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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.夢を持ってるけどそれを叶える力を持たない人は、夢を諦めるしかないのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.夢を持ってるけどそれを叶える力を持たない人は、夢を諦めるしかないのでしょうか。
そのような人に対しては、周りが夢を諦めさせたほうが本人の幸せに繋がるのでしょうか。
その人が夢をなかなか叶えられず生活を長期的に家族に依存している場合や、夢をなかなか叶えられずお金に困っている状態になっている場合はどうなのでしょうか。
自分は、どんなに夢を叶えたくても、場合によっては夢を諦めるしかない現実は、あるのかもしれないけど、悲しすぎるよなと、想像して感じましたが、場合によっては、巻き込まれる周りの人が困るのも、本人が困るのも、現実なのかなと思い、想像してぐるぐるモヤモヤしています。どう思いますか?

A.夢や思いや願い自体を否定されないことは大前提として、現実はどんなときも100%自分の思い通りになることはないので(他の人にも気持ちや事情があれば、地球の資源にも限界があります)、夢が叶わないのはある意味で当然のことだとウ・サギは思っています。叶える力を持たないというのが、だとえばお金がなくて大学に入ることもできないとか、そういった不公正な社会構造でもたらされるのはNGだと思いますが、人間向き不向きはありますからね…。人は社会や地球の恩恵のもとで生きているので、①自分のやりたいこと、②社会や地球が必要としていること(これはみんなが人権を守られて最低限度の生活をする上で必要な役割のことで、それぞれの適性とキャパの範囲での協力を指します)、③自分にできること、の3つで相談して折り合いを探す視点は必要だとウ・サギは考えます。たとえばいくら医者になりたい気持ちがあっても、治療される相手を危険にさらしてまで向いてないことをやるのはまずいですし、極論ですが全員が歌手を目指して歌の練習だけをしていたら、社会は崩壊してしまいます。
とはいえ、そういった外的な制約との折り合いというのは、まずは自分の夢や願いが尊重された上で、ある程度試行錯誤のチャンスをもらった後に徐々に自分で見つけていく「プロセス」が大切だとウ・サギは思います。だから周りがもう自分はあなたの夢に付き合えないし協力できないと伝えて行動する権利はあっても、夢を諦めたほうが幸せだよと、気持ちにまで立ち入っていくのは違うと思います。
また、もしその夢というのが、安心できる暮らしがほしいとか、自分の人権が守られることであるならば、それは全員が叶えられるべきだし叶えることが可能だと思っています。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.春から高校生です。高校生活にワクワクしていたのに受かったら一気に不安があふれてきました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.春から高校生です。受験の前とかは、新しい高校生活にワクワクしていたのに受かったとなったら一気に不安があふれてきました。今は、きえたいという感情で頭がいっぱいです。気にしなくてもいいことまで、考えちゃうこの性格が嫌いです。どうすればいいですか

A.気にしなくていいことまで考えちゃうのはウ・サギもそのタイプなので、いや~本当にこれはどうすればいいのでしょうね……と、自分事のように考えてしまいました。
ただ、ワクワクもしていたという話から、質問者さんは未来の自分のイメージを思い描く傾向があるのだろうとウ・サギは考察しました。それ自体は個性で良い悪いはないと思いますが、生きかたカエルは不安も心配もなく「今」を生きているので、それを見てるとそっちの方が楽そうだなあとは感じます。
あ、どうすればいいかの話からズレてしまいましたね……。一つ思うのは、高校生になると中学生よりも行動範囲が広がって選択肢も増えるのは間違いないので、学校でうまくいかないことがあってもバイト先や他の何かではうまくいく場合があったり、居場所が見つかるチャンスは広がるということです。だから不安になったところから、もう一歩想像力をのばして、しんどいことがあった場合の対処法をいろいろ考えておくのはどうでしょうか。あとは高校に入ってしんどかったら環境を変える手もありますし、困った未来がきたら未来の自分に任せよう!くらいの気持ちになれると少し楽なのでしょうかね……。でも、不安って理屈ではどうにもならないときもあるので、難しいなあ、う~ん・・・・とぐるぐるしてしまうウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.自分の感受性や考え方を背負って生きていく上で、善とされるものに全くついていけず苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の感受性や考え方を背負って生きていく上で、周囲の善とされるもの(通学や働くこと、家庭を持つことなど)に全くついていけず苦しいです。
生まれたくなかったなと思います。

