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Q&A
Q.最近職場に来た警備員がかわいくて対抗心を燃やしている(笑)なんで対抗しちゃうのか…
この記事の担当 やみーペン

Q.最近職場にやって来た警備員がかわいくて、こっちも負けてられん!と対抗心燃やしてます(笑) なんで対抗しちゃうんだろう…

A.なんでも対抗心が湧くタイプ…??やみーペンはあんまり対抗心とか湧く方じゃないけど、自分の方が上手くできる!って思った時には張り合って奪っちゃうかも??そういうこと…??

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update 2025/12/2
Q.虐待されていると友達から相談を受けたという質問の回答が冷たく感じます
この記事の担当 ウ・サギ

Q.虐待されていると友達から相談を受けたという質問の回答が冷たく感じます。
子供に自分の身は自分で守れと強いるのは酷では無いですか。
私も過去に虐待を受けてることを友達に話したことがありますが、もっと持ちつ持たれつ精神になってみてはどうですか。

A.読み返して、表現に至らない点があったと反省しました。まだ至らない点もあるかと思いますが、この質問を受けて、回答はすぐ修正させてもらいました。
気持ちや意図としては、子どもに自分の身は自分で守れと言うつもりはまったくありませんでした。
・「子ども同士で」「友達として」できることを考えると、解決について責任を感じすぎない方が、質問者さんが継続的に友達の支えになることができるのではないか
・暴力抑圧被害からは誰しも守られるべきで、助けになるためにやれることをやるのは大前提として、気持ちの面で「助けよう」「助けてあげないと」というイメージは実はうまくいきづらくて、「本人の自分を助けようとする力をサポートする」「協力する」というイメージの方がいいとウ・サギは感じている
・子ども同士であれば話を聞くだけでまずは十分で、解決へのアプローチで考えれば、どの大人や相談機関に相談してみるのがいいか一緒に考えるのがいいのではないか
といったことを書きたいと思っての記事だったのですが、全然きちんと表現できていなかったです。質問ありがとうございます。

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update 2025/12/2
Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。

A.補足の説明を見ると、笑いたくて笑う笑い方ではなく、自己防衛的なつくり笑いを手放したいという意味だということが分かりました。つまり、本当はやめたいのにやめられないことで苦しんでいるということで、アディクションの一種だとカエルはとらえました。
アディクションのように、生き抜くために身につけたスキルは、手放すことが難しい場合は多いですね。ただ、方法がないわけではないとカエルは考えています。いくつかのステップがあるかと思います。まずは、「やめたいのにやめられない」ことを自覚することがスタートラインです。そういう意味では、すでにそれをわかっているのでスタートラインにはたっていますね。そして、次にそのことを自分以外の人に伝えるのが次のステップです。まさに今回の質問で次の一歩を踏み出しているわけです。この後は状況によりけりだと思うのですが、二つのことを同時並行でやる必要がありそうだと思ってます。
一つは「やめたいのにやめられない」の背景にある苦しさやつらさに目を向けていくことです。笑いたくないのに笑うことをやめられないのは、無理して笑うことで紛らわせたい苦しさやつらさがあると推測されますが、そのことにまだスポットが当てられていないのかもしれません。その苦しさやつらさへの対処が必要です。そしてもう一つは、今回の質問のように自分の考えていることや気持ちを深め、自分についての理解をすることが必要です。この二つが進められると、つくり笑いはしなくていい時間が増えたり、逆に自然と笑える時も増えていくかもしれません。そうはいっても、急にそんなことはできない…という場合もあるかと思うので、こうして質問することもそうした行動の一つなので、うまく活用してもらえたらと思います。

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update 2025/12/2
Q.受験生だが2月に勝つ前に人生に負けそう。物心ついたときから希死念慮を抱かなかった日はない。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのですが、2月に勝つ前に人生に負けそうです。物心ついたときから、生きることの難しさを知り、希死念慮を抱かなかった日は一度もなかったです。人に絶対に相談したくない理由があって、相談は断固拒否です。救いようがないでしょうか。

