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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.家で罵声を聞くのが辛い。自分が言われている訳では無いが自分が削られる感覚がする。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.家で、罵声を聞くのが辛い。
自分が言われてる訳では無いが、親が弟に対して怒ってたり、弟たちが癇癪起こして怒ったような声だったりで、自分が削られるような感覚がします。
また、親が怒る内容もなんだか自分にも当てはまるような気がして苦しいです。

A.罵声を聞くのはしんどいですね…。自分が言われてなくてもダメージを受けるのもわかりますし(ウ・サギもとっても苦手です)、「自分に当てはまるかも」と考えてしまう場合、罵声がさらに自分を消耗させてくるだろうと思います。大人が子どもに対してする振る舞いとしては、どんなものだろうと罵声はしんどいものだと思いますが、補足の内容から、怒ってくる内容も理不尽だと感じました。親に親なりの期待や理想があるのまではギリギリ仕方ないにしても、子どもは自分とは別の人間であり、人は自分のことは自分で決める権利があるので(それが周りに実害を与えている場合は、全部自由とはいかず、周りと相談することにはなりますが)、周りが強制したりコントロールしようとするのはマナー違反だとウ・サギは思っています。
何かを強制してくる人間と一緒に住まなくてはならないのは、残酷なことだとウ・サギは感じます。安心して過ごせないような家、自分が削られてしまうような家からは、出られる選択肢がきちんとあるべきだと、改めて思わされました…。

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update 2025/11/30
Q.頑張っても結果が伴わない。親や先生からの期待をすごく感じてしまう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.頑張っていると自分では思っているのですが、結果が伴いません。親や先生、人からの期待や押し付けのようなものをすごく感じてしまいます。それに応えようとして努力したら妬まれたりします。どうしたら頑張ったことを認めてもらえると思いますか?

A.頑張ったことを認めてもらう方法ですか、なるほど…。他者がどう感じどう行動するかをコントロールすることはできないので(お願いすることはできますが)、今認めてくれていない人へのアプローチを頑張るよりは、認めてくれそうなタイプの人を探すほうをウ・サギは基本おすすめしています。
今の社会は「努力はすべきだし、良いことである」「結果を出せない努力なら意味がない」といった風潮があるとウ・サギは感じるのですが、その二つともに異議あり!と思っています。努力はするもしないも、その人の自由で、良いことかそうじゃないかは本人だけが決められるものだと思います。また、努力した当人が満足できるだけの結果が出なくても、プロセスに大いに意味はあるとウ・サギは感じています。努力するからには目標や理想があり、それに対しての達成度を結果としてジャッジするのだと思いますが、何かをやってみて何が身につくか、得られるかは、もっと複雑で多様なものだとウ・サギは思っています。自分のパフォーマンスを上げようとしてみた調査結果を得られる、適性を知る参考になる、自分のキャパの把握につながるなどのデータをとれるのは確定の成果だと思いますし、努力の結果しんどくなってこうやって質問する行動に出て、そこで何かが得られたのだとしたら、それもつまりは努力の結果が出たということだとウ・サギは思うのです。
(補足にあった運営のアイデアもありがとうございます!実現するかはわかりませんが、とても参考になりました)

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update 2025/11/30
Q.弟の彼女にずけずけと家族の領域に入ってくるなと思ってしまう
この記事の担当 所長室

Q.僕は弟がいるのですが、付き合い始めて1年半くらいの弟の彼女が憎くて仕方ありません。なんか、弟を取られたような気がするというか、ずけずけと家族の領域に入ってくるなって思っちゃうんです。今も、弟が彼女と一緒にお泊まりしていると思うと吐き気がしてきて、何となく死にたくなります。こんなのおかしいのかなとも思いつつ、気持ちが悪くなる自分とそんな自分を責める自分の間で揺れ動いています。

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update 2025/11/29
Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は差別的なニュアンスでは無かったように記憶している
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は精神科医、心理職、当事者を幅広く含む精神疾患と闘う人達のようなニュアンスで差別的では無かったように記憶しているのですが、いつ頃の時期から差別的に使われるようになってしまったのか気になっています。

