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Q.とあるアイドルたちは放送ライブラリが少ないんですよ マジで怖いですよね、、、
この記事の担当 ウ・サギ

Q.放送ライブラリが少ないんですよ
とある アイドルたちには
いやマジで怖いですよね、、、
放送ライブラリって本来忖度無し放送をアーカイブするもんですよね。おかしくないですか?

A.都合の悪い情報はひっそりと闇に葬られて、隠されていく、という話で理解しました。(違ったらすみません)
世の中にはそういった怖いことはいっぱいありそうです。おかしいかもと思える力、おかしいと思ったときに、きちんと現実を知ろうとする姿勢、そして情報リテラシーが求められているのかもしれない・・・と、この質問を読んで思いました。
おかしいことをおかしいと気づけなくなったらまずい気がするので、ウ・サギもおかしいセンサーが鈍麻にならないよう気をつけたいです。

update 2025/4/24
Q.話せなくてよく黙ってしまう人って、困る?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.話せなくてよく黙ってしまう人って、困る?

A.相手の性格や関係性次第ではありますが、黙っていることの意味やメカニズムが理解(または理解できなくても受容)できれば困らず、なぜ黙っているかわからないと困るのかな、とウ・サギは思っています。
相手が黙ってしまうと、不快に思わせたかな?と心配になったり、どうしていいかわからず立ちすくむような気持ちになったり、自分を無視しているのかと腹立たしく思ってしまったり・・・悪い方に妄想が膨らんで疲れてしまうことは人によってはあるのだとは思います。逆に、目の前で起こったことをただ受け止める、ゆったりした性格の人だと、あまり困らないような気がします。
また、黙るのは、話しかけられた内容を咀嚼しているまたは理解できない(インプットで動きが止まっている)場合と、言いたいことはあるのに言葉が見つからないことや緊張で言えない(アウトプットで動きが止まっている)場合があるのかなとウ・サギは理解しています。
「こういうときに、こういうメカニズムで黙ってしまうことがあって、そういうときはこうしてほしい」を言ってもらえればウ・サギは困らないです。綺麗に説明できなくても、わかる範囲で伝えてくれたら、ふむふむと思うし自分の苦手も伝えやすくなってありがたいです。

update 2025/4/23
Q.適応障害って、いつ働けるようになると思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.適応障害って、いつ働けるようになると思いますか?

A.適応障害という括りよりは、「心の健康を崩してしまった状態から、働ける状態に戻るまでどれくらいかかるか?」というので考えて回答させてもらいますね。
ずばり答えは、「必要な分だけ休めば働けるようになる」だとは思うのですが、①「必要な分」とは、②「休む」とは、③「働ける」とは、の3点に分けて整理してみたいと思います。
①「必要な分」とは
例えば、同じ適応障害という診断がついていても、背景にある心のダメージの量や質はかなり個人差があるかと思います。幼少期から家庭環境などでダメージを受けていて、ずっとギリギリでいたところに限界がきたパターンから(複雑骨折のイメージ)、それまでは比較的健康に自分らしく生きてきたけど、今いる環境が合わなくてメンタルを崩したパターン(風邪を引いたに近いイメージ)、その他諸々あるかと思います。ダメージの質や量によって、回復にかかる時間も、必要な社会資源も、ひとまずどのラインまでの回復を目指すかも、変わってくるように感じています。
②「休む」とは
休むも、ただ仕事を休むだけで十分に休めるとは限りません。住環境(人間関係含)にストレスがある、病院の先生とうまくコミュニケーションがとれない、焦りや自己嫌悪が強いなどの状態だと、なかなか休めていない場合もあるかと思います。質のいい休みがとれれば、いずれ回復すると思いますが、休む環境が整わないと回復には時間がかかってしまうかもしれません。
③「働ける」とは
働けるか否かは、職場の理解や業務内容とのマッチングでハードルが変わるかと思います、理解ある職場、自分に合う仕事であれば、最低限回復すれば働けるかもしれませんし、自分にとってハードな職場環境と内容であれば(ブラックな職場や苦手な職業はそもそも選ばない方がいいですが)、十分に回復してからじゃないと働くのは難しいかもしれません。また、今はどうしても生活するためには、フルタイムに近い就労が必要な場合が多いですが、本来は働くのは衣食住を確保するための「手段」であって「目的」ではないはずです。だから働くことだけが絶対のゴールではないはず・・・とは、一応お伝えしておきます。
メンタルの不調は「このままの生き方を続けてはいけないよ」というサインだとウ・サギは感じています。だから、適応障害でも他の診断名でも診断がなくても、自分らしいペースや生き方をちょっぴり掴めそうになってきた、何かしてもいいかなと思えてきたときが、何かをやり始めるべきタイミングなのかなと思っています。

