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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.大衆向けコンテンツでは、性的な表現はもう少し控えてほしいと思う
この記事の担当 所長室

Q.性的な表現の強いコンテンツへの嫌悪感。例えば、アニメや漫画。誰かの性的嗜好を色濃く落とし込んだような表現は、大衆向けのコンテンツでは、もう少し控えてほしいと思ってしまう。考えすぎかな。

A.ウ・サギはその感覚、考えにとても共感します。人は情報に影響を受ける生き物なので、どんな情報がどう発せられるかは、人権の感覚に影響を与えると感じます。
原則としては、大衆向けのコンテンツで、性的搾取を助長・肯定するような表現(例えばギャグの一種として、セクハラに該当する行為が出るなど)はウ・サギは絶対反対の立場です。キャラ造形に作者の性的嗜好らしきものが入るのは、どのラインから禁止というのもそもそも難しいですし、まだ立場を決めかねています。
控えてほしい理由として、補足に性的搾取への不安が書かれていましたが、そのためにはコンテンツの適切な制限と同時に、誰もが対話に参加できて、自由を守り合えるような社会をつくることも欠かせないとウ・サギは思います。
生きかたカエルの意見も聞いてみましょう。

*生きかたカエルから*
カエルも性的な表現については、歯止めが必要だと思っています。それは放っておくと弱い者への搾取につながってしまうからです。
人間にとって、性的な要素は生きていくうえで不可欠なことの一つだと思いますが、現段階では暴力と密接な関係にあります。背景にはジェンダー(社会的な性別役割)や子どもの権利が守られていないという課題があります。その課題が残ったままの社会において性的なコンテンツを自由にすることは、性的なコンテンツが容易に暴力や支配の手段になるとカエルは考えています。
ジェンダーギャップが限りなく無くなり、子どもの権利が守られ、多様性が尊重される社会であれば性的な表現をもう少し自由にするのもありかなと思います。ただ、そうした社会になったときには今よく見るようなコンテンツは自然となくなって違う表現になるように思います。
とても興味深い質問でした。みんなでもっと考えてみたいです。

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update 2025/8/25
Q.最近ふと小学生の頃に友人から性被害に遭っていたのを思い出した。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近ふと、小学生の頃に友人から性被害に遭っていたなぁと思い出しました。今まで思い出しても自分が悪だと忘れようと責めてきましたがなぜそう思ってしまったのでしょうか。日々死にたいと思う要因の一つにはこの経験が入っているのでしょうか。

A.大きな心の傷、とくに性被害について、「自分が悪い」と罪悪感を抱くケースはウ・サギとしてはわりとよく聞く話です。ウ・サギは専門家ではないので、細かなメカニズムや心理までは解説できないのですが、人間の心の機能として、どう受け止めていいかわからない、受け止めきれないショックを「自分のせい」と意味づけて抑え込む、というのは一つの防衛本能なのだろうとは感じています。
ただ、それは誰かに頼れないときに自分を守るための方法で、本当に自分を守るためには、気持ちを誰かに受け止めてもらう中で、中立で自分に優しい意味づけを見つけていく必要があるようにも思います。
日々死にたいと思う要因に性被害の経験がどれくらい入っているかはわかりませんが、死にたいという感情は、今目の前のことだけでなく、これまでの経験の影響を受けている場合が多いとウ・サギは考えています。言葉にできない、気づけないから、全部ひっくるめて「死にたい」という感情に結晶化してしまう、というようなイメージです。
今のあなたは過去自分に起こったつらい出来事を捉え直せそうな(そのための安全や余力がなんとか確保された)タイミングがきたのかも…?とウ・サギは感じました。それはどんな出来事のどんなダメージについてのことでも、自分の「死にたい」のサイズを小さくすることにつながるとウ・サギは感じています。

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update 2025/8/24
Q.恵まれて何不自由なく生活しているのに死にたいなどと感じてしまう私はおかしい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.恵まれて何不自由なく生活しているのに死にたい・消えたい、学校に行きたくないと感じてしまう私はおかしい?

