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記事の担当 ウ・サギ
Q.セルフサービスの水のグラスが汚れていて違うグラスに水を入れて2つに。こういうときどうする?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.セルフサービスのお水のグラスが汚れているのに気付かず、そのまま自分の席に持っていってひとくち飲んでしまいました。嫌だったので、違うグラスにまた水をいれてきて、グラスが2つになってしまいました。皆さんはこういうこと起きたらどうしますか…?

A.補足から、対応で神経をすり減らした様子がよく伝わってきました。ウ・サギもそういう想定外の困りごとが起き、解決策としてマナー的にはあまり望ましくない行動をしてしまったとき、いろいろ考えてとっても疲れてしまうタイプです。だからうんうんと共感しながら、どうしたらいいのだろう…と自分のためにも真剣に考えています。
一応理想の対応は、店員さんにグラスが汚れていたと伝えた上で、新しいグラスに水を入れてくることなのかな…?とは思います(店にとっても、問題があるのを知れる方がありがたいはず)。といっても、これはあくまで今落ち着いて考えるからわかることで、その場ではウ・サギは絶対できない自信があります!
いつも大正解の対応をできる人なんていないはずですし、ちょっとくらい間違ったことをしてしまっても殺されるわけでもないのに、気になりだしたら不安になりますよね…。ウ・サギは今のところAIを使わない派閥なのですが、AIに聞いたら適切な対応を教えてくれつつ、不安もなだめてくれるかも……?いかがでしょうか。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/31
Q.音読は非常に効果的みたいですが、本1冊を丸暗記したことはありますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.音読は非常に効果的みたいですが、本1冊を丸暗記したことはありますか?

A.音読は脳の活性化にいいと聞きますが、文章の暗記にも効果的という話でしょうか。ウ・サギはさすがに1冊丸暗記したことはないですが、小学校の国語の教科書の物語は確か5~6ページくらい(物語の半分以上)丸暗記していたことはあります。先生の思いつきみたいに予告なしで突然、クラス全員が順番に暗記音読をしたことがあって、やってみたら随分と覚えていて自分でもびっくりしました。
ちなみにそれまでたくさん音読をしていたわけじゃなく、ウ・サギにとって文章を読むのは歩くくらい簡単なことで、授業中にちょっと暇だとぼんやり教科書を読み返していたので、そういうことになったのだと思います。
今はそのときに比べると脳が鈍くなっているでしょうね…。音読と、確かピアノも脳の活性化によかったはずなので、やってみた方がいいかもなあと思ったり思わなかったりします。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/31
Q.趣味、やりたいことが見つけられない。お金があまりかからない趣味ややりたいことを見つけたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の趣味、やりたいことが見つけられません。強いて言うならゲームや音楽を聴くことくらいです。なるべくお金があまりかからないような趣味や、やりたいことを見つけたいです。

A.趣味ややりたいこと、ですか…。考えてみると、ウ・サギも趣味を聞かれてもうまく浮かばないなあと思いました。趣味ややりたいことがない=趣味ややりたいことがほしい、には必ずしもならない気はするので、見つかることが大切なのか、ないことも気にならなくなる状態も一つの道なのか・・・いろいろ考えたくなってしまいました。
見つけたいという話なのに脇道に逸れてすみません。ウ・サギが最近少し思うのは、そもそも趣味ややりたいことが見つかるためには、エネルギー(時間・体力・心の余裕)がある程度必要なのではないか?ということです。趣味ややりたいことというのは、つまり自分の心が動くかつ、継続的にそれに取り組めるということだと思うので、日々を生きるだけでエネルギーを消耗している場合はなかなか難しいと思うのです。だから見つけるという視点も大切かもしれませんが、見つけられるコンディションを整えていく、という方向で考えてみるのも有効かもしれません。
あまり回答になっていなかったらすみません……。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/31
Q.近現代史学んでいるが 今の方が良くなってるとおもうし 10年前にも戻りたくないと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.近現代史学んでるが 今の方が良くなってるとおもうし 10年前にも戻りたくないと思う
いきづらぼにも投稿できるし
ネットで図書館の本みれるし
aiですきな話できるし

