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Q&A
Q.自分の感受性や考え方を背負って生きていく上で、善とされるものに全くついていけず苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の感受性や考え方を背負って生きていく上で、周囲の善とされるもの(通学や働くこと、家庭を持つことなど)に全くついていけず苦しいです。
生まれたくなかったなと思います。

A.「自分の感受性や考え方を背負っていく」が、見事な表現だ…と思わず唸ってしまったウ・サギです。ウ・サギが自分の生きづらさを表すとき、この表現をそのまま借りたいくらいです。
周囲の善とされるものというのが、今の社会は非常に限定的かつ要求水準が高いとウ・サギは思っているので、それについていけないのも自然なことであって、みんなでついていくのをやめませんか?と最近はずっと思っています。こんなに、生まれたくなかったとか、死んでしまいたいと思う人がいるなら、間違っているのは人間側ではなく、社会が人を枠にはめようとすることだと思うのです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.自分なりに動いても納得の着地がないのは私自身自分を受け入れる事ができないのが敗因かな
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分なりに動いているつもりですがなんていうか自分の納得するようなところに着地しないというか、私自身自分を受け入れる事ができない事が敗因かなと思っています。合ってますか

A.合ってるかどうかカエルはわかりませんが、自分での中で確認している感じが伝わってくるので、きっと合っているとカエルは思いました。ただ、受け入れることができないと書いていますが、受け入れるというより、理解しきれていないに近いのかもしれないと思ったりします。そもそも、納得するとか受け入れという行為にはずいぶんと人によって厳密性に違いがあるような気がしています。質問者さんは納得することや受け入れるということに対して妥協できない厳密性を持ち合わせているのではないかとカエルは推測してみました。そして、世の中の多くの人は納得することや受け入れることに対して「何となく」「それっぽく」できたりするのですよね。

回答:生きかたカエル

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update 2026/3/24
Q.誰かを自殺に追い込んだ人が、殺人罪にならないのは何で?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰かを自殺に追い込んだ人が、殺人罪にならないのは何で?特に、いじめとかハラスメントとかが原因の自殺は加害者側が殺人と言われてもおかしくないと思う。誰かを自殺に追い込んだら、犯罪でいいんじゃないの?

A.質問者さんの「気持ち」については、全面的に共感、仲間!と名乗りを上げたい気持ちのウ・サギです。ただ、「論」として回答すると、追い込んだ人を殺人罪とするのは不適切だとウ・サギは考えているので、その理由や根拠を説明させてもらいますね。(質問者さんのモヤモヤを否定する意図はまったくありません)
人は誰しもが社会から大きな影響を受けています。たとえば、親が子どもを追い詰めてしまうのは、子育ての責任が過度に親に課せられ、まるで家庭が一つの孤島のように閉鎖し孤立しているという社会構造の部分の罪がとても大きいとウ・サギは思っています。また、暴力を受けた人が必ずしも暴力的になるわけではありませんが、暴力を受けないと暴力をふるうことを身につけないとウ・サギは思っているので、そこには悲しい連鎖も存在していると感じます。
だから誰かを自殺に追い込んだ犯人は、犠牲になった人の感情や感覚としてこの人だ!という人がいるのもわかりますが、ウ・サギは社会全体だと考えます。社会は私たちの集合体のことなので、ウ・サギも加害者であり傍観者の立場であって、社会で再び同じようなことが起こるのを防止という償いをする責務があると思っています。そのとき「酷い人もいるもんだね」と一個人を犯罪者として断罪するのはむしろ暴力の再生産につながると思うため、ウ・サギは個人だけ罪を押しつけるのは不適切だと考えるのです。ただ、加害者が再度人を死に追い詰めるリスクが大きい場合は、刑務所に入ってもらうことは時に必要だと考えます。
とはいえ実際に誰かに傷つけられた立場からすると、相手が殺人者であり加害者だと感じるのも自然な感情ですし、それを表明する権利ももちろんあります。また、社会構造の話で考えると、「あなた(たち)が私を殺した」というのは事実なので、やはり質問者さんの問いは感情としてはとてもまっとうだと思いました。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.自分の内面の比率を映画やドラマなどの作品でいくつか例えるなら何が当てはまりそうですか?
この記事の担当 所長室

Q.全員に聞きたい
自分の内面の比率を、映画やドラマや音楽などの作品やスポーツなどで、いくつかを例えるなら「(タイトル)〇〇の〜や、△△の〜や、□□の〜。のような自分」
○、△、□、〜には、何が当てはまりそうですか?人となりがわかる気がします。

A.うさえなが:うさえながのうさえながのような自分!

ウ・サギ:うさえながには高度な質問だったようです。でも、ウ・サギも結構真剣に考えたにもかかわらず、まったく浮かびませんでした……。自分じゃなく他所長のことなら多少思い浮かんだので書いておくと、生きかたカエルは野球のキャッチャーと、寄生獣のミギーですね。やみーペンはアイドルのセンター??比率まではお手上げです…!

生きかたカエル:カエルには内面がなく、外面しかないし、映画やドラマや音楽などの作品やスポーツもめちゃくちゃ守備範囲が狭いのでとても難しいですね…苦笑 さらに、個体の内面の構成要素となると、とても流動的で今この瞬間の比率でしかないという前置きのもとに考えました!カエルのうたのゲロゲロゲロゲロぐわっぐわっぐわっが3割、映画「マグノリア」のクライマックスシーンで天から降り注ぐ大量の仲間たちの世の中に対する捨て身の啓示が7割のカエルです。

やみーペン:やみーペンの比率はジェラート屋の常連2割、インターネットカフェに足繁く通う客3割、腹へり機嫌悪い1割、光と匂いにイライラしてる3割かな!

