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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.誰も信用できない。相談しても自分ばかり責められ、苦しくなる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰も信用できない。相談しても自分ばかり責められ、苦しくなる。

A.相談して自分ばかり責められたら、それは信用できなくなるのも無理はないとウ・サギは思います。相談はいつもうまくいくというわけではないですが、大変なときに自分を責められる言葉を言われてしまったら、ダメージは相当大きかっただろうと想像しています。その中で、人を信用できないと感じるのは、再びダメージを受けるのを避けるために自分を守る思考だとも思いました。
ただ、補足を読むにかなりストレスの大きい状況で、相談する必要性をあなたも感じているのかなと受け取っています。比較的安全な相談先としては、匿名のチャット相談をウ・サギとしてはおすすめしたいですが(合わないと感じたら遠慮なく去れるので)、質問箱でも溜まっているものを受け取ることと返事をすることはできるので、よかったらまた使ってください。

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update 2025/8/27
Q.離れるって何?と最近思う。親や嫌いな人からは離れたいけど離れて終わりじゃないですよね…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.離れるって何?って最近思っています。親や嫌いな人からは離れたい!って思うけど、離れてそこで終わりじゃないですよね…?大きな決断をするのにその先も何かが続くのは、少し嫌かもしれません…。終わりたい…。

A.離れてそこで終わりじゃない、は確かにそうですね。むしろ離れてそこからが本当の始まり、という感覚がウ・サギはあります。でも「離れよう」と言われたら「離れたら解決する」といったニュアンスに聞こえるかもなあ・・・そうだとしたら疑問や抵抗を感じるのも至極まっとうだな・・・と、質問を読んで考えさせられました。
(離れた後にも支援を続けるタイプの支援者の想定で話しますね)離れるのは、生きづらい側がすぐ楽になる!という話ではなく、サポートする側が手助けしやすくなるというポイントが大きいのかもしれません。だからちょっとぐいぐいと、離れることをおすすめしたくなってしまう気がします。でも実際のところは、何かをして劇的に全てが解決することはきっとほとんどなくて、つらい疲れた、もう少し頑張ってみるか、いややっぱりもう無理かも・・・といった繰り返しの中で、味方や使える資源が少しずつ増えていって、まあ生きていてもいいか、くらいに落ち着いていくイメージはあります。
周りができるのは、その人自身の「生きるのが楽になりたい」という思い、自分で自分を助けてみようとする意欲や力を、ちょっとだけ支えたり、せめて萎えたりしないように一緒に考えることなのだろうか・・・などとも考えさせられました。

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update 2025/8/27
Q.何でも先延ばしにして周りにも嘘をついて取り繕う自分が死ぬほど嫌い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分に甘いから何でも先延ばしにして後の自分を苦しめる。周りにも嘘をついて取り繕う。期待にも答えられない。こんな自分が死ぬほど嫌いです。努力できない自分が死ぬほど嫌いです。

A.嘘をついて取り繕ってしまうのは、あなた自身がなかなか苦しそうだと感じました。ウ・サギは、嘘をついてしまうのは、嘘をついてまで自分を守らなければと思うような、不安な世界で一人困っているということだと思っています。だから、とにかくとても困って苦しんでいる様子を感じて、「自分を責めなくていいよ」と言いたい気持ちになりました。
補足に、「自分で望んできたくせに忙しい環境に言い訳して」という言葉がありましたが、何事もやってみないとわからないことが多いので、望んだなら一貫して責任を引き受けるべき、といったような考えはウ・サギは危険だと思っている派です。自分の希望でやってみたものの自分に合いませんでしたとか、キャパを超えてしまって助けが必要になりましたとかは、誰にでも当たり前に起こることです。恥ずかしいことでもないし、周りへの裏切りでもないし、そうやって試行錯誤する中で人は成長していくものだとウ・サギは思っています。頑張りたいのに自分の力ではどうにもできなくて助けてほしい、と伝えたときに、協力してくれそうな人は周りにいないでしょうか・・・。
また、ここまで自分を攻撃してしまうのは、以前は努力できていた時期があったからなのかなとも想像しています。努力はしたいならすればいいし、したくないなら全然しなくてもいいとウ・サギは思いますが、もし前はできていたのにできなくなっているなら、今は負担がキャパを超えているというだけのシンプルな話に感じます。だから、自分の何かが変わってしまったのではないかとか、そういった心配はあまりいらないかも…?ともウ・サギは思いました。

