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記事の担当 生きかたカエル
Q.みなさんの回答は正しいかもしれないけど理屈っぽくて希望的観測的なものが多いと感じました。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.みなさんの回答は確かに正しいことを言ってるかもしれないけど理屈っぽくて確実性のない希望的観測的なものが多いなと感じました。でもそれが現実だよなとも思いました。質問じゃないし、失礼なことを言って申し訳ありません。

A.理屈っぽくて、希望的観測的なものが多いという指摘はまったくもってその通りだとカエルは思いました。全然失礼ではないので、問題ないですよ。
少しだけ弁明をさせてもらうと、理屈っぽいのは今の世の中が論が通らない感情論や印象論があまりにも多すぎる(そのせいで生きづらさが助長されている)ので、あえて理屈を重視しているものです。また、確実性のない希望的観測に関しては、人間は不確かであっても考えたこと口にしたこと以上のことは実現できないため、まずは考えてみる、口にしてみるというところから始めているという理由があるのです。我々としては意図して理屈っぽく、確実性のない希望的観測を発信しているものです。
したがって、我々の意図的な姿勢を見抜いた指摘であるという支持と、ただそれには意味があるということをお伝えしたいと思います。(これまた実に理屈っぽいですね…苦笑)

update 2025/4/27
Q.家族が全員名門校に行ってて、○○さんも行くんでしょと言われんのきつい。別に行きたくないのに
この記事の担当 生きかたカエル

Q.家族が全員(お母さん以外)名門校に行ってて、お兄ちゃんお姉ちゃんすごいねー!○○さんも行くんでしょ?って言われんのきつい。別に行きたくない。のにそこに行くためにお母さんもおかしくなってるし……

A.『お母さんがおかしくなってる』とか『名門校に別に行きたくない』と自分の感性や価値観を信じているところにカエルはとても興味を持ったのと同時に、全面的に応援と支持をしたい気持ちになりました。それにしても、そのようなあなたの感性や価値観に気づくことのできない家族全員は困りましたね。とりあえず、子どもの権利条約第31条「休む権利、遊ぶ権利」があることを伝えてほしいです。名門校より、子どもの権利の方が大切であることを力説してみてください。(でも、おかしくなっている人相手に正論は通じないかもですね…)

update 2025/4/27
Q.一人称がどれもしっくりこない。僕、俺、私、自分全部違和感で、自分の名前もあまり好きじゃない。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.一人称がどれもしっくり来ない。今は僕、俺、私、自分を使っているけれど全部違和感!自分の名前もあんまり好きじゃないし……むずかしー!!

A.カエルのように何かの動物を一人称にしてしまうのはどうでしょうか?一般的な一人称ではフィットしないという気持ちはわかります。オリジナルが流行りだすと世の中がけっこう変わりそうな気がします。
うさえながの「われ」もとてもナチュラルで聞いていてしっくりきます。

update 2025/4/24
Q.自分の裸を見るのが苦手でお風呂がしんどいが体は綺麗に保っておきたい。どうすれば良いか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分の裸を見るのが苦手で、お風呂に入るのがしんどいです。でも体は綺麗に保っておきたいです。どうすれば良いでしょうか。

A.それは、なかなか難しい問題ですね。どうしても、通常の入浴方法ではお風呂では体が見えてしまいますからね。
例えば、慣れた家のお風呂なら物の場所や使い方も見なくてもある程度、分かるでしょうから、目隠しをしてお風呂に入ることは不可能ではないと思えました。カエルの知り合いの全盲の方が家族に「目隠しご飯」をやってもらっていたのを思い出し、一人で目隠し入浴をマスターするというのも一つの方法かと思いました。どうでしょう。
あとは、電気を消して、真っ暗な中でお風呂に入るのもいいかもしれません。

update 2025/4/24
Q.不安や苦しみを相談する時、相談することで相手を苦しめているのではないかと罪悪感がある
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分の不安や苦しみを人に相談する時に、相談することによって相手を苦しめているのではないか、と罪悪感があります。
本当は、人といる時は、楽しく和むような時間を過ごしたいのですが、罪悪感を減らすにはどうしたらいいでしょうか?