A.この配信での「Q.私は「メンヘラ」という言葉は、差別用語に感じます(以下略)」を見ての質問ですね。ウ・サギは歴史については無知だったので、情報ありがとうございます。
言葉は、誰がどう使うかによって、時代の移り変わりによって、意味合いやニュアンスが変化していくものですよね…。差別的に使われているか、そうではないフラットなものとしてあるかは、コミュニティによっても変わると思います。ウ・サギの周りはメンヘラを差別したり軽んじたりする風潮が全くないので、ウ・サギはメンヘラを名乗ることも時々します。
属性についての表現は、周りが「あの人は○○だ」と勝手にカテゴライズして、それだけでわかったようにああだこうだ言い始めると、よろしくないことが起こっていくように思います。ウ・サギが初めてメンヘラという言葉を見たのは、ネットでの「彼女がとんでもないメンヘラだった」みたいな男性視点の話だった記憶があるので、そうやって周りが使うようになって、差別的な表現や不適切な理解につながりかねないものになっていったのでしょうかね……。抑圧されている側が自分の苦しさに名前をつけたり、その言葉を使って自分のことを語るのは大切だと思うのですが、抑圧している側がその言葉を好き勝手に使って語るのは、とても暴力的なことなのだろうとは感じます。

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update 2025/11/28
Q.つらい気持ちを伝えられたら心が楽になるかなと思うのに、家族や友達の前ではかくしてしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.しにたい、つらいという気持ちを伝えられたら心が楽になるのかなと思うのに、家族や友達の前では作り笑顔でかくしてしまう。学校や家族の前では、明るく頑張っているからこそ1人になると辛くなる。どうするのが、いいんでしょうか?

A.作り笑顔をしたり仮面をかぶるように過ごすのは、一定期間頑張れてしまうと、辞め時や辞め方みたいなものが(辞めるまでいかなくとも、ちょっと仮面をはずしてみるのも)なかなか難しくなりますよね・・・。ウ・サギもとくに学生時代は、自分の内面を隠そうとする気持ちが強かったです。
いつもニコニコしてられる人なんていないと、せめて大人はちゃんと気づいて、つらい気持ちを話しやすい雰囲気や関係づくりをしてくれないと困るよ、、とウ・サギとしては思ったりします。子どもはまだ他者理解の経験が浅いので、表面的な部分を見て、それを真実だと思いがちなのはある程度は仕方ないかもですが・・・。相手に期待されている、または想定されているものがあるとき、「違うんだよ!」と自分を出す(つらい気持ちなど、普段はかくしているものを伝える)のはかなり勇気やエネルギーの必要なものだとウ・サギは思います。
勇気やエネルギーをかけなくても自分を出す方法としては、保健室の先生やスクールカウンセラーなど悩みを聞く役割の人に話す、同じような作り笑顔をしている人を身近に見つける、まずはSNS相談や安全なオンライン居場所などで気持ちを書き出す、とかは浮かびました。自分をかくしてしまうという悩みを抱える人は多くいると思うので、いろんな人で自己分析してみて、研究してみる機会があるのもいいかもなあ・・・生きづLABOでやるか・・・?!という考えもちょっと浮かんだりしています。

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update 2025/11/28
Q.何となく辛くて苦しい、ずっとずーっと寝ていたい 私と同じ気持ちの人いる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校では〜まぁ大丈夫かな!
友達なんていらないって思ってるけど〜
なんかさー友達いたら辛くなんない?
何となく辛くて苦しい!!
ずっとずーっと寝ていたい〜笑笑
私と同じ気持ちの人いる?