A.「自分の感受性や考え方を背負っていく」が、見事な表現だ…と思わず唸ってしまったウ・サギです。ウ・サギが自分の生きづらさを表すとき、この表現をそのまま借りたいくらいです。
周囲の善とされるものというのが、今の社会は非常に限定的かつ要求水準が高いとウ・サギは思っているので、それについていけないのも自然なことであって、みんなでついていくのをやめませんか?と最近はずっと思っています。こんなに、生まれたくなかったとか、死んでしまいたいと思う人がいるなら、間違っているのは人間側ではなく、社会が人を枠にはめようとすることだと思うのです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.誰かを自殺に追い込んだ人が、殺人罪にならないのは何で?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰かを自殺に追い込んだ人が、殺人罪にならないのは何で?特に、いじめとかハラスメントとかが原因の自殺は加害者側が殺人と言われてもおかしくないと思う。誰かを自殺に追い込んだら、犯罪でいいんじゃないの?

A.質問者さんの「気持ち」については、全面的に共感、仲間!と名乗りを上げたい気持ちのウ・サギです。ただ、「論」として回答すると、追い込んだ人を殺人罪とするのは不適切だとウ・サギは考えているので、その理由や根拠を説明させてもらいますね。(質問者さんのモヤモヤを否定する意図はまったくありません)
人は誰しもが社会から大きな影響を受けています。たとえば、親が子どもを追い詰めてしまうのは、子育ての責任が過度に親に課せられ、まるで家庭が一つの孤島のように閉鎖し孤立しているという社会構造の部分の罪がとても大きいとウ・サギは思っています。また、暴力を受けた人が必ずしも暴力的になるわけではありませんが、暴力を受けないと暴力をふるうことを身につけないとウ・サギは思っているので、そこには悲しい連鎖も存在していると感じます。
だから誰かを自殺に追い込んだ犯人は、犠牲になった人の感情や感覚としてこの人だ!という人がいるのもわかりますが、ウ・サギは社会全体だと考えます。社会は私たちの集合体のことなので、ウ・サギも加害者であり傍観者の立場であって、社会で再び同じようなことが起こるのを防止という償いをする責務があると思っています。そのとき「酷い人もいるもんだね」と一個人を犯罪者として断罪するのはむしろ暴力の再生産につながると思うため、ウ・サギは個人だけ罪を押しつけるのは不適切だと考えるのです。ただ、加害者が再度人を死に追い詰めるリスクが大きい場合は、刑務所に入ってもらうことは時に必要だと考えます。
とはいえ実際に誰かに傷つけられた立場からすると、相手が殺人者であり加害者だと感じるのも自然な感情ですし、それを表明する権利ももちろんあります。また、社会構造の話で考えると、「あなた(たち)が私を殺した」というのは事実なので、やはり質問者さんの問いは感情としてはとてもまっとうだと思いました。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.誰にも助けてもらえず死ぬしかなくても自死は迷惑だと言われ、許されないのはなんで?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自死は迷惑だって言うけど、今の世界は、生きるのがどうしようもなく辛くなって、でも誰にも助けてもらえなくて死ぬしかなくても、迷惑かけずに死ぬ方法はない。
人は皆迷惑をかけあって生きているって言うくせに、自死が許せないのはなんで?

