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記事の担当 生きかたカエル
Q.前に「動画の一発言に反論します」の質問した者です。丁寧な回答をありがとうございます。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
の質問を送った者です
まず、意図を勘違いしてしまい誠に申し訳ございません。
そして、丁寧な回答をありがとうございます。

A.いいえ、どういたしまして。文字でのやり取りですから、捉え違いはよくあることだと思います。文字じゃなくても、やり取りに意図の勘違いやすれ違いなどはとても自然にあることだろうと思います。ただ、なんか違うと思ってても、どちらかが(往々にして立場の弱い側)が折れてしまって、そのすれ違いに気づかずいることの方が多くのかもしれません。すり合わせをしないことで、立場の強い人たちの意図や認識が多く広がってしまうという傾向もあると思いますので、こうして議論や対話をすることに異議があるとカエルは思っています。

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update 2025/12/12
Q.深い人付き合いができません。どうしたら人と仲良くなれますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.深い人付き合いができません。どうしたら人と仲良くなれますか?人と話すのは好きで、パーティーなどでも自分から初対面の人に話しかけたり、お店で知らない人と会話したりもよくあります。でも友達以上の関係は少なく、挨拶をするだけの人間関係ばかりです。

A.質問者さんは深い付き合いがしたいのでしょうか。深い付き合いや人と仲良くなることを自ら希望するのか、それとも、「しなければならない」的な義務感のように感じているのかによって、構えは異なるのかなと思いました。
カエル界では仲の良い人がいてもいいけど、別にいなくてもいい、どちらでもいいという風潮があります。それに対して、人間界は仲の良い方がいいという考えが強いように思っています。なので、カエル的には人との付き合いは相手のあることでもあるし、努力したり工夫するというより、自然に関わりが深くなる時にはなるのかなと思います。自然体でいていいと思っています。回答になっていなくてすみません。

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update 2025/12/10
Q.死にたいです。楽な死に方はないですか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたいです。楽な死に方はないですか

A.おそらく楽な死に方というのはないような気がします。死に方についてはカエル(カエルだけではなく生きづLABOのみんな)は専門外なのです。
それよりも、「死にたい」という気持ちについては一緒に考えられるかと思います。死にたくて、楽な死に方を知りたい気持ちがあるということは、それはつまり「今とても苦しい」ということなんだろうと感じました。おそらく、社会の何かがあなたの死にたい気持ちを大きくしていると思うので、その社会の何かを一緒に考えたいと思います。

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update 2025/12/8
Q.「マイノリティは社会に変わることを求めずに自分が変わるべき」みたいな表現を見てショック
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「マイノリティは社会に変わることを求めるんじゃなくて、まず自分が変わるべきだと思う、社会に変わることを求めるのは弱い」
みたいな表現をネットで見て
ショックを受けてしまった
モヤモヤして心の中で消化できないから
この表現に反論してほしい