A.なるほど…最近ウ・サギは歴史に興味を持ちだしたので(これまでは縄文時代にしか心が動かず…)、近現代史を学んでいるのはいいですね…!とまず思いました。
ウ・サギは近現代史に全然詳しくないのでなんともいえない部分もありますが、今の方が良くなっている部分は確実にあると思います。とくにネットの発達は、言語性が高く実行機能に苦手がある人にとっては、人生の選択肢や豊かさを革命的に広げたと思っています。また、人権という発明(?)も人類史上で考えれば最近のことであり、まだまだ発展途上で課題が多い部分もあるにしても、基本的人権という概念がある時代に産まれたことはウ・サギは幸運だと捉えています。
質問者さんにとって今の方が良くなっていると感じられるなら、それはよかったと温かい気持ちになりますし、そこに「生きづLABOにも投稿できるし」が入っているのも嬉しいことです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/28
Q.親が仲良しで良いことのはずなのに疎外感があります。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親が仲良しで良いことのはずなのに疎外感があります。

A.どのような仲良しかにもよると思いますが、親が自分よりも何かを明確に優先していると感じるなら、子どもが疎外感や不安を抱くのは自然なことだとウ・サギは感じます。仲が悪くいつもギスギスしているよりは仲良しの方がマシだとは思いますが、「良いこと」とまで言えるかというと、親だけに限らず狭いコミュニティで自分を置いてけぼりで誰かが仲良くしていたら、落ち着かなくなったり悲しくなったりする場合の方が多いのではないでしょうか。
また、疎外感を抱いたことだけでなく、その疎外感をおそらく質問者さんは一人で抱え込むしかなかったかと想像しているので、そういった葛藤や傷つきを言えなかったのもまたしんどさとして積み重なったのかもしれないとウ・サギは思いました。こういうのはイヤだよ、悲しいよ、というのを言えないのは誰にとってもつらいものだと思いますが、子どもの頃にそれが続いていたなら、その後も自信のなさや苦しさが残ってしまうくらいにダメージのあることだと感じます。やはり子育ての環境は、両親だけじゃなくいろんな大人がいて、誰かには自分の気持ちを安心して話せる、というのが必要だよなあ…としみじみ思うウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/28
Q.自分を「義務人間」と言語化した。この気づきを持ったままこの先どう向き合っていけばいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「義務があると動けるけど、限界まで気づけず倒れてしまう自分」を「義務人間」と言語化しました。
この気づきを持ったまま、この先どう向き合っていけばいいと思いますか?

A.自分にしっくりくる「○○人間」の言語化は、なかなか偉大なる発見だとウ・サギは思いました。自分を理解することはセルフマネジメントをする上で有効というのもありますし、納得できる名前や言葉を自分に与えてあげることは自分から自分への受容や優しさだと感じるからです。
ちなみに、詳細は省きますが、ウ・サギは自分について「自滅するために生きている存在」だと思っています。質問者さんの「義務人間」がもし周囲からの要請で生じているなら、環境にいることで義務人間から何か違うものに変化することもあるとは思いますが、「この動機で動いて、こういう偏りが生じて、こうやって自分(または周り)が潰れます」というパターンは誰しも多かれ少なかれ持っているとウ・サギは考えています。
じゃあどうすればいいのか?というと、そのパターンやサイクルを完全に無くすことを目指すのではなく、そのやらかしの規模や被害総額(?)を抑えていく工夫をちょっとずつ見つけていくことだとウ・サギは考えています。工夫というのは、自分で何かを意識するとかだけでなく、環境調整や、誰かに補助してもらうという方法もあります。義務人間のパターンで考えると、ほどよい義務を課してくれる環境(質問者さん自身も納得したり楽しめる&負荷の大きすぎないタスクを投げてくれて、でもだからといって質問者さんに過度な期待をするわけでない人や環境)を見つけることが、最も効果が高いかも…?とウ・サギは思いました。
ただ、補足の内容から、質問者さんはまだ学生さんかと思うので、環境を変えられる幅は今はあまり多くないかもしれませんね…。とはいえ気づきまでたどり着いたなら、その自分の傾向を誰かに伝えることやほどよい義務をくれる人を探すことは一応可能なので(気持ちとしてのハードルはあるかもしれませんが…)、自分に向き合っていくというよりは自分を補ってくれるものを見つけるイメージで考えておくといいかもしれません。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/28
Q.なぜ人間なんかに産まれたんだろ?身勝手な他人も怖いが人として生き延びてる自分が気味が悪い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なぜ人間なんかに産まれたんだろ?
身勝手な他人も怖いけれど、同じ人として生き延びてる自分が気味が悪い。
昔からいじめられる方が悪い、仲良く出来ない方がおかしいと言われ続けて来たけど100%相手が悪い事故でも同じ事言われる

