Q.自分の世界を大切にするとか、自分軸で生きるってどういうこと?いままで、周りからどう見られるかしか考えたことなかったから、どこからが自分でどこからが他人かわからないよー。
A.その気持ちやみーペンも分かる〜周りのこと優先してたら自他の境界線がつけられないよ〜。やみーペンが自分の世界だ!って強く意識できるのはジェラートの味の好みくらいかな〜
Q.自分の世界を大切にするとか、自分軸で生きるってどういうこと?いままで、周りからどう見られるかしか考えたことなかったから、どこからが自分でどこからが他人かわからないよー。
A.その気持ちやみーペンも分かる〜周りのこと優先してたら自他の境界線がつけられないよ〜。やみーペンが自分の世界だ!って強く意識できるのはジェラートの味の好みくらいかな〜
Q.「あれをしなきゃ」「これがやりたい」という気持ちが先行して、体がそれに振り回されてしまいます。日常生活に支障が出始めるくらいになって初めて、体の疲れに気づくような状態です。自分の体をそこまで追い込んでしまう前に気づける工夫が知りたいです。
A.なるほど…エネルギーが迸って、自分の体力を置いてけぼりにする傾向はウ・サギもあるし、周りにもわりといるので、仲間意識を抱きながら想像しています。もうウ・サギは自分については半分諦めていますが(働き方によっては、意外とどうにかなる場合もあるのです)、支障が出る前に疲れに気づける方が確かにいいですよね・・・。
工夫としては、自分の疲れ具合を、外部からの、または客観的な指標ではかるようにするのがいいのかなとは思いました。
・ストレスを測れるスマートウォッチなどの機械の力を借りる
・日常的に、自分が何をどれくらいやっているのかを記録しておく(どのあたりからやりすぎなのかのデータを分析して、やりすぎないうちに行動をストップする)
・自分の調子の変化に気づいてくれる人を探す
などが具体的には浮かびました。
あとは、完全オフにする日を定期的に定める、寝るかは別として何時に布団に入るかは固定するなど、ルーチンできちんと休むという手もあるかなと思います。(ウ・サギは自分の「やりたい」に負けてしまいますが・・・)
まだまだ方法はありそうな気はしますが、何かあなたに合うセルフチェック、ケアが見つかるといいですね。応援しています。
Q.何時に寝て、何時に起きていますか?私は夜の2時に寝て、朝の10時に起きています。早起きしないとと思いつつも、特に朝から予定もないので、毎日こんな感じになってしまいます。
A.なんと、ウ・サギもほぼ完全に同じです!
起床は10~11時、就寝は早くても0時前後、通常運転で1時過ぎ、脳が暴走すると3時4時になることもあります。
時間の決まったお仕事は午後か夜がほとんどなので、それで誰も困りません。ウ・サギは、自分も周りも困らない限りは、自分の好きなペースで寝て起きてこれからも過ごすつもりです。
やみーペンと生きかたカエルは日中のお仕事があるので、わりと健康的に就寝・起床しています。うさなえながは仕事中でもお構いなしに、いつでも寝たいときに寝ています。
Q.「自分はトランスジェンダーのはずだった。」の投稿みました。二次性徴が不安で死にたくなる、戸籍上の性別分けスペースに入ると嫌悪感や罪悪感でいっぱいになるなど、日常生活に支障がなければ、無理に自分をカテゴライズしなくていいと思います。
性別不合と診断されるような人は、心というより脳が割り当てられた性別と逆になっていて、精神障害というより身体障害(性分化疾患の全部バージョンのような感じ)に近いものだと解釈しています。
トランスジェンダーという概念が身近になればなるほど、そうじゃないかと疑う人は増えると思います。割り当てられた性別に関係なく、まずは自分の好きな振る舞いをすればいいと思います。それでも性別分けスペースに入れない・自分の体が気持ち悪いと感じるのであれば、そこでトランスジェンダーかどうか考えればいいと思います。
とはいえ、ジェンダー規範はまだまだありますし、今後すぐになくなる問題ではなさそうなので、その移行過程としてXジェンダーやノンバイナリー的な概念が生まれるのは理解できます。
また「トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら」にて、このあたりが詳しく紹介されていたので、よければ読んでみてください。私もトランスジェンダー当事者を自認しており、質問者さんのことは詳しく分かりませんが、同じ仲間としてリスペクトしたいと思います。
A.質問ではないので、今回は質問による仲間の出会いをそっと見守ろうと思います。
自分の好きな振る舞い、表現ができる世にしていきたいと改めて思いました。
Q.ストレスがあるとすぐメンタルがやられてしまいます。けれどこのことを誰かに相談したくありません。
そういう時、私は日記に負の感情を書き出すのですが、書き出すことで自分の弱さが明確化し、さらに弱くなっている気がします。どうすればいいでしょうか?