A.罪悪感の攻略法に関する質問ですね。攻略するためには敵を知る必要があります。罪悪感がどこから来るのかによって、おそらく方法が異なると思います。なので、まずは罪悪感の根源を把握しましょう。
もしも、罪悪感が明確な過去の経験に関係しているとしたら、過去の経験について誰かと話をするとか、深める機会が必要だと思います。
もしも、明確な理由や関係がわからないけれど、罪悪感に駆られてしまうのであれば、それは世の中の「人に迷惑をかけてはいけない」「人の負担になってはいけない」という過剰な空気に感染している可能性があります。実態としては、生きていたらだいたいはお互いに迷惑や負担をシェアしあっているのが自然なことなのですが、どうも他者の負担を気にする傾向が強いかと思われます。
それから、もう一つは自分と他者の境界曖昧さの問題があります。カエルもよく「迷惑かけてすみません」とか「負担をかけて申し訳ない」と言われることがありますが、『迷惑かどうかは私の問題なので、そこは私に任せてください』と伝えています。もう少し、相手のことを信じて任せるということをおススメしたいです。自分の問題と相手の問題を区別して考えると変わって見えることもたくさんあります。

update 2025/4/24
Q.親が自営業なんだけど、客が少なくなって、貧乏です。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親が自営業なんだけど、客が少なくなって、貧乏です。親も死にたいみたい。あんまり私の前では言わないけど。借金の話もしていて、気分が落ち込んじゃいます。これから、高校、大学とお金がかかるのに・・・

A.借金の話題がもれ聞こえてくると子どもとしては心配になるのも無理はないと思います。いろいろわからないことがある中で不安があると思いますが、推測するに、課題がシンプルなので、いざとなったら方法はありそうだと感じています。
借金問題や事業不振については、決断次第で、自己破産や倒産など公的な手続きとして白旗を上げることができます。負いきれない借金を清算する方法もありますので、借金やお金がないことを解決する方法はあると思っておいてください。(親も知っているかもしれないし、知らないかもしれないですが)くれぐれも大変な状態を無理して引っ張らずに引き際が大事だとカエル的には思います。…とここで答えても、親が見てくれるわけじゃないだろうけど。カエル的には商売や水物ですから、うまくいかないこともありますから、倒産したり自己破産することをそんなに大きく恥じることはないと思っています)
また、親が経済的に大変だとしたら、進学の際には使える奨学金もあります。少し前は多額な借金を抱えるような貸与型が主流でリスクが高かったのですが、最近は給付型の奨学金が増えているので、家庭の経済的な事情があっても進学できる道はずいぶんと増えたと思います。また、世間では人手不足が深刻化しているので、大学生のアルバイトも選べるほどあるとは思います。ただ、バイトと学生の両立などが難しいことはあるかもしれませんが、難しければ、働きながら通信の大学に進学するとか、定時や通信の高校だとバイトがしやすいと思います。
あなた自身の進学について相談できるところを確保するのと同時に、親に「大変だったら、自営業たたんで、他の仕事をやってみたら?」とか「借金が大変なら倒産とか自己破産するのも一つの方法だって聞いたことあるよ」と言ってみるのも手かもしれませんね。

update 2025/4/21
Q.「いつかは賃労働を、経済的自立を」が前提にあるのが無職が追い詰められる原因な気がする
この記事の担当 生きかたカエル

Q.例えば公的制度等を活用して賃労働をせず生活している方にも、風潮的にも仕組み的にも「いつかは賃労働を、いつかは経済的自立を」が前提にある気がするのです、それが無職の方が心身共に追い詰められる原因な気がするのですが、それについてどう思いますか
(編集補足:「Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしてもいいなどの風潮が社会に強くあるように感じて苦痛」を見ての質問だということです)

