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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.仲良い友達も、家族も相談は出来ないが無関係な人は信用できない。どうすればいいのかな。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どんなに仲良い友達でも本当の相談は出来ない。申し訳ないし本当の自分なんて知られたらクズで甘ったれてて情けなくて恥ずかしい。家族には心配かけたくないから言えない。でも無関係な人は信用できない。どうすればいいのかな。

A.どうすればいい…難しいですね。実際に相談すれば受け止めてもらえる可能性もあるものの、「クズで甘ったれて情けなくて恥ずかしい」「心配をかける」「信用できない」など、あなた自身のジャッジや予測が強力に働いている状態だとウ・サギは理解しました。そう感じるのは、どういった背景があるのだろうか(いい子を求められてきたか、敏感で周りを優先してしまうタイプか、期待に器用に応えられる能力があるがゆえに頼る経験が積めていないか・・・etc)と、勝手ながら想像を巡らせています。
信用はできなくてもいいので、無関係かつ秘密を守ってくれる相手(カウンセラーさんや相談機関)にとりあえず話してみるのがウ・サギとしてはおすすめですが、どうでしょうか。もし信用できそうだったら悩みを小出しにしてもいいですが、基本的には相談する練習くらいの気持ちで、遠慮せずに発信することをしてみるだけでも、ちょっとは楽になったりするかも…?とウ・サギは思いました。悩みを聞くのが仕事の相手ならば、弱い自分をさらけ出してもらうのが向こうの仕事みたいなところがあるので、あなた自身の自分への厳しさも少し緩むのかな…?とも想像しています。
いち大人(の生き物)としての意見としては、苦しい人に我慢させて苦しさに気づけないよりは、頼ってもらってあれこれ一緒に考えさせてもらえる方が嬉しいとウ・サギは思っています。

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update 2025/7/5
Q.生きるか死ぬかみたいな大事な決断ほど、曖昧なままがいいのでは?
この記事の担当 所長室

Q.「生きるか死ぬか」みたいな大事な決断ほど、できる限り曖昧なままにしておいてもいいんじゃないかなってふと思いました。死ななければいけない、生きなければいけないだとすごく苦しい気がします。みなさんはどう思いますか?

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update 2025/7/5
Q.生きる意欲ないです。でもいらないです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.生きる意欲ないです。でもいらないです。

A.補足の語りも含めて回答すると、生きることアレルギーみたいな状態なのかなと感じました。
生きやすい社会を作る努力を十分にしないままに、個人に頑張りや意欲を求めていく世界になっているとウ・サギは感じているので、そう感じるのも無理はないと思います。(そういった社会を変えていきたいと思って、このサイトはやっていますが)
だから、元気を奪われているゆえに起こっている状態であると同時に、社会が求めてくるものに抵抗できる感性を持っているがゆえの苦しみにも思いました。

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update 2025/7/2
Q.精神科に通院していて主治医を変えるか迷っている。何かアドバイスをもらえないか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科に通院していますが、主治医を変えてもらうか迷っています。何かアドバイスいただけないでしょうか。

A.主治医問題はなかなか悩ましいですね…。補足にあったように、変えることで確実にうまくいくわけではないし、変えるのは手間や負担もかかるので、決断は難しいものだと思います。
主治医を変えるという表現から、病院は変えずに主治医を変更するのを検討しているかと感じたのですが、病院や場合によっては主治医変更はできないこともあるので、まず確認は必要かも…?とは、ちょっと思いました。(すでに確認済みだったらすみません)
ウ・サギは主治医が6回変わっていますが、大きい病院にかかっているときの主治医転勤、あとは自分の引っ越しからなので、変えようとしたことはなく…。