A.誰がどんな文脈で表現したものかわかりませんが、マジョリティが言ったとしたら、自らの見えない特権の力をわきまえないお行儀の悪い表現だとカエルは感じました。
カエルはそもそも、「主語が大きな発信」を信用していません。「主語が大きな発信」とは、「(みんなは)~~だ」とか「(ふつうは)~~である」とか「日本人は~~だ」とか「子どもは~~だ」「女は~~だ」とかそんな感じで、本当はそれぞれいろいろな人たちの集合体なのに、そうしたものを丸めて主語にして、決めつける発信を指します。この「マイノリティは…」という主語もそれにあたりますね。また、主語が大きいのと同列で自分以外の「あなたは~」とか「〇〇(固有名詞)は~」という自分以外の個人を主語にする発信も信用していませんし、自分以外の誰かのことを決めつける非常に失礼な発信だとカエルは思います。
カエルは全人類(人に限らず全生命体ですね)とともに、何かを発信、表現する際にはあくまでも主語は「私」であり、それを理解し、主語の使用を徹底する文化を普及したいです。
今回取り合えげてくれた表現も「私は、『マイノリティは社会に変わることを求めるんじゃなくて、まず自分が変わるべきだ』と思う 社会に変わることを求めるのは弱いと私は思う」と明確にあくまでも個人の意見だとわかるようにしてくれたら、「この人はそう思うけど、私はそう思わない」とか「随分とわかったことを偉そうにいう人だなぁ」とか「いち個人の意見だとしても、ちょっと残念だ」という具合に読む側のダメージは少し減り、発言への異議や疑問も抱きやすくなるのかなと思っています。
さらに、冒頭にもお伝えした通りマジョリティは自分でも知らないうちに社会的な力をもっている存在なので、発信や発言が凶器になります。自分はそのつもりはなくても、自分よりも弱い者を傷つけてしまうことも多いので、より発言や発信に気を付ける責任があるとカエルは思っています。
したがって、こうした発言は表現を堂々とできる人は自分の社会的な力に気づいていない、あるいは社会的に排除や抑圧されているル人たちの存在や実態をちゃんと知らない人なのだろうと思います。ただ、残念ながら、実際にはそうしたことを知る機会はあまりないので、必要な学びを得る機会がなかったり、別のおかしな理論を学んでしまったりしてしまったが故に堂々と発言している可能性が高く、一方的に責められるものでもないと思っています。ともに学びあう機会やこうしていろいろな人たちと物事の本質を考える機会がとても大切だとカエルは考えます。

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update 2025/12/8
Q.サポートを受ければ私も働けるかもと思う一方で、意欲が湧いてこない自分が嫌になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害年金や生活保護を活用しつつ、
働く上での支援やケアやサポートも受けながらなら、
私でも働けるのかもしれない、そう思う。
一方で、
そこまでして働かなきゃいけないのかなって気持ちが強く出てきてしまう。
意欲が湧いてこない自分が嫌になる。

A.意欲がわいてこないのは、準備が整っていないからだろうとカエルは思います。
まだ、安心安全の保障や、自分の存在や力へのある程度の信頼感など、社会に貢献するために必要なものが整っていない時点ならば、イメージがわかなかったり、懐疑的になることは自然だと思います。もちろん、個人差があるので、そうした準備が整っていても「働きたくない」と思う人はいるかもしれません。そして、必ずしも自分から積極的に「よし働くんだ」という意欲を前面にして働くようになるのではなく、「仕方ないけど必要だから働くかな」ぐらいの意欲が自然だと思っています。
また、物事を継続することは簡単なことではないので、働くようになっても体調や環境、その時のいろいろな条件の中で、働きたくない気持ちが大きくなることも自然だと思います。これは働くことだけではなく、あらゆることに対して意欲のある時もあれば、そうでもない時もあるというのが当然なのかなとカエルは思っています。そうした、気持ちやモチベーションの揺れにつきあいつつも、自分なりに向き合い続けることを含めて、生きることそして働くことだとカエルは思うのです。
そして、働くシリーズで質問をしている質問者さんは「働くこと」というキーワードをめぐって問いが展開しているようですが、実は「働くこと」に含まれる別のことに引っかかっているようにもカエルは思えます。働くことの中に本質的な何かが隠されているような気がするので、一度、テーマから離れてみると何か見えてくるかもしれないと思うカエルでした。

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update 2025/12/6
Q.前質問を送った者です。ケアやサポートを受けながらの活動なら「働く」ができるかもと思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
の質問を送った者です
私の場合、支援やケアやサポートを受けながら、何かの活動をする形なら
楽しさや、安心感を感じつつ
「働く」ができるのかもしれないなと、なんとなく思います

A.はい、その通りだと思います。あらゆる人たちがそれぞれに安心や安全が確保され、その人の力や興味関心にあった役割を果たせる社会になることをカエルはいつも願っています。そのためには今の社会のことをいろいろな角度から検証して、改めてどのような価値に基づいて社会の在り方を検討していく必要があると思っています。生きづLABOもそのための研究機関です。