update 2025/4/21
Q.死にたいと思うけど、他の人みたいに眠れないとか体調不良にはならない。私はまだまだってこと?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたいなって思うことも確かなんだけど、でも他の人みたいに眠れない、とか体調不良にはならない。なんなんだろ。私はまだまだってことなのかな?こんなんで苦しんでちゃ甘いって、ことかな?

A.体調に出るか出ないかは人によって違うので、「死にたいって思う」という感覚や苦しいという気持ちがあるのだから、それを素直に受け止めていいとカエルは思います。
あんまり身体に出ないタイプかもしれないし、身体に出ないからこそ、心が負担を引き受けているのかもしれないし、ひょっとしたら体調や眠りが気づいていないけど不調ってこともあるし…
死にたい気持ちや苦しさに甘いとか、甘くないとかはないので、自分の気持ちや感覚を信じて、受け止めたいとカエルは考えます。

update 2025/4/20
Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?

A.休んでいいラインというものはないとカエルは考えています。どちらかというと、「学校に行くライン」の方があって、ラインを超えない場合は行かなくてもいいと思うぐらいです。
いずれの場合でも、基準は自分の気持ちや感覚です。行きたい、行った方がいいと感じる/考える要素が、行きたくない、休みたい、つらいという要素を上回る場合は行けばよいし、逆に行きたくない、休みたい、つらいが上回るのなら、それは休んでいいというより、行かなくてもいいとカエルは考えています。
ただし、学校に行かない、休む=学ぶことを辞めるということではないので、学校以外の学びの場が保障される必要があります。また、それ以前に学校がどんな子どもにとっても行きたい、行った方がいいところになること、せめて行きたくないところ、つらいところにならないような工夫が必要だろうと考えます。どちらにしても、子どもというより大人の問題だと思います。どんな学校なら行きたいと思えるか、一緒に考えてみたいです。

update 2025/4/16
Q.共感してほしいです。共感してほしいと思うのは悪いことなのでしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.共感してほしいです。だから、分かってもらえるように、できるだけ細かく話したり例え話を使ったりして説明するのですが、「だから何?その話いらないでしょ」「で、どうしたいの?」と怒られます。共感してほしいと思うのは悪いことなのでしょうか。

A.共感してほしいと思うのは、全然悪いことではないとカエルは思います。ただ、そう願っても共感するのは自分とは異なる相手なので、願いは、かなわないこともあります。
つまり、共感してほしい際には(それに限らず何かを期待する場合はどんなことでも)相手を選ぶ必要があります。今回は、あまりにもふさわしくない相手を選んでしまった様子が漂ってきました。
どうやって相手に伝えるか努力するよりも、相手を選ぶ方が意外と大切なことがあります。何はともあれ、共感してほしいというあなたの願いをカエルは何よりも尊重したい気持ちです。

update 2025/4/14
Q.なんで自傷って理解されないんですか。
この記事の担当 やみーペン

Q.なんで自傷って理解されないんですか。前親に見つかってカッター取り上げられて『もうやらないと約束して』と言われました。親の物じゃないから別にいいと思うんですが。

A.みんなリスカがなんで必要か知らないで言ってくるから困っちゃうよね!やみーペン的には誰も巻き込まずにすむコスパのいいものだと思ってるんだけど……正しい理解が必要だよね。生きづLABOで広めなきゃ…!

update 2025/4/10
Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?