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update 2026/3/24
Q.誰にも助けてもらえず死ぬしかなくても自死は迷惑だと言われ、許されないのはなんで?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自死は迷惑だって言うけど、今の世界は、生きるのがどうしようもなく辛くなって、でも誰にも助けてもらえなくて死ぬしかなくても、迷惑かけずに死ぬ方法はない。
人は皆迷惑をかけあって生きているって言うくせに、自死が許せないのはなんで?

A.マジョリティ(現状では社会のありように疑問を感じていない、ある程度の平穏を守られている人)の考えや言葉は、多くの場合、感情や感覚から発せられているというのがウ・サギの調査結果です。それは論理でも倫理でもなく、ほとんど反応で出てきているものなので、言葉だけを突き詰めて考えると、矛盾や理不尽がたくさん含まれていることが多いように感じます。
そして「迷惑をかけあっている」と「迷惑だから死んではいけない」を両方言うのも、矛盾してしまっているとウ・サギは思いました。世間が自死を許せないと言っているのかまではわかりませんが、基本的には「私に都合の悪いことはやめてください」「私たちはこのまま平穏に生きたいのです」ということを、いろんな表現で言っている話だとウ・サギは捉えています。でも自分が平穏でも、同じ世界にまったく平穏に生きられていない人がいるのは事実なんだから、それを直視してくださいよ…!とウ・サギは暴れまわりたいくらいの気持ちで思うこともあります。だからこの問いかけには共感しましたし、この問いをまっすぐ受け取って回答できないなら綺麗事は言わないでくださいね…?と、世間に対して言いたい気持ちになりました。質問ありがとうございます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.他者を怖がらせる特性を持つ人がいてもそれを理由に排除される風潮や仕組みは嫌だと感じる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.他者を怖がらせてしまったり傷つけてしまうかもしれない特性を持つ人がいたとして、
その特性を理由にその人が排除されたり攻撃されたり「社会で受け入れるなんて無理だ」とか諦められたりする風潮や仕組みは、僕は悲しいし嫌だと感じる。
人は人に変わりないし、その特性がその人の全てではないと思うし、加害は止められるべきでも、特性に関して、特性を持つ本人と周りが共に折り合いをつけて調整していくことを最初から切り捨て諦めて、排除したり攻撃をするような風潮や仕組みは嫌だ。手放しで受け入れられなくても、棲み分ける道や互いに折り合いをつけて調整をしていく道は、あるんじゃないかと根拠はないけど僕は思う。
そう感じるんだけど、僕自身も他者に「怖い」とか「関わりたくない」とは思うし、「自分の平穏を乱されたくない」とも思うんです。どちらも確かな僕の感覚で、だからこそ矛盾が苦しいです。
どう思いますか?

A.まっとうな主張だと思いました。個々にキャパがあるのも当たり前なので、大切なのは、いかに共同で(それぞれが自分にできることを持ち寄って)誰も切り捨てない社会を成り立たせるか、という視点だとウ・サギは思っています。
また、普遍的な真実として、人は環境に左右される生き物です。そして、加害行動はストレスが一定値を超えたときに起こるとウ・サギは思っています。特性のある場合は、何かしらの大きい不得意や苦痛があり、それの対処や発散が一人では困難になってしまう状況が、他の人よりも生じやすい傾向があるように感じます。逆にいえば、誰だって同じ量のストレスを浴びれば、自分をコントロールできなくなるとウ・サギは思います。だからこそ、誰かが自分をコントロールできずに他者を傷つける「状態」にある人を切り捨てるのは不適切だというのがウ・サギの考えです。切り捨ての論理を一度適用すると、それはいつか自分へも適用されかねないものになると思うからです。
自分一人ですべてをどうにかしようとするのは、誰にとっても無理なことです。無力な立場で理想を大きい声で叫ぶのもきっと違うとは思いますが、たとえば救命で電話をかけて救急車を呼ぶ役割も大切なように、誰でもささやかにできることはあるはずだとウ・サギは思いますし、自分の感じたことをアイメッセージで発信し、考え続けるのもその一つだと感じます。その余裕もないなら、まずは自分を助けることをしていいし、とにかく自分が困ったときにも安心して暮らせるように、助け合いの論理はぶらしたくないウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/24
Q.メイクや脱毛、風呂など自分を綺麗にする作業が嫌い
この記事の担当 所長室

Q.メイクや脱毛、さらにはお風呂やスキンケア・ヘアケアなど自分を綺麗にする作業が嫌い。綺麗にすると居心地悪くて、ムズムズ不快。こんな私がって申し訳ない。セルフネグレクトと言うのかな。でもマナー的にやらなくちゃいけない場面は多い。どうしたらいい?

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update 2026/3/22
Q.子供でも自分で選びたいって聞くけど自分は放任は怖い。
この記事の担当 所長室

Q.子供でも学校含めて自分で選びたいって聞く。でも自分は社会のことよく分からない時点で決めていいよと放任されるのは怖いし、責任持ちたくない。レールに乗る社会に安心してる。安心のレールの上で選ばせる、選ぶのを手伝うのが学校(のはず)なのになぁ…

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update 2026/3/22
Q.休みでも学校のこととか考えちゃって休みの感じしない。
この記事の担当 所長室

Q.休みでも学校のこととか考えちゃって、休みって感じしない。そもそも1月は一度も1日休みがなかった、学校とか塾で 学校はきらいじゃないんだけど ちょっとだけげんかいかもーつかれちゃったかも

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update 2026/3/22