A.同じとまでは言えませんが、学生時代を振り返ると、ウ・サギは友達について、いると辛かった記憶のほうが強いです。友達いたら辛くなる理由はそれぞれかと思いますが、ウ・サギの場合は「相手に合わせないと」「ちゃんとしないと」と、学校という独特の空気感も含めて気を張り詰めて疲れてしまいました。
ずっとずーっと寝ていたいに共感する人は、ウ・サギ調べでは結構いる印象です。生きるのがいろいろと楽じゃない世界なので、守られた心地のいい世界(眠りもその一つかと思います)にいたいのは、とても自然な気持ちだと感じます。

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update 2025/11/28
Q.鏡を見たら白髪が生えてて、昔白髪を母が無理やり抜いてきたのを思い出してつらくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.鏡を見たら白髪が生えてて、昔、僕に生えてる白髪を、僕が嫌だと言っても母が無理やり抜いてきた(それも毎晩)ことを思い出して、つらくなったよ。痛かったし、やめてって言ってるのにやめてくれないのが怖かった。

A.それはつらいし、想像するとなかなか恐怖体験というか、尋常ならざるものをウ・サギは感じました・・・。からだは自分自身のものなので、無理やり白髪を抜いていい権利は誰にもないし、保護してくれる存在であるはずの相手に、やめてと言っても届かないのはショックの強いものだと思います。
どうして母が白髪を抜くことにそこまでこだわったのか・・・老いることや老いて見えることへのネガティブな評価が、女性だと内在化されやすいのだろうか?と想像したりはしましたが、それで何が許されるわけでもありません。やめてと言われても髪を抜くなんて、外での人間関係ではほとんどないことだと思うので、親が無自覚に子どもを自分の従属物みたいに扱ってしまう風潮も感じて悲しくなりました。

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update 2025/11/28
Q.自分のことを肉食系だと思っていて友達との冗談で例えていたが、就活で人間扱いされず泣いた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分のことを肉食系だと思っていて、よく友達との冗談で動物(トラとかライオン)に例えていますが、就活の時に某企業の選考で人間として扱われなくて泣きました。自分で自分のことを言うのは楽しいですが、他人から言われたり扱われたりするとつらいです。

A.肉食系と言えば恋愛に積極的な人をさす表現としても使われていますが、質問者さんの自認する肉食系は、また別のニュアンスのオリジナルな肉食系でしょうか。ちなみにウ・サギは肉を食べるのが好きなので、周りから肉食獣と言われることはあります。
それはさておき、「自分で自分で自分のことを言うのは楽しいですが、他人から言われたり扱われたりするとつらいです」は、もう本当にその通りですよね……と共感しました。楽しさを人と共有するのは案外難しくて、ウ・サギも楽しい自虐だと思ったもので相手を困らせてしまったり、相手が楽しいと思ってるだろうことで「え?」となってしまったり、うまくいかないことは結構多いです。

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update 2025/11/28
Q.給食でなぜ牛乳を飲まなくてはいけないのか。日本人は乳糖不耐症が多いのに
この記事の担当 ウ・サギ

Q.日本の学校の給食で、なぜ牛乳を飲まなくてはいけないのか。日本人は乳糖不耐症が多いのに、なんで強制的に飲ませられるんだろう?

A.学校給食で牛乳が「出てくる理由」については、おそらくそれなりに合理的だろうとウ・サギは感じています(子どもの成長のために良い食品で、調理の手間がなく、供給が安定していて費用も高くないあたりの要素があるかと思います)。ただ、「飲まなくてはいけない」といった強制は、牛乳を飲むことに限らず、どんなことでも困ってしまうと思いました。
最近は給食を無理やり食べさせる文化も弱まり、牛乳を飲まない子は事前に返して、飲みたい子でじゃんけんして取り合ったりするような場合もあるかと思うのですが、おそらく質問の感じでは、質問者さんは飲まなくてはいけない風潮の中で過ごしてきているのでしょうね・・・。乳糖不耐症が多いのも見逃せない事実としてありますし、何にせよ、強制はなくなってほしいとウ・サギは思います。

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update 2025/11/28
Q.死ねばよかったと思ってしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死ねばよかったと思ってしまう

A.補足に具体的な事情がありましたが、書こうとすれば全然書ききれないくらい、苦しいことがいっぱいあったことを想像しています。安心がない世界で、踏みにじられるような出来事での傷つきを蓄えてしまったような、ダメージの刻まれた心身で過ごしているのを感じました。
死ねばよかったという気持ちは、「自分を救ってあげたかった」という祈りにも、ウ・サギは少し感じたりしました。深い悲しみや絶望とともに過ごしているのを想像しているので、またよかったら質問をください。

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update 2025/11/28