A.カエルもオタマジャクシのころ、同じことを考えていました。これは推測ですが、知らないうちに「間違ったり、失敗することはよくないことだ、あってはならない」という呪いをかけられているからではないでしょうか。呪いのせいなので、そんな大人は自分のおかしさに気づくことができず、ひたすら自己正当化に走るのです。そして、質問者のような子どもたちに見抜かれる…悲しい現実です。
子どももやがて大人になります。呪いにかかることのないよう、子どものうちから「あ、間違ってた」「失敗しちゃった」「ごめんなさい」と素直に思える自分の心を大切にしましょう。
また、間違いや失敗はそもそも、見方を変えると「間違い」ではなく「違ったやり方、違った結果」かもしれないですし、「失敗」ではなく「学びの機会」「想定外だった」だけかもしれませんよ。

update 2025/4/7
Q.命はお金で買えないよっていうのに、なんで私達人間はペットを買ったり肉を何の抵抗もなく食べるのでしょう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.命はお金で買えないよっていうのに、なんで私達人間はペットを買ったり肉を何の抵抗もなく食べるのでしょう。殺して食べちゃうんだから、殺人よりタチが悪く無いですか。

A.「命はお金で買えないよ」という言葉が、どんなシチュエーションでどこの誰が言い始めたことかはわかりませんが、ペットを買ったり肉を食べるのがタチが悪いかどうかを考えてみたいと思います。

基本的には、ほとんどの人は、人間と人間以外の命を分けて考えているとウ・サギは感じています。そして、人間の命とそれ以外の命の何が違うかというと、「自我」がある部分だと思っています。
自我がある存在~もう少し詳しく定義すれば、周囲との継続的な関係をつくり、未来を(感覚的にであれ)予想し、意思がある存在~にとっては、唐突に理不尽に命を奪われるかもしれない世界や、売買される世界で生きるのは、かなり酷なことだし、倫理に反することだとウ・サギは感じます。安心安全、自分の意思が保障されない世界では、自我を健康に保つことがおそらく難しいので……。

ペットや家畜が(そういった次元での)自我のない存在でないとは断定できませんが、そうじゃないと想定すると、売買も屠殺も倫理に反するとまではいかないのかなと思います。未来を不安に感じたり、何か起こったときに「どうして?」と傷つくわけじゃないのなら、死ぬこと自体は生命にとっては自然なことだからです。

動物たちの自我がどういうものかについては、今のところ理解する術がない(想像の域を出ない)ため、動物を人間と同等に扱う扱わないの正解はないし、売買や屠殺に抵抗を感じるのも感じないのも、そもそもそういったことを考えるのも考えないのも、それぞれの自由なのかなあと考えています。

ちなみに、ウ・サギはニワトリを自分でしめて捌いて料理して食べた経験がありますが、わりと抵抗なく美味しくいただきました。(でも、抵抗を感じる人も少なくないだろうな、とは思いました)
ペットを売買しない、ビーガンとして生きる、といった選択肢もありますが、ウ・サギはそれらを我慢すると差し障りがあるレベルで日常の潤いが減るので、ペットは最期まで責任もって面倒を見る、お肉はなるべく無駄なく美味しくいただく、とだけは自分に誓っています。
あまり回答になっていなかったらすみません。

update 2025/4/7
Q.苦労した分だけ偉いって風潮。それもそうだけどそれが全てではなくない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.苦労した分だけ偉いって風潮。それもそうだけどそれが全てではなくない?

A.ウ・サギも同意です。
苦労した分だけ偉いというのは、「自分がした苦労を無意味だと思いたくない…!」と思う人が自己肯定のために使っている考えだとウ・サギは感じています。
そもそも、苦労といってもいろんな質の苦労がありますし、比べて偉いとかではなく、お互いの経験を尊重できる自分でありたいです。(と言いつつ、自分の苦しみを無意味だと思いたくなくて、死にたい自分と付き合った分だけ偉いと思っている節のあるウ・サギなのでした)

update 2025/4/7