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update 2025/8/27
Q.学校で自我を出さない分家庭で自分を出して生活しているが、家族はそれが不満みたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は学校で、周りを伺って、周りに望まれている姿になろうとしている。自我は出さない。ただの作業。その分、家庭では自分を出して生活している。けど、家族にはそれが不満みたい。外ではちゃんとできるんやから家でもちゃんとしてよ、といわれた。

A.家族に対して「ずっとちゃんとできる人なんていないよ」と代わりに言い返したくなったウ・サギです。ウ・サギも学校で周りを伺いまくり、家では褒められない態度をとっていた時期があったのですが、そうしないと当時メンタルが崩壊しちゃっただろうなあと思い返しています。
学校でも時と場合によって自我を出せれば、家でも多少良い子にしてあげるのも一つの選択肢だとは思いますが、学校でストレスがかかる状態が続いている限りは、家では無理をしないことをウ・サギは推奨します。「外でちゃんとできるんだから家でもしてよ」は、言いたい気持ちはわからなくはないですが、子どもの心の健康への想像が足りていない危険な理論だと思います。
また、家で自分を出すことができているなら、学校で自分を出すためには、自分を出しても大丈夫そうな(むしろ自分を出したほうがお互いに楽しく過ごせる)相手が見つかる日を待つだけな気もしました。同じように自我を抑えて作業として学校生活をこなしている人か、そもそも自我を抑えるということもできないし周りに何かを望むこともない自由な人か、自我がはっきりしている子を面白がってくれる先生がウ・サギはおすすめですが、周りにいそうですか・・・?ひっそり隠れている場合もあるので、自分を出しても大丈夫そうな人はいないか、学校で周りの観察を頑張ってみるのもいいかもしれません。

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update 2025/8/25
Q.精神がしんどすぎるが、笑ってしまうから苦しさをわかってもらえない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神がしんどい。しんどすぎて、苦しいです。だけど、笑ってしまうから、苦しさをわかってもらえない。甘えで。

A.体の怪我のように、心の怪我も目に見えるものだったら、どれだけいいだろう…と考え込んでしまいました。(これは本当にずーっと思っています。目に見えないものも伝えやすい、気づきやすい社会になるためにはどうしたらいいのか……)
しんどすぎても、笑うことのできてしまう人もいれば、いわゆる反抗的といわれるような態度で表出してしまう人もいます。それがギリギリで自分を保つ方法だったり、守る方法だったりするのですが、届かないSOSを思うとやりきれない気持ちです。
補足には家が苦しいとありましたが、家は基本的に毎日帰ることになる場所かと思うので、そうなると心の休まる暇や回復する暇がかなり足りなさそうです・・・。ひたすら「苦しい」の波と付き合う日々を送り続けているのではないかと想像しましたし、質問を送ってくれたときはかなり高波が襲っていたように感じました。質問からはしんどさが迫るように伝わってきたので、気持ちや悩みを文章にして、誰かに伝えることができたら、苦しみをわかってもらえる可能性は結構ありそうには感じました。

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update 2025/8/25
Q.昔死にたいと言われたことをまた夢で見て不安
この記事の担当 ウ・サギ

Q.昔、死にたいって言われて涙がとまらなくって、来月誕生日じゃんといったらじゃあその日の0時〇〇公園集合ね私最後は見送られたいなあと言われました、でも、その子は来ませんでした。次の日会うとごめんねと言われました。
これをまた夢でみました不安です