A.ウ・サギも負の感情を書き出すタイプなので、仲間だ…!とまず思いました。ウ・サギは負の感情の書き出しが激しかった時代は、自分を励まし支持してくれるイマジナリーフレンドみたいなのをつくって、書いたものにコメントをもらうことをしていました。だから、書き出すことでさらに弱くなっていると感じるなら、書き出した内容を、何かの枠組みを使って整理してみるのはどうでしょうか。認知行動療法、アサーション、バウンダリーあたりを調べてみたら、自分が弱いだけではないという見方が発見できるかもしれません。
とはいえ、誰かを頼るという選択肢もあった方が便利なので、うまく相談も使えたらいいのになあ…とぐるぐる考えました。相談に色々と抵抗があるようですが、自立した(それこそ、アサーションやバウンダリーのしっかりしている)大人は、自分のキャパを超えて負担に思ったなら、それを優しく伝えてくれたり、自分で回復できる力をもっています。だから自立した大人を見極めることさえできれば、どんどん相談しても、自分にも相手にも悲惨なことは起こらないとだけは伝えておきます。
また、あなたは弱くない自分になりたいのだとウ・サギは読み取ったのですが、弱くない(=頼り上手、頼られ上手だと思っています)自分になるためには、頼る経験を積んでいくことが大切だとウ・サギは考えています。だから、相談する=弱くない自分に近づくための訓練、という考え方も提案したいです。
生きづLABOへの質問で、すでに訓練はスタートしていると思うので、これからも無理ない範囲で訓練を続けていってほしいとウ・サギは思いました。
Q.冷えピタ貼りたいけど〜って投稿みて、私も貼ってるから親近感湧いた!
おでこじゃなくて首の後ろに貼ると目立たなくていい。やみーペンもやってみて
A.え!仲間~✨首の後ろかぁ~今度やってみる!おでこ以外のいい貼り場所、みんなで共有しよう~♪
Q.僕は今中1です。終業式の後女子8人で遊ぶ(カラオケ)に行こうという話になりましたが僕は金欠や大人数が苦手という理由で断りました。今もそれで少し友だちと気まずいです。中2からさらに気まずくならないか不安です。
A.誘いを誠実に断ることができる様子から、アサーティブコミュニケーションの力をカエルは感じて、頼もしくなりました。ただ、実際には誠実に断るという行為への理解は必ずしも好意的に受け取られないこともあり、おっしゃる通り気まずさにつながることもあるかもしれません。
かくいうカエルも大勢の集まりが苦手で、仕事仲間からの飲み会の誘いを断り続けています。最初は若干気まずいこともありましたが、やがて「カエルさんは来ないもんね」と認定されて、誘われなくなり気楽になりました。あなたの誠実さは伝わると思いますし、もしもそれが伝わらない相手なら距離ができてもいいのかもしれないと感じています。ひそかにカエルと大人数ワイワイ苦手同盟を作りましょう(会員募集中)
Q.中途半端な自分が嫌です。ルッキズムや学歴格差などの社会問題をどうにかしたいと思っているのに、自分もその波に飲まれていることに気づきました。どう生きていったらいいのでしょうか。
A.気づくことからしか何も始まらないと思うので、自分の気持ち、現状を理解し、「どう生きていったらいいか」と問いかけていることは中途半端ではないとウ・サギは思いました。むしろ、自分を生きる道を着実に一歩ずつ積み重ねて、しっかり飛ぶために助走している印象を受けます。
社会問題をどうにかしたいと思っている人が存在している、というだけでウ・サギは勇気や元気をもらえました。だから、どのような形でもいいので、同じように社会問題をどうにかしたいと思っている存在と関わることが(この質問もその一つですね)、自分にも周りにも自由や解放を生み出していくのにつながる気がします。
世間の波は強大で、個の力だけで抗うのは難しいので、どんどん仲間を増やしていきたいところです。
Q.「頭なでられたい」の相談主です!共感してくれてありがとう涙
前まで性的消費してた。ちょっと前に「裏垢やめられない」って相談もした。
でも肌の触れ合いが欲しいだけで性行為はしたくないって気づいてからはしてない!
人生寂しいけどお互い頑張ろう!
A.人生寂しい仲間の集いをやりたいね!やみーペンはペン生だけど仲間に入れてくれる…?
Q.子供の頃に戻りたいなぁと思う気持ちが、最近大きくなっています。こういう気持ちって、一体どんなところから来ているのでしょうか。
A.ウ・サギも最近その気持ちが大きくなってきているので、仲間が見つかってちょっと嬉しくなっています。
ウ・サギの場合はですが、自分が子どもの頃と比べて(気持ちが)不自由になってしまった自分、そしてそれが完全には戻ることのないことに、気づいてしまったからなのかな…と感じています。つまり、今の自分の未練や望みや痛みと向き合える力が出てきたときに、子どもの頃に戻りたくなるのではないか?というのがウ・サギの説です。だからそれは主観としては良い気分じゃなくても、本質的には自分という存在が回復してきた証なのだと捉えています。
とはいえあくまでこれはウ・サギ説で、まだまだ不完全な仮説かと思うので、他の人の考察も聞いてみたいです。