A.マジョリティ(現状では社会のありように疑問を感じていない、ある程度の平穏を守られている人)の考えや言葉は、多くの場合、感情や感覚から発せられているというのがウ・サギの調査結果です。それは論理でも倫理でもなく、ほとんど反応で出てきているものなので、言葉だけを突き詰めて考えると、矛盾や理不尽がたくさん含まれていることが多いように感じます。
そして「迷惑をかけあっている」と「迷惑だから死んではいけない」を両方言うのも、矛盾してしまっているとウ・サギは思いました。世間が自死を許せないと言っているのかまではわかりませんが、基本的には「私に都合の悪いことはやめてください」「私たちはこのまま平穏に生きたいのです」ということを、いろんな表現で言っている話だとウ・サギは捉えています。でも自分が平穏でも、同じ世界にまったく平穏に生きられていない人がいるのは事実なんだから、それを直視してくださいよ…!とウ・サギは暴れまわりたいくらいの気持ちで思うこともあります。だからこの問いかけには共感しましたし、この問いをまっすぐ受け取って回答できないなら綺麗事は言わないでくださいね…?と、世間に対して言いたい気持ちになりました。質問ありがとうございます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.他者を怖がらせる特性を持つ人がいてもそれを理由に排除される風潮や仕組みは嫌だと感じる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.他者を怖がらせてしまったり傷つけてしまうかもしれない特性を持つ人がいたとして、
その特性を理由にその人が排除されたり攻撃されたり「社会で受け入れるなんて無理だ」とか諦められたりする風潮や仕組みは、僕は悲しいし嫌だと感じる。
人は人に変わりないし、その特性がその人の全てではないと思うし、加害は止められるべきでも、特性に関して、特性を持つ本人と周りが共に折り合いをつけて調整していくことを最初から切り捨て諦めて、排除したり攻撃をするような風潮や仕組みは嫌だ。手放しで受け入れられなくても、棲み分ける道や互いに折り合いをつけて調整をしていく道は、あるんじゃないかと根拠はないけど僕は思う。
そう感じるんだけど、僕自身も他者に「怖い」とか「関わりたくない」とは思うし、「自分の平穏を乱されたくない」とも思うんです。どちらも確かな僕の感覚で、だからこそ矛盾が苦しいです。
どう思いますか?

A.まっとうな主張だと思いました。個々にキャパがあるのも当たり前なので、大切なのは、いかに共同で(それぞれが自分にできることを持ち寄って)誰も切り捨てない社会を成り立たせるか、という視点だとウ・サギは思っています。
また、普遍的な真実として、人は環境に左右される生き物です。そして、加害行動はストレスが一定値を超えたときに起こるとウ・サギは思っています。特性のある場合は、何かしらの大きい不得意や苦痛があり、それの対処や発散が一人では困難になってしまう状況が、他の人よりも生じやすい傾向があるように感じます。逆にいえば、誰だって同じ量のストレスを浴びれば、自分をコントロールできなくなるとウ・サギは思います。だからこそ、誰かが自分をコントロールできずに他者を傷つける「状態」にある人を切り捨てるのは不適切だというのがウ・サギの考えです。切り捨ての論理を一度適用すると、それはいつか自分へも適用されかねないものになると思うからです。
自分一人ですべてをどうにかしようとするのは、誰にとっても無理なことです。無力な立場で理想を大きい声で叫ぶのもきっと違うとは思いますが、たとえば救命で電話をかけて救急車を呼ぶ役割も大切なように、誰でもささやかにできることはあるはずだとウ・サギは思いますし、自分の感じたことをアイメッセージで発信し、考え続けるのもその一つだと感じます。その余裕もないなら、まずは自分を助けることをしていいし、とにかく自分が困ったときにも安心して暮らせるように、助け合いの論理はぶらしたくないウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.休みでも学校のこととか考えちゃって休みの感じしない。
この記事の担当 所長室

Q.休みでも学校のこととか考えちゃって、休みって感じしない。そもそも1月は一度も1日休みがなかった、学校とか塾で 学校はきらいじゃないんだけど ちょっとだけげんかいかもーつかれちゃったかも

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update 2026/3/22
Q.親に平和な復讐をしたい。どういう風にするのが一番親のダメージがデカいかな?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に平和な復讐をしたい。怪我一つもしないような、そんな復讐がしたい。どういう風にするのが一番親のダメージがデカいかな?親が大嫌いだし、一回この気持ちを分からせてやりたい。

