Q.やる気や意欲はあるのにミスが多くて周りに迷惑をかけてしまう事が多いです。その後自己嫌悪で1人になった途端涙が止まらないです。
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Q.「現実感を失った」「地面に足がついていない感じ」「文章が読めなくなった」「泣きたくても涙が出ない」など、「そうとしか言いようがないけれど、誰にも意味を理解してもらえない」心身の苦しみを上手く伝えるにはどんな工夫をすれば良いのでしょうか。
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Q.8年ぶりにスマホを機種変更したら、スマホの仕様はもちろん世の中もいろいろ変わっていることを実感し、怖くなってしまいました。私は生きているだけで精一杯です。世の中に合わせる余裕なんてない。そういう奴は死ねと言われてるように感じてつらい。
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Q.クラスの人は皆が言ってきていたので、他にも歌詞のように気持ちを整理している人がいたことに驚きです。嬉しいです。
A.前にこの質問を送ってくれた方ですね。歌詞のように気持ちを書いていたこと、クラスの皆が言ってきたなら(一部の人かなと勝手に想像していました)、それは実に大変だったろうと改めて思いました。
自分の心のために一生懸命やっていることを、いやそれ以外のどんなことでも、冷やかしたりバカにするような振る舞いはマナー違反だと改めて声を大にして言いたいウ・サギです。
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Q.生きづらさと結びつきやすい属性を持っていても、本人は人生が好きという人は、私以外にいるのでしょうか。所長たちはそういう人に会ったことはありますか?私はASD、引きこもり、ニート、最終学歴が中卒などの属性を持っています。
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Q.病気がまたひとつ増えそうです。楽に生きるコツを教えて欲しいです。今までのものとはまったく違う分野の病気が増えるかもしれず、私の慣れていない症状で、怖いという気持ちが強くて支配されてしまいそうです。少しでも楽に過ごせるコツはないでしょうか。
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Q.「子供が嫌いなのは変」「生産性がないと社会的価値がない」「家庭を持つのが絶対幸せ、出産すればあなたの考えは変わる」…こんな事ばかり言われ続けて心が疲れました。理解者は周りにいません。どうしたら自分らしく自由に生きられるのでしょうか。
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Q.世の中の「当たり前」は、全然気にしなくて良い、自分なりに生きていけばいいと思う反面、従わないことには抵抗があって・・・結局当たり前の中に入ろうとしてしんどくなっている。
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Q.やる事いっぱいで何から手を付けて良いのか分からず苦しいです
課題の解決、試験勉強、家事、運動、時には私が個人でしている活動!やる事、しなければいけない事、すぐにはしなくて良い事が沢山あります。マルチタスクは向きません。
A.ウ・サギが数日前にまさにその状況だったので、とてもタイムリーな質問です。
ウ・サギはやることを全部をスプレッドシートにリストアップして、優先度と〆切を入力して、今は「〆切1週間以内」と「優先度必須or高」のものだけを表示するようにしています。(でも時々気が向いたら、優先度の低いものもちょこちょこやっています)
やる事、しなければいけない事、すぐにはしなくていい事、の3段階に分けられていれば、優先順位は十分についていると思います。その中で順位をつける必要まではないので、あとは〆切情報も大まかに入れたら、結構ちゃんと整理できそうですがどうでしょうか。別にスプレッドシートではなくとも、タスクごとに別の紙に書き出して、優先度の高いもの以外は一度見えないところにしまうとかはできそうです。とりあえず書き出してちゃんとそこにある、忘れてはいないと安心したら、ウ・サギは目の前の優先度の高いものに集中することができるようになりました。
勝手ながら仲間意識を抱いて応援しています。
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Q.自分は、誰も見ない前提の場所(紙か画面か等は問わず)で思いを文章化したいとは思えないしできないのですが、
所長室の質問内容の欄で思いを文章化するのは、時にやり始めると没頭します。
見てもらえる前提だからなのかな?不思議です。どう思いますか?
A.これはウ・サギにとっては超わかりみですね。実際に見てもらえるか、伝えられるかは別にして、誰かに見てもらうというイメージがもてないと、自己表現は湧きづらいとウ・サギは思っています。
ウ・サギは病んだ気持ちも含めて思いをそのまま書くブログを昔公開でやっていたのですが、誰にも紹介していなくて読者がいなくても(誰にも紹介しませんでした)、公開じゃないと意味がない、という感覚がありました。自分の手元だけで紙やスマホで何か書いてるときも、実際に見てもらうことは絶対しないのに、宛先に誰か特定の(自分のことをわかってくれる見込みのありそうな)相手をイメージはしてます。わかってくれそうな相手が見つかると、これまで全然意識に浮かんでいなかった思いが出てきたり、それが言葉になったり・・・という経験も何度もありました。
だから表現というのは、受け取ってくれる存在が(目の前にいなくても、たとえ想像の中でも)いることで生まれるもので、育っていくものだとウ・サギは感じています。だから生きづLABOが受け取り手として信頼されているように感じて、勝手に嬉しくもなりました。
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