7人と関わったり転院してウ・サギが思ったのは、
・こちらの困りごとや話が通じる先生と、ちょっとテンプレ的な対応が多い先生には分かれると感じる。後者だと、薬や診断書をもらう以上にはあまり役立たないかも・・・(ただ、自分にとっての病院はそのための場所と割り切って使うのも一つの方法)
・医局関連病院は転勤が多いので、主治医が変わりやすい。変わった後は、自分の情報が引き継がれていても、関係性は一からのやり直し。黙っていてもいずれ主治医が変わるのは、合わない主治医だったときはメリットだが、合う主治医と出会っても長い付き合いにはなりにくい。
・病院ごとに個性や傾向がある。たとえば、複雑性PTSDや愛着障害など過去の経験に目を向けてくれる、発達障がいに強い、症状だけでなく暮らしにフォーカスして支援を考えてくれる、心理療法が豊富・・・etc。自分の求めているものにマッチする病院に行けると、ちょっと主治医とは合わなくても、結構助かる。
・初診でいくと初回はわりと話す時間をとってもらえるので、そこで自分のことをうまく伝えられるとその後の関係性が安定しやすい。

総合すると、ウ・サギのおすすめは、病院内の主治医変更ではなく、先生があまり変わらないクリニックや病院から、自分に合いそうなものをホームページの情報などから自分の感性で選び、初診でかかることにはなります。ただ、あなたにはあなたの事情があるかと思うので、参考程度に、あくまでウ・サギの経験の話として受け取ってもらえたらと思います。

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update 2025/7/2
Q.やる事いっぱいで何から手を付けて良いのか分からず苦しいです
この記事の担当 ウ・サギ

Q.やる事いっぱいで何から手を付けて良いのか分からず苦しいです
課題の解決、試験勉強、家事、運動、時には私が個人でしている活動!やる事、しなければいけない事、すぐにはしなくて良い事が沢山あります。マルチタスクは向きません。

A.ウ・サギが数日前にまさにその状況だったので、とてもタイムリーな質問です。
ウ・サギはやることを全部をスプレッドシートにリストアップして、優先度と〆切を入力して、今は「〆切1週間以内」と「優先度必須or高」のものだけを表示するようにしています。(でも時々気が向いたら、優先度の低いものもちょこちょこやっています)
やる事、しなければいけない事、すぐにはしなくていい事、の3段階に分けられていれば、優先順位は十分についていると思います。その中で順位をつける必要まではないので、あとは〆切情報も大まかに入れたら、結構ちゃんと整理できそうですがどうでしょうか。別にスプレッドシートではなくとも、タスクごとに別の紙に書き出して、優先度の高いもの以外は一度見えないところにしまうとかはできそうです。とりあえず書き出してちゃんとそこにある、忘れてはいないと安心したら、ウ・サギは目の前の優先度の高いものに集中することができるようになりました。
勝手ながら仲間意識を抱いて応援しています。

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update 2025/6/28
Q.自分の素が分からなくなってしまってとにかく自分でいる事が辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の素が分からなくなってしまってとにかく自分でいる事が辛い。一人でいても気が休まらず人といると緊張して疲れる。これが友達がとかじゃなく家族も皆だから誰とも心を通わせられなくてしんどい。こんな症状どこにも載ってなくて、私だけじゃないですか?

A.補足に「きっと自信がなくなってしまったから」という自己分析があったので、その表現から、ウ・サギはいろいろと想像を巡らせました。つまり、自信を喪失していない時期は、ある程度安定していたということかと思うのですが、安定しているときでも、本当に自分は自分でいいと思えてる場合と、自分には「これがあるから」大丈夫と条件つきで自分を支えている場合がある気がウ・サギはしています。(たとえば、夢や目標があるから、こんなことができるから、学生や社会人などの身分があるから、恋人がいるから・・・等々)
もし条件つきの安定だった場合、自信らしきものを感じればまた安定しても、それもまた何かあれば簡単に崩れるかもしれない・・・?とウ・サギは思います。だから自分がわからなくなった今、自信ではなく自分を見つけてみるのをおすすめしたい気持ちになっているのですが、つらくて疲れている状態が続くのも困りますよね……。難しいです。
ただ、自分に起こることは、症状に当てはまっても何にも当てはまらなくても、周りの環境(社会の風潮含む)と自分の心の何かしらの相互作用で生じているものなのは確かです。だから自分がどんな世界で、何を感じて、何を優先して生きてきたのかなどを振り返ってみると、何か大事な発見がありそうな気もしました。
全然的外れなことを言っていたらすみません。