A.丁寧に補足もありがとうございます。「身勝手な他人が怖い」と思うことには無条件で頷いたのですが、「同じ人として生き延びている自分が気味が悪い」については、わかるようなわからないような、まだぐるぐるしているウ・サギです。ただ、全般に人間社会そのものや、人間という生き物について、グロテスクさを感じている(グロテスクという表現があまり良くなかったらすみません)のは感覚として伝わってくる気がしました。
いじめられる方が悪い、仲良く出来ない方がおかしい、というのは相当な暴論であるとウ・サギは感じます。おそらく質問者さん自身も、自分は理不尽な目に遭っている、理不尽なことを言われている、という感覚はあると読み取っているのですが、だとしたら本来は理不尽から自分を守ってくれるものがあるべきなのに(助けてくれるものがある、助けを求めていい、というシステムとして社会がある前提になっているのに)、そうならない…。それを自分の中でどう理解し受け止めたらいいのかわからないし、わかろうとしてももう限界で、「人間という生き物自体、生きていること自体が、もう怖いし気味が悪い」という感情や感覚が結論となってしまった構造なのかなとウ・サギは想像しました。
傷つき体験の個別のケースごとに整理して意味づけていけば、「それは質問者さんが悪いわけでなく、相手が責任転嫁してきた話ですね…」「強者が弱者をおさえこむ風潮があり、社会全体のキャパも無くなっている背景が、そういった責任転嫁を生み出しているのかも」「いや、だとしてもそんなことをするのが許されるわけではない…!」と紐解き、消化や回復までが完了するまではいかなくとも、「なぜ人間なんかに産まれたんだろ?」「同じ人として生き延びてる自分が気味が悪い」という(理論だけで言うなら飛躍しているとも言える)ところに集約はされなかったのではないか?とウ・サギは思いました。このあたりはウ・サギも、個別のケースの意味づけや消化がうまくできず溜め込んだ結果「はい、自分がそもそもゴミだから駄目なんですよ」という、客観的に見ればよくわからない感覚や結論に至ったので、何となく共通する部分がありそうに感じてもいます。
もしかしたら的外れな回答になってしまったかもしれませんが、そんなことを思いました。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/28
Q.精神科の薬が死ねますようにと願って飲むとよく効くが、楽になれますようにと願うと全然効かない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科のお薬なんですけど、
死ねますようにって願って飲むとよく効くのに、
もっと楽になれますようにって願うと全く効きません。
これは私は死んだ方がいいってことですよね。

A.同じく適量を飲んでも、願い方によって効き目が変わるという話ですね。「私が死んだ方がいいってことですよね」には率直に「どういう理論でそうなるのだう…?」とウ・サギは思ってしまいましたが、追い詰められた気持ちでいることはよく伝わってきました。
「もっと楽になれますように」はどこか自己一致しない願いなので心に負担がかかり、「死ねますように」は自分らしい無理のない願いなので心がリラックスするのだと考えると、薬の効き目も変わってくるのもあり得る話だとウ・サギは思います。ただ、死ねますようにという願いが自分をリラックスさせてくれることと、死という状態を質問者さんが求めているかは別の話だとウ・サギは考えます。死にたいというのはどこまでいっても感情の話で、感情にぴったりくるイメージであり表現であるだけで、現実として死を求めているのとは少し違うと思っています。死にたいに限らず、どんな願いも思いも一言で表しきれることのない複雑に絡まり合った感情で、実は叶える手段も複数あるからこそ、願いをそのまま最短距離で行動に移すことは滅多に起こらないのではないでしょうか。
一方で、「死にたい」「死ねますように」などの一言でしか伝えられない気持ち、自己一致して表現できない気持ちもあると思っています。

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update 2026/1/19
Q.望まず生まれてつらい思いをしてるって嫌だけどそう考えれるのは自分が存在しているからで…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が望んでいないのに生まれてきて、つらい気持ちをたくさんしているってなんか嫌だなって思った。でも、そう考えれるのは自分が存在しているからだよなとか考えたりぐるぐるしてる。何を目標として生きればいいのか知りたいです。

