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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.誰も死に方を選べないのに、生きられなかった人の分まで生きるべきだと言われて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰も死に方を選べないのに、生きられなかった人の分まで生きるべきだと言われて辛い。
もし自分の寿命を渡す事ができるのなら全部生きたがってる人にあげるのにと考えている。

A.それはつらいですね…。そんなことを言ってきた人には、無言でキックしたいくらいの気持ちです。「生きられなかった人の分まで生きろ」とか「もっと苦しんでいる人がいる」(というのも言われたと補足にあったので…)論は、世の中でなぜか正論のように出されることが時々ありますが、ウ・サギはいろいろと文句を言いたい点があります。
ウ・サギは、「死にたい」というのは、「死にたい以外の結論が見えないくらい気持ちがいっぱいいっぱい」の状態であると捉えています。そんなにいっぱいいっぱいの人が、なぜ他の人の感情や苦労まで背負わなくてはならないのか?というのがまずウ・サギの怒りポイントです。他の人の感情や苦労に思いを馳せ、背負うのは、その余裕がある人の役割だと思います。もっと苦しんでいる人がいるというのを苦しい人に押しつけてる暇があるなら、苦しんでいる人のために、あなたがやれることを黙々とやってなさい…!とお説教したいです。
生きられなかった人の分まで生きろは、生きられなかった人に直接言われるならわかりますが、第三者が押しつける意味も筋合いもわかりません・・・。
あと、指摘したいのは、それらの理論を生きるのがしんどい人相手に話すことで、誰が幸せになるのか?という合理性です。そんなことを言われたら、生きるのがしんどい人はもっと苦しんで、苦しんでいる人のことを考える余裕のある状態は遠ざかるし、生きる力も弱っていくはずです。
と、いろいろ怒りながら反論させてもらいましたが、たぶん言う側はそんなに深く考えて言ってないと思うのですよね…。死にたいというくらい弱っている人に、考えなしの言葉を投げること自体、ウ・サギは大反対です。
ずいぶん怒ってしまいました。すみません。とにかく、つらいものはつらいのだから、比べなくていいし、自己嫌悪しなくていいし、せめて自分だけは自分のつらさを一番に思い遣ってあげようじゃないか。自分のつらさを申し訳なく思っている人全員に、そう叫びたいウ・サギでした。

update 2025/5/21
Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
私の経験上、希死念慮が他人からは想像以上に見えていないと痛感しています。だから簡単には気付けなくて当然で、逆にそれが明らかに見て分かる頃では支援が間に合わない気がします…

A.ウ・サギは、死にたい気持ちは「生きる負担>生きる楽しみ・価値」という状態があって、生まれるものだと思っています。もし死にたい気持ちを感じていない人でも、同じく「生きる負担>生きる楽しみ・価値」になっている場合が少なくないと感じますし、自殺を止めたいと思うなら、そういった世の中(家庭、学校、仕事・・・生きる負担があまりに多いと思います)を変えるのが、一番のやるべきことだと考えています。だから、誰かが自殺という行動に至るところでやっと「自殺のサインに気づく」ことを重要視されても、なんだかなあ、とウ・サギは思ってしまいます。亡くなってしまったら生き返ることはないので、気づくことも勿論大切だとは思いますが…。
ちょっとあなたの話からズレたことを語ってすみません。ウ・サギも、人や場合によりますが、希死念慮も自殺のサインも周りから全然見えないことはあると感じます。というかそもそも、人がどんな感情でいるか、どんな考えをもっているかは、周りには(時に自分にだって)なかなか見えないものだと思います。だから自殺のサインに限らず、感じていることを言える関係をつくることがポイントだと感じますし、そのためには常日頃から、ネガティブな気持ちを否定しない、頑張りや完璧を求めない、良い悪いの評価をしないなど、「この人になら言っても大丈夫だ」と思ってもらえるような振る舞いや生き方をするのが大切だと思っています。

update 2025/5/21
Q.異性に優しくされるとすぐ恋愛的に好きになる癖をやめたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.異性に優しくされるとすぐに恋愛的に好きになってしまいます。今まで何度も失敗してるのでその癖をやめたいと思うのですがなかなか難しいです。どうしたら治ると思いますか?

A.好きに「なってしまいます」と書いてあるように、気持ちは勝手に湧いてきてしまうものだとウ・サギは思っています。だから、治すというのがどういうイメージか、失敗というものがどういうものかはわからないですが、好きにならないようにする、というのを目指すのは(少なくともすぐには)難しそうだと感じました。
すぐ恋愛感情になってしまう背景には、あなた自身の中に何か満たされないもの、自信のない部分、寂しさなどがあるのかなと想像しています。恋愛は、そういった何かしらの不全感や欠落を埋めてくれるように見えて、実は恋愛では解決しなくて、何が違うもので地道に埋めていくしかないのかなあ、とか考えたりもします。
すぐ恋愛的に好きになるという現象は、分析するほどに、あなた自身の心のことがよくわかりそうだとウ・サギは感じました。まずは「恋愛で何を求めているか」だけでも整理できたら、恋愛以外の方法も思いつくかもしれないですし、思いつかないにしても、わかるだけで治るために大きく前進しそうな気がします。
とはいえ、色々と頭ではわかっていても、感情というものに逆らうのは難しいですよね…。もういっそ、しばらく失敗し続けるのは仕方ないと諦めて、「いかに失敗を小さくしていくか」の工夫を考えていくのもありだとウ・サギは思います。

