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記事の担当 生きかたカエル
Q.サポートを受ければ私も働けるかもと思う一方で、意欲が湧いてこない自分が嫌になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害年金や生活保護を活用しつつ、
働く上での支援やケアやサポートも受けながらなら、
私でも働けるのかもしれない、そう思う。
一方で、
そこまでして働かなきゃいけないのかなって気持ちが強く出てきてしまう。
意欲が湧いてこない自分が嫌になる。

A.意欲がわいてこないのは、準備が整っていないからだろうとカエルは思います。
まだ、安心安全の保障や、自分の存在や力へのある程度の信頼感など、社会に貢献するために必要なものが整っていない時点ならば、イメージがわかなかったり、懐疑的になることは自然だと思います。もちろん、個人差があるので、そうした準備が整っていても「働きたくない」と思う人はいるかもしれません。そして、必ずしも自分から積極的に「よし働くんだ」という意欲を前面にして働くようになるのではなく、「仕方ないけど必要だから働くかな」ぐらいの意欲が自然だと思っています。
また、物事を継続することは簡単なことではないので、働くようになっても体調や環境、その時のいろいろな条件の中で、働きたくない気持ちが大きくなることも自然だと思います。これは働くことだけではなく、あらゆることに対して意欲のある時もあれば、そうでもない時もあるというのが当然なのかなとカエルは思っています。そうした、気持ちやモチベーションの揺れにつきあいつつも、自分なりに向き合い続けることを含めて、生きることそして働くことだとカエルは思うのです。
そして、働くシリーズで質問をしている質問者さんは「働くこと」というキーワードをめぐって問いが展開しているようですが、実は「働くこと」に含まれる別のことに引っかかっているようにもカエルは思えます。働くことの中に本質的な何かが隠されているような気がするので、一度、テーマから離れてみると何か見えてくるかもしれないと思うカエルでした。

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update 2025/12/6
Q.前質問を送った者です。ケアやサポートを受けながらの活動なら「働く」ができるかもと思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
の質問を送った者です
私の場合、支援やケアやサポートを受けながら、何かの活動をする形なら
楽しさや、安心感を感じつつ
「働く」ができるのかもしれないなと、なんとなく思います

A.はい、その通りだと思います。あらゆる人たちがそれぞれに安心や安全が確保され、その人の力や興味関心にあった役割を果たせる社会になることをカエルはいつも願っています。そのためには今の社会のことをいろいろな角度から検証して、改めてどのような価値に基づいて社会の在り方を検討していく必要があると思っています。生きづLABOもそのための研究機関です。

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update 2025/12/3
Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
の、生きかたカエルさんの言った、動画内の一発言に反論します。
「社会が悪い」がおかしい言葉とは私は思いません。
切実なつらい気持ちから出る言葉だと私は想像するからです。

誰もが人や人以外の命の犠牲や支えで生きているのは確かだと私は思います。それでも、「社会が悪い」という言葉を言う方は、実際に社会の誰かや何かに苦しめられているか、仮にそうでなかったとしても、切実な苦しさを抱えていると、私は想像します。その方が、社会の犠牲や支えで生きている部分があれど、社会に苦しめられていると感じている以上、「社会が悪い」という言葉を言うことは、私は至極真っ当なことだと思います。私の反論に対して、生きかたカエルさんは、どう思いますか?

A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2
Q.過去に虐待を受けて大人になっても後遺症で苦しんでいる私達にももっと目を向けて欲しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供が今虐待を受けてることに対して救われるのはもちろんなのを前提の上で、過去に家族などから虐待を受けて育って大人になった今もその後遺症に苦しみながら生きてる私達にも、もっと目を向けて欲しいです。

A.カエルもずっとそれと同じことを考えています。カエルの知り合いで、精神科病院に本人の意思ではないのに長期間入院させらていた人たち(つまり、社会の仕組みによって人権侵害をされてきた人たちと言えます)と一緒に「自分たちがこんな目にあっているのを知っていて助けてくれなかった。社会としての責任を怠った」と国に対して裁判を起こしている人がいるのですが、カエルはそれを聞いて「虐待を受けている人たち、受けた人たちも同じだ!」と思ってしまいました。
こうした裁判は賠償請求をしているわけですが、訴えている人が個人的な補償を求めているというより、そうした課題に目を向けて、よくないところは認めて、今後に改善をしてもらいたいという社会全体への提案があるとカエルは思っています。裁判というのは一つの方法ですが、それ以外にも虐待などの子どもの頃の人権侵害が、大人になってからも様々な後遺症などの支障として当事者を苦しめている実態がもっと理解され、それを未然に防いだり、大人になってからのサポートも安心して受けられることを願っています。生きづLABOもそのためにやっているとカエルは思っています。

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update 2025/12/2
Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。

A.補足の説明を見ると、笑いたくて笑う笑い方ではなく、自己防衛的なつくり笑いを手放したいという意味だということが分かりました。つまり、本当はやめたいのにやめられないことで苦しんでいるということで、アディクションの一種だとカエルはとらえました。
アディクションのように、生き抜くために身につけたスキルは、手放すことが難しい場合は多いですね。ただ、方法がないわけではないとカエルは考えています。いくつかのステップがあるかと思います。まずは、「やめたいのにやめられない」ことを自覚することがスタートラインです。そういう意味では、すでにそれをわかっているのでスタートラインにはたっていますね。そして、次にそのことを自分以外の人に伝えるのが次のステップです。まさに今回の質問で次の一歩を踏み出しているわけです。この後は状況によりけりだと思うのですが、二つのことを同時並行でやる必要がありそうだと思ってます。
一つは「やめたいのにやめられない」の背景にある苦しさやつらさに目を向けていくことです。笑いたくないのに笑うことをやめられないのは、無理して笑うことで紛らわせたい苦しさやつらさがあると推測されますが、そのことにまだスポットが当てられていないのかもしれません。その苦しさやつらさへの対処が必要です。そしてもう一つは、今回の質問のように自分の考えていることや気持ちを深め、自分についての理解をすることが必要です。この二つが進められると、つくり笑いはしなくていい時間が増えたり、逆に自然と笑える時も増えていくかもしれません。そうはいっても、急にそんなことはできない…という場合もあるかと思うので、こうして質問することもそうした行動の一つなので、うまく活用してもらえたらと思います。