A.なるほど……気持ちは伝わってきましたし、平和な復讐であれば、全面的に応援したいと思いました。何が一番ダメージがデカいかは相手の個性次第なので、質問者さんの親を知らないウ・サギにうまく提案できるかは自信がないですが、大切にしている(縛られている、に近いかな)ものや価値観を揺さぶるのが良いかも?とは思います。たとえば体面を気にしているなら恥ずかしい思いを、都合のいい愛を欲してるなら入手からの喪失を、みたいなイメージです。
でも一番いいのは、親に何を言われても何を求められても無反応になれるくらい、自分が幸せで自由になることだともウ・サギは思ったりします(とはいえ復讐心メラメラのウ・サギは、それを自分に言い聞かせても、やはりまだ納得できず怒りに縛られています……笑)。自分が幸せでも自由でもないからこそ、人は自分より弱い立場の人を抑圧するのだとウ・サギは思うし、それに対してのもっとも皮肉な結果は、抑圧した相手が自分より幸せになって自由になることだと思うのです。暴力は自分の抱えている孤独や屈辱感に、相手を引きずり込む行為とも言えるとウ・サギは思っているので、もうそれに私は引きずられることはないですよ、さようなら!は加害者にとってはきついことのはずです。
そう思うと、復讐心は消えなくても、世界はとても悲しいなとは感じたりはします。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/21
Q.動物の飼育環境の苦痛を想像すると罪悪感が生じて苦しいが、食生活を変えるのもつらい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.弱肉強食という言葉について怖さや複雑な気分を感じる。どう思う?」の質問者です
「他の命の苦痛」と表現したのは、人への過酷な労働の強制だけでなく、家畜として扱われる動物の飼育環境による苦痛も含めて表現したつもりです。
畜産が人を救っているのも確かだと思います、自分も美味しい食べ物に救われています。また、実際の動物の感覚や飼育環境については、わからないです。
そのため、ネットで見た写真や文章の記憶をもとにした想像なんですが、狭くて不衛生な工場畜産の飼育環境で家畜として扱われる動物の苦痛が現実にあるのかなと想像すると、すごく複雑な気持ちになってしまいます。
罪悪感が生じて苦しいけど、食生活を少しでも変えたりは、つらくて続けられずやめたし、今後やるつもりもないので、すごく複雑な気持ちになるんです。どう思いますか?
また、人が人から搾取する構造は、少しでも無くなっていってほしいなと、回答を読んでいて思いました。自分は奪われて苦痛を強いられるのは嫌だし、奪って苦痛を強いるのも嫌です、完璧には程遠くても、できればどちらも可能な限り避けたいです。

A.なるほど、続きをありがとうございます。だとすると、弱肉強食そのものというより、家畜の扱いがまっとうじゃないのではないか?という点で今回の回答は考えさせてもらいますね。もう少し話を広く拾うと、自分たちで苦痛を訴えたりできないもの(家畜)に対して強者側(人間)が好き勝手していいのか?という話になるとは思うのですが、ちょっと広がりすぎるので、まずは畜産の実態について考えたいと思います。
狭くて不衛生な工場畜産は間違いなくあると思いますし、はっきり言ってしまうと、野菜なども含めて安い食べ物はほとんどがかなり歪な育てられ方をしています。ウ・サギはまっとうに育てている肉や野菜を食べる機会や、実際に育てた経験、生産者と実際に会う機会もありますが、かけている手間を知ってしまうと、スーパーで安く売っている値段になりようがないのは考える間もなくわかります。一方で、まっとうなものだけを買おうとすると、年収が一定以上ないと絶対に無理(ウ・サギも自分では日常的に買えず、おこぼれに授かっているような立場です)なのも確かです。動物の感覚や苦痛については想像の域を出ないので、想像で物事を決めつけるのはウ・サギのポリシーに反することから、感情的な共感はあえてしない立場をとってはいますが、地球環境の維持と適切な循環などの観点から、健康なあり方で食物を生産していくべきだとは思っています。
解決策まで勝手ながら話をのばすと、食べ物を育てる土もないような大都市に人が大量に住み続ける限り、どこかで歪なことをしてでも大量生産をするしか食糧を確保する方法がないため、絶対にこの構造はなくならないと思っています。それぞれの抱える事情や制約を考えると、大都市に住むしかない人もいると思うのでそこは強制しませんが、まっとうに生きたいと願うなら、大地や生き物の恵みの上に生きている(からそこをきちんと大切にしよう)という視点は欠かせないように思っていますし、人口が地方に分散するのは必須だと感じています。それぞれに農寄りやX寄りかの度合いは違っていいですが、半農半Xがライフの基本となってほしいというのがウ・サギの現状の考えです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/21