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update 2025/6/28
Q.泣くのを否定されるのは納得できないが周りは苦痛なのかなと思う。感情を顕にすることをどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰でも泣きたいとき安心して泣ける世界になってほしい、泣くことすら否定されるなんて納得できない。そう思うけど、泣かれる側の人や、周りの人にとってはやっぱり苦痛なのかなとも思います。泣くことに限らず、感情を顕にすることについてどう思いますか?

A.基本的には、感情の表現は自由だとウ・サギは思います。ただ、感情というのは(とくに怒りだと)時に強いエネルギーなので、いつ誰にどう出すか、出すときにどのような配慮をした方がいいかは、考えていきたいところ・・・とは思うのですが、感情はまずは自由にのびのびと出してから、徐々に調整を覚えていくものだとウ・サギは思います。
出すことも十分に許されずに、コントロールだけを覚えてしまうととても苦しくなってしまうので、そういった背景がある人が多いことを考えると、配慮しよう論はあまり出したくないとも感じます。配慮といっても、配慮するのが最優先ではなく、無理ない範囲でやることが一番大切、とは強調したいです。

感情の表現や扱いのポイントは、感情はあくまで自分から湧き出るものである、というのをお互いに意識することなのかなとウ・サギは思っています。
勿論感情というのは、外部の刺激によって(叱責かもしれないし、何気ない発言かもしれないし、何かを見てかもしれないし・・・)起こるものではあるのですが、「お前の言動が私を泣かせた。お前が悪い」みたいなのはたぶん違って、「この出来事を私はこう感じ取って、こういう感情が湧きました」という受け取り手の中で起こるものだと思います。といってもそれは勝手に受け取った側が悪いという話ではなく、感情は良いも悪いもなく自然に湧いてきちゃうものなのだから、アイメッセージで伝えた上で、お互いにとってほどよい配慮や理解を見つけていきませんか?そして、配慮し合いはなるべく優しくやっていけるといいですよね。とウ・サギは伝えたい感じです。
誰かが泣いたことによって感情が動揺する人がいて、自分の動揺に対して配慮を求めたいなら、それはその人がアイメッセージで伝えるべきことです。「泣けば許されると思っているのか」など、勝手に悪意的解釈をして、それを真実だと決めつけるような行為はマナー違反だ…!とウ・サギは言いたいです。

とはいえ感情の取り扱いについてはウ・サギもまだまだ未熟で至らぬ点ばかりだし、社会全体に学ぶ機会も尊重される機会も全然足りてないと感じるので、もっとみんなで考えていきたいと思いました。
残念なことに、今は強い側が弱い側を無理やり押さえつけたり、決めつける場面が多く見られるので(本来は、双方が配慮するにしても、強い側がより多く配慮すべきだと思います)、それはとてもとても問題だと感じています。

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update 2025/6/28
Q.仕事も家事もやりたいと思えない自分を親は支えてくれているのに将来介護したくない自分が嫌で苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が迷惑や負担や苦痛を押し付けてばかりとしか思えない。自分は、仕事も家事もどうしてもやりたいと思えずこなせない。そんな自分を親は仕事や家事をして支えてくれているのに、将来親の介護をしたいと思えない自分が嫌で絶望して死にたいくらい苦しいです
介護をしたくない気持ち自体は悪いものではないと思います、恩は返さなきゃいけない、なんてこともないと思います。ただ、自分は自分ひとりが許せなくて、自分が苦痛を強いてる感じや恩を仇で返している感じが苦しくて、これ以上迷惑かけてる感覚に苦しみたくないので、死ぬのは怖いけど、親が元気なうちに死にたいと思ってしまいます