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update 2025/12/3
Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
の、生きかたカエルさんの言った、動画内の一発言に反論します。
「社会が悪い」がおかしい言葉とは私は思いません。
切実なつらい気持ちから出る言葉だと私は想像するからです。

誰もが人や人以外の命の犠牲や支えで生きているのは確かだと私は思います。それでも、「社会が悪い」という言葉を言う方は、実際に社会の誰かや何かに苦しめられているか、仮にそうでなかったとしても、切実な苦しさを抱えていると、私は想像します。その方が、社会の犠牲や支えで生きている部分があれど、社会に苦しめられていると感じている以上、「社会が悪い」という言葉を言うことは、私は至極真っ当なことだと思います。私の反論に対して、生きかたカエルさんは、どう思いますか?

A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2
Q.過去に虐待を受けて大人になっても後遺症で苦しんでいる私達にももっと目を向けて欲しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供が今虐待を受けてることに対して救われるのはもちろんなのを前提の上で、過去に家族などから虐待を受けて育って大人になった今もその後遺症に苦しみながら生きてる私達にも、もっと目を向けて欲しいです。

A.カエルもずっとそれと同じことを考えています。カエルの知り合いで、精神科病院に本人の意思ではないのに長期間入院させらていた人たち(つまり、社会の仕組みによって人権侵害をされてきた人たちと言えます)と一緒に「自分たちがこんな目にあっているのを知っていて助けてくれなかった。社会としての責任を怠った」と国に対して裁判を起こしている人がいるのですが、カエルはそれを聞いて「虐待を受けている人たち、受けた人たちも同じだ!」と思ってしまいました。
こうした裁判は賠償請求をしているわけですが、訴えている人が個人的な補償を求めているというより、そうした課題に目を向けて、よくないところは認めて、今後に改善をしてもらいたいという社会全体への提案があるとカエルは思っています。裁判というのは一つの方法ですが、それ以外にも虐待などの子どもの頃の人権侵害が、大人になってからも様々な後遺症などの支障として当事者を苦しめている実態がもっと理解され、それを未然に防いだり、大人になってからのサポートも安心して受けられることを願っています。生きづLABOもそのためにやっているとカエルは思っています。

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update 2025/12/2
Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。

A.補足の説明を見ると、笑いたくて笑う笑い方ではなく、自己防衛的なつくり笑いを手放したいという意味だということが分かりました。つまり、本当はやめたいのにやめられないことで苦しんでいるということで、アディクションの一種だとカエルはとらえました。
アディクションのように、生き抜くために身につけたスキルは、手放すことが難しい場合は多いですね。ただ、方法がないわけではないとカエルは考えています。いくつかのステップがあるかと思います。まずは、「やめたいのにやめられない」ことを自覚することがスタートラインです。そういう意味では、すでにそれをわかっているのでスタートラインにはたっていますね。そして、次にそのことを自分以外の人に伝えるのが次のステップです。まさに今回の質問で次の一歩を踏み出しているわけです。この後は状況によりけりだと思うのですが、二つのことを同時並行でやる必要がありそうだと思ってます。
一つは「やめたいのにやめられない」の背景にある苦しさやつらさに目を向けていくことです。笑いたくないのに笑うことをやめられないのは、無理して笑うことで紛らわせたい苦しさやつらさがあると推測されますが、そのことにまだスポットが当てられていないのかもしれません。その苦しさやつらさへの対処が必要です。そしてもう一つは、今回の質問のように自分の考えていることや気持ちを深め、自分についての理解をすることが必要です。この二つが進められると、つくり笑いはしなくていい時間が増えたり、逆に自然と笑える時も増えていくかもしれません。そうはいっても、急にそんなことはできない…という場合もあるかと思うので、こうして質問することもそうした行動の一つなので、うまく活用してもらえたらと思います。

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update 2025/12/2