A.何もおかしくないとウ・サギは思います。例えば、物質的に恵まれていることや、愛されて育っていることや、どんな素晴らしいと思われる生活でも、100%生きやすさを保証するものにならないというのがウ・サギの考えです。
でもそれ以前の話として、補足を読んだところ、あなたの「恵まれて何不自由なく生活している」という認識は、ウ・サギの思う「恵まれている」とは違いがあると思いました。

これは、この質問回答を読んでいる全員にも伝えたくて書くのですが、「自分は恵まれているのに…」と考えるのは、
①身体の安全が今も昔も保障されていた(暴力を受けていない)
②自分の好き・嫌い、やりたい・やりたくないを遠慮なく言える(言葉や、または雰囲気で、自由な発言を制限されていない)
を③行きたくない場所やいたくない場所があったとき、そこに離れる選択をするのが難しくない(生き方、暮らし方がいわゆる「普通」から外れているものも、それを否定されずむしろ応援してもらえる)
少なくとも、この3つを満たしてからにしませんか?と、ウ・サギは提案したいです。

このどれか1つでも守られていないなら、安心して自分が自分らしく生きられていないとウ・サギは思うので、それは十分死にたい気持ちにつながるつらさとなると考えています。もちろん、この3つを満たしている場合だって、死にたいと深刻に思うこともあります。
あと、そもそも、学校はあまり行きたいと思える場所ではないとウ・サギは思っています。だから学校に行きたくないのも全然おかしくなく、行かない子にも何も悪い点や問題はなく、行きたいと思えないような学校になってしまっている、という点に大人たちは向き合ってほしい・・・とずっと考えています。

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update 2025/8/24
Q.自分の気持ちを歌詞みたいに書き出していたらクラスの人にナルシなどと言われた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の気持ちを歌詞みたいに書き出していたらクラスの人に見つかって、「きもっ、賢い気取り?」とか「ナルシすぎる」とか、ずたずたにされました。それ以来自分の気持ちを整理する事ができず、もやもやしています…

A.その言葉はなかなかグサッときますね…。誰にも見られないところで書き出していれば安心?とは一応思いましたが、言われた言葉がよみがえってくるなどして、歌詞みたいに表現するのも自分の中でためらうようになったという感じでしょうか。
ちなみにウ・サギも、歌詞みたいな詩で自分の気持ちを整理していた時期があったので、仲間を見つけて勝手ながらちょっと嬉しくなっていました。学生時代に歌詞みたいに気持ちを書き出していたという友達もいるので、歌詞スタイルで気持ちの表現・整理をするタイプは一定数いるように思います。
仲間がいるからといって何があるでもないかもしれませんが、きもいことでも賢い気取りでもナルシでもなく、歌詞スタイルが自分に合う自己表現で、その自分に合う方法で一生懸命気持ちの整理をしようとしているという話だとウ・サギは思います。そもそも歌詞みたいに書き出すことで誰かを傷つけるでもないのだし、どんな自己表現をしようがそこにああだこうだ言わないでくれ~~!とも叫びたくなりました。

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update 2025/8/24
Q.アセクシャルです。ある出来事を話したらアセクはそういうの平気そうなのにと言われた。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.アセクシャルです。ある都市に行ったら、露骨なポーズの裸婦像があって、思わず目を背けました。そのことを友達に話すと、アセクはそういうの平気そうなのにと言われました。

A.アセクシュアルといっても(どんな名前のセクシュアリティだろうと)個人によって違うので、「アセクは~」と語る時点でそもそも間違いがあるように感じますが、その友達のアセクのイメージもちょっと不思議ですね…。性的なものを見て動揺や反応をするのは、性に関心がある人だけだ、みたいなイメージなのでしょうか。
定義としても、アセクシュアルは「他者に対して」性的欲求を抱かないというものなので、性的なことに無関心・無反応であるとは必ずしも限らないのが本来の意味のはずです。用語だけはなんとなく知ったつもりでも、ちょっと理解がズレていることって結構あるよなあと、他のことも振り返ってぐるぐる考えてしまいました。
名前をつけると、生きづらさはわかりやすくなるとは感じるのですが、本質的な部分や個別性が少し軽んじられる弊害もあるので、なかなか難しいところです。

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update 2025/8/24
Q.寝れなくてネガティブ思考から抜け出せないときどうすればいい?
この記事の担当 所長室

Q.夜、寝付きが悪くて、ネガティブ思考になっちゃってしんどくなります。どうすればすぐに寝れるようになるか、寝れなくてネガティブ思考になって抜け出せないとき、どうすればいいか、教えてほしいです。