A.とても妥当な指摘だと思いますね。世の中の多くが、働くことがいいことで目指すべき方向性がそこにあるような風潮があります。そして、働く=賃労働という理解が強いと思います。カエルも、障がいがある人も納税者になろうとか、いつかは一般就労みたいなキャッチを見ると、とても理解が狭いと思うし、そうした狭い理解が一部の人を苦しめているとも感じます。
もっと多様な働くがあり、もっと多様な生き方があり、そして、多様な考え方も「それもありかもね」ぐらいに認められることで、追い詰められなくても済むことがたくさんあると思っています。

update 2025/4/21
Q.死にたいと思うけど、他の人みたいに眠れないとか体調不良にはならない。私はまだまだってこと?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたいなって思うことも確かなんだけど、でも他の人みたいに眠れない、とか体調不良にはならない。なんなんだろ。私はまだまだってことなのかな?こんなんで苦しんでちゃ甘いって、ことかな?

A.体調に出るか出ないかは人によって違うので、「死にたいって思う」という感覚や苦しいという気持ちがあるのだから、それを素直に受け止めていいとカエルは思います。
あんまり身体に出ないタイプかもしれないし、身体に出ないからこそ、心が負担を引き受けているのかもしれないし、ひょっとしたら体調や眠りが気づいていないけど不調ってこともあるし…
死にたい気持ちや苦しさに甘いとか、甘くないとかはないので、自分の気持ちや感覚を信じて、受け止めたいとカエルは考えます。

update 2025/4/20
Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?

A.休んでいいラインというものはないとカエルは考えています。どちらかというと、「学校に行くライン」の方があって、ラインを超えない場合は行かなくてもいいと思うぐらいです。
いずれの場合でも、基準は自分の気持ちや感覚です。行きたい、行った方がいいと感じる/考える要素が、行きたくない、休みたい、つらいという要素を上回る場合は行けばよいし、逆に行きたくない、休みたい、つらいが上回るのなら、それは休んでいいというより、行かなくてもいいとカエルは考えています。
ただし、学校に行かない、休む=学ぶことを辞めるということではないので、学校以外の学びの場が保障される必要があります。また、それ以前に学校がどんな子どもにとっても行きたい、行った方がいいところになること、せめて行きたくないところ、つらいところにならないような工夫が必要だろうと考えます。どちらにしても、子どもというより大人の問題だと思います。どんな学校なら行きたいと思えるか、一緒に考えてみたいです。

update 2025/4/16
Q.クラス発表されました。2クラスしかないんだけど、仲良い人ほんとにみんな違う方行っちゃった。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.クラス発表されました。2クラスしかないんだけど、仲良い人ほんとにみんな違う方行っちゃった。10人中10人。毎年クラス替えあるって分かってるけど辛い。

A.物事は変化して好転することもあれば、変化により安定や安全が崩れることもあります。また、人によって変化を好む人、変化に強い人もいれば、ちょっとした変化がとても苦手な人もいたり、長い時間をかけないと慣れることができない人もいます。
そう考えると、学校のクラス替えはあまり合理的ではない仕組みのような気がしてきました。基本のクラスは決めるとしても、もう少し柔軟にいろいろな人たちと集団を組んだり、多様な組み合わせがあってもいいのにと思います。
同じ学年だけでクラスを固定するのではなく、学年横断的なグループがあってもいいし。そして、個人差も考慮してくれたり、子どもが集団を自分で決めることがあってもいいのにと思います。なぜなら、たくさんの人がいれば、全員にとってハッピーな完璧なクラスはないと思うからです。誰かにとっていいクラスも、他の人にとっては最悪な場合もあります。
例えば、希望者を募って、2カ月に一回は希望者だけクラス替えするとか、いっそのことクラスは決めないで好きな教室に行っちゃうとか…あなたなら、どんなクラスの仕組みがいいと思いますか?とカエルはアイディア募集したいですね。

update 2025/4/16