントで)『社会の方に治療が必要』……その通り。矯正が必要ですね。見直さなきゃなんだよね。でもみんな社会の一部だから、他人事にはならないからね。いろんな人の犠牲のもとに生きてるっていうこと忘れちゃって「社会が悪い」とか上から目線で言うのもおかしいからね。これは、質問の内容はなかったけど、だいぶ喋れたね。大事な今の社会の課題を鋭く言ってると思います。

update 2025/11/29
Q.支援学校までしか行っていなく、これからの生き方がわからない。どうしたらいいだろうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援学校までしか行ってなくてこれからの生き方がわかりません。学力もなくやる気も出ません。どうしたらいいでしょうか

A.カエルも支援学校についてはわりと実態を知っている方ですが、支援学校は一人ひとりに応じた学びを提供してくれる教育環境としては、悪くないと思っているところがあります。ただ、世間からの評価として支援学校が通常の学校よりも劣るという理解をする人が多いかもしれません。学力に関しても、確かに今の社会では高い方が低いよりも優遇されてしまうので、学力がないと生きるうえで困ることも少なくないかもしれません。ただ、カエル的には身近に支援学校を出て、その人なりに生きている人もいますし、学力がなくてもぼちぼち生きている人もいれば、学力があってもかなりしんどい状況の人もいます。だから、カエルとしては、学力や学歴ではなく、あなたのやる気が出ない要因は他にありそうだと思っているところでした。何はともあれ、何かをしようと思ったときに最も大切なのは自分を知ることだとカエルは思うので、誰か自分のことを一緒に考えてくれる人と話してみてほしいと思いました。もしすぐに見つからなければ、いつでも質問をください。

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update 2025/11/28
Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生活保護は、働けるのに働かない人は受給できないといった感じのことを、生活保護に関する本で見ました。では、どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?

A.少し前にも「働く」ことについて回答しましたが、世の中の「働く」のスタンダードがおかしくなってしまっているので、「働けるのに働かない人」の誤解を生みだしているように思います。

カエルはの認識では、どんな人でも、自分の持っている資源を活用して働くことができると思っています。もしも、働けない人、働きたくない人がいるとしたら、それは働くための条件や準備が整っていないことが理由だと考えます。
例えば、体が健康な人がいたとして、でも、オオカミに育てられたとしたら働くことができないだろうと思います。それはなぜかというと、教育の機会がなく、学ぶことができなかったからです。それと同じように、その人の学び方に応じて必要なことを学ぶチャンスが、実はあるようでありません。

ポイントは「その人に応じた学び」の保障です。
学校の学び方はどうしても画一的で一方的であるがゆえに、それに合わない子どもは一定数います。また、生活が不安定で学ぶどころではなく、学ぶチャンスを得られなかった人もたくさんいます。虐待やいじめなどの暴力に怯えていたら、学ぶことができません。自分に降りかかる危険のために備えること、回避することにエネルギーを注ぎ、生き抜くための特殊なサバイバルスキルは身につくかもしれませんが、それが働くことに役立つかというと役立つことは少なく、多くは働くことを阻害してしまいます。

そして、人々が働くことを最も妨げているのが、日本社会の「働く」の大部分が、企業の都合で人材や働き方が決められていることです。
それに無理なく合う人もいるかもしれませんが、少なくない人たちが、その枠にはまろうとして無理をしています。無理をしてストレスや疲労が蓄積する人もいますし、合わせすぎて心身を崩す人もいます。また、合わせられない人は「働けない」「社会に適応できない人」という一方的な評価をされてしまいます。本当の課題は、ものすごく狭い枠にいろいろな人たちをはめすぎていることなのに、ハマれない人のせいになります。これは本当におかしなことです。

つい、熱くなりました…苦笑 カエルは世の中の「働く」を見直したいと思っています。このように「働く」が変わるとしたら、質問者さんの意見はどうなりそうでしょうか。
今の「働く」を見直すためには、質問者さんのように、今の働くことへ疑問や絶望がある人の声が必要なので、死ぬしかないどころか、生きて意見を届けてほしいとカエルは思っています。