update 2025/5/19
Q.仕事が怖いがずっと無職も怖い。居場所がない。死ぬ以外で何か少しできることはあると思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.仕事が怖いです。面接で学歴や職歴を責められるのが怖いです。でも、このままずっと無職も辛いです。社会からも親からも認められず怒られるのは辛い。最近怖い事件も多くて何もかも怖い。居場所がないです。死ぬ以外で何か少しできることはあると思いますか

A.怖いという気持ちと、どうにかしたい、という強い気持ちの両方があなたにのしかかっているイメージが浮かびました。
何かできること・・・というのが、どのようなものをイメージしているのかはわかりませんが、怖さというのはこれまで蓄えた「経験」「情報」「想像」などが生み出すものだと思うので、何かしら悪くない「体験」「関わり」を積み重ねていくのがポイントになるのかなとは感じました。例えば、超理想を言えば、実際に面接を受けて学歴や職歴を責められず採用されて、怖くない人と関わることができればいいのに・・・というのがウ・サギの感じたことです。(いきなり就職というよりは、サポステなどの就労支援、タイミーなど面接無しの働き方、がひとまず頭には浮かびました)
といってもどこに良い場所があるのか、行動しようとしてさらに傷ついたらどうするのか?など、ハードル、不確定要素、不安要素は尽きないとは感じます…。そうなると、不安を吐き出せる先や、信頼できそうな情報収集ルートを手に入れるのがいいのでしょうかね……。方向性としては、チャット相談の利用やこういったサイトの活用など匿名のものをうまく扱うのと、身近でカウンセラーやソーシャルワーカーなど専門家とうまくつながるのの二方向がありそう?とは思いました。
世の中には確かに怖いこともたくさんありますが、そこまで怖くないものもありますし、こうやって質問してくれたように、無理のない範囲で何かしらとつながってみるのをウ・サギはおすすめしたいです。

update 2025/5/19
Q.お母さんはよく私と兄たちを比べる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.社会人の兄と姉は2歳差でずっと一緒だった。私と兄たちは最低でも10歳差で家には私1人。お母さんはよく私と兄たちを比べるけれど、2人と1人は違くない…??って思う。

A.2人と1人は違いますし、1人と1人だって、人間はそれぞれに違います。だから比べられるものではないと思いますし、立場の強い側(親)が弱い側(子ども)を堂々と比較してそれを言葉にしてしまうなら、それはちょっとキケンなことだとウ・サギは感じています。自分の価値が、何か特定の能力や資質、行動によって決まってしまうような不安を、子どもに植え付けてしまうかもしれないからです。
あなたについては、違くない…??と思えているようなので、比較に負けていないとちょっと安心もしましたが、比べられるのは何かしらイヤな気持ちのするものだろうと想像しています。それにしても、なぜ人間界ではここまで比較が流行してしまったのでしょうね……

update 2025/5/15
Q.もう何年間も、自分の中も人生も滞っていて、全てが乖離している感覚です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.もう何年間も、自分の中も人生も滞っていて、全てが乖離している感覚です。あっちを点けたらこっちが消える。好きなこと・やりたいことにもストレスを感じる。これはなんなんだろう…

A.なんなのかはウ・サギも今考えを巡らせているところですが、(補足に書いてあった内容も含めて)感覚を丁寧に言葉にしているのに感心しました。
なんとなく思い浮かんだことを書いていくと
・感覚を細やかに感じて言葉にできるタイプよりも、大雑把になんとなく言葉にするより行動しちゃうタイプの方が、なんか生きやすいっぽいのはある気がする…(だから、これだけ言語化できる=生きづらい証明、という感覚はあるなあ)※私見です
・それなりにしっくり生きていくためには、インプットした分とだいたい同じ量アウトプットするのがポイントだとウ・サギは感じている。質問者さんはインプットが多いわりに、アウトプットが間に合っていない印象があるので、それが「滞り」という感覚になっている…?
インプットというのは、何かの出来事や外部の刺激に対して、湧いてきた気持ち、感じたこと、その後考えたこと、というイメージです。アウトプットは色々な形がありますが、例えば極端にいえば怒りで暴れ狂っちゃう、リストカットする・・・etc、健康な方法であれば体を動かす、喋る、文章にする、絵など芸術で表現する・・・etcという感じです。それらは一人で出来るものも多いのですが、自分を理解をしてくれる相手、自分の表現を受け止めてくれるだろう相手がいると感じる中でやるのと、そうじゃない中でやるのとでは、効果が違うようにも思います。また、言葉にするタイプの場合は、時にフィードバックをもらったほうが、より自己理解、自己表現が進むこともあると思うので、その機会も十分にあるかないかで変わってくる部分もあるように感じます。
とはいえこれはあくまでウ・サギ説なので、「全然違うよ」とか「いや、ここはちょっと違う」とか思われているかもしれませんが、その「違う」を言葉にしていくと、意外と自分の中で整理できたり気づけるものがあるともウ・サギは感じてきました。よかったらまた質問をください。

update 2025/5/15
Q.バイリンガルの人も、自分の母国語を完璧に話せるべきだと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.バイリンガルの人も、自分の母国語を完璧に話せるべきだと思いますか?