A.ウ・サギは学校の受験というのを実はしたことがないので、「2月に勝つ」という表現にちょっとびっくりしました。言わんとしていることはわかるのですが、受験(今現在での志望校)に合格することが、なぜ勝ちなのか?何への勝ちなのか?とウ・サギは大人を問い詰めたい気持ちになってしまいます。それは自分のしている勝負というよりは、現在の受験システムで「させられている」勝負であり、そのプレッシャーは不健全なものだとウ・サギは感じています…。海外事情にはあまり詳しくないですが、入学は簡単で卒業するのが難しいというのがわりと主流だと聞いたこともあるので、もっとやり方があるだろうと思ってしまいます。
物心ついたときから生きることの難しさを知り…には、苦しみの歴史の深さを感じました。希死念慮の言い換えや分析はいろいろありますが、自分の感性や求めるものと、周りが求めてくるものや周りの感性が合わないとき、かつその合わなさが自分への負担をもたらすとき、人は生に絶望するという側面があるとウ・サギは思っています。逆に言えば、自分の感性が世界とある程度つながったとき、自分の感性にも居場所があると感じたとき、ほんの少しくらいは救いがあるのかもしれません。何が勝ち負けかは無数の定義があると思いますが、質問者さんは毎日この世界と闘い続けてきたのだとウ・サギは感じました。

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update 2025/12/2
Q.最近脂物や味濃いものが食べたくなくなってきた。これは心の病気?単に栄養足りてるだけ?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、脂物(コロッケ、トンカツ、エビフライなど)、味濃いもの(タルタル、クリームなど)が食べたくなくなってきた。心の病気?それとも単に栄養足りてるだけかな?

A.ウ・サギは好きな食べ物でも食べたいシーズンと全然食べたくないシーズンがあるので、第一印象としては、あまり心配なことには感じませんでした。納豆や冷奴が一番極端で、数カ月に1回ブームがきて1週間くらいは頻度高く食べたら、また全く食べないシーズンに戻ります。ただ、脂物や味の濃いものは消化の負担がかかるという点があるので、もしかしたら胃の調子などで今そういったものを受けつけるのが難しくなっていて、「食べたくない」という感覚が生じてるかもしれません。
あとは年齢や生活習慣によっても食べたい物は全然変わるので、何かが食べたくないことや実際に食べないことについては、比較的自然な現象だとウ・サギは感じます。まずはゆったり構えて、もし他の変化や不調も現れてくるようなら、その変化について分析するくらいの心構えでいるのはどうでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.今高校三年で、教室にいると息苦しさなどを感じる。どうしたらうまくやり過ごせる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今高校三年です。教室にいると息苦しさ、居心地の悪さを感じます。少し理不尽なことがあると愚痴を言い合ったり教室が荒れたり、自分より頑張ってない人を下に見たり不満を言ったりなど、自分は合わないと感じます。どうしたらうまくやり過ごせるでしょうか。

A.実はカエルもカエル界の進学校で同じような思いをしたので、首が痛くなるほど頷いて読みました(カエルに首なんてあるのか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、あるんですよ!)。カエルの場合は少し距離を置いて、そうした殺伐とした様子を見ながら、「このカエルたちはもともとこんなカエルじゃなかったのに、こんな言動をするのは今置かれている環境のせいだ」と考えてみて、高校3年生が受験戦争に巻き込まれていくことの弊害を実感しました。「自分には合わないと感じる」というのは自分の感性がしっかりと働いているということなので、ひとまずその自分の感性を労いつつ、その背景にある課題を知ったことを今後の人生に生かしていくマインドでいることで、気持ちは少し変わるでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.好きなことに正直になれない。諦めた方がいいのか、続けていいのかわからない。
この記事の担当 やみーペン

Q.好きなことに正直になれません。今夢中になっていることがあるのですが、好きだと思う自分と、人に知られて笑われたくないと悪い妄想をする自分との間で揺れています。諦めた方がいいのか、続けていいのかわかりません。

A.好きなことを「好き〜」って言えるのは自分に自信があるからなのかなぁ〜とか、好きをあれこれ評価される環境にいたら正直になるのは難しいかも〜とか、ぐるぐる考えた!やみーペン的には周りに分からないように続ける〜って選択肢があるかな!