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update 2025/11/28
Q.避難所では窃盗や性犯罪が横行してるらしいと知った。そういうのを見るたび人生に絶望する。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.災害があった時のために備えなきゃなと軽く調べたら、避難所では窃盗や性犯罪が横行している(らしい)と知った。そういうのを見るたびに人生に絶望します。ひとがこわい。いきるのがこわい。

A.調べた情報ソースが何かというのが気になりました。確かにそうしたリスクがあるだろうと思いますが、おそらく極端な情報入手をしてしまったのではないかと思います。
カエルは個人的に自然災害に対しては、備えをするのではなく、そのまま受け入れたいといつも思っています。自分が何に対して備える(リスクを想定して、コストをさくのか)はそれぞれなので、備えるのももちろん一つのあり方です。でも世の中的に災害への備えが随分とキャンペーンされているのには、「備えはそれだけではないぞ」と、いつもカエルはちょっと冷めた目で見てしまいます。
自然災害への備えももちろん大切ですが、世の中の暴力や抑圧という人災について、社会が考える必要があるとカエルは思ってしまいます(質問から話がそれてすみません…)。そういう意味で、人生に絶望し、ひとがこわい、いきるのがこわいという気持ちに共感します。

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update 2025/11/26
Q.心がしんどいのに親が学校行きなさいと言うもう疲れた。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.心がしんどいのに親が学校行きなさいと言うもう疲れた。

A.それはとても疲れますね。もっともな気持ちだと思います。
心の中で、親は犬(何か他の動物でもよい)で、話しているのは鳴き声ぐらいに変換してしまうのはどうでしょうか。カエル的には魔法をかけて、あなたと一緒にいるときには親をカエルにしてしまいたいぐらいです(質問者さんがカエル嫌いなら別の動物にします)。

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update 2025/11/26
Q.どうして「働きたくない」という気持ちが軽んじられ切り捨てられる現実があるのか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうして「働きたくない」という気持ちが、軽んじられて切り捨てられる現実があるのでしょうか。
「働きたくない」の裏にある切実な苦痛や絶望や罪悪感に、当たり前のように寄り添ってもらいたいって、理想論かもだけど、願ってしまいます。

A.世の中の「働く」があまりにも狭くて歪なものとして理解されているための気持ちではないかというのが、カエルの見解です。おそらく質問の中の「働く」は賃労働のことだろうと推測します。つまり要素的には
①組織に雇用されて組織の都合で用意された条件に合った仕事をする
②組織の都合に合った仕事をすることで、対価をもらう
③なおかつその稼ぎで自分の生活費を賄う
の3条件が当たり前に含まれるとなると「働く」は一部の人にとってとても過酷なことであり「働きたくない」と思うのは当然だと思います。それは個人の気持ちではなく、もはや社会の課題への問題提起だと思うからです。ただ、「働きたくない」と言ってしまうと、働く意欲がないとか、個人の気持ちの問題とかわがままだとか言われて批判されてしまい、本質が伝わらない可能性があるため、違う表現をした方が真実が伝わるのではないかと思うところはあります。
カエルにとって「働く」とは、社会の一員として、その人なりに支えあいに貢献することだろうと捉えています。貢献というのはとても幅広く、あらゆる人や人だけじゃなく動植物祖含む自然環境も、できるだけ持続可能に豊かにあるためへの貢献だと思っています。だから企業で働くことだけでもなく、お金を稼ぐことだけでもなく、経済的な自立と直結することではないと理解しています。
また、働くためには権利が守られているのが前提で、権利が守られてない人や過去に権利が守られていなかった後遺症で苦しむ場合は、まずはケアをされるところからはじまるべきだとも考えています。安心安全、理解、ケア、チャンスが保障される中にあればだれもが働くことは可能であり、それは過度な苦しみや負担は起こらないでしょうし、働くのが嫌だと抵抗をする必要もないと思います。むしろ、働くこと(労働)が喜びや自己実現につながっていくものと思っています。
このあたりは、マルクスというとても有名な哲学者でもあり、経済学者でもある人が随分と前に主張しています。カエルはマルクスさんが考えた「働く」のとらえ方は今の社会を見直すときに一つの参考になる考え方だと思っています。きっと他にも「働くって何なの?」って考える機会がそもそも必要だと思うので、こうした質問はとても大切だと思っています。

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update 2025/11/22