A.やりたいと思えない気持ちと、迷惑を押しつけてばかりの自分を責める感覚と、きっとどちらもとても譲れない本物で、板挟みの痛みが大きいのかな・・・などとあなたのいる世界を想像していました。
参考になるかもと思って書くのですが、ウ・サギも、それほど弱ってはいないはずなのに、全然何もできない時期がありました。でもそれは、その場所もそこにいる人も実は(嫌いではなくとも)全く好きじゃなかったり、そもそもこの社会や自分という存在を生きることに何も魅力を感じられていなかったり、何か自分なりのつながりや手応えがなかったからだったと今は思います。いくら周りが自分を支えてくれていようが、つながりや感謝を抱けるかは、また別問題だとウ・サギは感じています。
あなたの場合が同じかはわからないですが、「どうしてもやりたいと思えず」にいるのは、何かその必要性や理由があるのだろうとウ・サギは思います。だからなんというか、あなたを安易に励まそうとは思っていないのですが、自然な心の働きが起こっている気がしていて、それで苦しんでいるのをもどかしく感じてしまうウ・サギです。

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update 2025/6/25
Q.好きなものや目標があるが、そこそこの頻度で求めているはずのものを全て拒否したくなることがある
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分には好きなものや欲しいもの、こういうことで生きていきたいという目標があるのですが、そこそこの頻度で求めているはずのものを全て拒否したくなり、気持ちの悪い感覚も同時に起こります。どうしたら一直線にやりたいことができるのか知りたいです。

A.(補足も読んだ印象も含めて)好きなものや欲しいものへの思いが一直線すぎるゆえに、そのような現象が起こっているようにウ・サギは感じました。
現実というのは、たとえいくら努力したとしても、目標通りにいかないことも多いものかと思います。自分の目標や欲しいもののイメージが強くあるのも、それはそれでどうしようもないものかと思いますが、願いが強いほど現実とのフラストレーションは大きくなり、ただ過ごしているだけでも不安や消耗が増えて、パフォーマンスが不安定になるのは必然にも思いました。
だから、どうしたら一直線にやりたいことができるかの質問に戻ると、変な話になりますが、目標を小さくしたりイメージを広くしたりするのが効果的なのかもしれません。
たとえば好きなことを仕事にするにしても、それ一本でいく道もあれば、副業的にやる道もあれば、好きなことを部分的に活かせる仕事につくなど、いろんな形があるかと思います。何が向いているか、どの形だと自分を活かせるのかは、やっていないと見えない部分もあるかと思いますし、何かのきっかけで全然違う道に興味をもつこともあるかもしれません。今の自分のやりたいことやイメージは、これまでの自分の経験や気持ちという限定的なデータから産まれているものであり、経験を重ねると変化していくものだとウ・サギは考えています。
あれ、どうしたら一直線にやりたいことができるか?からどんどんズレていますね・・・すみません。どんな道も一直線であると同時に、必要な回り道な気がして、よくわからなくなってきてしまいました。

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update 2025/6/25
Q.頑張ればできるのに頑張りたくない。頑張れない。これじゃあ怠けてるだけですかね?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.頑張ればできるのに頑張りたくない。頑張れない。これじゃあ怠けてるだけですかね?

A.「頑張らない」という選択を自らしている、つまり自主性を発揮しているということだとウ・サギは捉えました。生きかたカエルがよく使う表現を借りるなら、自分の感性が働いている、という言い方もできそうです。
この社会では何かと頑張ることが推奨されがちですが、頑張る必要自体は全くないとウ・サギは思っています。自分の行いで自分が苦しんだり、周りが苦しんでいるなら、それは解決を試みた方がよいかな…?とは思います。でも、解決は自分の努力でなく、環境の調整や、周りの気持ち(必要性を超えて期待したり何かを課してしまうその人側の問題)が変化していく方のアプローチも大切だと感じます。
頑張りたくないなら、頑張らないで全然OKだとウ・サギは思いますし、あなたの場合はとくに「頑張りたくない」気持ちは何かの意思表示のようにも感じました。頑張りは誰かに強要されるものではなく、自分がやりたいときだけやればいいものだとも、とても思っています。

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update 2025/6/25