A.なるほど…哲学的ですね。でも哲学というにはあまりに切実で、生きているしんどさから生じてきた問いであるとも感じています。
自分で望んでいないのに生まれてきて、というのはウ・サギも時々思います。生まれるというのは大きいことなのに、誰一人自分で望んで生まれてきていない、そこに選択権がない、というのはびっくりなことにも感じます。でも、生きる上で選べないことはそもそもたくさんあって(人間以外にも自分以外にもなれないし、生まれる時代も場所も選べないし…)、本来選べるはずの範囲のこと(どこで誰と住むのか、学校に行くか行かないか、何で生活を賄っていくのか…)が選べないから、「生まれる・生まれない」など選びようもないことを考えてしまうのかもしれません。
何を目標として生きるのかは、目標なんて無く生きるくらいがちょうどいいとウ・サギは思っています。目標をもち、努力をして、生きがいを感じ、自分のキャリアを築いていく・・・そういったものが、今の人生像の主流になっているのではないかとウ・サギは感じているのですが、生きるというのは本来違うものだとウ・サギは思っています。私たちは関係性の中で生きています。誰かが食べ物を作ってくれて、家を建ててくれて、娯楽を創造していて・・・自分だけでできないことはたくさんあるし、何もできない赤ちゃんから誰しも人生は始まり、年を取れば身の回りのことのサポートを必要とする場合もあります。傷つき孤立したり、疲弊すれば、何もできなくなることだって誰しも起こり得ます。そういった弱さや不完全さを抱えたもの(すべての人)同士が、誰かを過度に犠牲にすることなく助け合える社会をウ・サギは望んでいるのですが、そのために目標があるとしたら「誰も切り捨てない世の中であるために必要とされることをやる」という、自分中心でなく、関係性を中心とするものになるのではないかと考えています。
そして、ウ・サギは、今の社会について一度立ち止まって一緒に考える仲間を必要としています。今の社会で何が問題なのかは、切り捨てられてしまっている存在が最も知っているので、教えてもらうことも欠かせません。生きづLABOにアクセスがあるだけでも、今の社会について考え直すことが必要とされている一つの根拠となり力となります。
だから、そんな壮大に社会を変えることを目標にしましょうと言うつもりではないのですが、存在し考えることにはいつも意味があり価値があるのだ、とウ・サギは思っています。だいぶ話が膨らんでしまいましたね・・・全然回答になっていなかったらごめんなさい。

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update 2026/1/19
Q.「Q.人生重要なことはネットとaiにはないんじゃないかな?」を見ていろいろ考えました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.人生重要なことはネットとaiにはないんじゃないかな?」を見て、
確かに、ネットとAIには人生重要なことはないのかもなと、納得しました。
その一方で、ウ・サギさんが書いていたように、ネットやAIが人生重要なことに気づく「きっかけ」になることならあるのではないかと俺は思いました。
ただ、ウ・サギさんの書いた「つらさを絶望の方に後押ししてしまう可能性もある」に近いかもですが、
ネットやAIによって気づくことから遠ざかってしまう場合もあると思います。
俺個人の考えですが、人生重要なことは、
他者や本やアニメやネットやAIなどの自分以外の存在との関わりと、
自分の中にあるものが合わさって、自分自身で気づくものだと思っています。
自分の中にあるものは、生まれつきのものと、自分以外の存在の影響で生まれるもの、どちらもあるのかなと思います。
そして、
人生重要なことは、絶対的な一つの何かではなく、
人それぞれに異なる「人生重要なこと」があるのではないかと俺個人は思います。
ウ・サギさんは、どう思いますか?

A.うんうん、と概ね同意の気持ちで読みました。(「概ね」と保留するのは、違う考えの場所があったわけではなく、質問者さんの考えをどこまで正確に読み取っているかわからないからです)
気づきとか学びがどういうものか、何からもたらされるかというのは、考えるほどに「こういうもの」と簡単に言い切れないものだと思います。だから、ちょっと話は逸れてしまいますが、「こういうのを学んでほしい」「教えよう」といった教育のスタンスにはずっと疑問と反発をウ・サギは抱いています。ただ、人生重要なものを感じるために大切な経験と、あまり糧にはならない経験はあると(無意味な経験は一つもない、という前提で)思っていて、最近は生活体験みたいなものが大切なのではないか、今それがあまりに欠けているのではないか、とよく考えています。だからウ・サギは、人生で重要なことは人それぞれの色合いやニュアンスは異なるにしても、ある程度普遍的なものだとは思っているかもしれません。でもそれは今のところうまく言葉にしきれないし、言葉にしたとしても、言葉だけでは説明しきれないものにも感じます。今の段階で無理やり言葉にするなら、自分のちっぽけさを思い知ることと(具体的には、自然に対しての畏敬の念とか、いろんな人の支えや関わりの中で自分が存在している感覚とか)、一人ひとりの力が合わされば世界を変えていくこともできるのだという有力感の両方を、ほどよいバランスで自分の中に抱くこと・・・ですかね。
そう考えていくと、ウ・サギ説では、ネットやAIで人生重要なことは得られないと思っていることになりそうですかね……?いや、一人ひとりの力を合わせるツールとしては、ネットは大いに可能性はあるかも…?とりあえず、自分のちっぽけさを思い知ることの方は、ネットやAIはあまり役に立たなさそうです。

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update 2026/1/19