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Q&A
Q.同性婚関連のニュースを見ると心が痛い。幸せになりたい人が諦めてしまう世界は悲しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.同性婚の関連のニュースを見てると心が痛い。色んな人の顔が浮かんでくるから。自分は結婚も恋愛も子供も分からないけど、幸せになりたい人が幸せを諦めてしまうような世界で生きるのは悲しい。

A.いろんな人が匿名でネットで発言できるようになったのもあって、何のトピックに対しても、心ない言葉の飛び交うシーンが目に入ることが多くなってしまいましたよね。誰かが自分に起こっている不平等や理不尽を伝えても、感情論や感覚での反対をされる構図がよくあるように見えて、何からどうアプローチすれば本質的な解決につながるのかウ・サギもまだ答えが見つかりません。
何の情報がどう入ってくるかで、人生のありようや心の安定も、考え方も他者理解も、かなり変わるとウ・サギは感じています。具体的なイメージはまだないのですが、情報の回り方に革命が起きれば世界はひっくり返るように思うので、ニュースのあり方についてはいろんな人と一緒に考えてみたいです。

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update 2025/12/3
Q.ビビディバビディブーの替え歌ばかり聞いてきて、オリジナルの歌詞知らんなと今更気がついた。
この記事の担当 やみーペン

Q.ビビディバビディブーの替え歌ばかり学校とかで友達から聞かされていたせいか、そういえばオリジナルの歌詞知らんなと今更気がついた。

A.やみーペンも知らない!と思って今オリジナルの曲を聞きに行ったけどやっぱり知らなかった…!!「いきづらーぼ どんなばーしょ しっているかな? うさえなが所長と ほかのさんびき いきかたかえーる う・さーぎ やみーぺんがね みんなとかつどうする すてきなサイト~♪」

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update 2025/12/3
Q.最近肥満症の広告が多くて嫌。生き方は自由だと思うんだけど、全員健康じゃなきゃ許されない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、肥満症の広告が多くてちょっと嫌な気分。BMI25を超えたら治療が必要なんだって。
好きなだけ食べたり、健康以外を大事にする生き方も自由だと思ってたんだけど、だめ?全員スリムで健康でなければ生きるのも許されない?何のために...?

A.補足の内容も含めて実にまっとうな主張だと感じて、ひたすらにうんうんと頷いています。最近は肥満症についての広告なんて増えているのですね…。ウ・サギは広告を見る機会が少ないのですが、毛穴がどうとか、有名大学への合格率がどうとか、ああいうのは見る度に気持ちが滅入るものがあります。まず「こういうのが正しい」「良い」という価値観ありきで、話が始まっているのが怖いです……。
人間は多かれ少なかれ不健康に生きているので、人生においてどの健康をどれほど優先するかは、個人の自由だとウ・サギは思っています。肥満にならないように意識して、自分の楽しみや自由を過度に犠牲にするなら、それもそれで心が不健康だとも感じます。
公共の福祉に反しない限りは、どんな生き方ももう本当に自由だとウ・サギは思います。スリムじゃなくても健康じゃなくても、それを他の誰かにだめと言われる筋合いはないと、ウ・サギは声を大にして言いたいです!

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update 2025/12/3
Q.目に見える形で壊れたら…の質問に共感した。私もそう思うと同時に、見捨てられる不安もある。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.目に見える形で壊れたら…の質問に共感しました。私もそう思うと同時に、もしバラバラに壊れてしまったら、醜いと思われて人から見捨てられるんじゃないかという不安もあります。

A.この質問か、この質問のことでしょうかね。ちゃんとしようとする気持ちが強いほど、実際にちゃんとできてしまうほど、負担が果てしなく溜まっていく構造にはウ・サギもいつも悩ましさを感じます…。見捨てられるかもしれないという不安も、本当に厄介なものですよね……。
ちなみに、励ますでもないですが、バラバラに壊れることは「醜い」とはならないとウ・サギは思いました。なぜかというと、人は誰しも弱くて脆い部分がある(バラバラに壊れる可能性のある)存在なので、自分の弱さや脆さを正しく知って受け止めている人から見たときに、壊れることは恐怖や嫌悪ではなく共感の対象だと思うからです。誰かの弱さを否定したり見捨てる人は、自分自身の弱さから逃げているのだとウ・サギは思っています。話がズレてしまって失礼しました。

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update 2025/12/3
Q.自分の思い通りにいかないと癇癪を起こすことにずっと悩んでいます。
この記事の担当 やみーペン

Q.自分の思い通りにいかないと癇癪を起こすことにずっと悩んでいます。
以前に、それをカウンセラーさんに相談したら、「子供時代に子供らしい生活ができなかった反動で、大人になった今自分の思い通りにしたくなるんだよ。」と言われました。私はどうしたらいいのでしょうか?