A.昔実際にあったことを、最近夢に見たという話で合っているでしょうか。当時の不安を思い出して、ざわざわした気持ちになり、今もまたその子に何か起きているのではないかなどと不吉な予感もしたりするのかな、なんて想像しています。(理解が間違っていたらごめんなさい)
その昔の出来事が保育園の頃と補足にあったので、保育園の年齢で「死にたい」と言われたら・・・と想像すると、かなりのショックや不安があっただろうと感じました。何事もなかったとはいっても、自分だけで受け止めたり消化するのは大変な出来事だと思いますし、当時消化しきれなかった感情が蘇って暴れているのかな・・・?とウ・サギは感じています。

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update 2025/8/25
Q.大衆向けコンテンツでは、性的な表現はもう少し控えてほしいと思う
この記事の担当 所長室

Q.性的な表現の強いコンテンツへの嫌悪感。例えば、アニメや漫画。誰かの性的嗜好を色濃く落とし込んだような表現は、大衆向けのコンテンツでは、もう少し控えてほしいと思ってしまう。考えすぎかな。

A.ウ・サギはその感覚、考えにとても共感します。人は情報に影響を受ける生き物なので、どんな情報がどう発せられるかは、人権の感覚に影響を与えると感じます。
原則としては、大衆向けのコンテンツで、性的搾取を助長・肯定するような表現(例えばギャグの一種として、セクハラに該当する行為が出るなど)はウ・サギは絶対反対の立場です。キャラ造形に作者の性的嗜好らしきものが入るのは、どのラインから禁止というのもそもそも難しいですし、まだ立場を決めかねています。
控えてほしい理由として、補足に性的搾取への不安が書かれていましたが、そのためにはコンテンツの適切な制限と同時に、誰もが対話に参加できて、自由を守り合えるような社会をつくることも欠かせないとウ・サギは思います。
生きかたカエルの意見も聞いてみましょう。

*生きかたカエルから*
カエルも性的な表現については、歯止めが必要だと思っています。それは放っておくと弱い者への搾取につながってしまうからです。
人間にとって、性的な要素は生きていくうえで不可欠なことの一つだと思いますが、現段階では暴力と密接な関係にあります。背景にはジェンダー(社会的な性別役割)や子どもの権利が守られていないという課題があります。その課題が残ったままの社会において性的なコンテンツを自由にすることは、性的なコンテンツが容易に暴力や支配の手段になるとカエルは考えています。
ジェンダーギャップが限りなく無くなり、子どもの権利が守られ、多様性が尊重される社会であれば性的な表現をもう少し自由にするのもありかなと思います。ただ、そうした社会になったときには今よく見るようなコンテンツは自然となくなって違う表現になるように思います。
とても興味深い質問でした。みんなでもっと考えてみたいです。

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update 2025/8/25
Q.最近ふと小学生の頃に友人から性被害に遭っていたのを思い出した。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近ふと、小学生の頃に友人から性被害に遭っていたなぁと思い出しました。今まで思い出しても自分が悪だと忘れようと責めてきましたがなぜそう思ってしまったのでしょうか。日々死にたいと思う要因の一つにはこの経験が入っているのでしょうか。

A.大きな心の傷、とくに性被害について、「自分が悪い」と罪悪感を抱くケースはウ・サギとしてはわりとよく聞く話です。ウ・サギは専門家ではないので、細かなメカニズムや心理までは解説できないのですが、人間の心の機能として、どう受け止めていいかわからない、受け止めきれないショックを「自分のせい」と意味づけて抑え込む、というのは一つの防衛本能なのだろうとは感じています。
ただ、それは誰かに頼れないときに自分を守るための方法で、本当に自分を守るためには、気持ちを誰かに受け止めてもらう中で、中立で自分に優しい意味づけを見つけていく必要があるようにも思います。
日々死にたいと思う要因に性被害の経験がどれくらい入っているかはわかりませんが、死にたいという感情は、今目の前のことだけでなく、これまでの経験の影響を受けている場合が多いとウ・サギは考えています。言葉にできない、気づけないから、全部ひっくるめて「死にたい」という感情に結晶化してしまう、というようなイメージです。
今のあなたは過去自分に起こったつらい出来事を捉え直せそうな(そのための安全や余力がなんとか確保された)タイミングがきたのかも…?とウ・サギは感じました。それはどんな出来事のどんなダメージについてのことでも、自分の「死にたい」のサイズを小さくすることにつながるとウ・サギは感じています。