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update 2025/11/30
Q.虐待されていると友達に相談された。どうすればいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.友達から虐待されていると相談を受けました。親から精神的虐待を受けているそうです。その友達は、児相とかには行きたくないと言っているのですが、どうすればいいですか?

A.質問者さんが余裕のある大人でれば、虐待されている状況をどうにかするために全面的に動くことを考えたいですが、子どもであり余裕もない状況とのことなので、あくまで質問者さんにできることを考えて回答しますね。(虐待を受けている本人からの相談であれば情報提供もしますが、補足にあった質問者さんの状況も考えて、今回はポイントを「相談されたらどうすればいいのか」に絞ります)
どうずればいいだろう?と、誰かを助けたい、力を尽くしたいと思ったときにポイントになるのは、自分のできる範囲を知っておくことだとウ・サギは思っています。自分のやれる以上のことをやろうとすると(本来は虐待についてはしかるべき大人が保護するべきなのですが、力及ばずごめんなさい…)、支える側がしんどくなって続かず、結局は助けることから遠ざかってしまう展開になるのを、ウ・サギとしては心配しています。
子ども同士でやれることとしては、気持ちを聞くだけでまずは十分で、本人が解決のために動きたい気持ちが強ければ相談ダイヤルの紹介や、身近な大人への相談を一緒に考えたりお手伝いできればいいかと思いました。相談を受けるや助けるというのは、突き詰めると本人の本来もっている力や意思や気持ちを支えることだとウ・サギは思っているので、「助けよう」というよりは「自分を助けようとしているその人に、自分はどう協力できるだろうか」といったイメージで考えています。
話を聞いていて、もし苦しくなったら自分の気持ちを秘密の守られる場所で相談してみるのも大切ですし、解決についてサポートしようとするなら、友達にとって話すハードルが低いだろう相談先を(匿名のチャット相談か、学校の先生やカウンセラーさんか、その他諸々…)一緒に考えるのが、子ども同士でできる対応としてはいいのかなと思ったのですが、どうでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30
Q.家で罵声を聞くのが辛い。自分が言われている訳では無いが自分が削られる感覚がする。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.家で、罵声を聞くのが辛い。
自分が言われてる訳では無いが、親が弟に対して怒ってたり、弟たちが癇癪起こして怒ったような声だったりで、自分が削られるような感覚がします。
また、親が怒る内容もなんだか自分にも当てはまるような気がして苦しいです。

A.罵声を聞くのはしんどいですね…。自分が言われてなくてもダメージを受けるのもわかりますし(ウ・サギもとっても苦手です)、「自分に当てはまるかも」と考えてしまう場合、罵声がさらに自分を消耗させてくるだろうと思います。大人が子どもに対してする振る舞いとしては、どんなものだろうと罵声はしんどいものだと思いますが、補足の内容から、怒ってくる内容も理不尽だと感じました。親に親なりの期待や理想があるのまではギリギリ仕方ないにしても、子どもは自分とは別の人間であり、人は自分のことは自分で決める権利があるので(それが周りに実害を与えている場合は、全部自由とはいかず、周りと相談することにはなりますが)、周りが強制したりコントロールしようとするのはマナー違反だとウ・サギは思っています。
何かを強制してくる人間と一緒に住まなくてはならないのは、残酷なことだとウ・サギは感じます。安心して過ごせないような家、自分が削られてしまうような家からは、出られる選択肢がきちんとあるべきだと、改めて思わされました…。

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update 2025/11/30