A.確かに子どもらしい育ちをしてないとそういう行動しかできなくなるよね…あと、やみーペン的にはそうじゃない方法での自己表現が見つかってない時も癇癪が起きやすかった気がするかなぁ。
どうしてこういう気持ちになったとか、どう思ったとかを話せたり、表現したりする人がいっぱいいる空間で過ごせるとどんどん身につくんだけど、中々そんな空間が無いのが悲しいところ…質問箱でまずは練習してみる??

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update 2025/12/3
Q.ゲームへの課金が止められない。ダウンロード版ゲームを遊びきれないくらい購入してしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ゲームへの課金が止められません。ソーシャルゲームへの課金はなんとか止められたのですが、今度は買切りのダウンロード版ゲームを遊びきれないくらい購入してしまいます。誰か助けて〜!

A.課金というのは、課金したくなるようにあれこれお誘いしてくるものですしね……ソーシャルゲームへの課金を止めるのは、なかなか力の必要な作業だと思います。
買い切りのゲームは腐るものではないので、それで金銭面で困ることがないなら購入しても問題ない気がしたのですが、今はボタン一つで何かを簡単に買えてしまうのが怖いところ、難しいところだと思います。せめてパッケージ版を買えば中古で売る選択肢も生まれるのと、物として見えると「買ってしまった」感が強くて抑制されたりはしないでしょうかね…。
とはいえ、そこまで買いすぎるのは、何かストレスや原因はありそうという部分がウ・サギは一番気になります。課金が止まらなくなった時期に、環境の変化やしんどいことがあったのなら、自分の心のケアや休息をとってあげるのが大切なのかもしれません。

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update 2025/12/3
Q.前質問を送った者です。ケアやサポートを受けながらの活動なら「働く」ができるかもと思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
の質問を送った者です
私の場合、支援やケアやサポートを受けながら、何かの活動をする形なら
楽しさや、安心感を感じつつ
「働く」ができるのかもしれないなと、なんとなく思います

A.はい、その通りだと思います。あらゆる人たちがそれぞれに安心や安全が確保され、その人の力や興味関心にあった役割を果たせる社会になることをカエルはいつも願っています。そのためには今の社会のことをいろいろな角度から検証して、改めてどのような価値に基づいて社会の在り方を検討していく必要があると思っています。生きづLABOもそのための研究機関です。

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update 2025/12/3
Q.ゲームで好きなイベントが始まって1日ほぼ費やして、楽しさより自制の利かない辛さが大きい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近はゲームともいい距離を保てていたのだけれど、好きなイベントが始まっちゃって、それからは1日ほぼゲームに時間を費やすようになっちゃった!楽しさよりも、自制が利かないくらいのめり込んじゃってる辛さのほうが大きい。

A.なるほど…好きなものとの距離の取り方もなかなか難しいものですね。イベントが理由なのであれば、イベントが終わればまたいい距離に戻るのかな?とも想像しましたが、そういう現実的に大丈夫か大丈夫じゃないかは別として、自制がきかないのにつらさを感じるのはわかる気がします。
ちゃっと話はズレますが、自制がきかない状態の人に対して周りが「困っちゃうよね」といったネガティブな評価をしているのを見ると、自制のきかない本人が一番困っているんだよなあ…と、ウ・サギは内心もやもやすることが多いです。

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update 2025/12/3
Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
の、生きかたカエルさんの言った、動画内の一発言に反論します。
「社会が悪い」がおかしい言葉とは私は思いません。
切実なつらい気持ちから出る言葉だと私は想像するからです。

誰もが人や人以外の命の犠牲や支えで生きているのは確かだと私は思います。それでも、「社会が悪い」という言葉を言う方は、実際に社会の誰かや何かに苦しめられているか、仮にそうでなかったとしても、切実な苦しさを抱えていると、私は想像します。その方が、社会の犠牲や支えで生きている部分があれど、社会に苦しめられていると感じている以上、「社会が悪い」という言葉を言うことは、私は至極真っ当なことだと思います。私の反論に対して、生きかたカエルさんは、どう思いますか?

A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2