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update 2025/8/22
Q.他人の言うことをどのくらい言葉通りに受け取るかどう決めたらいい?
この記事の担当 所長室

Q.他人の言うことをどのくらい言葉通り受け取るかって、どうやって決めたらいいんですか?いつも周りの言う事を全て受け取って、考えすぎて疲れます。

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update 2025/8/22
Q.普通になりたいが少数派の痛みのわからない人にはなりたくない
この記事の担当 所長室

Q.普通になりたいけど、普通そのものにはなりたくない。少数派でいるのに疲れたけど、少数派の痛みや苦労の分からない鈍い人にもなりたくないから多数派になるのが怖いです。解決できない矛盾した気持ちには、どうやって折り合いをつけたら良いのでしょうか。

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update 2025/8/22
Q.頼れる人が欲しい。母は自分を理解してくれようとしてるがズレてる気がする。これは我儘?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.周りに自分のことを理解してくれて、頼れる人が欲しいです。母は理解しようとしてくれるのですが、なんかちょっと次元がズレてるような気がします。これって我儘ですか?

A.いえいえ、とくに我儘じゃないと思いますよ。逆にいえば、人間はみんな同じ我儘を抱えていると思います。自分のことを、自分の思っているように理解されたい、というのは人間の自然な欲求だとウ・サギは感じています。
ただ、自分を自分の納得できる次元で理解してくれる人は、そこまでたくさんいないようには思います。例えば、認知や感情の個性や育ってきた環境があまりに違うとか、距離が近くて期待や関心が入りすぎて理解がバグるとか、そもそも理解する余裕がない状態にあるとか・・・または、片方が精密な理解を求めるタイプでもう片方がざっくりした理解で大丈夫なタイプだと「理解した」という感覚そのものがズレている場合もあるかもしれません。だから、「この人に」絶対に理解されたいんだ、と願うとお互いに苦しくなることはあるのかもな・・・とは感じています。
母の次元がズレていると感じるのも、理解してくれて頼れる人が欲しいのも、全く我儘じゃなく、自分の気持ちや感じ方がしっかり働いている証拠だとウ・サギは思います。もっと母に自己開示してみて精度の高い理解を求めに行くのか、母はそこそこでいいと割り切って他を探すのにエネルギーを注ぐのか、そのあたりの戦略も自分の直観に従って選んでいっていいのかなと思いました。

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update 2025/8/21
Q.悪夢を見ることが多くて悩んでいます。どうしたらよくなりますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.悪夢を見ることが多くて悩んでいます。
いつも現実的な悪夢で、夢で見た場所と同じ場所は、怖くて避けてしまいます。
もう寝るのが嫌です。どうしたらよくなりますか。

A.ウ・サギもまあまあ悪夢を見る方だと思いますが、どちらかといえば非日常・非現実的なものを見るタイプなので、現実の方にまで影響が及ぶのはとても大変そうだと感じました。
悪夢はメンタルからの影響も部分もあると思いますし、その場合解決はそう簡単ではないかもしれませんが、最近ウ・サギが注目しているのはフィジカルからの影響です。というのも、体を痛めて寝返りがうまくうてなかった時期に(今は元気になりました)、悪夢率が増加しまして・・・。体と夢は連動している!と、とても実感したところでした。
敷布団、かけ布団、枕などの寝具。どんな寝巻を着るか。照明、音楽、匂い、温度、湿度などの環境。寝る姿勢、寝る前に何をするか・・・寝ることについての物理的な要素は本当にたくさんあると思います。何が自分に合うのかを探す道のりは果てしない気もしてきましたが、とにかく体がリラックスできれば、悪夢の率は多少なりとも減るのではないだろうかとウ・サギは考えています。お金をかけないで始められるところだと、寝る前のヨガなんかも良さそうです。
あとは現実と夢の見分けが完全についたら、悪夢との付き合いも少しは楽になるのでしょうかね……。昔ウ・サギは夢の中で夢だと気づいて、夢の中で目を瞑ることで、別の夢を見るというテクニックをもっていた時期があったのですが、ここ数年は何度も同じ悪夢を見ているのに夢だと気づけず、夢の中で恐怖で絶望しています。物語でよく見られる描写だと、ほっぺたをつねって痛かったら現実みたいな見分け方もありますが、これは夢の話、これは現実の話、と区別がつきやすくなる何か良い工夫を見つけたいウ・サギです。

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update 2025/8/21