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update 2025/12/2
Q.今高校三年で、教室にいると息苦しさなどを感じる。どうしたらうまくやり過ごせる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今高校三年です。教室にいると息苦しさ、居心地の悪さを感じます。少し理不尽なことがあると愚痴を言い合ったり教室が荒れたり、自分より頑張ってない人を下に見たり不満を言ったりなど、自分は合わないと感じます。どうしたらうまくやり過ごせるでしょうか。

A.実はカエルもカエル界の進学校で同じような思いをしたので、首が痛くなるほど頷いて読みました(カエルに首なんてあるのか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、あるんですよ!)。カエルの場合は少し距離を置いて、そうした殺伐とした様子を見ながら、「このカエルたちはもともとこんなカエルじゃなかったのに、こんな言動をするのは今置かれている環境のせいだ」と考えてみて、高校3年生が受験戦争に巻き込まれていくことの弊害を実感しました。「自分には合わないと感じる」というのは自分の感性がしっかりと働いているということなので、ひとまずその自分の感性を労いつつ、その背景にある課題を知ったことを今後の人生に生かしていくマインドでいることで、気持ちは少し変わるでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30
Q.支援学校までしか行っていなく、これからの生き方がわからない。どうしたらいいだろうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援学校までしか行ってなくてこれからの生き方がわかりません。学力もなくやる気も出ません。どうしたらいいでしょうか

A.カエルも支援学校についてはわりと実態を知っている方ですが、支援学校は一人ひとりに応じた学びを提供してくれる教育環境としては、悪くないと思っているところがあります。ただ、世間からの評価として支援学校が通常の学校よりも劣るという理解をする人が多いかもしれません。学力に関しても、確かに今の社会では高い方が低いよりも優遇されてしまうので、学力がないと生きるうえで困ることも少なくないかもしれません。ただ、カエル的には身近に支援学校を出て、その人なりに生きている人もいますし、学力がなくてもぼちぼち生きている人もいれば、学力があってもかなりしんどい状況の人もいます。だから、カエルとしては、学力や学歴ではなく、あなたのやる気が出ない要因は他にありそうだと思っているところでした。何はともあれ、何かをしようと思ったときに最も大切なのは自分を知ることだとカエルは思うので、誰か自分のことを一緒に考えてくれる人と話してみてほしいと思いました。もしすぐに見つからなければ、いつでも質問をください。

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update 2025/11/28
Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生活保護は、
働けるのに働かない人は受給できないといった感じのことを、
良くないことですが、
中古本店で立ち読みした生活保護に関する本で見ました。

では、
どうしても働きたいと思えない人は、
死ぬしかないのでしょうか?

A.少し前にも「働く」ことについて回答しましたが、世の中の「働く」のスタンダードがおかしくなってしまっているので、「働けるのに働かない人」の誤解を生みだしているように思います。

カエルはの認識では、どんな人でも、自分の持っている資源を活用して働くことができると思っています。もしも、働けない人、働きたくない人がいるとしたら、それは働くための条件や準備が整っていないことが理由だと考えます。
例えば、体が健康な人がいたとして、でも、オオカミに育てられたとしたら働くことができないだろうと思います。それはなぜかというと、教育の機会がなく、学ぶことができなかったからです。それと同じように、その人の学び方に応じて必要なことを学ぶチャンスが、実はあるようでありません。

ポイントは「その人に応じた学び」の保障です。
学校の学び方はどうしても画一的で一方的であるがゆえに、それに合わない子どもは一定数います。また、生活が不安定で学ぶどころではなく、学ぶチャンスを得られなかった人もたくさんいます。虐待やいじめなどの暴力に怯えていたら、学ぶことができません。自分に降りかかる危険のために備えること、回避することにエネルギーを注ぎ、生き抜くための特殊なサバイバルスキルは身につくかもしれませんが、それが働くことに役立つかというと役立つことは少なく、多くは働くことを阻害してしまいます。

そして、人々が働くことを最も妨げているのが、日本社会の「働く」の大部分が、企業の都合で人材や働き方が決められていることです。
それに無理なく合う人もいるかもしれませんが、少なくない人たちが、その枠にはまろうとして無理をしています。無理をしてストレスや疲労が蓄積する人もいますし、合わせすぎて心身を崩す人もいます。また、合わせられない人は「働けない」「社会に適応できない人」という一方的な評価をされてしまいます。本当の課題は、ものすごく狭い枠にいろいろな人たちをはめすぎていることなのに、ハマれない人のせいになります。これは本当におかしなことです。

つい、熱くなりました…苦笑 カエルは世の中の「働く」を見直したいと思っています。このように「働く」が変わるとしたら、質問者さんの意見はどうなりそうでしょうか。
今の「働く」を見直すためには、質問者さんのように、今の働くことへ疑問や絶望がある人の声が必要なので、死ぬしかないどころか、生きて意見を届けてほしいとカエルは思っています。

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update 2025/11/28