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update 2025/8/24
Q.恵まれて何不自由なく生活しているのに死にたいなどと感じてしまう私はおかしい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.恵まれて何不自由なく生活しているのに死にたい・消えたい、学校に行きたくないと感じてしまう私はおかしい?

A.何もおかしくないとウ・サギは思います。例えば、物質的に恵まれていることや、愛されて育っていることや、どんな素晴らしいと思われる生活でも、100%生きやすさを保証するものにならないというのがウ・サギの考えです。
でもそれ以前の話として、補足を読んだところ、あなたの「恵まれて何不自由なく生活している」という認識は、ウ・サギの思う「恵まれている」とは違いがあると思いました。

これは、この質問回答を読んでいる全員にも伝えたくて書くのですが、「自分は恵まれているのに…」と考えるのは、
①身体の安全が今も昔も保障されていた(暴力を受けていない)
②自分の好き・嫌い、やりたい・やりたくないを遠慮なく言える(言葉や、または雰囲気で、自由な発言を制限されていない)
を③行きたくない場所やいたくない場所があったとき、そこに離れる選択をするのが難しくない(生き方、暮らし方がいわゆる「普通」から外れているものも、それを否定されずむしろ応援してもらえる)
少なくとも、この3つを満たしてからにしませんか?と、ウ・サギは提案したいです。

このどれか1つでも守られていないなら、安心して自分が自分らしく生きられていないとウ・サギは思うので、それは十分死にたい気持ちにつながるつらさとなると考えています。もちろん、この3つを満たしている場合だって、死にたいと深刻に思うこともあります。
あと、そもそも、学校はあまり行きたいと思える場所ではないとウ・サギは思っています。だから学校に行きたくないのも全然おかしくなく、行かない子にも何も悪い点や問題はなく、行きたいと思えないような学校になってしまっている、という点に大人たちは向き合ってほしい・・・とずっと考えています。

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update 2025/8/24
Q.自分の気持ちを歌詞みたいに書き出していたらクラスの人にナルシなどと言われた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の気持ちを歌詞みたいに書き出していたらクラスの人に見つかって、「きもっ、賢い気取り?」とか「ナルシすぎる」とか、ずたずたにされました。それ以来自分の気持ちを整理する事ができず、もやもやしています…

A.その言葉はなかなかグサッときますね…。誰にも見られないところで書き出していれば安心?とは一応思いましたが、言われた言葉がよみがえってくるなどして、歌詞みたいに表現するのも自分の中でためらうようになったという感じでしょうか。
ちなみにウ・サギも、歌詞みたいな詩で自分の気持ちを整理していた時期があったので、仲間を見つけて勝手ながらちょっと嬉しくなっていました。学生時代に歌詞みたいに気持ちを書き出していたという友達もいるので、歌詞スタイルで気持ちの表現・整理をするタイプは一定数いるように思います。
仲間がいるからといって何があるでもないかもしれませんが、きもいことでも賢い気取りでもナルシでもなく、歌詞スタイルが自分に合う自己表現で、その自分に合う方法で一生懸命気持ちの整理をしようとしているという話だとウ・サギは思います。そもそも歌詞みたいに書き出すことで誰かを傷つけるでもないのだし、どんな自己表現をしようがそこにああだこうだ言わないでくれ~~!とも叫びたくなりました。

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update 2025/8/24