A.いえ、そんなことは全然ないと思います。
世の中では、いろんな人が「こうするべき」「こうしたほうがいい」と勝手に、これが正しい意見みたいな顔までして言ってくることがありますが、物事にはいろんな見方、考え方があるので、基本的に自分の考えを採用していいとウ・サギは感じます。
ちなみにウ・サギの意見としても、バイリンガルが自分の母国語を完璧に話す必要があるとは感じません。もし自分自身が完璧に話したくなったら勉強するのもいいと思いますが、そもそも言葉のニュアンスは個々に違いがあるので、日本語が完璧に話せたって意思疎通できないこともたくさんありますからね・・・。大切なのは、言葉を完璧に話せるかとは別のところにあるとウ・サギは考えます。

update 2025/5/14
Q.周りの奴らが「ブチ殺すぞ」とか気軽に言うのが俺は好きじゃない…浮いてて気まずい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.結構周りの奴らは笑いながら「お前まじ死ねよ〜」とか、「ブチ殺すぞ」とか言ったり中指立てたり気軽にするんだけど、俺あんまりそういうの好きじゃないんだよね…浮いてて気まずい

A.なかなか特殊というか、ちょっととがった文化の中にいると推察しました。そういうのが好きじゃないと感じる人もいて当然だし(ウ・サギも得意ではないです)、逆にあまり気にならない、馴染める人もいるのだろうと思います。
でも仲良くなると、通常「きつい言葉」もその仲間内では「仲良し表現」「普通に笑えること」みたいになっていくのは、わりとどこでもあるかもです。それでいうとウ・サギの周りの界隈は、「メンヘラです」「社会不適合者です」とかを愉快に名乗れてしまうし、「病んでる」「死にたい」と言っても「ああそういうのあるよね」という雰囲気なので、他から見たらぎょっとする場合もあるだろうと思います。でも、周りが普通に楽しそうにしていると、もやもやしている少数派は、その気持ちを言いづらいのですよね・・・。
ただ、もし仲が良い関係性なら、「あんまり好きじゃない」と言ったら、わりと受け止めてもらえることはありそうだとは思います。

update 2025/5/14
Q.愛されたいなら愛しなさいと言うが、愛されたことない人にとっては無理難題だと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.愛されたいなら愛しなさいとよく言いますが、そもそも人から愛されたことがない・または間違った愛し方をされてきた人にとっては無理難題だよなぁと思います。相手を不快にさせずに人を愛すにはどうすればいいと思いますか。

A.「愛されたいなら愛しなさい」なんて、どこの誰が言った言葉なのでしょうね…。いわゆる名言、真理、みたいな言葉は、共感する人がいくら多かろうと、所詮誰か個人の偏見だとウ・サギは思っています。
だからもし「愛されたいなら愛しなさい」と言われても「あなたはそう思うんですね」とスルーしたいウ・サギですが、相手を不快にさせずに人を愛したいというあなたの気持ちは受け止めました。
どうすればいいかは・・・そもそも愛の定義も人それぞれなので難しいですが・・・一つ言えるのは、「不快になるかどうか」は相手の問題だし、相手次第ということです。そして、絶対にお互いに不快のない関係は存在しないとも思うので、きちんと快・不快を率直に伝えられる関係、尊重し合える関係をつくるのがポイントなようには思いました。具体的に何をしていけばいいかで考えると、常日頃から自分の感情を理解すること、表現することを積み重ねていく、というのになるのかな…?とウ・サギは感じました。(他にもいろいろあるとは思いますが)
ちなみにウ・サギは「愛」は「あなたがあなたらしく自由に、でも周りの人の自由も守る存在として、大きな苦痛なく生きられますように」だと思っているので、一応すべてを等しく愛しているつもりですが、そういうのはあまり周りからは愛だと思われないっぽいです。難しいですね。

update 2025/5/14
Q.親に言われることのすべてが嫌。親の発言は昔から気分でコロコロ変わるのでその影響だろうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に言われることのすべてが嫌で、「○○したら?」って少し命令っぽいものはもちろん「焦らなくていい」とか「自由に生きていい」も親に言われた時だけとてもムカつきます。親の発言は昔から気分でコロコロ変わるのですが、その影響でしょうか?

A.ウ・サギであれば、ムカつく相手の発言はどんなことでもムカつきます(苦笑)親の発言が昔から気分でコロコロ変わるなら、嫌な感情を抱くかと思うので、すべてが嫌になるのも全然おかしくないと思いました。
嫌だという感情は、この人からなるべく逃げるべし・言ってることを無視すべし、という自分からのサインだとウ・サギは思っています。だから、あなたの感情があなたを守るために、しっかり働いていると感じました。

update 2025/5/13